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 忘れもしない、高一の夏。ファミレスでの忌まわしき記憶。
 ホームセンター派の冬梧と、ショッピングモール派の瑛斗の間に流れる空気は、極めて険悪だった。
 
「だからホームセンターの方が強いだろ、普通に考えて」
 
「いやモール。絶対モール」
 
「なんでだよ」
 
「食えるから」
 
「ホームセンターにもカップ麺くらいあるだろ」
 
「でもモールには惣菜がある」
 
「ゾンビ来てんのに唐揚げの種類で勝とうとすんなよ」
 
「お前、ゾンビ来たら唐揚げ食わないの?」
 
「……食うけど」
 
「ほら」
 
 メロンソーダのストローを噛みながら得意げにする瑛斗に、冬梧が冷ややかな視線を送る。
 
「何が『ほら』だよ。こっちは木材あんだぞ。入口全部バリケードで塞げる」
 
「モールもシャッター閉めればいいじゃん」
 
「耐久性弱そうじゃんあのシャッター」
 
「そうなの?……知らね」
 
「知らねぇのにモールの代表面すんな」
 
「じゃあお前はホムセン代表なのかよ」
 
「俺は昨日『ホムセンで紙ヤスリ買わないとな』って考えたから」
 
「それはただホムセンに行きたいだけの剣道部員じゃん」
 
 瑛斗は呆れて鼻を鳴らした。冬梧はグラスの氷をカラカラと鳴らしながら、ドヤ顔で畳み掛けてくる。
 
「しかもホームセンターには脚立がある」
 
「脚立で何すんだよ」
 
「高いとこ行く」
 
「ゾンビも脚立使ったらどうすんだよ」
 
「ゾンビが脚立使い始めたら、もうどこ行っても終わりだろ」
 
「確かに」
 
「モールには何かあんの」
 
「魚」
 
「魚」
 
「鮮魚コーナー」
 
「ゾンビに魚投げんの?」
 
「いや、食う」
 
「また食う話じゃねえか」
 
「生きるって食うことだぞ」
 
「急に深そうなこと言うなよ」

「ホームセンターなんか、三日目くらいで全員観葉植物食ってるからな」
 
「土もあるぞ」
 
「土食うなよ」
 
「モールには土ないだろ」
 
「いらねえよ」
 
「自給自足できないだろ。長期戦考えろよ」
 
「ゾンビパニック中にトマト育てる気か? トマトできる前にお前死んでるだろ」
 
 不毛なディベートは平行線を辿り、やがて冬梧が深くため息をついた。
 
「……現場、見に行く?」
 
「でもモールの近くにホムセンがないじゃん。この検証は『ゾンビから逃げてどっちに駆け込むか』だから、隣接してないとダメなんだよ」
 
「確かに」
 
 これで休戦となったのが約一年前。
 そして現在、彼らは見事なまでに隣り合った『モールと大型ホムセン』という最高のステージへ向かおうとしている。

 この日の大論争に、決着をつけるために。


 *


「えーちゃん、冬梧もう来てるよ! はー、昼間見てもやっぱりいい男だわぁ」
 
 瑛斗が自室から出ると、窓から身を乗り出してタバコを吸っていた綾音が、やけに黄色い声を上げた。
 
「また言ってるし……。冬梧だぞ?」
 
「デート楽しんでら〜」
 
「は!? デートじゃねぇし! 実地検証!!」
 
 背中から飛んできた単語に、ドアノブを掴んだままギョッと振り返る。綾音はニヤニヤしたまま「帰りに三角コーナーの水切りネット買ってきてね。ストッキングタイプ」と付け足した。
 
「クソ。テメーの穴あきストッキングでも被せてろっての」
 
「あ?」
 
「何でもないです。行ってきます」

 慌てて家を飛び出し、外階段を降りる。アパートの前の路上で、スマホをいじりながら待っている冬梧の姿が目に入った。

 あれ。
 
 思わず、階段の最後の一段で足を止めてしまう。
 シンプルな私服で壁に寄りかかり、手持ち無沙汰に誰かを待つその横顔は、いつも道場で見ている姿より、どこか大人びて見えた。
 
 デートの待ち合わせとか、あいついつもこんな感じなのかな。
 
 漠然とそんなことを思い、慌てて首を振る。
 すると、冬梧が瑛斗の気配に気づいて顔を上げた。
 
「何突っ立ってんだよ。早く行くぞ」
 
「す、Suicaの残高あったかどうか考えてただけだし!」
 
 誤魔化すように駆け寄り、並んで駅へと歩き出した。
 
 
 二人で真剣に「ホムセンでは死角になる窓の数と、武器になる高枝切りバサミの重量チェックな」「モールのガラスの弱さ、どうやって検証しよう」などと話していると、ポツ、と顔に冷たい水滴が垂れた。
 
「……あれ、雨?」
 
 空を見上げると、分厚い曇天から大粒の雨がパラパラと落ちてくる。
 
「あ、傘持ってき忘れたわ」
 
「……お前、そんなんじゃゾンビパニックになった時、真っ先に死ぬぞ」
 
 冬梧は呆れつつもカバンから折り畳み傘を取り出し、「ほら」と広げながら瑛斗に一歩近づいた。
 
「おぉ……あんがと」
 
 男子高校生二人が入るには、どう見ても小さすぎる傘。はみ出さないよう、自然と冬梧にくっつく形になる。歩くたびに、冬梧の二の腕と肩が触れ合い、そこだけやけに熱く感じた。
 
 なんだって、今日はこんなに変な気分になるのだろうか。それもこれも、綾音が余計な単語を吹き込むからだ。
 
 ちら、と横目で冬梧の顔を窺う。冬梧は涼しげな顔のまま、真っ直ぐ前を見ていた。
 傘そのものが僅かに瑛斗側へ傾いていて、冬梧の左肩には容赦なく雨粒が当たっていた。
 
「お前、肩——」
 
「ホムセンにあるさ、釘飛ばすやつなんだっけ」
 
 濡れてるから傘まっすぐにしろよ。そう言いたかったのに、冬梧が突然、真剣に悩んだ顔でそんなことを聞いてきた。
 
「え……ネイルガン?」
 
「それだ」
 
「それがなんだよ」
 
「あれって映画だと強そうだけど、絶対ゾンビには効かねえだろうなって」
 
「……確かに。身体に撃ち込んだところでノーダメっぽいよな」
 
「眉間に撃ち込むしかねぇな」
 
「試し撃ちできんのかな」
 
「できねえだろ」
 
 そこからは結局『ゾンビに一番効く武器予想ランキング』の激論になり、気がつけば駅に着いていた。
 
 結局二人とも片肩がそこそこ濡れている。まあ、梅雨なんてそんなもんだ。


 *


 サクッとホームセンターの防衛力を検証して、モールで飯を食おう。
 そう計画していたはずが、気がつけばホームセンターでの実地検証は二時間近くになっていた。
 
 搬入口・資材館・屋外売場で表からのゾンビ侵入経路を割り出す。園芸コーナーのフェンスが最大の穴になりそうだ。
 
「この鉄パイプ、振り回しやすいけど長時間は腕が死ぬな」
 
「そもそも接近戦を前提にするな。園芸用のネットと肥料の袋でバリケード作って、通路を絞ろう」
 
「このシャッター、頑丈そうに見えて横から回り込めるぞ」
 
「木材売場に抜ける扉がある。ここを電動ドリルで物理封鎖しないと、正面を固めても意味ない」
 
 そんな物騒な会話をしながら、ひたすら巨大なホームセンターを徘徊する。もはやどっちがゾンビかわからない。
 
「この保存食はダメだから、食料はあっちの棚からだな」
 
「え、これめっちゃたくさんあるのになんで」
 
「ナッツ入ってる。お前、アレルギーじゃん」
 
 冬梧が当たり前のように保存食を棚に戻すのを見て、まただ、と瑛斗は目をパチリと瞬かせた。
 キャンプ用品のコーナーでは「この寝袋がお前サイズ」だの、「お前飯作れるからこの調理セット持っていこう」だの。
 
「……さっきからさ。お前、逃げる時、俺が一緒にいる前提なんだ?」
 
 瑛斗がポツリと呟くと、保存食を選んでいた冬梧の背中がビタッと固まった。
 
「……え、いないの?」
 
 数秒後。わずかに顔だけこちらに向け、冬梧が静かな声で尋ねてくる。
 
「……いや、いる、けど」
 
 食品コーナーの通路に、謎の沈黙が流れる。
 
 なんだこれ。ゾンビ映画で絶対に見ない種類の緊張感だ。
 
「は、腹減ったしそろそろモール行こうぜ! あ! 綾音に頼まれた水切りネット買わねーと!」
 
 耐えきれずに早口でまくしたて、キッチン用品コーナーの方へ逃げるように向かう。綾音ご愛用のストッキングタイプの水切りネットをひったくり、レジへと急いだ。
 その途中で傘売場が目に入り、「あ。ついでに買うか」と適当なビニール傘を手に取った。
 
「傘はいらねぇだろ」
 
 背後から追いついてきた冬梧がそう言って眉を顰める。
 
「え、でも外まだ降ってるし」
 
「また俺のに入りゃいいじゃん」
 
「お……おぉ」
 
 有無を言わさない低い声に圧され、瑛斗は大人しく傘を元の場所に戻した。
 
 そのままレジへと向かう。なんか耳がずっと熱い。
 
 なんなんだよ、さっきから。
 なんの空気なんだよこれは。


 *


 ホームセンターでの二時間を超えるガチ検証が響き、続くショッピングモールでの検証は超がつくほど適当になった。そもそも、入口が全面ガラス張りだった時点で「ここに籠城するなら上の階のワンフロアしかないな」と早々に結論が出たのだ。

「モールは色々あるけど、速攻ゾンビの巣になるな」
 
「ホムセンは物資は完璧だけどちょっと広すぎたな」
 
「確かに長期籠城向きじゃねぇな。物資だけ確保して、狭くて塞ぎやすいところに引き籠るのが一番いい」
 
「てことは、ホムセンで資材確保して狭い拠点作って、武器持ってモールに美味い飯を調達しに来るのが一番良くね?」
 
「そんな簡単にゾンビが倒せると思うなよ」

 フードコートの喧騒の中、各々好きな飯を食いながら、男子高校生の果てしない想像力を無駄遣いして世紀末を語り合う。最終的には冬梧が「俺は渋谷LOFTのキングになる」と壮大なことを言い出したので、そこでゾンビ談義は打ち切りとなった。

 ふと、フードコートの太い柱にあるデジタルサイネージに、『オルリン』の大型パッチの広告映像が流れた。
 
——あ、オルリンだ。

 昔もモールで広告を見たことはあったけど、まさか自分がプレイすることになるとは思わなかったな。

 そんなことをぼんやり思いながら、目の前でうどんをすする冬梧に視線を移す。

 そういえば、冬梧もオルリンやってるんだよな?
 サーバー、どこなんだろう。
 
「そういやさ。冬梧ってまだオルリンやってんの?」

 冬梧はちくわ天を齧りながら、目線だけを瑛斗にすっと移し、小さく頷いた。
 
「昔ほどはやってねえけど」
 
「そうなの? お前、いつからやってんの?」
 
「二年前くらいに始めて、当時めちゃくちゃやり込んだから。今年入ってからはかなり減った」

 ——二年?
 あれ?なんか、聞いたことある。
 
『GON:ヤバい人だね。始めて二年もしないうちに頂点取って、パッと消えちゃった人』

 ふと、クランでのチャットログが脳裏を掠める。

 ……ぴこたんと、同じじゃん。そういえば、ぴこたんは土曜日にログインしない。冬梧も……土曜は一日中、塾じゃん。

 さらに言えば、俺がゲームをサボってこいつとファミレスにいた五日間、ぴこたんもオフラインだった。

 ……え。いや、まさかな。
 オルリンのプレイヤー何人いると思ってんだよ。
 
「……お前って」

 言いかけて、ピタリと止まる。冬梧はいつの間にかうどんを食べ終わっており、コップの水を飲みながら、静かに、じっとこちらを見つめ返していた。

 無理。
 いや、ないない。絶対ない。

 だって、もし。万が一、冬梧が『ぴこたん』だったとしたら。
 
 ——俺、全部喋っちゃってんじゃん。