来る者拒まず、去る者追わず。優しい嘘には制裁を。

「またやってんだ」

 放課後の緩んだ空気が漂う教室の窓際、夕暮れ前の乾いた風がカーテンを揺らしていた。朝倉(あさくら) 夏海(なつみ)はストローで紙パックのミルクティーを刺しながら、どこか呆れたような声を出す。
 
 目の前では、瀬戸(せと) 恭也(きょうや)が頬杖をつき、アンニュイな溜息を吐いていた。整ったパーツが配置された端正な顔立ちは、ただ頬杖をつくだけでも絵になる。実際、彼はついさっき他クラスの女子生徒に呼び出され、校舎の裏で告白されたばかりだった。

 その場に居合わせなかったはずの夏海が、何故か自分の返答を把握している。
 そんな事実に顔を顰めながらも、咎める代わりに恭也はため息を吐いた。

「……別にいいだろ。断る理由もなかったし」
「来る者拒まず、去る者追わず、か。相変わらず節操がないね、瀬戸くんは」

 夏海と恭也は幼馴染。その事実は、なぜか周囲にはひた隠しにされてきた。
 隠す気があったのか、はたまた言う気が無かっただけか。言い忘れていただけの可能性さえもある。

 ただ、やけに仲のいい2人として周囲は認知していた。

 物心がつく前からの長い付き合いだからこそ、世間一般が抱いている『優しくて誰にでも誠実な瀬戸くん』というパブリックイメージが、完璧なハリボテにすぎないことを知っている。
 クラスの女子たちが黄色い声を上げる前で、彼はいつも柔らかく微笑み、求められているであろう言葉を完璧に返す。しかし、幼馴染である夏海の和の前でだけ、恭也は極めて冷めた他人に微塵も興味がない本音を剥き出しにすることが日常だった。

「だってさ、変に断って泣かれたり面倒なことになったりするより、愛想笑い1つで相手の機嫌が良くなるなら、お互いハッピーだろ。誰も傷つかない」
「んははっ、そういうことはっきり言っちゃうんだ」
「夏海に今更繕ったところでだろ」

 その言葉を否定も肯定もすることなく、夏海は薄っすら笑う。
 そして一言。

「その嘘、本当に優しさ?」

 夏海はミルクティーのパックをカタリと机に置き、真っ直ぐに恭也を見据えた。ガラス玉のように凪いだ恭也の瞳の奥を、値踏みするような鋭い視線が捉える。悪意は微塵もない。ただただ、純粋な疑問。それは問われた恭也も理解していた。

「……」

 だからこそ、黙って夏海が発するであろう言葉の続きを待った。案の定、夏海は口を開く。

「それって、本当に相手のためを思って言ってる?傷つくのを怖がるのも面倒事を避けたいのも、結局は自分だけなんじゃないの……ねえ、恭也?」

 図星を突かれたのか、恭也はわずかに眉間をひそめた。
 耳に心地いいだけの正論を吐く周囲とは違い、自分の奥底を丸裸にしてくる夏海を少しだけ疎ましく思いながら、彼は苛立ったように上体を起こす。

「じゃあどうすりゃいいんだよ。お前の言う通りにするなら、全員に『お前なんか興味ない』って冷たく突き放せってのかよ」
「別にそこまでは言ってないけどさ」
「…どうせ、俺は誰でもいいんだよ。極論を言えば。誰が隣にいても、どんな奴と付き合っても一緒だし」

 自嘲気味に吐き捨てられた、あまりにも投げやりで冷徹な言葉。
 その響きを聞いた瞬間、夏海の中である仮説が浮かんだ。

 ただの興味。
 ただの実験。
 ただの仮説。

「ねえ、それで考えるとさ、」

 夏海はすっと椅子から立ち上がり、恭也の机に両手を突いて身を乗り出す。夕日に照らされた彼女の瞳には、あざ笑うような、けれどどこか逃げ場のない狂気的な熱が宿っていた。


「__私とも付き合えるの?」


 その言葉はやけに教室に響いた。
 恭也は目を真ん丸にして固まった後、理解に苦しむように眉間を摘まんだ。

「…あのさ、自分が何言ってるか分かってる?」

 恭也は盛大な溜息と共に、呆れを通り越して眩暈を覚えるといった様子で頭を押さえた。

 長年の付き合いである夏海が面白半分でとんでもない球を投げてくるのは、今に始まったことではない。だが、まさか自分との交際を実験材料に選ぶとは夢にも思わなかった。そんな恭也の心情を知ってか知らずか、夏海は軽く頷いた。

「分かってるよ。極論、誰でもいいんでしょ?だったら、お互いのこと1番よく知ってる私と付き合うのが、1番リスクも手間も少なくて効率的じゃない?」

 夏海は悪びれる様子もなく、むしろ面白がるように唇の端を持ち上げた。その瞳の奥には、好奇心の炎がちらついている。
 『誰でもいい』という自身の投げやりな発言を、綺麗かつ冷徹にブーメランとして突き返された形だった。

「…お前、俺を試して楽しいのかよ」
「楽しいよ。だって、恭也の『誰でもいい』が本当なら、私と付き合うことになっても何が変わるわけ?逆に、『私とは絶対無理』って言うなら、その理由を教えてほしいな」

 言い負かそうというのではなく、どこまでもフラットに、しかし逃げ道を塞ぐようなロジック。
 恭也は夏海のまっすぐな視線から思わず目を逸らし、窓の外の茜色の空へと視線を逃した。

 いつも自分を都合よく誤魔化し、波風を立てずにやり過ごしてきたツケが、今こうして目の前で笑っている。
 ここで逃げたら、一生この女に頭が上がらなくなる。そんな変なプライドが、恭也の中に芽生えてしまった。

「……そこまで言うならさ」

 恭也はゆっくりと顔を上げ、凪いでいたはずの瞳にわずかに座を据えた。

「後悔しても知らないからな。お前が言い出したんだ。仮に付き合うことになって、俺が一切の特別扱いもしなくて、これまでと変わらない態度だったとしても、泣き言は聞き入れないからな」
「おっ!ということは、付き合うってことでいいの?」

 その問いに、恭也は頬を引き攣りながら頷いたのだった。