球技大会を目前に控え、放課後のサッカー練習は、日に日に加熱していく。
部活に入っていない俺にとって、みんなで集まり声を掛け合いながら汗を流すのは、新鮮で充足感があった。
体を動かしている間は、他のことを考える暇もなくて、頭も心もスッキリできる。
グラウンドの隅でパスを繋いだ。
「由貴、上手くなってるよ」
「本当? よかった」
俺からパスを受けたクラスメイトが、親指を立てて笑った。すぐにボールを戻されて、インサイドで止める。
ゴールに見立てた二本のペットボトルの間に、シュートを放った。
「ナイスゴール!」
みんなが声を上げた。俺は並んでいるみんなにハイタッチをしていく。一番後ろにいた颯にもパチンと音を鳴らそうと思ったのに、合わさった瞬間にグッと掴まれてしまった。
「今のシュート、すごく綺麗だったね」
「え? あっ、ありがとう」
動揺しすぎて声がひっくり返る。
颯に手を離され、俺はその後ろに並んだ。
俺の手、颯に触れすぎて、ずっと熱い。
練習が終わり、教室で着替えを済ませて学校を出た。
空は真っ赤で、隣を歩く颯の長くなった影が、俺の影にピッタリと寄り添っているように見える。
「由貴くんは飲み込みが早いね」
「颯だって、すごく上手くなってるじゃん」
「みんなの足を引っ張らないくらいにはなれたかな?」
「エースになれるよ」
分かれ道で手を上げかけたけれど、グッと拳を握って背中に隠した。
「また明日」
「うん、またね」
また触れてしまったら、気持ちが溢れてきてしまいそうで、手を振ることはできなかった。
でも握られるって思うのは、自意識過剰なのかな?
やっぱり手を振ったほうがよかったのかな?
球技大会当日は、抜けるような青空が広がっていた。
四月にしては気温が高い。
グラウンドは熱気に包まれている。
円陣を組んで、「絶対に勝つぞ!」と一人が叫び、全員が「おー!」と声を揃えた。
気合い十分。みんなで練習を頑張ったんだ。勝てそうな気がする。
二年五組は順調に勝ち進んでいった。
「由貴くん、こっち」
サイドを駆け上がり、中央を走る颯にパスを出す。
トラップした颯は、すぐに逆サイドの味方へパスを出した。
味方は相手DFを引き付けて、颯に戻す。
颯が打ったシュートは、ゴールネットに突き刺さった。試合終了の笛が鳴る。
みんなが颯に飛びついた。俺は出遅れてしまって、もみくちゃにされる颯を外から見ていた。
颯は整列の合図で解放されて、並んで礼をする。
グラウンドの端に座って、流れる汗をタオルで拭った。
「由貴くんは次の試合までどうする?」
隣に座る颯が、顔を覗き込んできた。
驚きすぎて、背筋が伸びる。
「えっと、体育館の応援に行かない?」
「そうだね。バレーボールも勝ってるな?」
みんなも気になったようで、全員で体育館に向かうことになった。
体育館に入ると、志貴が軽やかに飛び上がって腕を振り下ろす。ボールが床に叩きつけられる音が響き渡った。
試合終了の笛が鳴り、二年一組が勝ち上がった。
ステージの上に置かれたホワイトボードに、トーナメント表が描かれている。二年五組も勝ち進んでいるようだ。
「由貴、俺の活躍を見てた?」
志貴が飛びかかってきて、受け止めきれずによろけてしまう。
「大丈夫?」
後ろにいた颯が抱き止めてくれて、転倒は免れた。背中に颯の体温を感じる。
顔に熱が集まるより早く、志貴に腕を引かれた。前のめりになり、志貴の肩に顔を打ちつける。鼻が少し痛い。
「ねぇねぇ、見てた?」
「今来たばっかりだから、最後だけ。すごかったよ」
志貴はえっへんと得意げに胸を張る。
「志貴、由貴くんが転けそうになって危なかったよ」
颯が注意すると、志貴は目をキョトンとさせて、颯に視線を送る。
「あっ、颯もいたの?」
「ずっといたよ。朝から由貴くんと一緒にサッカーやってるし」
「俺は朝も夜も由貴と一緒だけどね」
志貴と颯の空気がピリついたと感じたのは、気のせいだろうか? 二人とも笑顔なんだけど、口元が引き攣っているように見えた。
身震いする。背筋を冷たい風に撫でられたみたいだ。
志貴は颯から俺に目を戻し、俺の体操服の裾をクイクイと引いた。
「由貴ごめんね」
「大丈夫だよ。颯が支えてくれたし」
志貴は苦虫を噛み潰したように、顔を歪める。俺が颯に抱き止められたのが、そんなに気に入らないのか。
沈みそうになったけれど、遠くから「志貴」と呼ばれ、志貴は顔を明るくさせてそちらに手を振る。
「呼ばれたから戻るね。時間あったら、また見てね。頑張るから」
「うん、頑張ってね」
「由貴に応援されたから、俺優勝できるかも」
「それは困るな。優勝はうちのクラスにしてほしいもん」
志貴は不満げに口を尖らせる。
「えー、俺が優勝するし。じゃあね、俺も見に行ける時にグラウンドへ行くから」
志貴と両手をパチンと合わせた。志貴はすぐにクラスメイトの方へ駆けていく。
二年五組の試合が始まる。みんなで声を張り上げて応援した。
点を取ると飛び上がって喜ぶ。
「みんな頑張って!」
両手を口元に添えて叫ぶ。
サーブがネットを越え、相手が勢いを殺してレシーブする。高いトスが上がり、飛んでくるスパイクに前の三人が両手を伸ばして飛んだ。ブロックして、ボールが相手コートに落ちる。
歓声が響き渡り、試合終了。
「あっ、時間やばいぞ」
クラスメイトが声を上げ、勝利の余韻に浸る間もなく、体育館を後にする。
グラウンドまで全員で全力疾走した。間に合ったけれど、息が上がる。
ピッチに入って自分のポジションへ向かう時、颯が「由貴くん」と後ろから声をかけてきた。
「どうしたの?」
颯はもっと内側なのに、なんで俺のところに来たんだろ?
「僕のことも応援してくれないかな?」
「え?」
口をぽかんと開ける。
「志貴やバレーボールのクラスメイトを応援してたでしょ? 僕にも言ってくれないかな?」
颯の意図が分からず、困惑する。
「颯、早くポジションにつけ」
そう遠くから叫ばれ、颯は「由貴くん、お願い」と顔の前で両手を合わせる。
「えっと、頑張って」
「うん、一緒に頑張ろうね」
颯は優しく目を細めて、自分のポジションに向かう。
一緒に頑張ろう、か。なんだか力がみなぎってきた。
準決勝の相手は三年生だ。一つしか違わないのに、すごく大人に感じる。
試合開始のホイッスルが鳴り、相手からボールが蹴られる。
ボールが大きく前に蹴りだされ、FWが走り込んでくるが味方がカット。
こちらの攻撃で前線に駈ける。俺にパスが出され、それを受け取るとセンタリングを上げた。走り込んできた颯がシュートを打つが、相手のGKに止められてしまう。
コーナーギリギリだったから入ると思ったのに。
止められて、すぐに自陣へ引き返す。
どちらもなかなか点が入らない。
こちらの方が攻めていたけれど、GKに全てセーブされた。上手すぎる。
何本目かのこちらのシュートを止められ、相手が一気に駆け上がった。
試合終了間際、走りすぎて息が上がりまくっている。
全員戻るのが遅れた。DFが喰らいつくが、相手の方が人数が多い。パスで繋いで、シュートを打たれる。
ゴールポストに当たりホッとしたのも束の間、ボールを奪いきれずにまたシュートを打たれて、ゴールネットに突き刺さった。
試合が終わる。肩から力が抜けて、腕が重く感じた。
ピッチを出て呆然としていると「あー、悔しい!」と颯が叫んだ。
颯が感情をむき出しにするなんて思わなくて、みんなが目を丸くする。
「うん、悔しいね」
俺も歯を食いしばって、同意する。
周りからも嘆く声が上がり、体育館へノロノロと歩き出した。
俺たちは負けたけど、クラスメイトの応援を精一杯しよう。
周りに目を向けると、颯がみんなに遅れてついてくるのが見えた。俺は足を止めて颯を待つ。
「強かったね。全部止められちゃってさ」
「そうだね。せっかく由貴くんに、応援してもらったのに」
俺も颯に頑張ろうと言われて、いつもより調子が良かった気がする。
「悔しいけど、楽しかったな」
「僕も」
颯が微かに笑う。ぬるま湯に浸かっているように、じわじわ温かくなって夢心地気分になった。やっぱり惹かれていると認めざるを得ない。
体育館に入ると、ちょうど二年五組の試合中だった。
精一杯声を張って応援するが、接戦の末に負けてしまった。
サッカーもバレーボールも準決勝敗退。
「教室に戻るか?」
クラスメイトの提案に、みんなが「そうだな」と同意する。
「俺は残るよ」
決勝戦はうちを負かしたクラスと、志貴のクラスだったから。
「僕も見学していようかな」
颯も体育館に残り、みんなは教室に向かった。
コートに入る志貴に向かって声を上げる。
「志貴、頑張ってね」
志貴は俺の声に気付いて、大きく手を振る。俺と颯が振り返すと、不満感を露わに口元を歪めた。
声をかけた時には機嫌が良かったのに、急にどうしたんだろう?
隣で颯が口元で拳を握り、笑いを噛み殺していた。
「どうしたの?」
「ん? 志貴はわかりやすいなって」
まただ。志貴のことを語る颯を見ると、心が萎んでいく。
ドンッとボールが床に叩きつけられる音で、思考の渦から戻ってくる。コートに目を向けると、志貴たちが点を取っていた。
喜ぶチームメイトとは裏腹に、志貴からは鬼気迫るものを感じた。
志貴は怒ってるの? ……いや、違うな。寂しそう。そう頭に浮かんで、それが一番志貴の感情に近い気がした。
志貴はどんなボールにもくらいついて拾い、一組はチャンスを活かして決める。そのままリードを広げ、相手のスパイクを味方がなんとか上げた。ボールを無理に拾おうとして、志貴はネットを張っているポールに肩を打ちつける。
ガシャンと激しい音が響き、志貴が膝をついて肩を押さえた。
ボールが小さく弾んで、転がる。
「志貴!」
志貴に駆け寄って、膝をつく。
「大丈夫? 保健室に行こう」
眉を寄せて耐える志貴を背負う。重くてふらつくが、颯が支えてくれた。
みんなが心配そうに見つめ、志貴は「ごめん」と沈んだ声で告げる。
保健室に行き、志貴を先生に見せる。
「手を上げられる?」
志貴は肩より上に手を上げた。
「痺れは?」
「ありません」
「骨は大丈夫そうだけど、ひどくなったら病院に行ってね」
志貴はベッドで横になり、肩を氷嚢で冷やす。
「連れてきてくれてありがと。もう大丈夫だから、戻っていいよ」
「俺たち負けてるから、待ってるよ。颯は教室に戻りなよ」
颯を見上げれば「僕も待ってるよ」と目を細める。
「どうしたの? いつもと様子が違ったけど」
志貴は大きく息を吐き出した。
「黒い悪魔が俺の大事なものを、奪おうとするんだ」
「へ? 悪魔?」
予想外の言葉に耳を疑う。ゲームの話だろうか?
「大変だね。でも必死に守るより、渡した方が楽になれるんじゃないかな」
颯は穏やかな声で告げた。志貴の言っている意味がわかっているみたいで、やっぱり二人には俺にわからない絆があるのだと思い知らされる。
志貴は「絶対に嫌だ!」とむくれた。
十五分が経ち、先生が氷嚢を回収する。
「志貴、どう?」
「ん? 多少は痛いけど、大丈夫そうだよ」
志貴が腕をぐるぐる回しているのを見て、安堵の息をつく。
三人で体育館に戻ると、すでに決着はついていた。
二年一組が優勝。志貴がクラスメイトの輪に入り、喜びを分かち合う。
志貴はもう大丈夫そうだな。
「教室に戻ろうか」
「そうだね」
颯と顔を見合わせて、体育館を後にした。
教室に戻ると打ち上げに誘われて、放課後にみんなでカラオケに向かった。
大勢で集まれるところなんて限られていて、受付で志貴にも会った。一組も、ここで打ち上げをするらしい。
大部屋に通されて、みんなが歌うのを手を叩きながら聴く。
大きな音が鳴っているから、左隣の颯が俺に顔を寄せた。
「由貴くんは歌わないの?」
「うーん、大勢の前で歌うの、ちょっと恥ずかしくて」
「じゃあ由貴は俺と歌わね?」
右隣に座るクラスメイトに、肩を組まれて誘われた。
「うん、ありがとう」
球技大会の練習中から、みんなと仲良くなれたみたいで胸の奥がじんわりと温かくなる。
「由貴はどの歌が好き?」
颯の目と眉が狭まった気がしたけれど、話しかけられてそちらに気を取られた。
電子端末を操作して、頭をくっつけながら二人で眺める。
「これは歌える?」
「おう、任せろ!」
頼もしい言葉が返ってきて、曲を入れた。
一緒に歌ってくれた子は盛り上げ上手で、緊張はだんだん和らぎ、楽しく歌えた。
マイクを次の子に渡す。
さっきの表情が気になり、颯に目を移した。儚げな目は遠くを映していそうだったけれど、視線が絡むといつも通り優しく目が細まる。
「僕とも一緒に歌ってくれる?」
颯も歌いたかったけど、恥ずかしいのかな? だからさっき俺に歌わないか聞いたのかな? 一緒に歌うつもりで。
「いいよ。なに歌う?」
俺と颯が好きなミステリー小説が原作の、ドラマ主題歌を入れる。
颯の声は穏やかで、ずっと聞いていたいくらい耳に心地いい。
こんなに上手いなら、自信を持って一人で歌ってもいいのに。
歌い終わって、ふぅーと息を吐き出す。
「颯、歌上手いね」
「ありがとう。由貴くんだって」
「俺は全然だよ。颯は恥ずかしがる必要ないじゃん」
「恥ずかしがる?」
颯は眉間に皺を刻み、首を傾けた。
「俺と一緒で、恥ずかしいから一緒に歌おうって言ったんじゃないの?」
「違う違う。僕は恥ずかしかったわけじゃないよ」
そりゃそうか。あれだけ上手いんだもん。
「じゃあ、どうして?」
「由貴くんと一緒に歌いたかっただけだよ」
颯の瞳は切なげに揺れ、俺は一瞬だけど呼吸が止まった。
「……そっか。俺も颯と歌えてよかったよ」
どうにか言葉を絞り出し、颯に向かって笑いかける。
よかった、二人っきりじゃなくて。
颯は友達として言っているだけなんだ。周りにみんながいなければ、舞い上がっていたに違いない。
「また後で一緒に歌おうよ」
「うん、いいよ。次はなにを歌おうか」
友達と楽しく歌っているように見えたかな? 俺の気持ちが、漏れ出てしまっていないといいのだけれど。
室内にはまだ賑やかな歌声が響いていた。
みんなが盛り上がっている中、隣の颯にチラリと視線を送る。
颯は画面を見ながら、小さく口ずさんでいた。
さっきの言葉が、頭から離れない。
心の奥がくすぐったくて、顔に出ないよう口に力を入れて引き結ぶ。
ふいに颯がこちらに目を向けた。
「どうしたの? さっきから僕のことを見てるよね?」
「見てないよ」
慌てて視線を逸らす。
「そう? 僕の勘違いかな」
颯の声は弾んでいた。
変に思われたかな?
熱い顔を隠すよう、頬に手を当てる。
退室時間になり、外に出て解散する。
颯と帰ろうとすると、俺たちの間に志貴が飛び込んできた。
「由貴、一緒に帰ろ」
「志貴たちも打ち上げ終わったの? 荷物は俺が持つよ」
志貴のスクールバッグを受け取る。
「もう平気だって。痛みもないし」
三人並んで歩き、ふと子どもの頃の写真が思い浮かんだ。
そういえば立ち位置も今と一緒だったな。真ん中に志貴がいて。
今は志貴と颯が自分のクラスの打ち上げの様子を話していて、二人とも俺にも話を振ってくれる。そこで会話に参加するけれど、昔もこうだったと思い出した。
小さな頃の志貴と颯が、今の姿と重なる。
急に志貴のスクールバッグが、重く感じた。
部活に入っていない俺にとって、みんなで集まり声を掛け合いながら汗を流すのは、新鮮で充足感があった。
体を動かしている間は、他のことを考える暇もなくて、頭も心もスッキリできる。
グラウンドの隅でパスを繋いだ。
「由貴、上手くなってるよ」
「本当? よかった」
俺からパスを受けたクラスメイトが、親指を立てて笑った。すぐにボールを戻されて、インサイドで止める。
ゴールに見立てた二本のペットボトルの間に、シュートを放った。
「ナイスゴール!」
みんなが声を上げた。俺は並んでいるみんなにハイタッチをしていく。一番後ろにいた颯にもパチンと音を鳴らそうと思ったのに、合わさった瞬間にグッと掴まれてしまった。
「今のシュート、すごく綺麗だったね」
「え? あっ、ありがとう」
動揺しすぎて声がひっくり返る。
颯に手を離され、俺はその後ろに並んだ。
俺の手、颯に触れすぎて、ずっと熱い。
練習が終わり、教室で着替えを済ませて学校を出た。
空は真っ赤で、隣を歩く颯の長くなった影が、俺の影にピッタリと寄り添っているように見える。
「由貴くんは飲み込みが早いね」
「颯だって、すごく上手くなってるじゃん」
「みんなの足を引っ張らないくらいにはなれたかな?」
「エースになれるよ」
分かれ道で手を上げかけたけれど、グッと拳を握って背中に隠した。
「また明日」
「うん、またね」
また触れてしまったら、気持ちが溢れてきてしまいそうで、手を振ることはできなかった。
でも握られるって思うのは、自意識過剰なのかな?
やっぱり手を振ったほうがよかったのかな?
球技大会当日は、抜けるような青空が広がっていた。
四月にしては気温が高い。
グラウンドは熱気に包まれている。
円陣を組んで、「絶対に勝つぞ!」と一人が叫び、全員が「おー!」と声を揃えた。
気合い十分。みんなで練習を頑張ったんだ。勝てそうな気がする。
二年五組は順調に勝ち進んでいった。
「由貴くん、こっち」
サイドを駆け上がり、中央を走る颯にパスを出す。
トラップした颯は、すぐに逆サイドの味方へパスを出した。
味方は相手DFを引き付けて、颯に戻す。
颯が打ったシュートは、ゴールネットに突き刺さった。試合終了の笛が鳴る。
みんなが颯に飛びついた。俺は出遅れてしまって、もみくちゃにされる颯を外から見ていた。
颯は整列の合図で解放されて、並んで礼をする。
グラウンドの端に座って、流れる汗をタオルで拭った。
「由貴くんは次の試合までどうする?」
隣に座る颯が、顔を覗き込んできた。
驚きすぎて、背筋が伸びる。
「えっと、体育館の応援に行かない?」
「そうだね。バレーボールも勝ってるな?」
みんなも気になったようで、全員で体育館に向かうことになった。
体育館に入ると、志貴が軽やかに飛び上がって腕を振り下ろす。ボールが床に叩きつけられる音が響き渡った。
試合終了の笛が鳴り、二年一組が勝ち上がった。
ステージの上に置かれたホワイトボードに、トーナメント表が描かれている。二年五組も勝ち進んでいるようだ。
「由貴、俺の活躍を見てた?」
志貴が飛びかかってきて、受け止めきれずによろけてしまう。
「大丈夫?」
後ろにいた颯が抱き止めてくれて、転倒は免れた。背中に颯の体温を感じる。
顔に熱が集まるより早く、志貴に腕を引かれた。前のめりになり、志貴の肩に顔を打ちつける。鼻が少し痛い。
「ねぇねぇ、見てた?」
「今来たばっかりだから、最後だけ。すごかったよ」
志貴はえっへんと得意げに胸を張る。
「志貴、由貴くんが転けそうになって危なかったよ」
颯が注意すると、志貴は目をキョトンとさせて、颯に視線を送る。
「あっ、颯もいたの?」
「ずっといたよ。朝から由貴くんと一緒にサッカーやってるし」
「俺は朝も夜も由貴と一緒だけどね」
志貴と颯の空気がピリついたと感じたのは、気のせいだろうか? 二人とも笑顔なんだけど、口元が引き攣っているように見えた。
身震いする。背筋を冷たい風に撫でられたみたいだ。
志貴は颯から俺に目を戻し、俺の体操服の裾をクイクイと引いた。
「由貴ごめんね」
「大丈夫だよ。颯が支えてくれたし」
志貴は苦虫を噛み潰したように、顔を歪める。俺が颯に抱き止められたのが、そんなに気に入らないのか。
沈みそうになったけれど、遠くから「志貴」と呼ばれ、志貴は顔を明るくさせてそちらに手を振る。
「呼ばれたから戻るね。時間あったら、また見てね。頑張るから」
「うん、頑張ってね」
「由貴に応援されたから、俺優勝できるかも」
「それは困るな。優勝はうちのクラスにしてほしいもん」
志貴は不満げに口を尖らせる。
「えー、俺が優勝するし。じゃあね、俺も見に行ける時にグラウンドへ行くから」
志貴と両手をパチンと合わせた。志貴はすぐにクラスメイトの方へ駆けていく。
二年五組の試合が始まる。みんなで声を張り上げて応援した。
点を取ると飛び上がって喜ぶ。
「みんな頑張って!」
両手を口元に添えて叫ぶ。
サーブがネットを越え、相手が勢いを殺してレシーブする。高いトスが上がり、飛んでくるスパイクに前の三人が両手を伸ばして飛んだ。ブロックして、ボールが相手コートに落ちる。
歓声が響き渡り、試合終了。
「あっ、時間やばいぞ」
クラスメイトが声を上げ、勝利の余韻に浸る間もなく、体育館を後にする。
グラウンドまで全員で全力疾走した。間に合ったけれど、息が上がる。
ピッチに入って自分のポジションへ向かう時、颯が「由貴くん」と後ろから声をかけてきた。
「どうしたの?」
颯はもっと内側なのに、なんで俺のところに来たんだろ?
「僕のことも応援してくれないかな?」
「え?」
口をぽかんと開ける。
「志貴やバレーボールのクラスメイトを応援してたでしょ? 僕にも言ってくれないかな?」
颯の意図が分からず、困惑する。
「颯、早くポジションにつけ」
そう遠くから叫ばれ、颯は「由貴くん、お願い」と顔の前で両手を合わせる。
「えっと、頑張って」
「うん、一緒に頑張ろうね」
颯は優しく目を細めて、自分のポジションに向かう。
一緒に頑張ろう、か。なんだか力がみなぎってきた。
準決勝の相手は三年生だ。一つしか違わないのに、すごく大人に感じる。
試合開始のホイッスルが鳴り、相手からボールが蹴られる。
ボールが大きく前に蹴りだされ、FWが走り込んでくるが味方がカット。
こちらの攻撃で前線に駈ける。俺にパスが出され、それを受け取るとセンタリングを上げた。走り込んできた颯がシュートを打つが、相手のGKに止められてしまう。
コーナーギリギリだったから入ると思ったのに。
止められて、すぐに自陣へ引き返す。
どちらもなかなか点が入らない。
こちらの方が攻めていたけれど、GKに全てセーブされた。上手すぎる。
何本目かのこちらのシュートを止められ、相手が一気に駆け上がった。
試合終了間際、走りすぎて息が上がりまくっている。
全員戻るのが遅れた。DFが喰らいつくが、相手の方が人数が多い。パスで繋いで、シュートを打たれる。
ゴールポストに当たりホッとしたのも束の間、ボールを奪いきれずにまたシュートを打たれて、ゴールネットに突き刺さった。
試合が終わる。肩から力が抜けて、腕が重く感じた。
ピッチを出て呆然としていると「あー、悔しい!」と颯が叫んだ。
颯が感情をむき出しにするなんて思わなくて、みんなが目を丸くする。
「うん、悔しいね」
俺も歯を食いしばって、同意する。
周りからも嘆く声が上がり、体育館へノロノロと歩き出した。
俺たちは負けたけど、クラスメイトの応援を精一杯しよう。
周りに目を向けると、颯がみんなに遅れてついてくるのが見えた。俺は足を止めて颯を待つ。
「強かったね。全部止められちゃってさ」
「そうだね。せっかく由貴くんに、応援してもらったのに」
俺も颯に頑張ろうと言われて、いつもより調子が良かった気がする。
「悔しいけど、楽しかったな」
「僕も」
颯が微かに笑う。ぬるま湯に浸かっているように、じわじわ温かくなって夢心地気分になった。やっぱり惹かれていると認めざるを得ない。
体育館に入ると、ちょうど二年五組の試合中だった。
精一杯声を張って応援するが、接戦の末に負けてしまった。
サッカーもバレーボールも準決勝敗退。
「教室に戻るか?」
クラスメイトの提案に、みんなが「そうだな」と同意する。
「俺は残るよ」
決勝戦はうちを負かしたクラスと、志貴のクラスだったから。
「僕も見学していようかな」
颯も体育館に残り、みんなは教室に向かった。
コートに入る志貴に向かって声を上げる。
「志貴、頑張ってね」
志貴は俺の声に気付いて、大きく手を振る。俺と颯が振り返すと、不満感を露わに口元を歪めた。
声をかけた時には機嫌が良かったのに、急にどうしたんだろう?
隣で颯が口元で拳を握り、笑いを噛み殺していた。
「どうしたの?」
「ん? 志貴はわかりやすいなって」
まただ。志貴のことを語る颯を見ると、心が萎んでいく。
ドンッとボールが床に叩きつけられる音で、思考の渦から戻ってくる。コートに目を向けると、志貴たちが点を取っていた。
喜ぶチームメイトとは裏腹に、志貴からは鬼気迫るものを感じた。
志貴は怒ってるの? ……いや、違うな。寂しそう。そう頭に浮かんで、それが一番志貴の感情に近い気がした。
志貴はどんなボールにもくらいついて拾い、一組はチャンスを活かして決める。そのままリードを広げ、相手のスパイクを味方がなんとか上げた。ボールを無理に拾おうとして、志貴はネットを張っているポールに肩を打ちつける。
ガシャンと激しい音が響き、志貴が膝をついて肩を押さえた。
ボールが小さく弾んで、転がる。
「志貴!」
志貴に駆け寄って、膝をつく。
「大丈夫? 保健室に行こう」
眉を寄せて耐える志貴を背負う。重くてふらつくが、颯が支えてくれた。
みんなが心配そうに見つめ、志貴は「ごめん」と沈んだ声で告げる。
保健室に行き、志貴を先生に見せる。
「手を上げられる?」
志貴は肩より上に手を上げた。
「痺れは?」
「ありません」
「骨は大丈夫そうだけど、ひどくなったら病院に行ってね」
志貴はベッドで横になり、肩を氷嚢で冷やす。
「連れてきてくれてありがと。もう大丈夫だから、戻っていいよ」
「俺たち負けてるから、待ってるよ。颯は教室に戻りなよ」
颯を見上げれば「僕も待ってるよ」と目を細める。
「どうしたの? いつもと様子が違ったけど」
志貴は大きく息を吐き出した。
「黒い悪魔が俺の大事なものを、奪おうとするんだ」
「へ? 悪魔?」
予想外の言葉に耳を疑う。ゲームの話だろうか?
「大変だね。でも必死に守るより、渡した方が楽になれるんじゃないかな」
颯は穏やかな声で告げた。志貴の言っている意味がわかっているみたいで、やっぱり二人には俺にわからない絆があるのだと思い知らされる。
志貴は「絶対に嫌だ!」とむくれた。
十五分が経ち、先生が氷嚢を回収する。
「志貴、どう?」
「ん? 多少は痛いけど、大丈夫そうだよ」
志貴が腕をぐるぐる回しているのを見て、安堵の息をつく。
三人で体育館に戻ると、すでに決着はついていた。
二年一組が優勝。志貴がクラスメイトの輪に入り、喜びを分かち合う。
志貴はもう大丈夫そうだな。
「教室に戻ろうか」
「そうだね」
颯と顔を見合わせて、体育館を後にした。
教室に戻ると打ち上げに誘われて、放課後にみんなでカラオケに向かった。
大勢で集まれるところなんて限られていて、受付で志貴にも会った。一組も、ここで打ち上げをするらしい。
大部屋に通されて、みんなが歌うのを手を叩きながら聴く。
大きな音が鳴っているから、左隣の颯が俺に顔を寄せた。
「由貴くんは歌わないの?」
「うーん、大勢の前で歌うの、ちょっと恥ずかしくて」
「じゃあ由貴は俺と歌わね?」
右隣に座るクラスメイトに、肩を組まれて誘われた。
「うん、ありがとう」
球技大会の練習中から、みんなと仲良くなれたみたいで胸の奥がじんわりと温かくなる。
「由貴はどの歌が好き?」
颯の目と眉が狭まった気がしたけれど、話しかけられてそちらに気を取られた。
電子端末を操作して、頭をくっつけながら二人で眺める。
「これは歌える?」
「おう、任せろ!」
頼もしい言葉が返ってきて、曲を入れた。
一緒に歌ってくれた子は盛り上げ上手で、緊張はだんだん和らぎ、楽しく歌えた。
マイクを次の子に渡す。
さっきの表情が気になり、颯に目を移した。儚げな目は遠くを映していそうだったけれど、視線が絡むといつも通り優しく目が細まる。
「僕とも一緒に歌ってくれる?」
颯も歌いたかったけど、恥ずかしいのかな? だからさっき俺に歌わないか聞いたのかな? 一緒に歌うつもりで。
「いいよ。なに歌う?」
俺と颯が好きなミステリー小説が原作の、ドラマ主題歌を入れる。
颯の声は穏やかで、ずっと聞いていたいくらい耳に心地いい。
こんなに上手いなら、自信を持って一人で歌ってもいいのに。
歌い終わって、ふぅーと息を吐き出す。
「颯、歌上手いね」
「ありがとう。由貴くんだって」
「俺は全然だよ。颯は恥ずかしがる必要ないじゃん」
「恥ずかしがる?」
颯は眉間に皺を刻み、首を傾けた。
「俺と一緒で、恥ずかしいから一緒に歌おうって言ったんじゃないの?」
「違う違う。僕は恥ずかしかったわけじゃないよ」
そりゃそうか。あれだけ上手いんだもん。
「じゃあ、どうして?」
「由貴くんと一緒に歌いたかっただけだよ」
颯の瞳は切なげに揺れ、俺は一瞬だけど呼吸が止まった。
「……そっか。俺も颯と歌えてよかったよ」
どうにか言葉を絞り出し、颯に向かって笑いかける。
よかった、二人っきりじゃなくて。
颯は友達として言っているだけなんだ。周りにみんながいなければ、舞い上がっていたに違いない。
「また後で一緒に歌おうよ」
「うん、いいよ。次はなにを歌おうか」
友達と楽しく歌っているように見えたかな? 俺の気持ちが、漏れ出てしまっていないといいのだけれど。
室内にはまだ賑やかな歌声が響いていた。
みんなが盛り上がっている中、隣の颯にチラリと視線を送る。
颯は画面を見ながら、小さく口ずさんでいた。
さっきの言葉が、頭から離れない。
心の奥がくすぐったくて、顔に出ないよう口に力を入れて引き結ぶ。
ふいに颯がこちらに目を向けた。
「どうしたの? さっきから僕のことを見てるよね?」
「見てないよ」
慌てて視線を逸らす。
「そう? 僕の勘違いかな」
颯の声は弾んでいた。
変に思われたかな?
熱い顔を隠すよう、頬に手を当てる。
退室時間になり、外に出て解散する。
颯と帰ろうとすると、俺たちの間に志貴が飛び込んできた。
「由貴、一緒に帰ろ」
「志貴たちも打ち上げ終わったの? 荷物は俺が持つよ」
志貴のスクールバッグを受け取る。
「もう平気だって。痛みもないし」
三人並んで歩き、ふと子どもの頃の写真が思い浮かんだ。
そういえば立ち位置も今と一緒だったな。真ん中に志貴がいて。
今は志貴と颯が自分のクラスの打ち上げの様子を話していて、二人とも俺にも話を振ってくれる。そこで会話に参加するけれど、昔もこうだったと思い出した。
小さな頃の志貴と颯が、今の姿と重なる。
急に志貴のスクールバッグが、重く感じた。



