『ALTER-LINK』——人類と自律機械群の大戦が終結して数十年後。荒廃した巨大都市圏を、人類・機械知性・人工生命が共同で再建している世界。戦争は終結したが……
「いや、長え」
春山瑛斗は竹刀袋を白濱冬梧に投げつけた。ピシャ、と小気味いい音を立てて、スマホを片手にゲーム設定を朗読していた冬梧の顔面にクリーンヒットする。
「三行で」
「機械の残党を倒して金とポイント稼ぐゲーム」
「一行じゃん」
「いやでも瑛斗、マジで『オルリン』ハマるんだって!なぁ?冬梧」
「うん」
垂れの帯をグイッと引っ張りながら口を挟んできたのは、大瀧秋也だ。二人とは同じ小学校出身の幼馴染。中学から学校はばらけたくせに、こうして高二になっても三人そろって同じ道場にいる。
ゲームの話に夢中な二人を見て、やれやれ、と瑛斗は首を振った。ゲームに興味のない自分には、パソコンの前で何時間も同じようなことをして何が楽しいんだかわからない。
「なに、二人して同じゲームハマってんなら二人で協力プレイとかすんの?」
「いや俺、冬梧のアカウント名すら知らない」
「俺は聞いてもねえのに聞かされたから知ってるけど。秋也は指示厨っぽいから一緒にやりたくはねぇ」
「指示チューじゃねぇし!」
ギャイギャイと喧嘩を始める。こういうところは小学校の頃から変わらない。マイペースな冬梧が真面目で几帳面な秋也を怒らせるのは毎度のことだ。
「タノシソーデイイネー」
瑛斗は垂れネームの中に手拭いを入れ、ポキポキと首を鳴らした。「陽キャのお前はMMOなんかやんなくても女の子との出会いとかあるもんな」と秋也がジト目で睨んでくる。
陽キャねぇ。と瑛斗は肩をすくめ、ブリーチした肩までの金髪をヘアバンドで後ろに流す。
公立の共学。金髪。口も悪い。
どうやらそれだけ揃えば、女に困ったことのない陽キャが完成するらしい。
人の気も知らないで、と小さいため息を落とす。
「あれ? お前、道着ほつれてる」
秋也がそう言って瑛斗の手首を掴み、道着から出てる糸を指差した。薄い皮膚越しに、タコのある、ざらざらとした分厚い手のひらの感触が伝わる。
やめてよ。と思う。でも振り解きはしない。「これ直してもらわねぇと親父にドヤされるぞ」と眉を寄せて裾を見る秋也の顔を、ここぞとばかりにじっと観察する。
少しだけ見上げる位置にある、短く刈り上げた髪のよく似合う凛々しい顔。
自分を掴む腕の骨太さも、道着の襟元から覗く首筋も、言葉を発するたびに上下する喉仏も。
どこを切り取っても、嫌になるくらい『男』だ。
自分が周りと違い、同性に惹かれることに気づいたのも、こういう瞬間の秋也のせいだ。
別にどうこうなりたい訳ではない。秋也は根っからの女の子好きで、背が小さくてふんわりした可愛い子がタイプなのだ。
どうこうなれるとは、最初から思っていない。わかってはいるけど——
「そういえばさ」
パッと手首が解放される。秋也は瑛斗から離れると、自分の胴紐を結び始めた。
「俺のクランの人、ゲーム内結婚したんだよな」
ポツリとこぼれた言葉に、瑛斗の耳がピクリと反応する。
「えっ、結婚なんかあんの!?」
「あるよ。私生活でもう結婚してるのに、ゲーム内で違う人と結婚するってさー、浮気になんのかね」
秋也は別に疑問に思ってもいないような声で言い捨てた。支度を終えると、背筋を伸ばしてひと足先に道場へと去っていく。
結婚できんのか。ゲーム内で。
リアルとは違う姿で。
——もしかして、ゲームの中なら。
「……俺もやろうかな」
瑛斗は秋也の後ろ姿を見つめながら、そんなことを思わず呟く。
「マジで?……瑛斗には難しいと思うけど」
「冬梧……お前教えろよ俺に」
「えぇ。めんどくせぇ」
「……お前は本当にそういうやつだよ」
秋也よりもさらに高い位置にある肩にパンチする。冬梧はヘラヘラっと笑うと、「ほれ、いくぞ」と気だるげに背中を丸めて道場へと歩き出した。
*
面ガネの隙間から冬梧を睨みつける。よく「剣道やる人は瞳孔が開いてる」なんて冗談を言われるが、単に目をかっぴらかないと見えないからだ。
対する冬梧は、面をつけても顔がギュッとならないし、見下ろしてくるから目もあまり見開いていない。いつも通りの涼しげな目元が腹立たしい。
こちとらは必死だ。百八十センチを超える長身からの上段の構えは、何度対峙しても圧がある。
ジリジリと間合いを測り、隙を見て素早く小手に飛んだ。——いける、と思った次の瞬間。バンッ、と竹刀を弾かれ、脳天に重い一撃が叩き込まれた。
「面あり! 勝負あり!」
蹲踞して竹刀を納め、下がってお辞儀をしながら舌打ちをする。面越しに冬梧がニヤニヤ笑っているのが見えて、無性にむかつく。
クセ剣なんて呼ばれるが、瑛斗だって決して弱くはない。ただ、大瀧道場の若手二枚看板といえば、昔から秋也と冬梧なのだ。
道場師範の息子で強豪校に通い、インハイ出場を狙う秋也。対して、進学校の剣道部に所属するものの、特に上を目指す気もない冬梧。
道場内では秋也が勝ち、外の試合では冬梧が勝つ。そんな冬梧を、秋也がバチバチにライバル視していることを瑛斗だけはよく知っていた。
剣道は無酸素運動に近い。稽古はこんなにキツいくせに、続けた先にプロがあるわけでもない。それでも続けている理由は「三人で集まれる」ことと、「稽古中は余計なことを忘れられる」から。
そしてもう一つ。単純に、剣道着姿の男はかっこいい。
稽古が終わり、面を外す。この瞬間が最高だ。
むせ返るような熱気の中、視線の先で秋也が面を外した。汗だくになった前髪を無造作に掻き上げる横顔に、少しだけ目を奪われる。
瑛斗はいかん、と首を振り、ビショビショになった顔を手拭いで拭いた。「あざざしたー」と適当に師範に挨拶をして、竹刀でケツをしばかれる。
「今日どーする?」
冬梧が聞いてくる。稽古終わりにファミレスに行って夕飯前の夕飯を食べるのがお決まりだった。
「俺はいいや」
秋也はそう言って、そそくさと更衣室へ戻っていく。『オルリン』にハマってからというもの、どうにも付き合いが悪い。
「……冬梧、『オルリン』ってダウンロードどんくらいかかんの?」
「うーん、一時間くらいじゃね」
「んじゃあ俺も帰るかなぁ」
「……マジでやんのかよ。あ、やんならVesper鯖にしろよ。秋也そこらしいから」
「え?べすぱぁ?……おい冬梧ぉ、俺絶対わかんねぇよぉ。一緒にやろうよぉ」
「やだ」
「クソがよ!」
蹴りを繰り出すが、サッと避けられる。ヘラヘラと笑う冬梧と共に更衣室へ戻り、今日はさっさと解散した。
*
アパートに帰宅するなり、瑛斗は自室に駆け込んでデスクトップパソコンの電源を入れた。高一の時、母親に借金して買ったお気に入りのPC。週二のコンビニバイトを一年続けて、最近ようやく全額返済した代物だ。
WEBの解説記事を睨みながら『オルリン』を購入する。パッケージ代四千円に、月額千二百円。週二バイトの身にはなかなか痛い出費だが、『もしかしたら』を考えると惜しむ気にはなれなかった。
ダウンロードの残り時間は一時間。その隙にキッチンで夕食の炒飯を作り、風呂を済ませる。
「えーちゃーん、ただいまー」
スマホをいじりながら夕飯を食べていると、母の綾音が帰ってきた。不動産会社でバリバリ働く母は、いつも帰りが遅い。
「綾音おかえり。炒飯あるよ。あとザーサイ」
「サンキュー!」
綾音は鞄を床に放り投げ、手を洗って食卓にどかりと腰を下ろした。瑛斗は立ち上がり、母の前に夕飯を並べる。
「ビール飲む?」
「あたぼうよ」
冷蔵庫からキンキンに冷えた缶を取り出し、放り投げる。綾音は片手でキャッチすると、プシュッと音を立てて一気にビールを呷った。
元ヤンである綾音に逆らうことを、瑛斗は七歳でやめた。怒るととにかく怖いからだ。だが、母は滅多なことでは怒らない。「何事も経験よ」と笑って大目に見てくれる人でもある。
だから瑛斗は自身のセクシャリティについて、母にだけは本当のことを打ち明けた。「マジかよ」と目を丸くした数秒後には「え、お前がタチなの?ネコなの?」と食い気味に聞いてきたため、瑛斗の中では『無事受け入れられた』として処理している。
「あ。綾音、道着の裾ほつれたから縫って」
「あー、その辺出しといたら縫うよ。あ、置く前にちゃんと洗えよクセェから」
「はいはい」
どうせくさいですよ剣道は。内心でぼやきながら、食器を手際よく片付けていく。綾音はザーサイをぽりぽりと齧りながら、ふと瑛斗の部屋へ視線をやった。
「なに、パソコンで映画でも観んの?」
「ん? ゲームやんの」
「ゲーム? えーちゃんが?」
「うん。冬梧も……秋也もやってるってやつ、やってみようかなって」
スポンジを動かす手を止めず、チラチラと母の顔色を窺う。綾音は残りのビールを飲み干すと、ニヤァと口角を上げた。
「え、秋也がやってるから、やんの? えーちゃん、健気ぽよ〜」
「やめろ」
「誰に似たんだか……五年も、一途に」
「綾音じゃねえのは確か! 父ちゃん候補の誰かだろ!」
からかう声に一気に耳が熱くなる。乱暴に皿を洗い終えると、「じゃーな!」と逃げるように自室へ飛び込み、ドアを閉めた。壁の向こうから綾音の爆笑が聞こえる。
熱い耳を擦りながらモニターの前に座る。ソフトのダウンロードはとうに終わっていた。
マウスを握る手に、少しだけ汗をかく。剣道場に初めて足を踏み入れた時と、どこか似たソワソワ感だった。
小学四年生。綾音に連れられて見学に行った道場に、別クラスの秋也と冬梧がいた。入会を迷っていたら、二人が「一緒にやろうよ」と誘ってくれた。それが嬉しくて入会を決めたことは、いまだに二人には内緒だ。
今回は誘われた訳ではない。でもまた、あの二人をきっかけに新しい世界に入ろうとしている。それがなんだかおかしくて、瑛斗はログイン画面を見つめながら小さく口元を緩めた。
画面の指示通りに進めると、『サーバーを決めてください』と文字が出た。冬梧に言われた通り『Vesper』を選択する。すると、画面が切り替わり『キャラクターの外見を決めてください』という文字と共に、リアルなCGの男性キャラクターが下着姿で表示された。
「好みだな」
適度に筋肉のついた、なかなか良い体をしている。
「…………って、だめだろ」
一人ツッコミを入れ、性別を『女性』に切り替える。画面が暗転し、今度はメリハリのある洋風の美女が現れた。
これじゃ、あいつの好みじゃないな。
無意識のうちに、頭の中にある『大瀧秋也の理想像』を引っ張り出す。画面に顔を近づけ、輪郭、髪型、パーツの微調整スライダーを細かく動かしていく。
「もっとふっくらとした唇で……」
「胸は小ぶりで……」
「もっと目、垂れてる方がいい?」
カチカチカチカチカチカチ。
部屋に響くのは、ひたすら執拗なクリック音だけ。気づけば二時間が経過していた。
瑛斗は深く、力強く頷く。
自身の審美眼をクリアしつつ、秋也のストライクゾーンを正確に撃ち抜くであろう完璧な美少女が完成した。
『このキャラで決定しますか?』
オッケー。次。
『名前を決めてください』
名前?……え、めんどい。
二時間分の気力が尽きた瑛斗は、適当にキーボードの端を一回叩いた。
『「Z」でよろしいですか?』
はい、もうなんでもいいから早くしろよ。
YESボタンを無表情で連打する。
直後、映画のような美麗なムービーが始まり、機械と人間の壮絶な戦争が描かれ——たかと思うと、一瞬で画面が暗転した。どうやら連打しすぎたせいで、オープニングを全てスキップしてしまったらしい。
やがて暗転が明けると、少し荒めのCGで描かれた街並みを、先ほどの美少女が悠々と歩いていた。フワッとカメラが背中に回り込み、画面中央に文字が浮かび上がる。
『「Z」ようこそALTER-LINKへ。この荒れ果てた世界を救うのは君だ』
「いや、長え」
春山瑛斗は竹刀袋を白濱冬梧に投げつけた。ピシャ、と小気味いい音を立てて、スマホを片手にゲーム設定を朗読していた冬梧の顔面にクリーンヒットする。
「三行で」
「機械の残党を倒して金とポイント稼ぐゲーム」
「一行じゃん」
「いやでも瑛斗、マジで『オルリン』ハマるんだって!なぁ?冬梧」
「うん」
垂れの帯をグイッと引っ張りながら口を挟んできたのは、大瀧秋也だ。二人とは同じ小学校出身の幼馴染。中学から学校はばらけたくせに、こうして高二になっても三人そろって同じ道場にいる。
ゲームの話に夢中な二人を見て、やれやれ、と瑛斗は首を振った。ゲームに興味のない自分には、パソコンの前で何時間も同じようなことをして何が楽しいんだかわからない。
「なに、二人して同じゲームハマってんなら二人で協力プレイとかすんの?」
「いや俺、冬梧のアカウント名すら知らない」
「俺は聞いてもねえのに聞かされたから知ってるけど。秋也は指示厨っぽいから一緒にやりたくはねぇ」
「指示チューじゃねぇし!」
ギャイギャイと喧嘩を始める。こういうところは小学校の頃から変わらない。マイペースな冬梧が真面目で几帳面な秋也を怒らせるのは毎度のことだ。
「タノシソーデイイネー」
瑛斗は垂れネームの中に手拭いを入れ、ポキポキと首を鳴らした。「陽キャのお前はMMOなんかやんなくても女の子との出会いとかあるもんな」と秋也がジト目で睨んでくる。
陽キャねぇ。と瑛斗は肩をすくめ、ブリーチした肩までの金髪をヘアバンドで後ろに流す。
公立の共学。金髪。口も悪い。
どうやらそれだけ揃えば、女に困ったことのない陽キャが完成するらしい。
人の気も知らないで、と小さいため息を落とす。
「あれ? お前、道着ほつれてる」
秋也がそう言って瑛斗の手首を掴み、道着から出てる糸を指差した。薄い皮膚越しに、タコのある、ざらざらとした分厚い手のひらの感触が伝わる。
やめてよ。と思う。でも振り解きはしない。「これ直してもらわねぇと親父にドヤされるぞ」と眉を寄せて裾を見る秋也の顔を、ここぞとばかりにじっと観察する。
少しだけ見上げる位置にある、短く刈り上げた髪のよく似合う凛々しい顔。
自分を掴む腕の骨太さも、道着の襟元から覗く首筋も、言葉を発するたびに上下する喉仏も。
どこを切り取っても、嫌になるくらい『男』だ。
自分が周りと違い、同性に惹かれることに気づいたのも、こういう瞬間の秋也のせいだ。
別にどうこうなりたい訳ではない。秋也は根っからの女の子好きで、背が小さくてふんわりした可愛い子がタイプなのだ。
どうこうなれるとは、最初から思っていない。わかってはいるけど——
「そういえばさ」
パッと手首が解放される。秋也は瑛斗から離れると、自分の胴紐を結び始めた。
「俺のクランの人、ゲーム内結婚したんだよな」
ポツリとこぼれた言葉に、瑛斗の耳がピクリと反応する。
「えっ、結婚なんかあんの!?」
「あるよ。私生活でもう結婚してるのに、ゲーム内で違う人と結婚するってさー、浮気になんのかね」
秋也は別に疑問に思ってもいないような声で言い捨てた。支度を終えると、背筋を伸ばしてひと足先に道場へと去っていく。
結婚できんのか。ゲーム内で。
リアルとは違う姿で。
——もしかして、ゲームの中なら。
「……俺もやろうかな」
瑛斗は秋也の後ろ姿を見つめながら、そんなことを思わず呟く。
「マジで?……瑛斗には難しいと思うけど」
「冬梧……お前教えろよ俺に」
「えぇ。めんどくせぇ」
「……お前は本当にそういうやつだよ」
秋也よりもさらに高い位置にある肩にパンチする。冬梧はヘラヘラっと笑うと、「ほれ、いくぞ」と気だるげに背中を丸めて道場へと歩き出した。
*
面ガネの隙間から冬梧を睨みつける。よく「剣道やる人は瞳孔が開いてる」なんて冗談を言われるが、単に目をかっぴらかないと見えないからだ。
対する冬梧は、面をつけても顔がギュッとならないし、見下ろしてくるから目もあまり見開いていない。いつも通りの涼しげな目元が腹立たしい。
こちとらは必死だ。百八十センチを超える長身からの上段の構えは、何度対峙しても圧がある。
ジリジリと間合いを測り、隙を見て素早く小手に飛んだ。——いける、と思った次の瞬間。バンッ、と竹刀を弾かれ、脳天に重い一撃が叩き込まれた。
「面あり! 勝負あり!」
蹲踞して竹刀を納め、下がってお辞儀をしながら舌打ちをする。面越しに冬梧がニヤニヤ笑っているのが見えて、無性にむかつく。
クセ剣なんて呼ばれるが、瑛斗だって決して弱くはない。ただ、大瀧道場の若手二枚看板といえば、昔から秋也と冬梧なのだ。
道場師範の息子で強豪校に通い、インハイ出場を狙う秋也。対して、進学校の剣道部に所属するものの、特に上を目指す気もない冬梧。
道場内では秋也が勝ち、外の試合では冬梧が勝つ。そんな冬梧を、秋也がバチバチにライバル視していることを瑛斗だけはよく知っていた。
剣道は無酸素運動に近い。稽古はこんなにキツいくせに、続けた先にプロがあるわけでもない。それでも続けている理由は「三人で集まれる」ことと、「稽古中は余計なことを忘れられる」から。
そしてもう一つ。単純に、剣道着姿の男はかっこいい。
稽古が終わり、面を外す。この瞬間が最高だ。
むせ返るような熱気の中、視線の先で秋也が面を外した。汗だくになった前髪を無造作に掻き上げる横顔に、少しだけ目を奪われる。
瑛斗はいかん、と首を振り、ビショビショになった顔を手拭いで拭いた。「あざざしたー」と適当に師範に挨拶をして、竹刀でケツをしばかれる。
「今日どーする?」
冬梧が聞いてくる。稽古終わりにファミレスに行って夕飯前の夕飯を食べるのがお決まりだった。
「俺はいいや」
秋也はそう言って、そそくさと更衣室へ戻っていく。『オルリン』にハマってからというもの、どうにも付き合いが悪い。
「……冬梧、『オルリン』ってダウンロードどんくらいかかんの?」
「うーん、一時間くらいじゃね」
「んじゃあ俺も帰るかなぁ」
「……マジでやんのかよ。あ、やんならVesper鯖にしろよ。秋也そこらしいから」
「え?べすぱぁ?……おい冬梧ぉ、俺絶対わかんねぇよぉ。一緒にやろうよぉ」
「やだ」
「クソがよ!」
蹴りを繰り出すが、サッと避けられる。ヘラヘラと笑う冬梧と共に更衣室へ戻り、今日はさっさと解散した。
*
アパートに帰宅するなり、瑛斗は自室に駆け込んでデスクトップパソコンの電源を入れた。高一の時、母親に借金して買ったお気に入りのPC。週二のコンビニバイトを一年続けて、最近ようやく全額返済した代物だ。
WEBの解説記事を睨みながら『オルリン』を購入する。パッケージ代四千円に、月額千二百円。週二バイトの身にはなかなか痛い出費だが、『もしかしたら』を考えると惜しむ気にはなれなかった。
ダウンロードの残り時間は一時間。その隙にキッチンで夕食の炒飯を作り、風呂を済ませる。
「えーちゃーん、ただいまー」
スマホをいじりながら夕飯を食べていると、母の綾音が帰ってきた。不動産会社でバリバリ働く母は、いつも帰りが遅い。
「綾音おかえり。炒飯あるよ。あとザーサイ」
「サンキュー!」
綾音は鞄を床に放り投げ、手を洗って食卓にどかりと腰を下ろした。瑛斗は立ち上がり、母の前に夕飯を並べる。
「ビール飲む?」
「あたぼうよ」
冷蔵庫からキンキンに冷えた缶を取り出し、放り投げる。綾音は片手でキャッチすると、プシュッと音を立てて一気にビールを呷った。
元ヤンである綾音に逆らうことを、瑛斗は七歳でやめた。怒るととにかく怖いからだ。だが、母は滅多なことでは怒らない。「何事も経験よ」と笑って大目に見てくれる人でもある。
だから瑛斗は自身のセクシャリティについて、母にだけは本当のことを打ち明けた。「マジかよ」と目を丸くした数秒後には「え、お前がタチなの?ネコなの?」と食い気味に聞いてきたため、瑛斗の中では『無事受け入れられた』として処理している。
「あ。綾音、道着の裾ほつれたから縫って」
「あー、その辺出しといたら縫うよ。あ、置く前にちゃんと洗えよクセェから」
「はいはい」
どうせくさいですよ剣道は。内心でぼやきながら、食器を手際よく片付けていく。綾音はザーサイをぽりぽりと齧りながら、ふと瑛斗の部屋へ視線をやった。
「なに、パソコンで映画でも観んの?」
「ん? ゲームやんの」
「ゲーム? えーちゃんが?」
「うん。冬梧も……秋也もやってるってやつ、やってみようかなって」
スポンジを動かす手を止めず、チラチラと母の顔色を窺う。綾音は残りのビールを飲み干すと、ニヤァと口角を上げた。
「え、秋也がやってるから、やんの? えーちゃん、健気ぽよ〜」
「やめろ」
「誰に似たんだか……五年も、一途に」
「綾音じゃねえのは確か! 父ちゃん候補の誰かだろ!」
からかう声に一気に耳が熱くなる。乱暴に皿を洗い終えると、「じゃーな!」と逃げるように自室へ飛び込み、ドアを閉めた。壁の向こうから綾音の爆笑が聞こえる。
熱い耳を擦りながらモニターの前に座る。ソフトのダウンロードはとうに終わっていた。
マウスを握る手に、少しだけ汗をかく。剣道場に初めて足を踏み入れた時と、どこか似たソワソワ感だった。
小学四年生。綾音に連れられて見学に行った道場に、別クラスの秋也と冬梧がいた。入会を迷っていたら、二人が「一緒にやろうよ」と誘ってくれた。それが嬉しくて入会を決めたことは、いまだに二人には内緒だ。
今回は誘われた訳ではない。でもまた、あの二人をきっかけに新しい世界に入ろうとしている。それがなんだかおかしくて、瑛斗はログイン画面を見つめながら小さく口元を緩めた。
画面の指示通りに進めると、『サーバーを決めてください』と文字が出た。冬梧に言われた通り『Vesper』を選択する。すると、画面が切り替わり『キャラクターの外見を決めてください』という文字と共に、リアルなCGの男性キャラクターが下着姿で表示された。
「好みだな」
適度に筋肉のついた、なかなか良い体をしている。
「…………って、だめだろ」
一人ツッコミを入れ、性別を『女性』に切り替える。画面が暗転し、今度はメリハリのある洋風の美女が現れた。
これじゃ、あいつの好みじゃないな。
無意識のうちに、頭の中にある『大瀧秋也の理想像』を引っ張り出す。画面に顔を近づけ、輪郭、髪型、パーツの微調整スライダーを細かく動かしていく。
「もっとふっくらとした唇で……」
「胸は小ぶりで……」
「もっと目、垂れてる方がいい?」
カチカチカチカチカチカチ。
部屋に響くのは、ひたすら執拗なクリック音だけ。気づけば二時間が経過していた。
瑛斗は深く、力強く頷く。
自身の審美眼をクリアしつつ、秋也のストライクゾーンを正確に撃ち抜くであろう完璧な美少女が完成した。
『このキャラで決定しますか?』
オッケー。次。
『名前を決めてください』
名前?……え、めんどい。
二時間分の気力が尽きた瑛斗は、適当にキーボードの端を一回叩いた。
『「Z」でよろしいですか?』
はい、もうなんでもいいから早くしろよ。
YESボタンを無表情で連打する。
直後、映画のような美麗なムービーが始まり、機械と人間の壮絶な戦争が描かれ——たかと思うと、一瞬で画面が暗転した。どうやら連打しすぎたせいで、オープニングを全てスキップしてしまったらしい。
やがて暗転が明けると、少し荒めのCGで描かれた街並みを、先ほどの美少女が悠々と歩いていた。フワッとカメラが背中に回り込み、画面中央に文字が浮かび上がる。
『「Z」ようこそALTER-LINKへ。この荒れ果てた世界を救うのは君だ』

