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 決勝は延長にもつれ込んだ。
 体育館中が固唾を呑んで見守る中、先に一瞬を捉えたのは、一学年上の前年王者だった。鋭い面。審判の旗が上がる。
 
 試合が終わると、両者の健闘を称えた温かい拍手が湧き起こった。
 
「秋也、ナイスファイト!」
 
 瑛斗も立ち上がり、惜しみない拍手を送る。
 
「いやぁ、惜しかったな……あとちょっとで県内一位だったのに」
 
 言いながら冬梧の方を振り向くと、さっきまで隣にいたはずの冬梧がいなくなっていた。
 
「あれ……?」
 
 どこいったんだあいつ。
 
 キョロキョロと周りを見渡すが、姿が見えない。
 
 いつの間に。秋也の試合に夢中になっているうちに、どっか行った?
 
 なぜか胸の奥がざわつく感じがして、瑛斗は慌てて席を立った。そのまま観客席の出口の方へと冬梧を探しに行く。
 
「春山さーん」
 
 観客席を出て通路を探していると、後ろから声をかけられた。
 
「お、城山」
 
 振り向くと、私服に着替えた城山が少し先から手を振りながら駆け寄ってきた。
 
「お疲れ様です! 大瀧さん、惜しかったですね」
 
「もう少しだったよなぁ。……城山も、残念だったな」
 
「さっき冬梧先輩にめっちゃ怒られました。なんで上段使ったんだよ、って」
 
 あはは、と力なく肩を落とす城山に、瑛斗は「まあ、まだ高一なんだし、来年があんだろ」と慰めるように肩を叩いた。
 
「冬梧先輩も、上段に切り替えたばかりの時は勝てなかったんですか?」
 
 急な質問に、瑛斗は「え」と言葉に詰まった。
 
 あいつが外試合で勝てないことってあったっけ?
 てか、あいつ、……いつから上段だったっけ。
 
「いや……多分……勝ててたと思う……?」
 
「あんま勝てなかったよ」
 
 後ろから声がかかる。振り向くと、冷えたエナドリを持った冬梧が立っていた。
 
「間合いを掴むのに、ちょっとかかったから」
 
「やっぱりですかぁ」
 
「城山もそこだよ。中段の時なら入られない間合いに、今はまだ簡単に入られてる」
 
「……精進します!」
 
「ま、がんばれ」
 
 城山が深くお辞儀をして去っていく。瑛斗はひらひらと手を振って見送ると、隣に並んだ冬梧を見上げた。
 
「お前、どこいたの」
 
「あぁ、これ。秋也に買ってやろうと思って」
 
 そう言って、よく冷えたエナドリを瑛斗に手渡した。瑛斗は「急にいなくなったから、びっくりしたわ」と文句を言いつつ受け取る。
 
「……え、探したの?」
 
 冬梧の目が、ぱちりと瞬いた。

「別に」

 瑛斗がそっぽを向く。隣で、冬梧の口元がわずかに緩んだ。
 
 ちょっと探したくらいで、嬉しそうにすんなよ。
 
「冬梧」
 
「ん?」
 
「お前、いつから上段やってたっけ?」
 
「あー……中二の秋の地域大会の後からだったと思う」
 
 ——地域大会。
「あ」と、瑛斗は手の中の黄色い缶を見つめる。秋也を元気づけるための、お決まりのエナジードリンク。
 
『なぁ、秋也にエナドリ買ってやらねぇ?』
 
 これも、あの時の地域大会からだ。秋也が格下に引き分けた時、元気づけるために買ってやろうと思ったんだ。
 
 ……あれ。その時って、冬梧は勝ってたっけ?
 
「瑛斗、そろそろ秋也がアリーナから出てくるから渡しに行かないと」
 
 冬梧の声で、瑛斗はハッと我に返った。階段の下からはザワザワとした声が聞こえてきている。
 缶を持って下の階に降りると、秋也が審判や相手高校の監督に挨拶をして回っているところだった。
 
「秋也!」
 
 タイミングを見計らって名前を呼ぶ。秋也は二人の姿を見つけると、「瑛斗、冬梧!」と満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
 
「おい! インハイ出場じゃねぇか! やったな!」
 
「なんとかやってやったよ!……まぁ、決勝はダメだったけどな」
 
 嬉しいような悔しいような、なんとも言えない顔で頭を掻く。
 
「相手は去年の優勝者で、しかもインハイでもベスト16だった人だからな。……よく下がらずに粘ったんじゃね」
 
 明後日の方を見ながら、冬梧がぼそりと言う。秋也は目を丸くすると、「今、こいつ俺のこと褒めた?」と瑛斗に囁きかけた。
 
「あ、これほら」
 
 瑛斗が秋也にエナドリを渡す。
 秋也は缶をじっと見つめた後、二人に向き直った。バッと腕を広げて、ガシッと勢いよく抱きついてくる。
 
「観に来てくれてありがとな! お前らに出小手見せてやろうと思って、あそこで前出れた!」
 
 秋也はそう言いながら、二人の背中に腕を回し、ポンポンと背を叩いてくる。
 
「……秋也」
 
 なんだよ、ちょっと感動しちゃうじゃんか。
 
 瑛斗も嬉しくなって背中を叩き返していると、冬梧が「おい、瑛斗」と低い声で呼んできた。
 
「お前、感動してる場合じゃない」
 
「え」
 
「秋也は今、抱きつくフリして俺たちの私服に小手の匂いを擦りつけてるんだ」
 
「……バレたか」
 
「おい!!」
 
 バッと飛び退いて離れる。瑛斗の背中から、酸っぱい匂いがふわりと漂ってきた。
 
「くせえ!……っざけんな!!」
 
「お前らが俺を騙してた仕返しだ」
 
 瑛斗が背中を必死に手で払いながら忌々しげに睨むのを見て、秋也はわはは、と楽しげに笑った。
 
「秋也、こちらにもご挨拶を」
 
 高校の監督らしき人から声をかけられ、秋也は「あ、はい!」と慌てて立ち去ろうとして、ピタリと止まった。
 
「来週の稽古は、絶対に来いよ」
 
 ビシッ、と二人を指差す。「期末終わったら」と相変わらずマイペースに言う冬梧をひと睨みし、瑛斗に視線を移す。瑛斗が苦笑しながら頷くと、秋也は満足そうに笑って去っていった。


 *


 大会後、二人で適当な定食屋に入り、昼飯を済ませる。
 午前中は久しぶりの梅雨晴れだと思っていた空も、どんよりとした灰色の雲に覆われていた。

 駅へ向かう途中で、ポツポツと小雨が降り始める。
 瑛斗は今日自分の傘を持ってきていたが、わざと差さずに、当たり前のような顔で冬梧の傘に入り込んだ。
 
「お前、傘あんじゃん」
 
「モテ子先生が『わざと彼の傘に入れ』って指南してたから」
 
「またモテ子かよ」
 
 呆れたような声を出しつつも、やっぱり傘は、若干瑛斗の方へと傾けられている。
 冬梧の横顔を横目で見つめていると、ふと先ほどの疑問が頭をよぎった。
 
「……なぁ、中二の時の地域大会って、勝ったっけ」
 
「あぁ。お前は抜き面で一本負けして、俺は二本取って、秋也が引き分け。総本数で勝って、俺たちが優勝した」
 
「……優勝……だったっけ」
 
 瑛斗の記憶の中の地域大会は、自分が負けたことや、大将の秋也が引き分けて悔しそうにしていたことばかりが残っていて、苦い記憶になっていた。
 
 勝ってたのか。
 しかも、冬梧が二本取って、俺たちを優勝させてくれてたんだ。
 
「……瑛斗?」
 
 思わず立ち止まった瑛斗に気づいて、冬梧が不思議そうに振り返った。傘から外れて雨に打たれる瑛斗の肩を引き寄せるように、慌てて傘の中へと入れ直す。
 
 俺、勝ってくれたこいつに、あの時なんか言ってあげたっけ。
 
「……冬梧。お前、いつから俺のこと好きなの?」
 
「え。なんで急に」
 
「いいから」
 
「…………三年前くらい」
 
 冬梧は少し不貞腐れたように、バツが悪そうに俯いて言うと、「ほら、早くいくぞ」と瑛斗の手首を掴んで強引に引っ張った。
 
 あ。秋也より、手がでけぇんだ。
 骨張ってて、指が長くて。
 
 ……剣ダコ、すげえ多いんだな。
 
 ぐいっと腕を引かれながら、そんなことを思った。
 なんでかわからないけど、喉の奥がギュッと詰まって、少しだけ泣きそうになった。

 
 その夜。瑛斗はコンビニのバイトの時間をフルに使って、三年間の冬梧の記憶を必死に遡ってみた。
 
 だが、思い出せるのは『人間の体って炭素だけ取り出せば鉛筆何千本分にもなる』みたいなトリビアの披露合戦だったり、『地稽古中にこっそり垂れネームを交換して師範に挑んだらバレない説』などという、ひたすらくだらないものばかりだ。
 
 そりゃ、「やだ」って言うよな。
 秋也のことなら、好きな飲み物も、剣道の癖も、女の好みまで、いくらでも出てくるのに。

 冬梧は——ゾンビ。サメ。ゴリラ。カバ。垂れネーム交換。

 ……ロクな記憶ねぇな。

 いや、違う。

 俺、こいつと何してたかは覚えてんのに、こいつ自身のこと、全然見てないんだ。

 だったら。
 ——見ればいいんじゃね?
 
 あ。クエストの攻略方法、わかったかもしんない。

 
【MISSION 4】——とにかく見る★作戦

 要するに、冬梧を見て見て見まくって、「俺は今、ちゃんとお前を見てるぞ」ってアピールすりゃいいんじゃね?
 とはいえ、観察日記だって数日続けないとデータが取れないし、冬梧は火曜日まで期末テストだって言ってたな。
 
 よし。火曜日からとりあえず三日間くらい、徹底的に『冬梧観察』を実施してやろう。


 *


【冬梧観察日記 一日目・火曜日】

 放課後。瑛斗は冬梧の学校の近くで待ち伏せをして、道場までの道のりをこっそり尾行した。
 
『あいつは歩くのが遅い。多分、時速三キロくらいしか出てない。無駄に長い足で、水溜りを避けながらゆったりと歩いている』
 
 スマホのメモ帳にフリック入力で打ち込む。
 
 しかし、すんごいキョロキョロするな、あいつ。こんな寂れた住宅街で、何をそんなに見るものがあるって言うんだ一体。
『すんごいキョロキョロする』とメモに追加する。
 
 ふと、古い民家を見ていた冬梧が立ち止まり、塀の上から庭先をじっと覗き込んだ。傍から見たら完全に不審者である。
 すると冬梧がスマホを取り出し、何やら打ち始めた。数秒後、瑛斗のポケットの中でスマホが震える。
 
『大変だ』
 
『なに』
 
『田中さん家の軒先に、歩が一個だけ置かれてる将棋盤と、植木鉢が向かい合ってる』
 
『植木鉢、後手なんだ』
 
 瑛斗が返信すると、少し先の路地に立つ冬梧が、俯いてスマホ片手に肩をプルプルと震わせたのが見えた。
 
 お、ウケてんじゃん。
 ちょっと得意になる。
 
 てか、あいつがあんなにキョロキョロしてんの、俺に送る小ネタ探してるのか?
 ……ちょっとかわいいとこあるのな。
 
 しばらく尾行して観察を続けた結果、有益な情報は『歩くスピード時速三キロくらい』しか得られなかった。道場が見えてきたところで、瑛斗は後ろからわざとらしく声をかけ、合流してそのまま稽古に向かった。
 
 道場に入っても観察を続ける。
 なんなら、勇気を振り絞って着替えからガン見してみた。
 
『広背筋の広がり、良し。肩の後ろの丸みも良し。肩甲骨まわりもきれいに締まって、脊柱起立筋のラインまでくっきり見える』
 
 ……いや、ちょっと待て。
 この背中、かなり好きかもしれない。
 
 そこまでメモって、いよいよ邪念に負けそうになっている自分に気づき、慌ててスマホを閉じて観察を中断した。
 
 稽古中も観察をひたすら続けた。道場にはスマホを持ち込めないので、以下を脳内メモとして記憶する。
 
・準備運動。やる気なし。でも素振りだけはきれい。
・上段の構え。打てる間合いがそもそも遠い。身長百八十三センチは反則。
・仕掛ける回数は多い。ただ、打ち急いではいない。相手の起こりを待ってる。
・相手が攻め返そうとした瞬間に、面。たぶん最初からそこ待ち。攻めているというより、相手を動かしている感じ。
・秋也との地稽古。本気モードの打ち合い。楽しそうでなにより。
・一歩詰める。相手が下がる。もう一歩。打たない。さらに下がったところで打つ。これは間合いを詰めているというより、相手の逃げ場と打てる場所を消しているのか?
・たまに、明らかに打てるところをわざと見送る。そして次の一本は確実に取る。性格が悪い。でもたぶん、こういう駆け引きが剣道では強い。
・師範に「大会出ろ」と言われる。無視。
・面越しに目が合った回数、二時間で八回。
 
 強いことは知ってたけど、やっぱり強いのにはそれなりの理由と頭脳があるんだよな。こいつの剣道、すげぇ理にかなってる。
 
 あとこいつ、いくらなんでも俺のこと見過ぎじゃね?