「ネカマなんてゴロゴロいるだろ。俺の知り合いも『どうせずっと画面見るなら女の尻がいい』っつって、自キャラを毎回女にしてる」
「あー……まあ、その気持ちはわからんでもない」
冬梧が口を挟み、秋也の顔に再び笑顔が戻った。その隙に、瑛斗は大きく息を吸い込む。どうやら自分でも気づかないうちに、ずっと息を止めていたらしい。
素早く着替えを済ませ、まだ会話を続けている二人に「んじゃ、俺帰るわ」とだけ言い残し、逃げるように更衣室を飛び出した。
自分で地雷を埋めて、自分で踏み抜いて瀕死になってやんの。アホかよ。
ぼうっとしたまま家に帰り、いつものルーティン通りに夕飯と風呂を済ませる。無意識の癖でパソコンの電源を入れたところで、「あ」と手を止めた。
結局ログインすんのかよ、と思わず苦笑いする。
モニターが明るくなり、ログイン画面が映し出される。サイバーパンクの街並みの中を、『Z』がウィンドウショッピングをしながら楽しそうに歩いていた。
それを見た瞬間、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
——誰だ、こいつ。
秋也好みの見た目と清楚な服装。『うち』という取り繕った一人称。俺のようで、俺じゃない何か。
……キモ。
気づけば、パソコンの電源ボタンを指で強く押し込んでいた。ブッと重い音を立てて暗転したモニターに、動揺した顔の自分が映り込む。
金髪で、目つきが悪くて、骨ばっていて、柔らかそうでもなんでもない、自分。
さっきまで画面の中を歩いていた女の子とは、何ひとつ似ていなかった。
部屋の電気を消し、真っ暗なベッドに倒れ込む。時計はまだ夜の十時を過ぎたところだった。
『オルリン』を始める前って、俺、夜は何してたっけ。
ぼんやりと考え込んでいると、床に放り投げていたスマホがブー、と震えた。腕を伸ばして画面を見る。冬梧からのメッセージだ。
開くと、武具屋ハヤシからパクってきた大量の鍔止めを床に並べ、『ナス』と形作った写真だった。
「んふっ」
なんでナスなんだよ。もっと他にいい文字あんだろ。
……そういえば、ゲームを始める前は、夜もよくこいつとこんなくだらないやり取りをしてたな。
ログをスクロールして読み返す。少し前に流行っていたのは『究極の選択選手権』だ。一番下にあるやり取りは、『「一生、気の抜けたぬるいコーラしか飲めない呪い」vs「一生、ポテチを開けるとき必ず袋が縦に真っ二つに裂ける呪い」』で止まっている。
瑛斗は小さく鼻を鳴らし、暗闇の中でスマホを打つ指を動かした。
『ポテチ袋真っ二つ一択』
*
県内でも有名な名門私立高校。
その校門前に、金髪で学ランを着崩した柄の悪い男が一人で座り込んでいるとどうなるか。
めちゃくちゃ見られる。
別に他校へ殴り込みに来たわけじゃないのに、下校する生徒や通りすがりの近所の人まで、「ヤバい奴が頭のいい子たちに絡みにきた」とでも言いたげな目でこちらをジロジロと見てくる。
『まだー?なんの罰ゲームだよ。早く出てこいよ』
このアウェー空間に呼び出した張本人にメッセージを送るが、既読にすらならない。
「あ、あの……何かご用ですか……?」
眼鏡をかけた、いかにも正義感の強そうな男子生徒に声をかけられる。ちなみにこれで声をかけられるのは三回目だ。最初は用務員、二回目は教員だった。次は警察が来るかもしれない。
「友達待ってんの!」
「あ、そうなんですね。と、友達……ですか」
『お前なんかに、この高校に友達なんているのか』顔にそう書いてある。
殴ってやろうかな。
瑛斗が殺気を込めて睨みつけると、男子生徒はそそくさと立ち去っていった。
なんで俺がこんな目に。
ことの発端は、昨日の夜のくだらないメッセージの続きだ。
『「麺が長さ五キロで、一度すすり始めたら途中で噛み切ることが法律で禁止されているラーメン」vs「味は人類史上最高だが、スープがスポイトで一滴ずつしか飲めないラーメン」』
この究極の選択に瑛斗が頭を悩ませていると、冬梧が答えも聞かずに『お前のせいでラーメン食いたくなった』と、深夜に飯テロ画像を送りつけてきたのだ。
『飯テロすんな。明日稽古ないし行くか』
『俺の高校の近くに、替え玉無限のところがある』
『どっちが替え玉多く食えるか勝負な』
『んじゃ放課後、高校まで来て』
この流れを経て、今、瑛斗はここにいる。
「……あれ? 春山さんですか?」
イライラと貧乏ゆすりをしながら「まだかよ」とぼやいていると、今度は眼鏡をかけた女子生徒に声をかけられた。
「あ?……誰?」
長い髪を後ろでお団子にまとめた、背の高い美人。ぱっと見で誰か思い出せず、立ち上がって顔を覗き込んだ。女子生徒はそんな瑛斗を見て、くすりと笑う。
「中西道場の城山ですよ」
「え、城山!? お前、ここの学校なの?」
「今年から入りました! ここの女子剣、強いんですよ」
「へぇ……」
そうなんだ。知らなかった。冬梧のやつ、何も言わねえから。
「今日は冬梧先輩に会いに来たんですか?」
「え? あぁ、うん」
瑛斗が頷くと、なぜか城山がニコニコと嬉しそうに微笑んだ。その時、見知らぬ男子生徒が割って入り、城山の肩を掴んでグッと自分の方へ引き寄せた。
「おい城山、どうした? 変なやつに絡まれてるのか?」
「あ、いや、この人は……」
城山が焦ったように首を振ったところで、ぬっと校門の影から長身が現れた。城山を瑛斗から庇うように立ち塞がっていた男子生徒が、その顔を見てホッとした表情になる。
「あ、白濱、ちょうどよかった」
瑛斗が校門の方に視線を移すと、冬梧がゆっくりと歩いてきた。いつも外しているネクタイをきちんと締め、ジャケットのボタンは留まっていて、シャツも出ていない。
『冬梧先輩』、『白濱』。制服をきちんと着て、そんな風に呼ばれていると、なんだか違う人に見える。
「城山が変なのに絡まれててさ」
「この『変なの』が、俺の連れ」
低い声で言い放ち、冬梧は男子生徒を一瞥すらせず、瑛斗の肩にガシッと腕を回した。
そのまま「んじゃ」と踵を返し、強引に歩き出す。瑛斗は「おぉ?」と訳もわからないまま連行される。
「春山さーん! また合同稽古でー!」
「おぉ、またな城山……って、おいっ」
背後から聞こえたご機嫌な城山の声に、瑛斗が振り返って挨拶しようとすると、肩の腕にグイッと強い力が込められ、さらに歩くスピードが上がった。
角を曲がって校舎が見えなくなったところで、やっと解放される。瑛斗は窮屈だった首の裏をさすりながら「なんなんだよ」と眉を顰めた。
「校門で変なやつが絡まれてたから」
「テメーが出てくんの遅えからだよ!」
「あぁ、ちょっと俺も絡まれてて。担任に」
反省する様子など微塵もない冬梧の顔を、瑛斗はジト目で睨む。
「てか、城山も同じ高校だったんだな」
「うん」
「知らなかった」
「俺もこないだまで知らなかった」
「知らんかったんかーい」
「女子剣と関わりないからな。合同稽古の次の日に話しかけられて、お前のこと聞かれた」
「え、俺?」
「お前がどこの高校なのかとか、いつからの付き合いなのかとか」
へぇ。……え、もしかして城山って、俺狙いなんじゃね?
なんだ、冬梧じゃないんだ。ふーん。なかなかセンスいいじゃん。まぁ俺、女に興味ないんだけど。
機嫌よくにんまりと笑う瑛斗を見て、冬梧は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした。
ダラダラと歩いていると、目的のラーメン屋が見えてきた。
「替え玉勝負負けた方が奢り」
「え。俺、ぴったり千円しか持ってねえんだけど」
「ラーメンは九百九十円。ま、せいぜい頑張って替え玉食えよ」
冬梧は意地悪くニヤニヤと笑いながら、ラーメン屋の暖簾をくぐる。瑛斗はイラッとし、その背中を思い切り蹴りつけた。
*
結局、その日も『オルリン』にはログインしなかった。次の日も、稽古の後は夜遅くまで冬梧とファミレスでくだらない話をして過ごした。
金曜日。やっぱり稽古後は冬梧とファミレスへ行き、『究極の選択選手権』について真剣に語り合う。気がつけば二十二時を過ぎており、「もうこんな時間か」と解散した。
明日は土曜日か。冬梧は一日塾だって言ってたな……。バイトのシフト、時間増やせるか店長に聞いてみるか。
一人になった帰り道、ふとそんなことを思う。
どうせ土曜日は、ぴこたんだって忙しくてログインしないだろうし。
てか、ぴこたん……元気かな。俺が急にログインしなくなったから、心配してるかな。
ネカマとして秋也に近づき、気に入られる作戦。秋也がZに「プロポーズする」と宣言した時点で、この作戦自体は思ったよりも早く目的を達成したと言える。
作戦は成功。しかし、検証結果は『普通にキモい』だった。
ちくり、と胃が痛む。自分が『Z』として秋也に接していた時のことを思い返すと、恥ずかしさと惨めさで死にたくなる。
それでも、ぴこたんと一緒にいた時だけは、割と素の自分に近かったと信じたい。
Zの中身が男だとわかった上で、それでも呆れながら手伝ってくれたぴこたん。あいつには、ちゃんとケジメとして伝えるべきかもしれない。普通にまた話したいし、なんなら遊びたい。
瑛斗は、どんよりと曇った夜空に向けて大きく息を吐き出した。
視線の先にボロアパートが見えてくる。廊下の蛍光灯がチカチカと寿命を訴えていた。
うん。ちゃんとログインして、お礼と謝罪だけでも伝えよう。
瑛斗はアパートの階段を駆け上がった。リビングで「おかえり〜」とビールを飲んでいる綾音に「ただいま!」とだけ告げ、自室に飛び込んでパソコンの電源を入れる。
「あれ……いない……?」
フレンド欄のぴこたんは、オフラインだった。
最終ログインは五日前。一緒にダンジョンに行った、あの日から止まっている。
「なんだ、ぴこたんも全然ログインしてないんじゃん……」
次、いつ会えるんだろ。
リアルな連絡先を交換していない以上、返事が返ってくるのは互いにオンラインの時だけ。こういうところが、ネットの不便なところだ。
ちょこちょこログインしてみて、いる時に話しかけるしかないな。
ポリポリと頭を掻き、パソコンの電源を落とす。
その直後、ブブッ、とズボンのポケットの中でスマホが震えた。
『大変だ』
冬梧だ。
『なんだよ』
『モールの近くに大型ホムセンがいつの間にかできてる』
まさか。
瑛斗は思わず息を呑んだ。
『お前……それって』
『ゾンビパニックが起きた時に駆け込む施設、モールvsホムセン。実地検証が可能ということだ』
ごくり、と喉を鳴らして唾を飲み込む。
『いつ行く』
『明日行こ』
『お前、塾だろ』
『休む』
『マジか』
『11時に迎え行く』
『はい天才』
スマホを閉じ、ニヤニヤしながら部屋を出る。すると、綾音がビールを飲む手を止め、心底怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたの? 慌てて部屋に飛び込んだと思ったら、今度はニヤニヤしながら出てきて……」
「いや、別に」
綾音は「ふぅん」と半目でこちらを窺いながら、グラスのビールを呷った。
「綾音、モールの近くにデカいホムセンできたの知ってた?」
「キョーミないから知らん。なんで?」
「いや、明日冬梧と行ってくる」
「ホムセンに? 何か必要なものあんの?」
首を傾げながらツマミの梅きゅうをポリポリと食べる母親に対し、瑛斗はふふんと得意げに顎を上げた。
「ゾンビパニックが起きた時に、ホムセンとモール、どっちが生き延びれそうか検証してくる!」
「…………」
綾音は、可哀想なものを見るような目で瑛斗をしばらく見つめた後、「……相変わらずだね、あんたたち二人は」と、しょうもなさそうに首を横に振った。
「あー……まあ、その気持ちはわからんでもない」
冬梧が口を挟み、秋也の顔に再び笑顔が戻った。その隙に、瑛斗は大きく息を吸い込む。どうやら自分でも気づかないうちに、ずっと息を止めていたらしい。
素早く着替えを済ませ、まだ会話を続けている二人に「んじゃ、俺帰るわ」とだけ言い残し、逃げるように更衣室を飛び出した。
自分で地雷を埋めて、自分で踏み抜いて瀕死になってやんの。アホかよ。
ぼうっとしたまま家に帰り、いつものルーティン通りに夕飯と風呂を済ませる。無意識の癖でパソコンの電源を入れたところで、「あ」と手を止めた。
結局ログインすんのかよ、と思わず苦笑いする。
モニターが明るくなり、ログイン画面が映し出される。サイバーパンクの街並みの中を、『Z』がウィンドウショッピングをしながら楽しそうに歩いていた。
それを見た瞬間、ゾワッと全身に鳥肌が立った。
——誰だ、こいつ。
秋也好みの見た目と清楚な服装。『うち』という取り繕った一人称。俺のようで、俺じゃない何か。
……キモ。
気づけば、パソコンの電源ボタンを指で強く押し込んでいた。ブッと重い音を立てて暗転したモニターに、動揺した顔の自分が映り込む。
金髪で、目つきが悪くて、骨ばっていて、柔らかそうでもなんでもない、自分。
さっきまで画面の中を歩いていた女の子とは、何ひとつ似ていなかった。
部屋の電気を消し、真っ暗なベッドに倒れ込む。時計はまだ夜の十時を過ぎたところだった。
『オルリン』を始める前って、俺、夜は何してたっけ。
ぼんやりと考え込んでいると、床に放り投げていたスマホがブー、と震えた。腕を伸ばして画面を見る。冬梧からのメッセージだ。
開くと、武具屋ハヤシからパクってきた大量の鍔止めを床に並べ、『ナス』と形作った写真だった。
「んふっ」
なんでナスなんだよ。もっと他にいい文字あんだろ。
……そういえば、ゲームを始める前は、夜もよくこいつとこんなくだらないやり取りをしてたな。
ログをスクロールして読み返す。少し前に流行っていたのは『究極の選択選手権』だ。一番下にあるやり取りは、『「一生、気の抜けたぬるいコーラしか飲めない呪い」vs「一生、ポテチを開けるとき必ず袋が縦に真っ二つに裂ける呪い」』で止まっている。
瑛斗は小さく鼻を鳴らし、暗闇の中でスマホを打つ指を動かした。
『ポテチ袋真っ二つ一択』
*
県内でも有名な名門私立高校。
その校門前に、金髪で学ランを着崩した柄の悪い男が一人で座り込んでいるとどうなるか。
めちゃくちゃ見られる。
別に他校へ殴り込みに来たわけじゃないのに、下校する生徒や通りすがりの近所の人まで、「ヤバい奴が頭のいい子たちに絡みにきた」とでも言いたげな目でこちらをジロジロと見てくる。
『まだー?なんの罰ゲームだよ。早く出てこいよ』
このアウェー空間に呼び出した張本人にメッセージを送るが、既読にすらならない。
「あ、あの……何かご用ですか……?」
眼鏡をかけた、いかにも正義感の強そうな男子生徒に声をかけられる。ちなみにこれで声をかけられるのは三回目だ。最初は用務員、二回目は教員だった。次は警察が来るかもしれない。
「友達待ってんの!」
「あ、そうなんですね。と、友達……ですか」
『お前なんかに、この高校に友達なんているのか』顔にそう書いてある。
殴ってやろうかな。
瑛斗が殺気を込めて睨みつけると、男子生徒はそそくさと立ち去っていった。
なんで俺がこんな目に。
ことの発端は、昨日の夜のくだらないメッセージの続きだ。
『「麺が長さ五キロで、一度すすり始めたら途中で噛み切ることが法律で禁止されているラーメン」vs「味は人類史上最高だが、スープがスポイトで一滴ずつしか飲めないラーメン」』
この究極の選択に瑛斗が頭を悩ませていると、冬梧が答えも聞かずに『お前のせいでラーメン食いたくなった』と、深夜に飯テロ画像を送りつけてきたのだ。
『飯テロすんな。明日稽古ないし行くか』
『俺の高校の近くに、替え玉無限のところがある』
『どっちが替え玉多く食えるか勝負な』
『んじゃ放課後、高校まで来て』
この流れを経て、今、瑛斗はここにいる。
「……あれ? 春山さんですか?」
イライラと貧乏ゆすりをしながら「まだかよ」とぼやいていると、今度は眼鏡をかけた女子生徒に声をかけられた。
「あ?……誰?」
長い髪を後ろでお団子にまとめた、背の高い美人。ぱっと見で誰か思い出せず、立ち上がって顔を覗き込んだ。女子生徒はそんな瑛斗を見て、くすりと笑う。
「中西道場の城山ですよ」
「え、城山!? お前、ここの学校なの?」
「今年から入りました! ここの女子剣、強いんですよ」
「へぇ……」
そうなんだ。知らなかった。冬梧のやつ、何も言わねえから。
「今日は冬梧先輩に会いに来たんですか?」
「え? あぁ、うん」
瑛斗が頷くと、なぜか城山がニコニコと嬉しそうに微笑んだ。その時、見知らぬ男子生徒が割って入り、城山の肩を掴んでグッと自分の方へ引き寄せた。
「おい城山、どうした? 変なやつに絡まれてるのか?」
「あ、いや、この人は……」
城山が焦ったように首を振ったところで、ぬっと校門の影から長身が現れた。城山を瑛斗から庇うように立ち塞がっていた男子生徒が、その顔を見てホッとした表情になる。
「あ、白濱、ちょうどよかった」
瑛斗が校門の方に視線を移すと、冬梧がゆっくりと歩いてきた。いつも外しているネクタイをきちんと締め、ジャケットのボタンは留まっていて、シャツも出ていない。
『冬梧先輩』、『白濱』。制服をきちんと着て、そんな風に呼ばれていると、なんだか違う人に見える。
「城山が変なのに絡まれててさ」
「この『変なの』が、俺の連れ」
低い声で言い放ち、冬梧は男子生徒を一瞥すらせず、瑛斗の肩にガシッと腕を回した。
そのまま「んじゃ」と踵を返し、強引に歩き出す。瑛斗は「おぉ?」と訳もわからないまま連行される。
「春山さーん! また合同稽古でー!」
「おぉ、またな城山……って、おいっ」
背後から聞こえたご機嫌な城山の声に、瑛斗が振り返って挨拶しようとすると、肩の腕にグイッと強い力が込められ、さらに歩くスピードが上がった。
角を曲がって校舎が見えなくなったところで、やっと解放される。瑛斗は窮屈だった首の裏をさすりながら「なんなんだよ」と眉を顰めた。
「校門で変なやつが絡まれてたから」
「テメーが出てくんの遅えからだよ!」
「あぁ、ちょっと俺も絡まれてて。担任に」
反省する様子など微塵もない冬梧の顔を、瑛斗はジト目で睨む。
「てか、城山も同じ高校だったんだな」
「うん」
「知らなかった」
「俺もこないだまで知らなかった」
「知らんかったんかーい」
「女子剣と関わりないからな。合同稽古の次の日に話しかけられて、お前のこと聞かれた」
「え、俺?」
「お前がどこの高校なのかとか、いつからの付き合いなのかとか」
へぇ。……え、もしかして城山って、俺狙いなんじゃね?
なんだ、冬梧じゃないんだ。ふーん。なかなかセンスいいじゃん。まぁ俺、女に興味ないんだけど。
機嫌よくにんまりと笑う瑛斗を見て、冬梧は面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らした。
ダラダラと歩いていると、目的のラーメン屋が見えてきた。
「替え玉勝負負けた方が奢り」
「え。俺、ぴったり千円しか持ってねえんだけど」
「ラーメンは九百九十円。ま、せいぜい頑張って替え玉食えよ」
冬梧は意地悪くニヤニヤと笑いながら、ラーメン屋の暖簾をくぐる。瑛斗はイラッとし、その背中を思い切り蹴りつけた。
*
結局、その日も『オルリン』にはログインしなかった。次の日も、稽古の後は夜遅くまで冬梧とファミレスでくだらない話をして過ごした。
金曜日。やっぱり稽古後は冬梧とファミレスへ行き、『究極の選択選手権』について真剣に語り合う。気がつけば二十二時を過ぎており、「もうこんな時間か」と解散した。
明日は土曜日か。冬梧は一日塾だって言ってたな……。バイトのシフト、時間増やせるか店長に聞いてみるか。
一人になった帰り道、ふとそんなことを思う。
どうせ土曜日は、ぴこたんだって忙しくてログインしないだろうし。
てか、ぴこたん……元気かな。俺が急にログインしなくなったから、心配してるかな。
ネカマとして秋也に近づき、気に入られる作戦。秋也がZに「プロポーズする」と宣言した時点で、この作戦自体は思ったよりも早く目的を達成したと言える。
作戦は成功。しかし、検証結果は『普通にキモい』だった。
ちくり、と胃が痛む。自分が『Z』として秋也に接していた時のことを思い返すと、恥ずかしさと惨めさで死にたくなる。
それでも、ぴこたんと一緒にいた時だけは、割と素の自分に近かったと信じたい。
Zの中身が男だとわかった上で、それでも呆れながら手伝ってくれたぴこたん。あいつには、ちゃんとケジメとして伝えるべきかもしれない。普通にまた話したいし、なんなら遊びたい。
瑛斗は、どんよりと曇った夜空に向けて大きく息を吐き出した。
視線の先にボロアパートが見えてくる。廊下の蛍光灯がチカチカと寿命を訴えていた。
うん。ちゃんとログインして、お礼と謝罪だけでも伝えよう。
瑛斗はアパートの階段を駆け上がった。リビングで「おかえり〜」とビールを飲んでいる綾音に「ただいま!」とだけ告げ、自室に飛び込んでパソコンの電源を入れる。
「あれ……いない……?」
フレンド欄のぴこたんは、オフラインだった。
最終ログインは五日前。一緒にダンジョンに行った、あの日から止まっている。
「なんだ、ぴこたんも全然ログインしてないんじゃん……」
次、いつ会えるんだろ。
リアルな連絡先を交換していない以上、返事が返ってくるのは互いにオンラインの時だけ。こういうところが、ネットの不便なところだ。
ちょこちょこログインしてみて、いる時に話しかけるしかないな。
ポリポリと頭を掻き、パソコンの電源を落とす。
その直後、ブブッ、とズボンのポケットの中でスマホが震えた。
『大変だ』
冬梧だ。
『なんだよ』
『モールの近くに大型ホムセンがいつの間にかできてる』
まさか。
瑛斗は思わず息を呑んだ。
『お前……それって』
『ゾンビパニックが起きた時に駆け込む施設、モールvsホムセン。実地検証が可能ということだ』
ごくり、と喉を鳴らして唾を飲み込む。
『いつ行く』
『明日行こ』
『お前、塾だろ』
『休む』
『マジか』
『11時に迎え行く』
『はい天才』
スマホを閉じ、ニヤニヤしながら部屋を出る。すると、綾音がビールを飲む手を止め、心底怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたの? 慌てて部屋に飛び込んだと思ったら、今度はニヤニヤしながら出てきて……」
「いや、別に」
綾音は「ふぅん」と半目でこちらを窺いながら、グラスのビールを呷った。
「綾音、モールの近くにデカいホムセンできたの知ってた?」
「キョーミないから知らん。なんで?」
「いや、明日冬梧と行ってくる」
「ホムセンに? 何か必要なものあんの?」
首を傾げながらツマミの梅きゅうをポリポリと食べる母親に対し、瑛斗はふふんと得意げに顎を上げた。
「ゾンビパニックが起きた時に、ホムセンとモール、どっちが生き延びれそうか検証してくる!」
「…………」
綾音は、可哀想なものを見るような目で瑛斗をしばらく見つめた後、「……相変わらずだね、あんたたち二人は」と、しょうもなさそうに首を横に振った。

