好きな人の好きな人?

 無事にテストが終わり、グッと伸びをする。
 颯が振り返って、頬を上げた。

「お疲れ様」
「うん、颯もお疲れ様」

 颯が普段通りに接してくるから、俺も今までと変わらない。

「放課後に図書館へ行かない?」

 テストが終わり、やっと好きなだけ本が読める。

「ごめんね。誘ってくれて嬉しいけど、予定があるんだ」

 颯は心底ガッカリしたように肩を落とす。

「じゃあ今日は別々に帰る?」
「うん、そうなるね」

 今日は一人でのんびり本を探そう。




 放課後になり、まずは本屋に向かった。
 志貴が選んだ本を買う。颯も好きそうな本だし、読んでいなかったら貸そう。
 その後は図書館に向かった。本に囲まれているだけで、癒されるし気分が上がる。
 背表紙を見ながらゆっくり足を進め、ニ冊の本を選んだ。
 空いている席を探すけれど、他の学校はまだテスト期間のところもあるようで、勉強をしている人が多い。
 今日は家で読もう。
 借りた本をスクールバッグにしまい、家へと急いだ。




 玄関を開けると、志貴のスニーカーの隣に、それより少し大きなローファが揃えられていた。
 志貴の友達が来ているのか。
 足音を立てないように、階段を登る。
 志貴の部屋の前を通ると話し声が漏れてきて、思わず立ち止まった。

『いつまで由貴のことを、騙してるつもり?』
『人聞きの悪いことを、言わないでくれるかな? 騙してなんかいないから』

 志貴と颯だ。騙してるってなに?
 立ち聞きはダメだと頭の中で警鐘が鳴るけれど、足が床に引っ付いたみたいに動けなくなった。

『あとさ、俺の前でもその話し方なの? 似合ってないよ』
『そう? 結構評判いいけど』
『胡散臭いよ』

 颯は声を上げて笑う。

『胡散臭いはひでーな。好青年に見えねーの?』

 颯の声なのに、言葉はずいぶん砕けていて耳を疑う。

『それは自分で言うことじゃないし』

 志貴が不満げに答えた。

『なぁ、もういいだろ?』

 熱のこもった颯の声が、やけに大きく耳に届く。

『俺がいいって言うと思うの?』
『絶対に言わせる。だから大人しくしてろよ』

 颯が志貴に迫る映像が浮かんだ。急に足が軽くなる。音に気を付けながら自室に逃げ込んだ。それ以上聞いていられなくて。
 ずしりと重いスクールバッグを置いた。あんなに楽しみだったのに、本を読む気になれない。
 クローゼットを開ける。
 颯が部屋に来てからしまったままの、青い帽子を手に取った。
 さっきの会話はなんだったんだろう。
 颯は俺を騙してるの?
 少なくとも、俺は颯のあんな話し方を知らない。
 騙されていたとしても、今更颯を嫌いになんてなれない。
 でも確信したこともある。颯は志貴が好きだし、二人の仲に俺が入り込む余地なんてないってこと。
 帽子を深く被って俯く。目の奥が熱くなり、視界がぼやけた。
 告白して振られよう。今のままじゃ、颯と志貴を祝福できる気がしない。
 振られて気持ちに区切りをつけるんだ。
 二人のことが好きだからこそ、心から祝いたい。友達として。弟として。




 食事と風呂を済ませて、志貴の部屋に向かった。
 志貴はベッドでうつ伏せになって、ソシャゲをしている。

「なに? どうした? 協力プレイする?」

 ソシャゲに誘われたけれど、首を振ってベッドの傍に座った。顎をベッドに乗せて、じっと志貴を見つめる。
 志貴はスマホを置いて、俺と視線を合わせた。

「由貴? 落ち込んでんの?」

 不安げに眉を下げ、志貴まで表情を曇らせる。
 やっぱり志貴にこんな顔をさせたくない。

「あのさ、志貴は好きな人いる?」

 目を白黒させて、志貴は「まぁ、いるけど」と視線を泳がせる。

「どんな人?」
「えー、……優しくてかっこよくて、一緒にいると楽しいし、俺のことを理解してくれる人。由貴からこんな話、したことないじゃん。照れるね」

 頬を赤くしてはにかむ志貴を見て、心から想っているのだとわかる。
 特徴から、やっぱり颯だろう。

「由貴は?」

 志貴が恐る恐る聞く。
 俺が颯を好きだと思っているから、気になるのかな?

「大丈夫。好きな人はいないよ」

 立ち上がって部屋を出た。
 好きな人はいないってことを、真実にしなきゃ。




 そうはいっても、なかなか切り出すことができなかった。
 颯と二人きりになるのは、帰り道くらい。別れる場所で拳をギュッと握って気合を入れるけれど、告白の言葉は喉の奥に溜まったまま出てこない。
 毎日家に帰ってからベッドに突っ伏して、自分の不甲斐なさに打ちひしがれる。
 好き。
 たったの二文字を伝えることが、こんなにも難しいことだったなんて。
 一人でいるとウジウジ、ジメジメしてしまう。
 スマホが震え、画面に目を向ける。颯からのメッセージだった。

『日曜日に図書館へ行かない?』

 OKのスタンプを送り、画面を消した。
 これが最後と言い聞かせる。
 日曜日に伝えよう。




 日曜日の午後に待ち合わせをして、図書館へ向かった。
 今日も颯と面白かった本をお勧めしあう。

「この本読んだ?」
「ううん、読んだことない」

 本を引き抜いて、颯に渡す。

「じゃあ、由貴くんは同じ作者のこの本は読んだことある?」
「ない」
「これも面白かったよ」

 颯も本を取ると、俺の手に乗せた。

「今日、混んでるね」

 イスは並びで空いていない。

「借りて読もうか。うちにおいでよ」

 颯に誘われ、「行く」と頷く。
 周りに人がいないから、家での方が伝えやすいと思って。




 颯の部屋に通される。

「飲み物を持ってくるから、座ってて」

 颯が扉を閉めて、足音が遠ざかる。
 ベッドの前に座った。
 部屋を見渡して、やっぱり目が行くのは机上ラックに飾られた帽子。
 扉が開く音で我に返って、そちらに目を向ける。
 颯は学習デスクにお茶を置いた。

「本を読もうか」

 俺の隣に腰を下ろして、颯はバッグから本を取り出した。

「あの、……その前に、話をしてもいい?」
「もちろん。どうしたの?」

 颯はこちらに体を向けて、ベッドに腕を乗せた。腕が背中に回されたみたいで、カッと火照る。
 意気込んだのに出鼻をくじかれ、口を開いては閉じるを繰り返した。
 颯は俺の様子を観察するかのように凝視して、笑みを深める。

「もしかして、答え合わせかな?」
「答え合わせ?」

 思いがけない言葉におうむ返しすると、颯は瞬きを繰り返す。

「ほら、僕が指を握った理由。真相を当ててって言ったでしょ? でもその様子じゃ、違うみたいだね」

 告白のことばかりに気を取られて、そちらは全く考えていなかった。
 颯は俺が話すのを、根気良く待ってくれる。
 動悸が速まり、わずかに呼吸が乱れる。
 颯は優しく目を細めて、口の端を広げた。

「好き」

 その顔を見ていたら、思いがけず言葉が飛び出してきた。
 颯の口角がピクリと動き、反射的に視線を下げる。足の上で組んだ指を、強く握った。
 颯からの言葉がなくて、居た堪れなくなる。
 俯いたまま、おどおどと視線を彷徨わせた。

「……俺に気を遣わなくていいよ。振られることがわかっていて、言ったんだから」
「ん?」

 焦って早口になってしまう。
 颯から困惑の声が上がった。

「由貴くんはなにを言っているの? 振られるのがわかってるって、どういうこと?」

 首をすくめたまま目を上げれば、颯は眉根を寄せて顔に影を落とした。
 颯の困惑顔を見て、俺も目を瞬かせて首を捻る。

「だって颯は、志貴が好きなんでしょ?」

 自分の口から出た言葉でダメージを負う。俺から言わせないでよ。
 颯は額に手を当てて目を忙しなく動かし、懸命に頭を働かせているように見えた。

「こっちに戻ってきてからのことを必死に思い返したんだけど、どうして由貴くんは、僕が志貴を好きだと勘違いしたの? 全然わからない」

 勘違い?
 呆然としていると、颯が目の前で「由貴くん?」と手を振る。心配そうに覗き込んでくる瞳を見つめ返した。

「だって、公園の前で再会した時に、颯が志貴のことを好きだって言ったよ」
「絶対に言ってないよ」

 はっきりと否定され、自分の記憶に自信が持てなくなった。
 宙を睨み、颯との会話を頭の引き出しから引っ張り出す。

『好きな子なら、何年経っても間違えないよ』

 そう言われて、自分のことだと思って舞い上がった。
 でもすぐに、志貴のことが好きだって言っていたはずだ。
 さらに先を思い出す。

『志貴には内緒にしてね』

 あれ? 志貴が好きだなんて言ってない。
 俺がそう解釈しただけだ。
 じゃあ、颯の好きな子って?
 じわじわと頬に熱が集まる。口に手を添えて、颯を見つめた。
 颯は眉を下げて、困ったように笑う。

「由貴くんは、探偵には向いてないね」

 うそ……。それなら、颯は俺のことを?

「最初のミスリードから、思考が止まっていたんだね。僕はミスリードしたつもりは、なかったんだけど」
「え? いや、でも……」

 頭が真っ白になって、なにを言えばいいのかもわからず口籠る。

「わかりやすく、アプローチをしていたはずなのにな。由貴くんも僕のことを意識してくれているのかなって思うことはあったけれど、距離を縮めれば引いていかれて戸惑ったね。由貴くんは鈍感なのか、意識されているのが僕の勘違いなのかわからなくて」

 ただただ狼狽えるばかり。「え? え?」と繰り返して、どこに目を向ければいいかわからず、キョロキョロと瞳を動かした。
 颯の指が俺の指の間にするりと挟まる。指先に力を込められて、手のひらがぴったりとくっついた。

「じゃあ答え合わせをしようか? 僕がこうした理由は?」

 颯は口の端を微かに持ち上げ、瞳の奥に光を灯す。
 手のひらにジワリと汗が滲んだ。手を引くけれど離してくれなくて、より強く握られた。

「ねぇ、答えてよ」

 催促されて、喉をゴクリと鳴らして口を開く。

「……練習?」

 カラカラの喉から、掠れた声が出た。
 颯は笑みを引っ込め、表情をなくす。

「どういうこと?」

 心なしか、声が冷えている。

「えっと、手を繋ぐ練習?」
「本当にそう思っているの?」

 穏やかな空気が霧散して、射抜くような強い眼差しを向けられる。慌てて首を振った。
 照れくさいのもあるけれど、本当に俺のことが好きなのか自信がなかった。
 颯は目尻を緩やかにして、俺の言葉を待っている。

「俺のことが、……好きだから?」

 意を決して告げれば、颯は太陽の光そのまんまな眩しい笑みで頷いた。

「そうだよ。ずっと由貴くんのことが好きだった」
「ずっと?」
「うん、子どもの頃からずっと」

 時間が止まってしまったかのように、固まってしまった。
 繋がった手に力を込められて、引き戻される。

「どういうこと? だって颯は志貴と仲が良かったから、俺とも遊んでいたんでしょ?」
「志貴と仲が良かったのは合ってるけど、由貴くんとも仲良くなりたくて一緒に遊んでたんだよ」

 颯の手が離れていく。
 急に手が冷たく感じた。
 颯は本棚からアルバムを引き抜いて、俺にぴったりくっついて座る。
 二人の足の上でアルバムを広げた。俺と颯と志貴が写っている、うちにもある子どもの頃の写真。

「絶対に志貴が真ん中で写ってるでしょ?」
「うん、志貴は撮られるのが好きだから」
「そうだろうね。でも僕たち三人の写真では違うんだ。志貴は僕と由貴くんを、二人にしたくなかったんだ」

 やっぱり志貴が颯を好きだから? 下唇を噛んで黙り込む。

「ねぇ、また見当違いな推理をしてない?」
「いや、そんなことないと思うけど」
「どう考えたのか教えて?」
「志貴が颯を好きだから?」

 颯は体を後ろに倒して、頭をベッドに預ける。天井に向かって「ありえない」と愚痴をこぼした。
 颯は大きく息を吐き出して、体を起こす。

「志貴は僕が由貴くんを好きなことを知って、僕が由貴くんに近付くのを邪魔していたんだよ。大事な弟は僕には渡さないって」
「そういえば俺、颯と志貴が再会した日の夜に、由貴にはもっといい人がいるって言われた」

 あれは颯が好きで牽制したのではなく、言葉通りの意味だったのか。

「あっ、じゃあ志貴に内緒にしてって言ったのも……」
「うん、また邪魔されると思ったから。実際に志貴にバレてから、邪魔されたしね。由貴くんと仲良しだって、マウントまでとってきた。だからちょっと強引に距離を詰めようとしたところもある」

 仲が良くて羨ましいと思っていたやりとりは、バチバチと火花を散らしまくっていたらしい。

「颯は志貴が嫌い?」

 二人の仲に嫉妬していたのに、仲が悪いかもしれないと知れば、心の奥が澱んでいく。

「仲は良いよ。友達としては気が合う。でも由貴くんに関してだけは譲れないって感じだね。志貴も同じように思っているんじゃないかな?」

 志貴は颯に再会した時は、すごく友好的だった。ホッと胸を撫で下ろす。
 アルバムを閉じて傍に置くと、真摯な瞳に見つめられる。

「由貴くんが好きだよ。僕と付き合ってください」

 言葉が出てこなくて、両手で口を覆い、何度も頷いた。
 両思いだってわかった余韻に浸り、微笑みあうけれど、志貴の顔が浮かぶ。
 口に力が入り、颯が「どうしたの?」と声をかけてくれる。

「あのさ、付き合うのも志貴には内緒なの?」
「由貴くんは言いたいの?」

 力強く頷く。
 俺は志貴に好きな人はいないって嘘をついた。
 志貴は俺にとって唯一無二の存在だから、謝って自分の気持ちをちゃんと伝えたい。

「由貴くんが言いたいなら言ってもいいよ。ヤダ! ってすごくうるさそうだけど」

 床にひっくり返って手足をばたつかせる志貴が頭に浮かんだ。いや、高校生でこれはないか。

「なにを考えてるの?」

 俺の意識が別のところにいっていて、颯は引き戻そうと指を絡める。繋がった手に視線を落とした。自分からも握り返す。
 心は飛び跳ねて、体までふわふわと浮いてしまいそう。
 颯に目を向けた。屈託のない笑みは、俺の胸に日が射したみたいにポカポカと熱を灯す。

「一緒に本を読もうか」
「このまま?」

 片手はキツく握られている。

「うん、このまま」

 読みにくいけれど、俺は右手が使えるからまだいい方。颯は左手でページをめくって、押さえるのも大変そうだ。

「僕から提案したのに、カッコ悪いね」
「そんなことないよ」

 それでも離さないでいてくれて、体の中が幸せで満たされて外に溢れ出てしまう。
 普段は本に没頭してしまうけれど、握られた手から常に颯を感じられた。