「なんか、すげぇな……」
オルリンの世界は、所謂サイバーパンクというやつだ。新宿の寂れた飲み屋街を、ネオンと錆だらけにしたような薄暗い街並みが広がっている。
画面の右側には『Mission』と書かれた長いリスト、左下には『Chat』と書かれた黒いボックス。そして中央に立つ自キャラの頭上には『Z』という名前と、横には輝くネオン色の初心者マークが表示されていた。
「で、何すりゃいいんだよ」
十五分ほど佇み、Wで前、Sで後ろ、Aで左、Dで右に移動する事、それだけは理解した。
Missionリストの一番上に『クランに加入しろ』とデカデカと表示されているので、とりあえずクランなるものを探すらしい。
Wキーを押しっぱなしにして歩き出す。指が疲れてキーを二回連続で押してしまい、Zが急に走り出した。
「お、速い速い」
しばらくは珍しそうに街並みを眺めていたが、すぐに飽きてキーを押しっぱなしにしたままスマホをいじり出す。
冬梧に「オルリン始めてみた」って言おうかな、とメッセージアプリを開いて、すぐに閉じた。どうせ「おめでとう」とだけ返してくるだろうし、そもそも計画がバレたらおしまいだ。
ふと、モニターの光が暗くなった気がして顔を上げる。いつの間にかネオンの光は消え、鉄骨が剥き出しの廃墟のような場所に迷い込んでいた。しかもZは目の前の障害物に引っかかり、足踏みを続けている。
「あれ、どこだここ」
とりあえず来た道を戻ろうと、マウスを動かして視点を変える。いちいち方向転換するのも面倒くさい。
すると、急に画面全体にバリッとノイズが走り、Zがその場に崩れ落ちた。
『YOU DIED』
は?
死んだんだけど。
『最終リンクポイントから再構築します』
え、なにそれ。
訳もわからずマウスをカチカチしていると、画面が切り替わり、最初のネオン街に戻された。
その後もクランを探し求めて右往左往するが、その度に変な場所に迷い込み、決まってノイズが走って初期位置に戻される。
それを五回ほど繰り返した時点で、瑛斗はワイヤレスマウスをベッドに思い切り投げつけた。
「クソゲーじゃねぇか!」
何が面白いんだこれ。五千二百円損した。映画館三回は行けるぞこれで。
悪態をつきながらマウスを拾い上げ、渋々画面に向き直る。画面の中では、不憫なZが本日六回目の死体を晒していた。
「床に転がってる姿がお似合いだテメーには」
画面を睨みつけていると、急にZの体がザラザラとした緑色の光に包まれた。フワッと宙に浮き上がり、そのまま目を開けて立ち上がる。
「え? なにこれ」
試しにWを押すと、ちゃんと前に進んだ。どうやら生き返ったらしい。
首を捻りながら画面を見つめていると、薄暗い路地の奥から、二足歩行の白い小さな機械のような物体がテケテケと近づいてきた。
「やべ、敵!?」
全力でSキーを押し続けるが、小さな物体は執拗に追ってくる。
「なんだこいつ! 攻撃ボタンは……」
焦って画面を見回し、下部に並んだアクションアイコンらしきものを発見する。
よし、攻撃だ。そう思った時には、すでに物体はZの足元にまで迫っていた。必死にマウスをカチカチとクリックし、アイコンを押す。
画面の中のZは、微動だにしない。
「なんなんだよ……」
諦めてマウスから手を離すと、その小さな物体が急に腹を抱えるようなモーションで笑い出した。完全に煽られている。
イライラしながら目で追っていると、物体は画面の左下、チャットボックスの横まで移動してピョンピョンと跳ねた。
「あ」
物体が跳ねているチャット欄に、いつの間にかログが溜まっていた。
PICO:初心者だね
PICO:チャット見れてる?
PICO:俺は敵じゃないから殴れない
おお。人でござったか。
よく見れば、小さくて丸っこい愛嬌のあるロボットアバターで、頭上には『PICO』という名前と青白いコンパスのようなマークが浮いている。
「なんか打ちゃいいのか」
キーボードを引き寄せ、『こんちわ』と打ってエンターキーをターン、と叩く。PICOの白文字とは違う、鮮やかな赤い文字がログに表示された。
PICO:全体チャットで全世界に挨拶してる
PICO:チャットボックスの左下をクリックして、周囲に変えて
「はい」
言われた通りにして、もう一度打ち直す。
Z:こんちわ
PICO:こんちわ
Z:どこいきゃいいの
PICO:最初のクエスト受けた?
Z:クエストってなに
突如、画面に再びバリッと激しいノイズが走った。Zが地面に転がる。
Z:しんだ
PICO:ちょっと待って
画面の奥から、見たこともない巨大な廃戦車のような機械が現れた。すると、PICOが急に発光する。光がおさまると、なぜか自分の身長よりも巨大な、ランチャーとも大剣ともつかない武器を担いでいた。トコトコと走って戦車の前に立ちはだかる。
「……いや、無理ゲーだろ」
サイズ感が違いすぎるだろ。
あわあわと見守っていると、ランチャーの銃口から極太の光線が放たれた。ドォン!という重低音がヘッドホンを揺らし、わずか一撃で巨大戦車が粉々に吹き飛ぶ。
ええ……倒したの?
呆然としている間に、PICOのランチャーが消え、今度は小さな白い銃を取り出した。そこから放たれた緑色の光を浴びて、Zが再び立ち上がる。
Z:なにごと?
PICO:ここは安地外だから敵が出る
Z:安地って何
PICO:安全地帯
Z:敵はぴこたんが倒したの?
PICO:ぴこたん
Z:ぴこたん
PICO:とりあえず街にもどろう
Z:はい
ぴこたんが何か小さなアイテムを取り出して掲げると、二人のアバターの輪郭にチカチカとデジタルノイズが走り、ふっとその場からかき消えた。ロード画面を挟み、再びノイズと共に初期のネオン街の中央に出現する。
その後は、ぴこたんの指示のもと、お使いのような初心者のチュートリアルクエストをこなしていった。お使いの時もずっとぴこたんは一緒に走り回ってくれる。
ぴこたん、なんでこんなに親切なんだ。と感動してお礼を打つと、「ナビゲーターだから」と返ってきた。どうやら一定条件を満たしたベテランプレイヤーが任意で登録できる、初心者支援用の認定制度らしい。
その名に恥じず、ぴこたんは聞けばなんでも教えてくれた。おかげで、ちんぷんかんぷんだったゲームシステムが、おおよそ理解できた気がする。
ふと視線をモニターの端に向けると、時計はすでに深夜一時を回っていた。
「あっちゅーまだな」
独り言をこぼしながら、チャットを打つ。
Z:ねないと
PICO:遅いしね
Z:明日もぴこたんと遊ぶにはどうしたらいいの
PICO:さっきフレンド申請したから、メニューのフレンド欄から受理して
Z:あと友達さがすのどうやるの
PICO:コミュニケーションとってどうにかする
Z:ちがくて、ガチのリアルの知り合いさがすの
PICO:ああ。その人のゲーム名わかる?
Z:わかんない
PICO:じゃあ難しいね。本人に聞いたらいいと思う
画面の前で、瑛斗はキーボードに置いた指をピタッと止めた。
『本人に聞いたらいい』。ネットの向こうのぴこたんにしてみれば、ぐうの音も出ないド正論だ。でも、それが簡単にできるならこんな見切り発車で五千二百円も払っていない。
Z:おっけー!ぴこたんあんがとまたあした
とりあえず明るくそう打ったものの、肝心のゲームのやめ方がわからず画面の前で固まる。棒立ちになったZを見て察したのか、すぐにチャットログが更新された。
PICO:メニューの一番下、ログアウトでやめられるよ
至れり尽くせりかよ。
苦笑いしながらメニューを開き、ログアウトをクリックする。
ふぅ、と息を吐いてPCを落とし、ベッドに寝転がった。
まだ操作が複雑すぎて『オルリン』自体の面白さはよくわからない。でも、ぴこたんのおかげでだいぶ前進した気がする。
「明日の稽古で、ゲーム名それとなく聞かないとな……」
瑛斗は天井に向かってそう呟き、部屋の電気を消して目を閉じた。
しかし、暗闇の中でも目の裏にはチカチカとしたネオンの光やチャットのUIが焼き付いて離れず、瑛斗はしばらくの間、眠りにつくことができなかった。
*
進学校でも底辺校でもない、どこにでもある公立高校。その授業風景は、控えめに言ってカオスだ。
瑛斗は授業中、ずっと机の下でスマホを構え、『オルリン初心者完全ガイド』をスクロールし続けていた。教卓の先生は間違いなく気づいている。だが、何も指摘は飛んでこない。なぜなら瑛斗の右斜め前では女子が堂々とビューラーでまつ毛を上げているし、左の男子は完全に後ろを向いて喋り倒しているからだ。
『困るのは自分』というやつである。他人に迷惑をかけていない分、むしろ褒めてほしいくらいだ。
「瑛斗、今日合コンだけどお前も行く?」
休み時間になるなり、クラスメイトの男子が机にやってきた。瑛斗は「行く?」と言われて行った覚えはない。「来てください、全部奢るから」と拝み倒されて、初めて重い腰を上げるタイプだ。
「いかね。稽古とゲームが俺を待ってる」
「は? お前、ゲームなんてすんの?」
「昨日から始めた。オンラインゲームってやつ」
瑛斗がオンラインゲームだと……? と、周囲の男子たちがザワザワとどよめき立つ。ふと視線を感じて顔を上げると、クラスで唯一のオタク男子が、少し目を輝かせながらこちらを見ていた。
……ぴこたんも、リアルだとあんな感じなのかな。
丸っこいロボットのアバターを思い出しながらじっと見つめ返していると、ガンをつけられたと勘違いされたのか、ビクッとしてパッと目を逸らされてしまった。
現実だったら、ぴこたんとは友達にすらなれないのかもな。そんなことを少しだけ寂しく思う。
「おい瑛斗、姫プ狙いの女とかに引っかかんなよ」
「それよりネカマに気をつけろよ!」
「ネカマとかマジやべえ! 騙されたらトラウマだろ」
勝手に盛り上がって爆笑している男どもに、瑛斗は適当な愛想笑いを振り撒いた。
……いや、そのトラウマ製造ネカマは俺なんだけどな。
昨晩、二時間かけて練り上げた『大瀧秋也の理想の美少女』の顔面を思い出し、瑛斗は内心でツッコミを入れる。
退屈な教室の中では、時間の進みがやたらと遅い。壁の時計を見上げると、まだ十一時を少し回ったところだった。
早く放課後にならないかな。
道場に行って、二人と会って、汗を流して。秋也からアカウント名をそれとなく聞き出せたら、もうけものだ。家に帰ったら、またあのネオン街にログインして——。
……あれ?
俺、ちょっと『オルリン』が楽しみになってる?
オルリンの世界は、所謂サイバーパンクというやつだ。新宿の寂れた飲み屋街を、ネオンと錆だらけにしたような薄暗い街並みが広がっている。
画面の右側には『Mission』と書かれた長いリスト、左下には『Chat』と書かれた黒いボックス。そして中央に立つ自キャラの頭上には『Z』という名前と、横には輝くネオン色の初心者マークが表示されていた。
「で、何すりゃいいんだよ」
十五分ほど佇み、Wで前、Sで後ろ、Aで左、Dで右に移動する事、それだけは理解した。
Missionリストの一番上に『クランに加入しろ』とデカデカと表示されているので、とりあえずクランなるものを探すらしい。
Wキーを押しっぱなしにして歩き出す。指が疲れてキーを二回連続で押してしまい、Zが急に走り出した。
「お、速い速い」
しばらくは珍しそうに街並みを眺めていたが、すぐに飽きてキーを押しっぱなしにしたままスマホをいじり出す。
冬梧に「オルリン始めてみた」って言おうかな、とメッセージアプリを開いて、すぐに閉じた。どうせ「おめでとう」とだけ返してくるだろうし、そもそも計画がバレたらおしまいだ。
ふと、モニターの光が暗くなった気がして顔を上げる。いつの間にかネオンの光は消え、鉄骨が剥き出しの廃墟のような場所に迷い込んでいた。しかもZは目の前の障害物に引っかかり、足踏みを続けている。
「あれ、どこだここ」
とりあえず来た道を戻ろうと、マウスを動かして視点を変える。いちいち方向転換するのも面倒くさい。
すると、急に画面全体にバリッとノイズが走り、Zがその場に崩れ落ちた。
『YOU DIED』
は?
死んだんだけど。
『最終リンクポイントから再構築します』
え、なにそれ。
訳もわからずマウスをカチカチしていると、画面が切り替わり、最初のネオン街に戻された。
その後もクランを探し求めて右往左往するが、その度に変な場所に迷い込み、決まってノイズが走って初期位置に戻される。
それを五回ほど繰り返した時点で、瑛斗はワイヤレスマウスをベッドに思い切り投げつけた。
「クソゲーじゃねぇか!」
何が面白いんだこれ。五千二百円損した。映画館三回は行けるぞこれで。
悪態をつきながらマウスを拾い上げ、渋々画面に向き直る。画面の中では、不憫なZが本日六回目の死体を晒していた。
「床に転がってる姿がお似合いだテメーには」
画面を睨みつけていると、急にZの体がザラザラとした緑色の光に包まれた。フワッと宙に浮き上がり、そのまま目を開けて立ち上がる。
「え? なにこれ」
試しにWを押すと、ちゃんと前に進んだ。どうやら生き返ったらしい。
首を捻りながら画面を見つめていると、薄暗い路地の奥から、二足歩行の白い小さな機械のような物体がテケテケと近づいてきた。
「やべ、敵!?」
全力でSキーを押し続けるが、小さな物体は執拗に追ってくる。
「なんだこいつ! 攻撃ボタンは……」
焦って画面を見回し、下部に並んだアクションアイコンらしきものを発見する。
よし、攻撃だ。そう思った時には、すでに物体はZの足元にまで迫っていた。必死にマウスをカチカチとクリックし、アイコンを押す。
画面の中のZは、微動だにしない。
「なんなんだよ……」
諦めてマウスから手を離すと、その小さな物体が急に腹を抱えるようなモーションで笑い出した。完全に煽られている。
イライラしながら目で追っていると、物体は画面の左下、チャットボックスの横まで移動してピョンピョンと跳ねた。
「あ」
物体が跳ねているチャット欄に、いつの間にかログが溜まっていた。
PICO:初心者だね
PICO:チャット見れてる?
PICO:俺は敵じゃないから殴れない
おお。人でござったか。
よく見れば、小さくて丸っこい愛嬌のあるロボットアバターで、頭上には『PICO』という名前と青白いコンパスのようなマークが浮いている。
「なんか打ちゃいいのか」
キーボードを引き寄せ、『こんちわ』と打ってエンターキーをターン、と叩く。PICOの白文字とは違う、鮮やかな赤い文字がログに表示された。
PICO:全体チャットで全世界に挨拶してる
PICO:チャットボックスの左下をクリックして、周囲に変えて
「はい」
言われた通りにして、もう一度打ち直す。
Z:こんちわ
PICO:こんちわ
Z:どこいきゃいいの
PICO:最初のクエスト受けた?
Z:クエストってなに
突如、画面に再びバリッと激しいノイズが走った。Zが地面に転がる。
Z:しんだ
PICO:ちょっと待って
画面の奥から、見たこともない巨大な廃戦車のような機械が現れた。すると、PICOが急に発光する。光がおさまると、なぜか自分の身長よりも巨大な、ランチャーとも大剣ともつかない武器を担いでいた。トコトコと走って戦車の前に立ちはだかる。
「……いや、無理ゲーだろ」
サイズ感が違いすぎるだろ。
あわあわと見守っていると、ランチャーの銃口から極太の光線が放たれた。ドォン!という重低音がヘッドホンを揺らし、わずか一撃で巨大戦車が粉々に吹き飛ぶ。
ええ……倒したの?
呆然としている間に、PICOのランチャーが消え、今度は小さな白い銃を取り出した。そこから放たれた緑色の光を浴びて、Zが再び立ち上がる。
Z:なにごと?
PICO:ここは安地外だから敵が出る
Z:安地って何
PICO:安全地帯
Z:敵はぴこたんが倒したの?
PICO:ぴこたん
Z:ぴこたん
PICO:とりあえず街にもどろう
Z:はい
ぴこたんが何か小さなアイテムを取り出して掲げると、二人のアバターの輪郭にチカチカとデジタルノイズが走り、ふっとその場からかき消えた。ロード画面を挟み、再びノイズと共に初期のネオン街の中央に出現する。
その後は、ぴこたんの指示のもと、お使いのような初心者のチュートリアルクエストをこなしていった。お使いの時もずっとぴこたんは一緒に走り回ってくれる。
ぴこたん、なんでこんなに親切なんだ。と感動してお礼を打つと、「ナビゲーターだから」と返ってきた。どうやら一定条件を満たしたベテランプレイヤーが任意で登録できる、初心者支援用の認定制度らしい。
その名に恥じず、ぴこたんは聞けばなんでも教えてくれた。おかげで、ちんぷんかんぷんだったゲームシステムが、おおよそ理解できた気がする。
ふと視線をモニターの端に向けると、時計はすでに深夜一時を回っていた。
「あっちゅーまだな」
独り言をこぼしながら、チャットを打つ。
Z:ねないと
PICO:遅いしね
Z:明日もぴこたんと遊ぶにはどうしたらいいの
PICO:さっきフレンド申請したから、メニューのフレンド欄から受理して
Z:あと友達さがすのどうやるの
PICO:コミュニケーションとってどうにかする
Z:ちがくて、ガチのリアルの知り合いさがすの
PICO:ああ。その人のゲーム名わかる?
Z:わかんない
PICO:じゃあ難しいね。本人に聞いたらいいと思う
画面の前で、瑛斗はキーボードに置いた指をピタッと止めた。
『本人に聞いたらいい』。ネットの向こうのぴこたんにしてみれば、ぐうの音も出ないド正論だ。でも、それが簡単にできるならこんな見切り発車で五千二百円も払っていない。
Z:おっけー!ぴこたんあんがとまたあした
とりあえず明るくそう打ったものの、肝心のゲームのやめ方がわからず画面の前で固まる。棒立ちになったZを見て察したのか、すぐにチャットログが更新された。
PICO:メニューの一番下、ログアウトでやめられるよ
至れり尽くせりかよ。
苦笑いしながらメニューを開き、ログアウトをクリックする。
ふぅ、と息を吐いてPCを落とし、ベッドに寝転がった。
まだ操作が複雑すぎて『オルリン』自体の面白さはよくわからない。でも、ぴこたんのおかげでだいぶ前進した気がする。
「明日の稽古で、ゲーム名それとなく聞かないとな……」
瑛斗は天井に向かってそう呟き、部屋の電気を消して目を閉じた。
しかし、暗闇の中でも目の裏にはチカチカとしたネオンの光やチャットのUIが焼き付いて離れず、瑛斗はしばらくの間、眠りにつくことができなかった。
*
進学校でも底辺校でもない、どこにでもある公立高校。その授業風景は、控えめに言ってカオスだ。
瑛斗は授業中、ずっと机の下でスマホを構え、『オルリン初心者完全ガイド』をスクロールし続けていた。教卓の先生は間違いなく気づいている。だが、何も指摘は飛んでこない。なぜなら瑛斗の右斜め前では女子が堂々とビューラーでまつ毛を上げているし、左の男子は完全に後ろを向いて喋り倒しているからだ。
『困るのは自分』というやつである。他人に迷惑をかけていない分、むしろ褒めてほしいくらいだ。
「瑛斗、今日合コンだけどお前も行く?」
休み時間になるなり、クラスメイトの男子が机にやってきた。瑛斗は「行く?」と言われて行った覚えはない。「来てください、全部奢るから」と拝み倒されて、初めて重い腰を上げるタイプだ。
「いかね。稽古とゲームが俺を待ってる」
「は? お前、ゲームなんてすんの?」
「昨日から始めた。オンラインゲームってやつ」
瑛斗がオンラインゲームだと……? と、周囲の男子たちがザワザワとどよめき立つ。ふと視線を感じて顔を上げると、クラスで唯一のオタク男子が、少し目を輝かせながらこちらを見ていた。
……ぴこたんも、リアルだとあんな感じなのかな。
丸っこいロボットのアバターを思い出しながらじっと見つめ返していると、ガンをつけられたと勘違いされたのか、ビクッとしてパッと目を逸らされてしまった。
現実だったら、ぴこたんとは友達にすらなれないのかもな。そんなことを少しだけ寂しく思う。
「おい瑛斗、姫プ狙いの女とかに引っかかんなよ」
「それよりネカマに気をつけろよ!」
「ネカマとかマジやべえ! 騙されたらトラウマだろ」
勝手に盛り上がって爆笑している男どもに、瑛斗は適当な愛想笑いを振り撒いた。
……いや、そのトラウマ製造ネカマは俺なんだけどな。
昨晩、二時間かけて練り上げた『大瀧秋也の理想の美少女』の顔面を思い出し、瑛斗は内心でツッコミを入れる。
退屈な教室の中では、時間の進みがやたらと遅い。壁の時計を見上げると、まだ十一時を少し回ったところだった。
早く放課後にならないかな。
道場に行って、二人と会って、汗を流して。秋也からアカウント名をそれとなく聞き出せたら、もうけものだ。家に帰ったら、またあのネオン街にログインして——。
……あれ?
俺、ちょっと『オルリン』が楽しみになってる?

