好きな人の好きな人?

 月曜日になり、教室をこそっと覗くと、颯はまだいなかった。
 胸をなでおろして、席につく。
 すぐに肩をポンと叩かれた。

「由貴くんおはよう」

 颯がゆっくりと前の席に座る。

「おはよう」

 普通に話せて、身体から力が抜けた。
 土曜日は昼食を食べてから、ずっと隣で本を読んでいた。どうしたらいいか、わからなかったから。
 颯が体を捻って、俺の机で頬杖を着く。

「ねぇ、図書館にはいつ行く?」
「明日行ってみる?」

 月曜日は休館日だ。
 颯と一緒に行くのが楽しみで、一番早い日にちを提案する。

「うん。明日、約束ね」

 ほんわかする雰囲気に包まれて、心がふわふわする。
 余韻に浸っていると、廊下側の窓が勢いよく開いた。

「由貴、体操服貸して。忘れちゃった」

 志貴が元気いっぱい声を上げる。

「あっ、由貴の友達? 俺は志貴。よろしく」

 志貴は颯に向かって笑顔を振りまき、すぐにキョトンと目を丸くした。

「あれ? お前って……」
「久しぶりだね、志貴」

 志貴は目を大きく見開き、すぐに頬骨を上げて颯の肩をスパーンとはたいた。

「え? 颯だよな? いつ戻ってきたの?」
「四月になってからだよ」
「もう半月以上過ぎてんじゃん。連絡しろよ」
「ごめんね」

 志貴がスマホを操作して、颯に突きつける。

「これ、俺の連絡先。登録して」

 二人は何年も会っていなかったのに、いつも一緒であったかのような空気を纏っている。鉛に浸かっているみたいに、心が押し潰されそうになった。

「今度遊ぼうぜ。小学生の頃に仲良かった奴らにも、声をかけるから」
「うん、楽しみにしているね」

 にっこり微笑む颯に、志貴が眉を寄せる。

「ん? すっごく違和感があるんだけど、お前はキャラ変したの? 子どものころはもっと……」
「なに言ってるの? 僕はずっと変わらないよ」

 颯が志貴の声を遮るように、声を被せた。
 志貴は颯をジッと見つめ、颯は笑顔で受け止める。
 俺は割って入ることなんてできなくて、外から二人の顔へ交互に視線を送るだけ。
 志貴の顔はみるみる険しくなり、急に俺に目を向けた。志貴の鋭い目に射抜かれ、身体が硬直する。普段の志貴からは想像もできない表情だった。
 再び颯に視線を戻す志貴。

「お前、まさか……」

 志貴はそこで言葉を止め、顎に手を添えて眉間を狭める。

「由貴と春休みに、野球を見に行ったか?」
「行ったよ」
「じゃあ服を貸したのも、颯か?」
「そうだね。お茶をこぼしちゃったから」

 志貴は額を押さえて唸る。

「絶対に駄目だ」
「それは志貴が決めることじゃないよ」

 俺には二人がなにを話しているかわからない。言葉足らずでも通じ合っている二人に、体の中にモヤモヤが溜まっていく。

「志貴」

 名前を呼んで、体操服を押し付けた。

「戻らないと、着替える時間がなくなっちゃうよ」

 志貴は時計に目を向けて、廊下を駆けていった。
 志貴がいなくなると、途端に静かになる。
 颯と視線が絡んだ。口角は引き上げられ、聞いちゃいけない雰囲気に黙るしかなかった。

「今のが兄? やっぱりそっくりだな」

 隣の人に声をかけられて、視線が下がる。今は志貴と比べられるのが、いつも以上にこたえる。

「そう? 全然似ていないけど」

 颯の声で顔を上げる。

「雰囲気や性格は全然違うし、由貴くんは由貴くんで、志貴は志貴だよね」

 颯と志貴の仲には入っていけなくて、勝手に沈み込んでいた。颯の言葉に救われて、笑うことができた。




 担任が入ってくると、全員が席につく。

「今日は球技大会の種目を決めるぞ。決まらなかったら、放課後に持ち越しだからな」

 男子はサッカーとバレーボール。どちらも体育の授業でしかやったことがない。

「サッカーがいい人は右、バレーボールがいい人は左に集まって」

 学級委員が指示を出す。どっちにしようか迷っていると、颯が「サッカーにしない?」と耳打ちしてきた。
 頷いて、俺と颯は右に移動する。サッカーが十人。バレーボールは八人になり、一人がサッカーに移動してくれて、すんなり決まった。

「颯はサッカーが得意なの?」
「どっちも体育でしかやったことないよ」
「俺と同じだ。野球があれば、ちょっとは役に立てたかもしれないのにな」
「僕は中学で軟式テニス部だったから、それなら自信があるのに」

 テニスか……。爽やかな颯にぴったりだな。




 放課後はサッカーの練習をしようと集まった。
 グラウンドは部活で使っているから、外周を走ったり中庭でパス練習をしたり。

「強制じゃないけど、予定がなければ放課後に毎日練習をしよう」

 クラスメイトに提案されて、「おー」と全員で拳を突き上げた。クラス替えをしたばかりだけど、これがきっかけでみんなと仲良くなれそうだ。
 着替えて颯と学校を出る。

「明日も練習に参加しない? 図書館はまた今度にしてさ」

 颯は眉を下げて笑った。

「そうだね。休みの日に行こうか?」
「土曜日は?」
「ごめんね、土曜日は予定があるんだ。日曜日じゃダメかな?」
「日曜日、大丈夫だよ」

 手を振って別れ、家に帰る。

「ただいま」

 靴を脱ぎながら声を上げれば、二階からドタドタと足音が響き、志貴が階段を駆け降りて途中で飛び降りた。

「志貴! いい加減にしなさいよ!」

 母さんの怒号がリビングから飛んでくる。
 志貴は肩を跳ねさせたけれど、すぐに目を尖らせた。

「遅い! なにしてたの?」

 志貴が腰に手を当てて、口をひん曲げる。

「球技大会の練習をしてた。遅いって、まだ暗くもなってないよ」

 放課後に友達と遊んで帰ることもあるのに、初めて言われて戸惑う。

「なにを騒いでるの? 由貴は早く手を洗ってきなさい。志貴は夕飯を運ぶの手伝って」

 母さんがリビングから、玄関に顔を見せる。
 志貴がなにか言いたそうだったけれど、返事をして手を洗いに行く。
 志貴はなんで機嫌が悪いんだろう。俺の帰りが遅くなって、怒る理由もわからない。
 食事の時はいつもの無邪気な志貴だった。
 虫の居所が悪かったのかな?




 食事と風呂を終えて宿題をしていると、勢いよく扉が開いた。
 志貴が俺のベッドに、ドスンと音を立てて座る。
 機嫌が悪い志貴のことは、頭からすっかり抜け落ちていた。眉を顰めて、志貴の様子を伺う。

「どうしたの?」

 志貴は腕を組んで、俺に険しい目を向けた。居心地が悪くて視線を逸らす。

「由貴、あまり颯を信用するなよ」

 硬い声と言葉に驚いて、反射的に志貴へ視線を戻した。
 冗談なんかじゃなく、いつになく真剣な表情でたじろぐ。

「……なにそれ。志貴の友達でしょ? 朝だって仲良く話してたじゃん」

 自分の言葉でダメージを負う。

「俺と由貴は違うだろ?」

 志貴はいいけど、俺はダメってこと?

「言ってる意味がわからない。今まで俺の友達に、口出しなんてしたことないじゃん」
「友達ならなにも言わない。でも由貴は違うんでしょ?」

 志貴が腕を伸ばして、サイドチェストから青い帽子を掴んだ。

「一緒に野球を見に行ったときのグッズを飾ったり、必要以上に身だしなみを気にしたり。友達だと思ってないんでしょ」

 志貴の瞳が鋭く細まる。
 育っていた颯への気持ちを見て見ぬふりをしていたのに、はっきりと言い当てられて燃えるように熱い。
 志貴は俺の些細な反応も見逃さないとでもいうように、じっとりと観察しているみたいで落ち着かない。
 服の裾をギュッと握る。

「友達だよ」

 か細い声に、志貴が片眉を跳ね上げた。

「颯は友達だって言ってんの。志貴が考えているような感情じゃない」

 志貴は帽子を元の位置に戻し、のっそりと立ち上がって人懐っこい笑顔を向ける。

「そう、よかった。友達なら、なにも言うことないよ。おやすみ」

 志貴は鼻歌を歌いながら、上機嫌で部屋を出ていく。

「……なにあれ。牽制しにきたの?」

 友達ならいいけど、それ以上の気持ちはダメって、志貴が颯のことを好きみたいじゃん。
 颯も志貴が好きなんだし、俺の入る余地なんて、最初からなかったんだ。
 胸が痛くて、ぐっと押さえて背中を丸める。

「嫌だな……」

 志貴になりたいと思ってしまう、自分が嫌いだ。




「由貴起きろ。遅刻するぞ」

 布団を引き剥がされ、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

「由貴おはよ。今日はクマが酷いな。寝不足か?」

 寝不足の元凶は、昨日の会話なんてなかったみたいに普段と変わらない。
 目を擦りながら、起き上がる。

「ほら、早く」

 志貴がクローゼットから取り出した制服を投げてくる。
 俺は緩慢な動きで着替えた。

「ねぇ、今日も球技大会の練習があるの?」

 心臓が止まるほど驚いて、恐る恐る志貴に目を向ける。
 志貴は目を瞬かせて、首を傾けた。昨日みたいに、怒っている様子はない。

「うん、球技大会までは毎日練習に出ようと思ってるよ」
「そう、でも優勝は俺のクラスだし。負けないからね」

 自信満々に笑う志貴に、俺も口元が緩んだ。

「俺だって負けないよ」

 着替え終わり、スクールバッグを掴む。
 志貴が俺の肩に腕を回して、耳に口を寄せた。

「颯も一緒なのか?」
「あっ、うん……」

 返事がつっかえてしまった。

「由貴と颯は友達なんだもんね」

 釘を刺されて、小さく頷いた。
 志貴が俺から距離を取る。

「早く行こ。本当に遅刻しちゃう」

 志貴に促されて、部屋を出る。
 荒ぶ心を抑えるように、胸の辺りを掴む。強く握りすぎて、制服にシワが寄った。




 放課後は毎日サッカーの練習をして、志貴もあれから颯のことでなにかを言ってくることはない。

「ねぇ、由貴。この間買ったジャケット貸して」

 土曜日の朝、志貴がベッドでまどろむ俺に覆いかぶさってきた。

「志貴、重い。退いて」

 志貴はすんなり俺から降りて、ベッドの上であぐらをかく。俺も起き上がって伸びをした。

「服貸してよ」
「いいよ。どこか行くの?」
「うん、友達と遊びに行ってくる」
「そう、いってらっしゃい」

 志貴はベッドから飛び降りると、ジャケットに袖を通した。

「どう? 似合う?」

 志貴は両手を広げて胸を張る。

「似合うよ」
「よし! 貸してくれてありがと。行ってくるね」
「気を付けて」

 手を振って見送る。
 志貴が出ていくと、急に静かになった。

「俺はなにをしようかな」

 今日はなんの予定もない。
 四月末には球技大会があり、その後GW(ゴールデンウィーク)が明けると、すぐに中間テストだ。

「少しだけでも勉強しようかな」

 午前中は勉強をして、午後は小説に夢中になった。




 扉がノックされ、外から「由貴」と母さんに声をかけられる。

「なに?」

 扉を開ければ、食欲が湧くカレーの香りが漂ってきた。

「ご飯できたわよ」
「お腹減った」

 母さんに続いてリビングに入る。用意されていたのは三つだけ。

「志貴は?」
「友達と食べてくるって」
「志貴、カレー好きだから残念がるね」
「大丈夫よ。あと二日分はあるから」

 カレーを頬張る。具沢山でちょっと辛めのカレーは、三日続いても嬉しいメニューだ。




 夜の八時過ぎに志貴が帰ってきた。

「ジャケット貸してくれてありがとう」

 志貴はハンガーにかけて、クローゼットに収める。

「でも今日は暑かった」
「ジャケットいらなかったんだね」
「そんなことないよ。今日は絶対にそのジャケットを着たかったんだ」

 志貴は猫のように目を細めて笑う。

「そんなに気に入ったの?」

 それには答えずに、機嫌良く部屋を出て行った。
 なんだったんだろ?
 



 翌日は昼過ぎに颯と待ち合わせをしていた。着替えていると、志貴が扉を開けてズカズカと部屋に入ってくる。
 クローゼットを開け、昨日貸したジャケットを突きつけてきた。

「はい。これ着てって」
「えー、今日も暑いんじゃないの?」
「帰りは寒いかもしれないじゃん。はい、着て」

 志貴が俺の後ろに立ち、着せてきた。

「そんなに遅く帰ってこないよ」
「いいからその格好で行ってきて」

 志貴に背をグイグイ押されて、玄関で見送られる。

「いってらっしゃい」
「いってきます」

 大きく手を振って笑う志貴に向かって、片手を小さく上げて出かけた。




 待ち合わせ場所に向かって歩いていると、正面から颯が歩いてくるのが見えた。

「待ち合わせ場所に着く前に会えたね」

 颯が朗らかに笑う。地に足がつかない。心が落ち着きなく跳ねた。
 颯の視線が下る。眉がピクリと動いた気がした。

「その服は初めて会ったときにも着てたから、由貴くんの服?」
「そうだよ」

 颯と再会した日に買った。

「昨日は志貴が同じ服を着ていたけれど、お揃いなの?」
「お揃いじゃなくて、貸したんだよ」

 昨日、颯は志貴と遊んだんだ。グッと身体が重くなる。

「そう、本当に仲が良いね。僕も仲良くしたいのに」

 颯は視線を逸らして、淋しげに笑う。

「颯も仲いいじゃん」

 久しぶりの再会なのに、通じ合っていたし、昨日も遊んでいたんだし。
 兄弟なのに嫉妬されるなんて、それほど志貴のことが好きなの?
 俺の気持ちはどんどん淀んでいくけれど、颯はパッと表情を明るくする。

「そうだよね。僕とも仲いいよね?」

 俺が下唇を噛みながら頷くと、颯は清々しい顔を見せた。

「昨日は志貴となにをして遊んだの?」

 本当は耳を塞いでしまいたいほど聞きたくないけれど、どうしても気になってしまう。

「みんなでカラオケに行って、ファミレスで夕飯を食べたよ」
「みんな?」

 二人っきりじゃなかったってこと?

「志貴と学校で会ったとき、小学生の頃に仲良かった友達と遊ぼうって言ってたでしょ? あのあとすぐに『土曜日空けとけ』って連絡が来たんだ」
「そっか」

 志貴と颯が二人で遊んだのではないとわかると、胸がすっと軽くなる。

「だから昨日は誘いを断ってごめんね」
「ううん、先に約束してたんだもん。仕方がないよ。それに、今日は一緒に図書館に行けるから」

 颯は優しいほほ笑みを浮かべた。




 図書館に着き、書架の間をゆっくりと歩く。古書の香りが鼻を掠めた。

「由貴くんが持っていない、おすすめを教えて」
「あっ、うん。いいよ」

 そうは言ったけれど、好きな本が多すぎて迷ってしまう。
 首を左右に振りながら歩いていると、とある作家に目が止まった。そこから、一冊を引き抜く。

「これは面白かったよ。歴史ものの、安楽椅子探偵」
「歴史小説って読んだことないな」

 颯が受け取って、「読むのが楽しみ」と笑う。

「俺にも颯が選んで」

 颯は迷うことなく歩き、一冊の本を手に取った。

「これは読んだことある?」

 ものすごく有名なクローズドサークル作品で、俺も読んだことがあった。

「読んだよ。衝撃的だった」
「そうだよね。一文でひっくり返るのがたまらないよね」

 本を戻し、またスタスタと歩き始める。
 次に手にしたものはミステリーの名作。

「これは読んだ?」
「ううん。最初ちょっと難しくて。中学の時に読もうとしたけど、挫折しちゃった」
「確かに最初は難しいかも。でもそこを越えると、読むのが止まらなくなるよ」
「それは気になる。読んでみるよ」

 颯に手渡され、両手で抱える。
 空いている席を探して、並んで腰掛けた。
 本を開く。
 やっぱり少し難しいけれど、昔みたいに本を閉じるほどではない。
 図書館は静かで、ページを捲る音が周りから聞こえてくるだけ。心地良い時間が流れる。
 颯に言われた通り数十ページ読み終わると、早くページを捲りたくて仕方がなくなった。
 没頭していると、隣から微かに喉の奥で笑う声が聞こえる。
 そちらに目を向けると、颯が目を細めて俺を見ていた。その顔があまりにも眩しくて、時間が停止したみたいに動けなくなる。
 颯がスマホを操作して、画面を俺に向けた。

『気に入ってくれたみたいで嬉しい』

 首をブンブン振って頷く。
 颯が本に目を落としたから、俺も続きを読み始めた。
 本を読んでいるのに、頭の真ん中にずっと颯がいた。




 半分くらい読み、首をぐるーっと回す。ずっと下を見ているから、首が痛い。
 時計に目を向けると、夕方の五時を過ぎていた。
 颯が本を閉じる。

「帰る前に、借りる本を探してきていい?」
「うん。僕も選びたい」

 二人で書架の間を歩きながら、背表紙を眺め、面白かった本を指差した。
 読み途中の本と、颯が面白いと言っていた本を選び、二冊を借りる。
 バッグの重みに、ワクワクが抑えられない。
 並んで歩き、十字路で颯と別れる。
 顔の横で手を振ると、颯の指が絡んできて固まってしまった。

「また明日ね」

 颯の長い指が、するりと抜けた。

「……あっ、うん。また明日」

 かろうじて返せたけれど、頭の中は真っ白。
 呆けたまま家に帰り、自室に入る。扉を閉めて、ずるずると座り込んだ。
 なにあれ!
 指の間に颯の指がまだ挟まっている感覚がある。思い出して、一気に顔へ熱が集まる。耳まで熱い。
 絡められた手を、反対の手でそっと包みこんだ。
 指に残る熱が、一向に引いていかない。
 志貴に友達だと言い切って舌の根も乾かぬうちに、胸の奥に秘めていた気持ちが暴れる。
 扉が外から開けられようとして、思いっきり背中にぶつかった。思わず呻き声が出る。

「あれ? なんで開かないの?」

 志貴の声がして、背中をさすりながら扉の前から移動する。

「なんでこんなところで座り込んでたの? 体調悪い? 顔赤いし」
「ううん、なんでもないよ」

 必死に否定すると、グッと顔を近付けられる。

「颯と出かけたんだろ? なにかあった?」
「なにもないよ。……俺が颯と出かけるの知ってたの?」
「ああ、昨日聞いた。もう一回聞くけど、颯は友達なんだよな?」
「……そう、だよ」

 もう違うってわかっている。でもそうとしか返せない。

「それなら安心だ。由貴にはもっといい奴がいるよ」

 颯は自分のものだ、と暗に言われているように聞こえた。




 翌朝、俺が部屋を出ると、志貴も扉を開いた。
 気まずくて視線を逸らすけれど、志貴はいつも通り「おはよ」と明るかった。
 戸惑いながら「おはよう」と返す。
 朝食を食べながら、ずっと喋りかけてきて、俺はご飯を口に運びながら相槌を打った。

「志貴、喋ってばかりいないで、早く食べなさい」

 母さんに怒られて、志貴はご飯を掻っ込んで、味噌汁で流し込んでいた。
 いつも通りすぎて、昨日のことは夢だったのかと勘違いしてしまいそう。




 学校に着いて志貴と別れると、少し気持ちが休まる。
 でも教室が近付くにつれ、今度は別の理由で顔に力が入った。
 颯があんなことをした理由が気になる。顔を合わせずらい。
 教室をこそっと覗くと、颯はまだいなかった。
 胸を撫で下ろして、教室に足を踏み入れる。その途端、後ろから肩を叩かれて、飛び上がるほど驚いた。

「由貴くんおはよう」

 振り返ると、颯が朝日より眩しい笑顔を向けてきた。

「あっ、おはよう」

 咄嗟に颯の目から逃れるように、顔を背ける。
 昨日の指の感触がまだ残っているような気がして、体の前で指を組む。
 胸骨が軋むくらい、胸が激しく鳴った。

「大丈夫? 顔が赤いけど」
「なんでもないよ」

 声がひっくり返りそうになり、慌てて咳払いをして誤魔化す。
 颯はいつもの穏やかな笑顔で「よかった」と微笑んで席に着いた。
 颯の後頭部を見ながら、ジワリと湿った手のひらを、ズボンで拭う。
 颯は俺のことを、どう思っているのだろう。