※第3章 第3話『及ばぬ鯉』読了後を推奨しております。
「椿姫ってさ、どうして尊を好きになったの?」
今更だけど、と付け足して、汐がグラスの周りを遊ぶように指先でなぞっている。
「あ、それわたしも聞きたい。どうしてなの?」
目の前に座る咲樂も、両手を合わせて楽しそうにする。
幽泉堂の食堂にて、三人は顔をつき合わせていた時のことだ。
「あら? 言ったことなかったかしら?」
てっきりもう話していたと思っていたが、日々様々なことを聞いてもらうせいで、肝心なことを忘れていたようだ。
「思えばないんだよね。尊の傍にいれば、そりゃあ好きになる気持ちも分かるけど」
「そうね、優しいし、頼りになるものね」
汐と咲樂が自分の想い人を評価してくれている。
椿姫は幼馴染みとして誇らしくなり、鼻高々である。
「ふっふっふ。実は、私と尊が運命の赤い糸で結ばれた日があるの! 聞きたいかしら?」
言いたくて堪らないのは椿姫の方だが、片目を閉じてとりあえず焦らしてみると、二人は優しく笑って頷いてくれる。
「私と尊と芽以はね、小さな頃からよく遊んでいたんだけどね――」
椿姫は海で溺れた日のことを思い出して、咲樂と汐に宝箱の中身を見せるように話し始めた。
◆ ◆ ◆
「――ということがあってね、私と尊は運命で結ばれた関係だったの」
椿姫は、うっとりと目を閉じ、美しい記憶を思い出して自慢げに語った。
不思議なことに、溺れて苦しかった海も嫌いにはなれず、椿姫はあれからも毎年のように尊や芽以に引っ付いて海に赴いた。
両親に「これを着ると海に落ちても浮くからね」と、可愛くない救命胴衣を持たされたけれど。
可愛くない姿でいることが嫌だったが、尊が「似合ってるぞ」とたった一言をくれただけで、椿姫は釣りに行かない日でも暫く救命胴衣を着ていた。
「……なんというか、椿姫らしいね。尊と芽以さんの胃が心配になってきたな」
「本当に無事で良かった……海ってそんなに怖いところなのね」
苦笑いを浮かべる汐と、素直に怖がる咲樂。
思っていた反応とちがい、椿姫は首を傾げる。
運命的な恋物語の序章の読み聞かせのつもりで話していたのに。
もしかすると、自分の説明が十分ではなかったのかもしれない。
「ねぇねぇ、私と尊はね」
二人にもっとちゃんと詳しく教えなければと身を乗り出した時だった。
「椿姫!」
半個室になっている暖簾を誰かが外から捲って、驚きのあまり椿姫は悲鳴をあげて飛び上がった。
仕事終わりの芽以がそこにいた。相変わらず顔を顰めている。
「門限はとっくに過ぎているぞ。ここ最近、帰るのが遅いんじゃないか」
尊が海色の瞳なら、芽以の瞳は空色にちがいない。
父や母も怒らないのに、芽以だけは椿姫を鋭く睨む。
「関所警備の俺には、椿姫がいつ地下に下りて上がってきたのか、分かるんだからな」
神経質な物言いは、今日も変わらない。
すかさずに汐が揶揄う表情で頬杖をつき、芽以を座ったまま見上げた。
「おや、椿姫の騎士殿が来たね」
言い得て妙とはこのことだ。
尊が王子様なら、芽以は騎士がとても似合う。
「まあ! 騎士ですって芽以! 素敵ー!」
「断る」
「あらら、つれないなぁ」
「こんばんは、葉山さん」
「……こんばんは」
汐が絡んで、咲樂が静かに挨拶をすると、それに居心地悪そうにしつつも、芽以は返事をした。
椿姫や尊とちがい、彼はずっと汐や咲樂に対してこの調子である。
「僕も休憩終わるし、椿姫もそろそろお帰り」
「そうね、寂しいけどお暇するわ。二人とも、お話してくれてありがとう」
赤い鞄を手に取り、椿姫は席から立ち上がる。
手を振ると、振り返してくれる。
「こちらこそ。楽しかったわ」
「またおいで」
いつでも優しく迎えてくれる、尊や芽以とはまた別の兄と姉のような彼等を、椿姫は一等好いていた。
にっこりと笑顔でもう一度手を振り、芽以と共に幽泉堂を後にした。
柩地区も、幽泉堂も、ここで生きる人々も、尊と芽以と同じくらいに、大好きなのだ。
地上に帰るための長い階段をのぼれば、広い夜空と星たちが迎えてくれた。
馬車を拾ってもいいし、歩いて帰っても良い、そんな夜。
まだ人通りのある街は、赤い顔の酔っ払いや、手を繋ぐ恋人、仕事帰りと思われる人々が歩いていた。
いつもの景色を眺めながら、椿姫は紙袋を開けて、中の物を取り出した。
「はい、芽以にもあげる」
幽泉堂で買った餡まんを、差し出す。
餡まんはまだ温かく、湯気が立ち上っていた。
芽以は驚くこともなく、慣れた表情で受け取る。
「……どうしていつも餡まんを買うんだ」
「えっ? だって餡まん好きでしょう? お仕事帰りのご褒美じゃない」
「ふん。こんなもので絆されんからな。俺はお前が柩地区に行くことは断固反対だ」
礼も言わずに芽以は餡まんにかぶり付くけれど、椿姫は軽快に笑うだけだ。
「案外楽しいわよ、柩地区も! 特に幽泉堂は温泉もあるし、香水もお化粧品も買えるし、何よりご飯が美味しいんだから!」
「どうだか。魂人は信用できない」
「まったく芽以ったら。やなことされた訳でもないのに、変なの!」
こんなに美味しいものを作れる人が、嫌な人なわけがない。
餡まんを一口食べて、その蕩ける甘さに、椿姫は頬に手を添えた。
「とってもおいしいわ」
「椿姫ってさ、どうして尊を好きになったの?」
今更だけど、と付け足して、汐がグラスの周りを遊ぶように指先でなぞっている。
「あ、それわたしも聞きたい。どうしてなの?」
目の前に座る咲樂も、両手を合わせて楽しそうにする。
幽泉堂の食堂にて、三人は顔をつき合わせていた時のことだ。
「あら? 言ったことなかったかしら?」
てっきりもう話していたと思っていたが、日々様々なことを聞いてもらうせいで、肝心なことを忘れていたようだ。
「思えばないんだよね。尊の傍にいれば、そりゃあ好きになる気持ちも分かるけど」
「そうね、優しいし、頼りになるものね」
汐と咲樂が自分の想い人を評価してくれている。
椿姫は幼馴染みとして誇らしくなり、鼻高々である。
「ふっふっふ。実は、私と尊が運命の赤い糸で結ばれた日があるの! 聞きたいかしら?」
言いたくて堪らないのは椿姫の方だが、片目を閉じてとりあえず焦らしてみると、二人は優しく笑って頷いてくれる。
「私と尊と芽以はね、小さな頃からよく遊んでいたんだけどね――」
椿姫は海で溺れた日のことを思い出して、咲樂と汐に宝箱の中身を見せるように話し始めた。
◆ ◆ ◆
「――ということがあってね、私と尊は運命で結ばれた関係だったの」
椿姫は、うっとりと目を閉じ、美しい記憶を思い出して自慢げに語った。
不思議なことに、溺れて苦しかった海も嫌いにはなれず、椿姫はあれからも毎年のように尊や芽以に引っ付いて海に赴いた。
両親に「これを着ると海に落ちても浮くからね」と、可愛くない救命胴衣を持たされたけれど。
可愛くない姿でいることが嫌だったが、尊が「似合ってるぞ」とたった一言をくれただけで、椿姫は釣りに行かない日でも暫く救命胴衣を着ていた。
「……なんというか、椿姫らしいね。尊と芽以さんの胃が心配になってきたな」
「本当に無事で良かった……海ってそんなに怖いところなのね」
苦笑いを浮かべる汐と、素直に怖がる咲樂。
思っていた反応とちがい、椿姫は首を傾げる。
運命的な恋物語の序章の読み聞かせのつもりで話していたのに。
もしかすると、自分の説明が十分ではなかったのかもしれない。
「ねぇねぇ、私と尊はね」
二人にもっとちゃんと詳しく教えなければと身を乗り出した時だった。
「椿姫!」
半個室になっている暖簾を誰かが外から捲って、驚きのあまり椿姫は悲鳴をあげて飛び上がった。
仕事終わりの芽以がそこにいた。相変わらず顔を顰めている。
「門限はとっくに過ぎているぞ。ここ最近、帰るのが遅いんじゃないか」
尊が海色の瞳なら、芽以の瞳は空色にちがいない。
父や母も怒らないのに、芽以だけは椿姫を鋭く睨む。
「関所警備の俺には、椿姫がいつ地下に下りて上がってきたのか、分かるんだからな」
神経質な物言いは、今日も変わらない。
すかさずに汐が揶揄う表情で頬杖をつき、芽以を座ったまま見上げた。
「おや、椿姫の騎士殿が来たね」
言い得て妙とはこのことだ。
尊が王子様なら、芽以は騎士がとても似合う。
「まあ! 騎士ですって芽以! 素敵ー!」
「断る」
「あらら、つれないなぁ」
「こんばんは、葉山さん」
「……こんばんは」
汐が絡んで、咲樂が静かに挨拶をすると、それに居心地悪そうにしつつも、芽以は返事をした。
椿姫や尊とちがい、彼はずっと汐や咲樂に対してこの調子である。
「僕も休憩終わるし、椿姫もそろそろお帰り」
「そうね、寂しいけどお暇するわ。二人とも、お話してくれてありがとう」
赤い鞄を手に取り、椿姫は席から立ち上がる。
手を振ると、振り返してくれる。
「こちらこそ。楽しかったわ」
「またおいで」
いつでも優しく迎えてくれる、尊や芽以とはまた別の兄と姉のような彼等を、椿姫は一等好いていた。
にっこりと笑顔でもう一度手を振り、芽以と共に幽泉堂を後にした。
柩地区も、幽泉堂も、ここで生きる人々も、尊と芽以と同じくらいに、大好きなのだ。
地上に帰るための長い階段をのぼれば、広い夜空と星たちが迎えてくれた。
馬車を拾ってもいいし、歩いて帰っても良い、そんな夜。
まだ人通りのある街は、赤い顔の酔っ払いや、手を繋ぐ恋人、仕事帰りと思われる人々が歩いていた。
いつもの景色を眺めながら、椿姫は紙袋を開けて、中の物を取り出した。
「はい、芽以にもあげる」
幽泉堂で買った餡まんを、差し出す。
餡まんはまだ温かく、湯気が立ち上っていた。
芽以は驚くこともなく、慣れた表情で受け取る。
「……どうしていつも餡まんを買うんだ」
「えっ? だって餡まん好きでしょう? お仕事帰りのご褒美じゃない」
「ふん。こんなもので絆されんからな。俺はお前が柩地区に行くことは断固反対だ」
礼も言わずに芽以は餡まんにかぶり付くけれど、椿姫は軽快に笑うだけだ。
「案外楽しいわよ、柩地区も! 特に幽泉堂は温泉もあるし、香水もお化粧品も買えるし、何よりご飯が美味しいんだから!」
「どうだか。魂人は信用できない」
「まったく芽以ったら。やなことされた訳でもないのに、変なの!」
こんなに美味しいものを作れる人が、嫌な人なわけがない。
餡まんを一口食べて、その蕩ける甘さに、椿姫は頬に手を添えた。
「とってもおいしいわ」

