ALTER-LINK

 剣道における瑛斗の得意技は『出小手(でごて)』だ。相手が面を打とうと動き出した、その一瞬を狙って先に小手を叩き込む技。
 なぜこれが得意なのかは自分でもよくわからない。ただ、やけによく当たる。
 
 中学の頃、道場に通っていた大学教授のおっさんに謎の装置をつけられて稽古をした際、「常に心拍数が高めだから、緊張しても強張らないで身体がすぐ動くのかも」と言われたことがある。何のことやらわからなかったが、試合はいつだって普通に緊張する。
 
 地域で一、二を争うライバル、中西道場との練習試合。今のところ勝率は大瀧道場が上回っている。
 
 高校の部の先鋒として試合場に立った瑛斗は、面の中で絶望していた。
 出小手は勝率が高いが、対峙した瞬間に「あ、こいつには通用しない」と直感でわかる相手がいる。冬梧や秋也は確実にその部類であり、今目の前で剣先を合わせている相手もまた、そっち側の人間だった。
 
 カチャ、カチャと竹刀を交えて中心を取り合う。
 俺は面を打つぞ、と見せかけて、踏み込みと同時に小手へ飛ぶ。しかし相手は冷静に竹刀を翻してそれを受け、すかさず面を打ち返してきた。首を捻ってギリギリで避ける。
 直後、ドカン!と重い体当たりを食らった。全力で踏ん張ったが体格差で吹き飛ばされ、体勢が崩れたところに綺麗な引き面を叩き込まれる。

「面あり!」
 
「瑛斗! 突っ込むなよ!」
 
 背後から秋也の怒号が飛ぶ。
 
「負けんなぁ〜」
 
 ついでに、気の抜けた冬梧の応援も聞こえた。
 
 道場では二人に勝てないことを若干諦めているが、瑛斗だって負けるのは嫌いだ。
 
 構え直し、二本目。
 再び中心を取り合い、ジリジリと睨み合う。動きたい。打ちたい。
 
「見定めろよ」
 
 再び出小手に踏み込もうとした瞬間、冬梧の低い声が鼓膜に届き、瑛斗はぐっと足を踏みとどめた。
 つられて前のめりに踏み込んできた相手の面を竹刀で受け流し、その反動のままガラ空きになった胴に竹刀を叩き込む。パァン!と快音が響いた。
 
「胴あり!」
 
 よし、並んだ。
 
 胴は一本になりにくい技だが、瑛斗にとっては出小手に次ぐ得意技だ。
 
 結局そこからは一進一退の打ち合いになり、時間切れで勝負は引き分けに終わった。
 
 格上相手によく頑張ったんじゃないの。

 自分で自分を褒める。
 
「ナイス」
 
 試合場から下がる途中、すれ違いざまに冬梧が小手で瑛斗の肩を小突いた。そのまま冬梧が中堅として出ていく。
 大将として正座で待機している秋也とも、小手同士で軽くグータッチをした。面越しの目元を窺うと、ガチガチに緊張しているのがわかる。
 
「面あり!」
 
 ……え、もう?
 
 振り返ると、冬梧がすでに一本取っていた。中西道場の生徒たちがどよめき、なぜか向こうの女子が数人、黄色い声を上げている。
 二本目。相手の捨て身の面を半歩下がって躱し、長いリーチを活かして遠間から鮮やかに面を打ち抜いた。審判の赤旗が一斉に三本上がる。
 
「面あり! 勝負あり!」
 
 いや、三十秒も経ってねえだろ。
 
 面を外しながら呆然と見ていると、隣で秋也が大きく息を吐いて立ち上がった。
 
「頑張れよ」
 
「おう」
 
 戻ってきた冬梧に肩を叩かれ、秋也が大将戦へと向かう。
 秋也は冬梧に比べると、外試合の戦績は若干劣る。『絶対に秋也の方が強いのに』と思うような相手に、引き分けたり負けたりするのだ。
 
 今回もまさにそれだった。
 相手は一個上だが、実力的には圧倒的に秋也が上だ。にもかかわらず、膠着状態が続いてなかなか勝負がつかない。
 
「自分からいけよ!」
 
 面を外して顔を上げた冬梧が、苛立ったような声を上げる。
 
「……マジで、試合の時待ち剣すぎんだろ」
 
 舌打ち混じりにそう呟き、こちらに顔を寄せてきた。
 
「お前の突っ込み癖と足して二で割りゃ、ちょうどいいのにな」
 
「緊張して動けねぇのかな。心拍数が関係あるらしいから、普段からドキドキさせてれば動けるようになるかも」
 
「……師範の鬼ギレ顔写真でもプリントアウトして、俺とお前の面に常に貼っておくか」
 
「んふっ」
 
 やめろって。想像しちゃっただろ。
 
 必死に笑いを堪えていると、審判の声が響いた。
 
「引き分け!」
 
 あー、引き分けかぁ。
 
 ちらりと師範の顔を窺うと、案の定、般若のような形相で腕を組んでいた。
 
「今日は、秋也にエナドリ奢る日だな」
 
「……だな」


 試合が終わると、時間いっぱいまで両道場入り乱れての地稽古となる。こういう時、秋也は真っ先に相手道場の師範の元へ飛んでいき、列に並んで稽古をつけてもらっている。
 対する冬梧は、他道場の生徒によく並ばれる側だ。
 今日も列が長くてご苦労なこって。内心で囃し立てながら、瑛斗は顔見知りを適当に捕まえて「やろうぜ」と竹刀を合わせた。
 
「冬梧、ちょっと来い」
 
 顔見知りとふざけながら打ち合っていると、師範の野太い声が響いた。竹刀を交えたまま、チラリと横目でそちらの様子を窺う。
 
城山(しろやま)が上段始めたそうだから、お前が少し見てやれ」
 
 師範の横には、中西道場の女子部が誇る期待の新人・城山がいた。背が高く、すらっとした美人だ。
 なんで剣道界の美人って、こぞって白袴を履くんだろうな、と思いながらも地稽古へと意識を戻す。だが、瑛斗の視線は再び冬梧たちの方へと持っていかれてしまう。
 
 冬梧は面を外し、城山の横に立って実際に竹刀を上段に構えてみせていた。いつもは気だるげに背中を丸めているくせに、ピンと背筋を伸ばし、何やら真剣な面持ちで足捌きを説明している。城山もまた、冬梧の長身を少し見上げるようにして熱心に頷いていた。
 
 なんだよ。こういう時はお前、ヘラヘラしねえのな。
 ヘラヘラしてろよ。いつもみたいに。
 
 そんなことを思っていたら、目の前のアホな顔見知りに綺麗な小手面を決められた。
 

 合同稽古が終わり、顔見知りたちと喋りながら更衣室へ向かう。

「ありがとうございました! また、教えてください!」

 ふいに高い声が聞こえ、視線をやる。少し離れたところで、城山が冬梧に頭を下げていた。

「いいよ」

 はぁ? 何が「いいよ」だよ。
 俺がゲーム教えてって頼んだ時は「めんどい」っていってたくせに。

 半目で睨みつけていると、冬梧がこちらに気づき、真面目な顔のまま真っ直ぐ近寄ってきた。
 長身がずいっと目の前に立つ。

「瑛斗」

 低く名を呼ばれ、瑛斗は「え、なんだよ」と思わず身構えた。

「カバとゴリラどっちが強いと思う?」

「は?……カバだろ」

「いや、ゴリラだと思う」

「なんでだよ! カバに噛まれたらゴリラの頭砕けんぞ」

「ゴリラは武器を使える」

「武器ありは卑怯だろ」

「自然界にあるものは使っていいルールとする」

「後付けでルール付け足すんじゃねぇよ!」

 ムカついてスネに蹴りをお見舞いする。冬梧は「痛ぇ」と棒読みで言いながら、いつの間にか、いつものヘラヘラとした顔に戻っていた。

 そう。それでいいんだよお前は。

「秋也にエナドリ買うぞ」

 道場の隅に居残り、師範と中西道場の師範の二人がかりで何やら長々とダメ出しを食らっている秋也を横目に、瑛斗と冬梧はさっさと二人で更衣室へと戻っていった。
 
 
 *
 

 混雑する更衣室で素早く着替え、自販機で秋也用のエナジードリンクを買う。冬梧はまだ着替えている。知り合いに絡まれていたから、少し遅くなるかもしれない。
 
 まあ、後で六十円もらうか。
 取り出し口からエナドリを引っ張り出していると、道着姿の秋也が戻ってきた。
 
「お。やっと解放された?」
 
 苦笑しながら、いつもより少し大きめの缶を投げてやる。秋也は「サンキュー」と両手でキャッチし、自販機横のベンチに腰を下ろした。
 
「瑛斗の返し胴、めちゃくちゃ動き良かったよ」
 
 秋也は缶を開けて一口飲むと、瑛斗に視線を向けた。瑛斗は「まぐれだよ」とさりげなさを装って、秋也の隣に座る。
 
「あそこから打ち合いになっただろ。あん時、相手に釣られて前に出過ぎないで待ち構えてたら、もう一本いけてたかもな」
 
 秋也は真面目な顔でそう言うと、残りのエナジードリンクを一気に飲み干した。
 散々師範たちにダメ出しされて凹んでいるくせに、自分のことより先に人の動きを見てアドバイスをくれる。そういうお節介で真っ直ぐな部分が、非常に秋也らしいなと瑛斗は思った。
 
「……て、俺が言っても説得力ねぇよな」
 
 はぁ、と秋也が深く肩を落とす。
 
「『俺とお前、足して二で割りゃちょうどいい』って、さっき冬梧が言ってたぞ」
 
「……マジで冬梧はつえぇよなぁ」
 
「でも、道場内の試合じゃお前が勝つだろ。ってことは、本当はお前のが強いんだよ」
 
「外の試合で実力出せなきゃ意味ねぇよ。今日の相手だって、多分冬梧だったら圧勝だろ」
 
「……そう考えると、お前と冬梧ってジャンケンみたいだな」
 
 ポツリと瑛斗が呟くと、秋也がパッと振り向いてきた。
 
「俺、チョキな」
 
「なんで。グーのが強そうじゃん」
 
「いや、わかるんだけどさ。冬梧はどう考えても『パー』だろ。そっから逆算すると、俺はチョキなんだよ」
 
 なるほど。冬梧がパーだからか。

 妙な説得力に納得する。
 
「まあ、チョキってVサインだろ。確かにお前にはVが似合うよ」
 
 瑛斗が言うと、秋也は照れくさそうにふっと吹き出し、嬉しそうに目尻を下げた。
 至近距離でその笑顔をくらい、瑛斗は思わず一瞬、息を止めて固まってしまう。
 
「なんで俺がパーなんだよ」
 
 地を這うような低い声に、バッと現実に引き戻された。見ると、いつの間にか着替え終わった冬梧が、心底不満げな顔をして立っていた。
 
「お前の頭がパーだからだよ……」
 
 誤魔化すように瑛斗が言うと、隣で秋也が吹き出した。
 直後、ビタンッ!と冷たい汗まみれの手拭いが瑛斗の顔面に張り付く。
 
「おい! 汗くせぇの投げんな!」
 
「秋也の小手の方が臭えだろ」
 
「……おい、俺はまだ小手外した手、洗ってないぞ」
 
「やべぇ! 逃げろ冬梧!」
 
 瑛斗が顔を青くして逃げ出すと、秋也が両手をゾンビのように掲げながら追ってきた。通りかかった師範に「バカども! 走るな!」と雷を落とされるまで、高校生三人による本気の鬼ごっこは続いた。