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「おい瑛斗……。心の準備はできてるか」
 
 低い声で冬梧が呟く。瑛斗は眉を寄せたまま、ゆっくりと頷いた。
 顔を上げ、禍々しいフォントで『武具ハヤシ』と書かれた看板を睨みつける。
 
「さて……今日は何を投げつけられるやら……」
 
 瑛斗はごくりと唾を飲み込んだ。冬梧と視線を合わせて深く頷き合い、古びた日本家屋の武具屋へと足を踏み入れる。
 
 『ハヤシ』の老夫婦とは小学生時代からの顔見知りだが、とにかく癖が強い。

 ご主人であるじじいは、とにかく人の話を聞かない。「これが欲しい」とデザインが気に入った鍔を持っていこうが、「お前はこれでいい」とクソダサいものを強制的に買わされる。
 ばばあはもっとタチが悪い。店内にある小上がりの修繕スペースが定位置なのだが、どこに目をつけているのか、店内で少しでもふざけると容赦なく物を投げてくる。
 ちなみに、売り物の竹刀でチャンバラをした時は『紙ヤスリ』、タダで配っている鍔止めを多めに掠め取った時は『ブラシ』、展示品の高級防具を「伝説の防具だ」と触った時には『ペンチ』が飛んできた。
 
「おお、クソガキどもじゃないか」
 
 店内に入ると、小上がりの畳の上でラスボスよろしく鎮座しているばばあが鼻を鳴らした。瑛斗と冬梧は「まだ生きてたな」「座り方が極道だよな」とボソボソ囁き合う。
 
「竹刀買いに来た」
 
「俺はかっけー鍔」
 
「相変わらず二人してバカ面してるね。いくつになったんだい」
 
「先月から高二だよ」
 
 瑛斗が言いながらワゴンを漁っていると、背後からぬっと伸びてきた冬梧の手が、カーボンの真っ黒な鍔をひょいと拾い上げた。外側に金のラインが入った、やけにオシャレな鍔だ。
 
「これいいじゃん」
 
「かっけー! 俺これにする」
 
「高二にもなって、相変わらずくっつき虫みたいにべったりだね、お前たちは」
 
「誰が虫だっつーの! これちょうだい」
 
「くっつき虫は植物な」
 
 無数に立てられた竹刀を吟味しながら的確にツッコんでくる冬梧を無視し、じじいが待ち構えるレジへと向かう。
 
 どうせここで、じじいに「お前にはこれだ」と薄紫色の百五十円のダサい鍔にすり替えられるに決まっている。
 そう身構えていたが、じじいは無言で黒い鍔をレジに通し、「八百円」とだけ言った。
 
「……あれ? いつもみてぇに別のやつに差し替えねえの?」
 
 瑛斗が拍子抜けして見つめるが、じじいは無表情のまま、ただ支払いを待って佇んでいる。
 
「じいさん、最近物忘れが酷くてな。お前らのこと、もう覚えておらんかも知らん」
 
 ポツリと、店の奥からばばあの声が聞こえた。
 
 ……マジか。
 瑛斗は呆然とじじいの顔を見つめた。最後にハヤシに来たのは半年前くらいだ。あの時はまだ、元気にクソダサい鍔を押し付けてきたのに。
 
 財布から八百円ちょうどを出して鍔を受け取り、何とも言えない気持ちのまま冬梧の方を振り返る。
 
 すると、レジでのやり取りを見ていた冬梧が、いつもの三千円の竹刀売り場から、奥にある『八千円の高級竹刀売り場』へと無言で移動していた。少し吟味して、一番高そうな一本を抜き出す。
 
「マジかよお前……八千円だぞ……」
 
 じじいが機能していないのをいいことに、お坊ちゃん力全開にする気か……!?
 
 瑛斗があわあわしながら見守る中、冬梧が高級竹刀をレジのじじいに突き出した。
 じじいは無言でそれを受け取ると、じっと眺め——。
 
「お前みたいな未熟者には、こんなのいらん」
 
 そう言ってのそのそとレジから出てくると、いつもの三千円の竹刀を無造作に引っこ抜いてきた。
 
「お前はこれで十分」
 
 そう言って勝手にレジを打ち、袋に詰める。ばばあも少し驚いたようにそれを見ていたが、やがて腹を抱えて大きな声で笑い出した。瑛斗も堪えきれずに吹き出す。
 
「お前、健忘症のじじいにまで言われてやんの」
 
「くそ。……やっぱりダメか」
 
 冬梧は悔しそうに舌打ちしつつも、その顔はどこかホッとしたように緩んでいた。
 
 老夫婦に「また来るよ」と告げ、武具屋を出る。

 
「……なんかさー、ちょっとじじいのこと、ショックだったわ」
 
「小さい頃から知ってるからな」
 
 こういう小さな出来事で、時間の経過を感じることがある。
 自分は小学校の頃からバカなままで、何も変わっていない気がするのに。周りが時と共に変化していくのを見ると、無性に不安になるのはなぜなのだろう。
 
 少ししんみりして俯いていると、隣を歩く冬梧が、トン、と肩を小突いてきた。
 
 振り向くと、冬梧がズボンのポケットから大量の鍔止めをわさわさと取り出してみせる。
 
「ぶふっ! おま、それ……!」
 
 いつの間にそんな大量に掠め取ったんだよ。今度こそでかい『やっとこ』飛ばされるぞ。
 
 吹き出した瑛斗を見て、冬梧はニヤリと口角を上げた。
 
「これは、ばばあの目がもうろくしたんじゃなくて、俺の手腕が上がったんだ」
 
 謎のドヤ顔をかます幼馴染に腹を抱えて笑いながら、二人の足は、ハヤシへ行った日のお決まりのコースである駅前のゲーセンへ自然と向かっていた。
 

 *
 

 梅雨に入ると、剣道は湿気との戦いになる。自室の扇風機を全開にして小手を乾かしながら、瑛斗は今日も『オルリン』にログインしていた。
 
 イベントをクリアして以降、クラン活動の後にASTRAからパーティに誘われ、どこに行くでもなくダラダラと生産ジョブを進めながら喋る時間が増えていた。
 
PICO:周回おつ。ダンジョンでも進める?
 
 クランの日課を終えてパーティを抜けると、絶妙なタイミングで今日はぴこたんからチャットが飛んできた。
 
Z:進めたい!パーティ誘う
PICO:オケ
 
 ぴこたんと二人でダンジョン行くの、なんだか久しぶりだな。
 ウキウキしながらパーティ招待を送った直後、ピロンと音が鳴って、今度はASTRAから個別チャットが飛んできた。
 
ASTRA:Zちゃーん!何かやるの?良ければお供するよ。
 
 マジか。どうしよ。えー、でもぴこたんとダンジョンも行きたいしなぁ。一旦相談してみるか。
 
Z:ぴこたん、あすとらが一緒にやろうって
PICO:あら。じゃあまた今度にするか
 
 うーん。これ、三人でできねえかな……。いや、できるよな?
 
Z:三人でやろうよ
PICO:まあいいけど
Z:よっしゃ
PICO:言葉遣い
Z:はい
 
 何気にこの三人でパーティ組むの、初めてじゃね?
 若干ワクワクした気持ちで、ASTRAにもパーティ招待を送る。
 
ASTRA:えっ!PICOさん!?よろしくお願いします!!
PICO:こんちわ
Z:摩天楼タワーってやつ行きたい
PICO:りょ
 
 三人でのダンジョンでは、秋也がタンク、ぴこたんがヒーラーとしてついてきてくれた。画面の端で、小さな白いロボットの頭に、ネオン文字が光るクソダサいカチューシャが乗っている。それを見るたびに、瑛斗の口から「ふふっ」と笑いが漏れた。
 
Z:ぴこたんしぬ
PICO:一回死んで
Z:ひどい
PICO:敵陣に突っ込みすぎなのが悪い
ASTRA:Zちゃんタゲ漏れごめん!
PICO:あすとらは何も悪くない
Z:めんご
PICO:もうこのまま床に転がしておこう
Z:ぴこたーん!!!
ASTRA:本当に置いていった笑
 
 ぴこたんとダンジョンをやる時、瑛斗は基本『脳死モード』だ。ストーリーを追うというより、ぴこたんに介護されながらポンポンとチャットをやり取りするためにやっている節すらある。
 今日はASTRAのギミック説明も鳴りを潜めていた。サポートが二人ということもあり、ダンジョンはあっという間にクリアとなった。
 
PICO:おつ
ASTRA:ありがとうございました!PICOさん、勉強させていただきました!
 
 秋也。お前はゲームの中でも他校の師範に稽古つけてもらう時みたいなテンションになるのな。相手、ダサカチューシャ着けたチビロボだぞ?
 
Z:ぴこたんあすとらおつ!あんがとねー
 
 ニヤニヤしながらパーティを抜けると、すぐさまASTRAから再びパーティ招待が届いた。寝ようと椅子から立ち上がりかけていた瑛斗は、不思議に思いながら座り直す。
 
ASTRA:またまたごめんね。
Z:いえいえ!ダンジョンありがとねー
ASTRA:PICOさん、やはり凄かった!
Z:ダサカチューシャ着けてるけどねw
ASTRA:あれこないだの報酬だよね?PICOさんにあげたの?
Z:つけさせたら面白いなと思って
ASTRA:仲良いね。ちょっと羨ましい笑

 ……『羨ましい』?
 伝説のぴこたんと、仲がいいから?
 
ASTRA:実は、リアルでちょっと今月大会があって、あまりログインできなくなるかもしれなくてさ!
Z:そうなのか
 
 高体連のことか。
 県予選である高体連。個人戦で上位に食い込まないと、インターハイには進めない。
 
ASTRA:ちょいちょいログインはするけど、大会終わったら、Zちゃんにゲームのことで相談したいこともあるんだよね。
Z:相談?
ASTRA:相談!そのためにも、一旦リアルで頑張って来ます!
Z:頑張れ!応援してる!
 

 *
 

 次の日の稽古では、昨晩の宣言通りに秋也の気迫が凄まじかった。
 大瀧道場出身の現役警察官たちがやってきて、月に一度稽古をつけてくれるOB練。長く取られる地稽古の時間、秋也は列に並んでOB全員に稽古をつけてもらい、終わりの挨拶でも手放しで褒められていた。
 
 ちなみに瑛斗と冬梧は、稽古終わりに「お前らなんで高体連出ねえんだ馬鹿!」とOB数人がかりで竹刀でポカポカと叩かれ、「暴力事件です」「お巡りさん呼んでください」と抗議の声を上げていた。

 
「なんか今日、気合い入ってたじゃん」
 
 稽古後。更衣室で機嫌の良さそうな秋也の背中に声をかける。
 
「OB練好きなんだよな。それに、インハイ出れれば、県警の先生から声かけてもらえるかもしれないって言われてさ」
 
「県警って……道場継がねえの?」
 
「ゆくゆくは継ぐだろうけど、親父がまだ頑張れるうちに、一回外にも出てみたいんだよな」
 
「へぇ……」
 
 警察官の秋也……。悪くねぇな。
 てか、偉いな。こいつはそんな先のことも、もうちゃんと考えてるのか。
 
「それに、インハイ出場が決まったらさ。俺、オルリンでプロポーズしちゃおうかなって思ってて」
 
「……え、誰に」
 
「こないだ言ってた、新しく入って来た子」
 
 ——は?
 ……それ、俺じゃん……! え、マジで言ってる?
 
 瑛斗は、勝手にぐぐっと上がりそうになる口角を、脱ぎかけのTシャツを顔に押し当てて必死に隠した。視界の端で、着替えをしていた冬梧が一瞬固まったのが見えた。
 
「……どんな子なの」
 
 動揺を悟られないよう、あえて低めの声で質問する。着替え終わった秋也が、ご機嫌な笑顔で振り向いてきた。
 
「見た目はめちゃくちゃ可愛いアバターなんだけどさ、中身がサバサバしてて楽なんだよね」
 
 ……ま、まぁ、Zの中身は男だからな。
 しかしサバサバがいいって……まさか秋也、Zの中身が男とか女とか関係ないとか……?
 
「……てかさ、もしその子の中身が男だったらどうすんの?」
 
 冗談めかして秋也を窺う。
 その瞬間、秋也のご機嫌だった顔からサッと笑顔が消え、心底怪訝そうに眉根が寄った。
 
 あ。馬鹿やった。聞かなきゃよかった。
 
 本能でそう悟った時には、もう遅かった。
 
「いやぁ……考えたくねぇなぁ。それは普通に……キモいだろ」

 さっきまで上がり続けていた瑛斗の口角が、ゆっくりと元の位置に戻っていった。