来る者拒まず、去る者追わず。優しい嘘には制裁を。

 傍らでその一部始終を聞いていた夏海は、フッと鼻で笑うように息を漏らした。そして、面白がるようにクツクツと喉を鳴らしながら呟く。

「あーあ、ひっど。今頃泣いてるんじゃない?」
「……お前のせいだろ、全部」

 恭也が心底うんざりした、冷ややかな視線を向ける。しかし夏海は怯むどころか、ケラケラと楽しげに笑いながら、あきれ返ったように肩をすくめて見せた。

「私のせい?なら、私のことを選ばなければよかったんじゃない?」
「夏海から提案してきたのにか?」
「ああ、そっか。来るもの拒まず、だっけ?」

 その正論すぎる言葉は完全に図星だったのか、恭也は言い返す言葉を失いグッと押し黙る。そんな反応すらも面白がるように、夏海は意地の悪い目を細めた。

「恭也、あんた本当に恋愛向いてないよ」
「………」
「ああ、さっきの浮気未遂の件じゃなくてね」

 そう言うと、夏海は自身が腰かけているベッドのマットレスを我が物顔で軽くポンポンと叩いてみせた。そこに座れ、という無言の要求であることは明白だったが、プライドが邪魔をしたのか恭也はすぐには動かなかった。不機嫌そうに硬直する彼の態度に少し機嫌を損ねたのか、夏海はわずかに眉根を寄せる。そして、ジッと見据えながら「恭也」とだけ名前を呼ぶ。

(は~~~……なんでこう、毎回この女のペースに乗せられるんだよ)

 半ば自己嫌悪に陥りそうになりながらも、逆らっても面倒なことになると知っているため、恭也は渋々といった様子で立ち上がり、その隣に腰を下ろした。
 他の女子たちと並んで歩いたり話したりすることに比べれば、夏海の近くに座るなど物心ついた頃からの日常の延長線上にあるはずだ。それなのに、ここが誰の目もない自分の部屋であり、尚かつベッドの上だというだけで妙に距離が近く感じられてやけに艶めかしい空間に思えてしまう。

 ざわつく胸の内を悟られないよう、恭也はわざと冷めた響きを乗せて口を開いた。

「……さっきの件じゃないなら、何だよ」
「ふふっ、自分の部屋に上がってきた無防備な彼女を目の前にして、『可愛い』のひとつも言えないなんてさ。彼氏としてはどうなのよ?何したって咎める人はいないんだし、私が他言しないのは分かってるでしょ?いいよ。恭也の好きにして」

 その思わせぶりで挑発的な言葉に、恭也は大きく息を吐き出した。
 『可愛い』?
 今更そんな甘ったれた台詞を口にできるわけがない。かれこれ何年の付き合いだと思っているんだ。今更どんな言葉で着飾ろうと、夏海は心の底から面白がっているだけでまともに響くはずがない。それに、そんな軽口を叩こうものなら、一瞬で冷めた目をされるか、容赦ない鉄拳が飛んでくるのがオチだ。

 しかも、「好きにしていい」などと年頃の女子が軽々しく口にするものではないだろう。他の男の前でうっかりそんな隙を見せるなよと、余計な心配まで湧いてくる。さらに言えば、その言葉を悪用する輩がいることを夏海が理解して良そうな所も厄介だ。自覚して尚、俺に信頼を置いているから冗談めかして言うのだろう。もしくは、あらぬ事態になってもお互いに逃げることをしないところまで見据えているのか。真意は夏海にしか分からないことだろう。
 
 恭也は現実逃避するように低く呟いた。

「…不純異性交遊」
「あ、そういうこと言うんだ。へぇー…そう」

 直前までの軽快さが嘘のように、夏海の声のトーンがスッと一段落ちた。
 そのわずかな変化に本能的な危険を察知し、恭也はビクリと肩を跳ねさせる。

(やばい、また選択を間違えたかもしれない…)

「あ、あのさ、なつみ、」

 慌てて弁解しようと、恭也が彼女の方へ顔を向けたその瞬間だった。
 狙い澄ましたように、夏海の手がスッと伸びて恭也のネクタイを鋭く引っ張った。予想外の強い引きにバランスを崩し、恭也の身体は前のめりへと倒れ込む。ネクタイから決して手を離さないまま、夏海はそのままベッドへ仰向けに倒れ込んだ。必然的に、ネクタイを引かれたままの恭也も彼女の上へと覆い被さるような姿勢になってしまう。

 一瞬にして至近距離になった顔と顔。息が触れ合うほどの距離感に頭が真っ白になりかける中、理性がかろうじて働き、恭也は慌てて両腕でベッドのマットを強く突っ張った。夏海に体重が完全にかからないよう、ギリギリのところで全体重を支える。

……まあ、客観的にどう見ても、完全に『男子が女子を押し倒している図』にしか見えないが、これはれっきとした不可抗力だ。

「これでも可愛くない?」
「こんな状況を瞬時に作り出す奴は、どう考えても可愛くないだろ…!」

 動揺を隠すように吐き捨てた恭也の言葉を聞き、夏海は悪びれる様子もなく、ふふっと楽しそうに愛らしく笑った。
 目の前で揺れる整った黒髪と全く危機感のない不敵な笑み。それが見慣れたものだからこそ、脳が変な錯覚を起こしそうになる。