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 瑛斗は『考えること』が嫌いだ。バカだから苦手なわけではなく、純粋に嫌いなのだ。深く考え込んで導き出した答えに、ろくな思い出がない。
 
 その最たる例が、自分のセクシャリティに気づいたことだ。小六の頃から違和感はあったものの、当時はいい感じになった女子もいたし、何も考えなければ、今も気づかずにのうのうと生きていけたんじゃないかとさえ思う。
 
 なぜこんなにも男の人に目がいくのだろう、と『深く考えてしまった』がゆえに、気づいてしまったのだ。
 
 だから今、瑛斗は何も考えずに済むよう、無心で凝りに凝った料理を作り続けている。
 一昨日は豚肉の筋切りから始めたトンカツ定食。昨日はスパイスを調合して作る本格カレー。そして今日は、アクアパッツァを作っている。
 スーパーで安売りしていたスズキを一尾丸ごと買ってきて、なんなら鱗取りから始めた。もちろん全額自腹だ。
 
 この三日間、道場には行っていない。学校へ行き、スーパーへ行き、凝った料理をして、考えそうになったら思いついた曲を大声で歌う。ただひたすらそれを繰り返している。
 
 考え抜いて、ひとつの答えに気づいてしまうと、もう二度と元には戻れない。秋也との関係がまさにそうだ。親友だったのに、考えて気づいてしまったから『片想い相手』になり、そして終わった。
 
 だが、今考えたくないのは秋也のことではない。秋也には悪いことをしたと思っている。だが、ちゃんと理由も述べたし、告白も謝罪もした。あいつがどう思っているかはわからないが、三ヶ月後くらいにひょっこり顔を出せば、案外普通に戻っているかもしれない。……と、無理やり思い込むことにしている。
 
 今、絶対に考えたくないのは、もう一人の方だ。
 
 瑛斗はボウルでアサリの砂抜きをしながら、ちら、とスマホに目をやる。新着のメッセージはなかった。
 
 毎日当たり前のように届いていた『大変だ』から始まるアホみたいなメッセージや、どうでもいいランキングの議論がないと、どうにも調子が狂う。
 
 でも、連絡する勇気はない。なんで自分から連絡できないのか。どうしてこんなに、冬梧に対して腹が立っているのか。それを深く考えたくない。
 
 考えた末に何か答えを出してしまえば、当たり前に存在していた『冬梧』という存在まで、二度と元のままではいられなくなる。それだけは、絶対に嫌だった。
 
 フライパンにオリーブオイルと潰したニンニクを入れ、火にかけて香りを出す。捌いたスズキを中火にかけ、じっくりと両面を焼いていく。
 
 こんがりといい匂いを漂わせるスズキを見つめながら、ふと思う。
 
 お前も、昔はただの『セイゴ』だったのにな。
 出世魚なんて呼ばれて、大きくなるにつれて名前が変わって、スズキになって。結局最後は俺に食われちまって。
 
 名前なんか、変わらなきゃよかったのに。ずっとセイゴのままでいられたら、気楽だったのにな。
 
 あ。俺、料理人になろう。


 *


 結局『瑛斗食堂』は週末まで続いた。規模はどんどん大きくなり、土日バイトの間は綾音に火の番を任せたりしながら、二日がかりで出汁を取ってラーメンを作った。
 
 バイト中、ふと出汁に使った異常な食材費を思い出し、若干の虚しさが込み上げたので、来週はもう少し規模を縮めることを決意した。

 綾音は連日の豪勢な料理に半ば呆れていた。「クソうめぇだろ?」とドヤ顔でラーメンを差し出すと、「世界一美味しいけどさ……何、お前海賊王の船にでも乗る気なの?」と真顔で聞かれた。
 
 
 翌週の火曜日。
 数学の授業中。今日は何を作ろうかな、と机の下でスマホのレシピサイトをスクロールしていると、後ろの席の友人がペンで肩を突いてきた。
 
「瑛斗様、どうしても今日の合コン、人数が足りないんです」
 
「合コンか……」
 
 脳死になるにはもってこいだ。
 だが、俺の先立つものは全て食費に注ぎ込みたい。

 瑛斗はゆっくりと友人を振り返る。
 
「……もちろん?」
 
「全て、奢らせていただきます!」
 
「よし」
 
 これで安心だ。
 
 後ろで密かにガッツポーズをする友人を無視し、瑛斗は再びスマホに目を落とした。
 その瞬間、ブブッ、と本体が震え、画面上部に『究極の選択!?』というメッセージ通知がポップアップした。
 ドッ、と大きく心臓が跳ね、慌てて通知を開く。
 
『究極の選択!?「濃厚チーズたっぷりのとろけるチーズバーガー」vs「肉汁あふれる厚切りベーコンバーガー」! あなたなら、どっちを選ぶ?』

 ハンバーガーチェーンのメルマガだった。
 
「……クソが」
 
 舌打ちしてスマホを閉じる。
 
「今日の合コン相手、超可愛い子ばっかだから。お前好みのギャルもいると思うぜ」
 
 後ろから囁いてくる友人に「へぇ」と適当な相槌を打つ。
 
 俺がいつ、どこで『ギャルが好み』だなんて言った? 完全に見た目からの偏見である。
 ゲイであることは公にしていないが、女が好きだと公言したことも一度もない。
 
 俺の好みは、胸板が厚くて、腹斜筋がしっかりした筋肉質な男だ。できれば自分より背が高くて、顎のラインがシャープで、目がすず——。
 
「うーさーぎーおーいし、かーのーやーまー!!」
 
 大声で歌って思考を物理的に遮断する。
 
 黒板に数式を書いていた数学の教師が、ビクッと肩を震わせて振り返る。
 
「お、おい、どうした春山……!? 今は音楽の時間じゃないぞ……」
 
「……って曲、何ていうタイトルだっけ?」

 
 *
 
 
 合コンは、まあ普通だった。
 数名「どんな女の子がタイプ?」と直球で聞いてくる女子がいたものの、「それより、最強のコンビニホットスナックはどれだと思う?」とか「唐揚げに勝手にレモンをかける奴はギルティか」という議題にすり替えたら、案外みんなノリノリで討論してくれた。
 
 合コンの帰り道。駅前を歩いていると、冬梧と同じ進学校の制服を着た生徒を数名見かけた。
 その中に一人、ひときわ背が高い奴がいたので、慌てて追いかけてみたが——全くの別人だった。
 
 
 次の日の放課後。
 今日こそは生地から手作りピザを作ろうと意気込み、校舎を出る。
 
「強力粉、薄力粉、ドライイースト、ピザ用チーズ……」
 
 買い出しリストを忘れないよう、ブツブツと呟きながら校門に向かって歩いていると、「瑛斗!」と前方から聞き慣れた声がした。
 
「え……」
 
 ギョッとして顔を上げると、校門のド真ん中には——学ラン姿の秋也が、思い詰めたような顔で仁王立ちしていた。

「ちょっと面貸せ」


 *
 

 駅前のファミレス。
 窓際のテーブルの間に流れる空気は、今日の曇天よりもどんよりとしていた。
 
 瑛斗はドリンクバーで適当に注いできたメロンソーダの泡が、弾けては消えるのをひたすら見つめる。すると、目の前で腕を組んでいた秋也が、耐えかねたように深々とため息をついた。
 
「お前、今日も稽古来ない気かよ」
 
「……ピザ、作んねぇと」
 
「は? ピザ? 食いてえなら今ここで頼めよ」
 
「いや、食いたいんじゃなくて生地から作りてぇの」
 
「……わけわからん」
 
 秋也は心底理解できないというように首を捻り、グラスのアイスコーヒーを啜った。カラン、と氷が溶ける音が鳴る。
 
「あのこと。俺はまだ怒ってるからな」

「……でしょうよ」
 
「でも、怒ってるのは『Z』の中身が男だったからとか……お前だったからとか、そういうことじゃなくて……」
 
 秋也は険しい顔で眉を寄せ、ストローで乱暴に氷をつついた。
 
「お前が本気で、俺を騙そうとしてたってことの方がムカつく。……だってよ、あのまま本気で俺が『Z』のこと好きになっちゃってたら、お前どうするつもりだったんだよ」
 
 瑛斗の身勝手な嘘そのものに対しての、真っ直ぐな怒りだった。
 
「それは……ごめん。本当に、悪いことしたと思ってる」
 
 素直に頭を下げると、秋也はもう一度、今度は少しだけ毒の抜けたため息をついた。
 
「……冬梧から、電話が来たんだよ」
 
「え。いつ」
 
「先週、お前と言い合った後、キレて冬梧にメッセージ送ったら電話が来た。『瑛斗だけを責めんな』って」
 
「は……?」
 
 思わず顔を上げる。

「『俺も後押ししたし、あいつも軽い気持ちだけでやったわけじゃない』って、あいつ言ってたぞ」
 
 なんだよ、それ。
 なんで、そもそも後押ししたんだよあいつは。

「……あと。冬梧がPICOだったんだな」

「……聞いたの?」

「電話でな」

 秋也はアイスコーヒーのストローをいじりながら、なんとも言えない顔をした。

「なんか、それもちょっと悔しい」

「悔しいって……何が」

「いや。俺、前にPICOとお前……Zが仲良いの、ちょっと羨ましいって言ったじゃん」

「言ってたな」

「なんか、ゲームでもあいつに先越されてたみたいになってんじゃん俺」

「何の勝負してんだよ」

「知らねえよ」

 秋也は頭をガシガシと掻き、氷ごと一気にアイスコーヒーを飲み干した。
 
「でさ……。お前が俺を騙そうとした理由のことも、ちゃんと考えてきた」
 
 秋也がグラスの水滴を指で拭いながら、若干言い淀む。

 ちゃんと、考えてきてくれたのか。考えたくない俺とは違って。
 
「……俺にはさ、その……お前の気持ちには応えられないけどさ……」

 五年間、ずっと聞くのが怖かった言葉。

 でも胃も痛まないし、息も止まらない。視線の先で、メロンソーダの泡がひとつ、普通に弾けただけだった。
 
「それは、わかってる」

 思ってたよりもずっと、平然とした声が出た。
 そんな瑛斗の声に少しホッとしたのか、秋也が軽く肩をすくめる。
 
「……まぁあれ、過去形だったんだけど」
 
「え。……そうだった?」
 
 そうだっけ。俺、過去形で言ってたか?
 
 『好きだったんだよ』。
 ……確かに、そう言った。言葉に出した瞬間、不思議としっくりきたのだ。

「そうだよ。……てか、そんなことはどうでもいい」
 
 秋也は照れ隠しのように咳払いをすると、姿勢を正して瑛斗を真っ直ぐに見た。
 
「俺、やっぱりお前ら二人が来ない道場なんかつまんねえんだよ」
 
「…………」
 
「ゲームで一ヶ月ちょい一緒にいたZと、小学校からずっと一緒にバカやってきたお前らと。……比べるもんでもねえし」
 
 秋也はそこで、力強く一度頷いた。

「高体連、今週末なんだからな」
 
「え? あ、あぁ」
 
「二人とも応援来いよ。そしたら……まあ、今回のことは一旦チャラにしてやる」
 
「秋也……」
 
「お前たち二人がいないと、調子が出ねえ」
 
 そう言って、秋也が席を立つ。その顔は、いつものカラッとした幼馴染の顔に戻っていた。
 
「んじゃ、俺は稽古行ってくるわ。ここは奢れよ」
 
「……奢らせていただきますとも。大会、頑張れよ」
 
「観に来いよ! 絶対に」
 
 秋也は念を押すようにビシ、と人差し指を突きつけ、足早に店を出ていった。

 勝手に『終わった』と思っていた秋也との関係。
 
 戸惑いとか、不信感とか、軽蔑とか、まだまだ色んなものは燻っているだろうけど。
 それでも、秋也は『小学校からずっと一緒にバカやってきた幼馴染』の位置に、戻そうとしてくれている。

 秋也は、結局いつもの秋也だった。

 周りの景色が勝手に変わっていったように見えてたけど、違った。
 世界が変わったんじゃない。俺の気持ちが変わったせいで、見え方がバグってただけだ。
 
 すとん、と胸の内でその理屈が腑に落ちた瞬間。
 ふと、疑問が湧き上がる。
 
 ——じゃあ、冬梧は?
 
 学校で見た姿や、土曜日、アパートの前で待っていた姿が、知らない奴みたいに見えた。
 傘の下で肩が触れるだけで変な気分になった。
 ホムセンでは、あいつが当たり前のように『俺と一緒に逃げる前提』でいることが、やけに気になった。
 
 でも。
 冬梧って、昔からあんなんじゃね?
 
 距離は近いし、俺のことを妙に覚えてるし、毎日のようにくだらないメッセージを送ってくる。
 
 あいつは、何も変わっていない。
 じゃあ、なんで最近あんなに『違って』見えるんだよ。
 
 考えたくない。
 
 なんで考えたくない?
 
 そこまで考えたところで、瑛斗はメロンソーダのストローを強く噛み潰した。
 
 ぴこたんだってそうだ。
 結局オルリンで一番楽しかったのは、難しいダンジョンを攻略した時より、屋台のベンチで、二人でくだらない話をしていた時間だった。
 
 現実でもゲームでも。
 一番一緒にいて楽だったの、どっちも冬梧じゃん。

 でもさ、楽なだけなら、なんで傘の下で肩が熱かったんだよ。
 なんで昨日、知らない背の高い奴を走って追いかけたんだよ。
 
 そんなの。
 ここまで考えたら、もう——
 
「……クソ。考えちまった」

 瑛斗は小さく舌打ちすると、テーブルに置いてあったスマホを乱暴に引っ掴み、メッセージアプリを立ち上げた。
 画面には、ずっと未読のまま放置していた『ごめん』が残っている。
 入力欄の上で少しだけ指先が彷徨う。やがて腹を括ったように、一文字ずつ画面を叩き始めた。

『究極の選択。「偽物の完璧な見た目の美少女」vs「金髪の目つき悪いバカ」』