颯に本を返されたのは、一週間後だった。
「すごく面白かったよ。これって続編もあるんだよね?」
「続編も持ってるから、明日貸すね」
「ありがとう。楽しみにしてる。それと……」
颯はもう一冊を俺に差し出した。帯に書かれた、読者への挑戦状の文字が目を引く。
「こっちも読んだから渡すね」
「颯は犯人わかった?」
「うん、結構自信あるよ」
両手で受け取って、大事にスクールバッグにしまう。
「俺も当ててみるよ!」
「由貴くんが読み終わったら、答え合わせをしようね」
大き頷く。誰かとミステリー小説について話すこともなかったし、それが颯で心がフワフワ軽い。
家に帰って颯に貸した本を本棚にしまおうとして、本の間からなにかが落ちた。
「栞を挟んで、忘れていたのかな?」
拾い上げると、二つ折りに畳まれたメモ用紙。
開くと『面白い本を貸してくれてありがとう。またおすすめ教えてね』と丁寧な字で書かれていた。
文字を指でなぞり、心が浮き立つ。
本を片付け、メモ用紙は学習デスクの引き出しにしまった。
ウキウキしたまま、ベッドにダイブする。颯に借りた本を寝転がりながら開いた。
舞台は吹雪に閉ざされた古い洋館。クローズドサークルの王道だ。
夢中になって読み、夕飯と風呂以外の時間で真相前まで読み切った。気付けば日付が変わっていて、慌てて瞼を下ろす。
でも面白すぎて、頭も目も冴えてしまっていた。
館の主人に招かれて、洋館に人が集まるが、そこで殺人事件が起きてしまう。吹雪で外に出られず、外部との通信も遮断された。
殺されたのは、館の主人の奥さんと執事。この二人は不倫関係にあったから、動機なら館の主人が怪しい。主人は元体操選手でオリンピック候補にまでなったが、競技中に足を怪我した。杖をつけば歩けるまでになったけれど、片足を引きずっている。
「そんな人が犯人なんてことが、あるのかな?」
足音や杖をつく音が響きそうだし。でもその時間に起きている人はいたのに、そんな証言は出ていない。
「颯は自信あるって言ってたけど、俺はまだ全然浮かばない」
枕元にあるスマホを掴んで時間を確認した。もうすぐ一時になる。
「やばい! 寝なきゃ」
目をギュッとつぶって、頭まで布団を被る。
どうしても小説のことを考えてしまい、なかなか眠ることができなかった。
翌朝は寝不足で、アラームが鳴ってもなかなかベッドから出られなかった。
「由貴、朝だよ」
志貴が大声を上げて、扉を開く。
掛け布団を剥ぎ取られて、尻を引っ叩かれた。
「ほら、起きて起きて」
寝ぼけながら目を擦り、のっそり起き上がる。
「由貴が寝坊なんて珍しいね。もしかして、体調悪い?」
志貴の手が、額に触れる。
「熱はなさそうだね」
朝から元気な声を聞き続け、少しだけ瞼が持ち上がる。
「昨日の夜、小説を読むのが止められなくて、寝不足なだけ」
大きなあくびをして、ベッドから降りた。
昇降口で志貴と別れ、五組の教室に入る。
席に着くと、颯が振り返って「おはよう」と春の日差しのような笑顔を向ける。
「おはよう。続き持ってきたよ」
颯に小説を渡す。それを受け取って、颯は眉を顰めた。
「ありがとう。でも、どうしたの? クマができてる?」
目の下を親指で撫でられた。
反射で背を逸らして、距離を取る。
「あっ、急に触ってごめんね」
「ううん、嫌だったとかじゃなくて、びっくりして」
気まずい空気が流れる。
でも俺は悪くないよね? 急に撫でられたら、仕方ないよね? 相手は颯だし。撫でてくるのが志貴だったら、全く気にしないけど。
「今度から気をつけるね」
「あっ、うん……」
かろうじて返事はできた。
「それで? なんで寝不足なの?」
「颯に貸してもらった本が止まらなくて、一気に読んじゃったから」
「そんなに面白かった?」
「うん、まだ犯人の目星はついてないんだけどね」
苦笑いを浮かべる。颯は顎に手を添えて、少し考え込み、こちらに身を乗り出した。
「由貴くんは、今週の土曜日は暇?」
「うん、なにもないよ」
「じゃあ朝からうちにおいでよ。推理勝負しよ。その後順番に結末まで読んだら、二人ともその日にすっきりできるし」
「そうだね。それまでに考えとく」
土曜日までに、考えをまとめなきゃ。
放課後、家に帰ってからは、事件の前後を読み返して悩み続けた。
生きているのは館の主人とメイドに、探偵役である奥さんの弟。それと主人の主治医に、主人の客が三人。あとは遭難しかけて館に辿り着いた部外者。結構多いな。
動機からだと館の主人。
相関図を作ってみよう。殺された二人は不倫関係。
メイドは主人の婚外子。母親が亡くなって、メイドとして主人に引き取られる。これを知っているのは本人たちだけ。メイドは自分と母親を捨てた主人を恨んでいたから、奥さんと執事の不倫には協力的だった。
奥さんの弟は近くに住んでいて、遊びに来ていた。客たちは主人の仕事の関係者。
主治医は主人に借金あり。死斑や死後硬直から死亡推定時刻を割り出したのも主治医。
犯行時刻に足音を聞かなかったと言ったのは、三人の客。三人で酒を飲んでいたから、この三人にはアリバイがある。三人とも酒に強い体質で、泥酔状態ではなかったということだ。
部外者は誰とも接点がない。遭難しかけて辿り着いた足跡は、吹雪で翌朝にはすっかり消えていた。そんな天気だから、外部犯の線はないはずだ。
「由貴! 母さんがスーパーで卵を買ってきてだって。卵が安いんだけど、一人一パックまでだから二人で行ってって」
扉を開けるなり、志貴が叫ぶ。
いつも騒がしく入ってくるけど、何年もこうだと慣れて驚くことはない。
「なにしてんの?」
志貴は学習デスクに向かう俺の後ろから、手元を覗き込んでくる。
「小説の犯人を考えてるの」
「続きを読めばいいじゃん」
「俺は当てたいの」
「ふーん」
志貴は俺の書いた相関図を見て、部外者へ指を差した。
「こいつが怪しい」
「どうして?」
「全く関係ない奴がなんでいるの? 誰かと関係あるけど、隠されてるだけなんじゃない? 遭難して、都合よく建物を見つけて助かるのはおかしい」
「でもミステリーでは、わりとあるんだよ」
もちろん部外者だと思っていた人が、関係者のこともある。けれど、本当にただ遭難しかけただけの部外者は、ミステリーの中では定番キャラだ。
「真相に辿り着くためのことは全部書いてあるらしいし、今回は本当に部外者だと思う」
「じゃあやっぱり一番怪しい、館の主人じゃないの?」
「夜中に足音や杖の音が聞こえたって証言はないよ」
「お尻歩きや、逆立ちで移動したんじゃない?」
「えー、そんな風に移動したら、誰かに見られた時に怪しまれるじゃん」
「だって夜中なんでしょ? 見られる可能性は低いんじゃないの?」
そうだけど、お尻歩きは進むのにすごく時間がかかるし、逆立ちで長く移動なんてできないよね?
……いや、待てよ。主人はオリンピック候補にまでなった元体操選手だ。可能なのか? 本当にこれが真相?
「由貴、それより早く行こうよ」
「あっ、うん。そうだね」
志貴に腕を掴まれ、スーパーに向かった。
そんな真相あり?
土曜日の朝、姿見の前で体を捻って念入りにチェックする。寝癖はないし、クマも消えた。
颯の家に向かい、部屋に通されると借りていた服を返す。
「ありがとう」
「気にしないで」
颯はクローゼットに服をしまう。
颯がこちらに背を向けている間に、机上ラックに視線を移す。
青い帽子が、存在を主張するかのようにあった。
颯が片付け終わると戻ってきて、向かい合って床に腰を下ろす。
「由貴くんは、犯人わかった?」
「うん、多分」
「それなら同時に犯人の名前を言おうか」
「いいよ。せーの」
「「館の主人」」
俺と颯の声が重なる。
「やっぱり颯もそう思った?」
「うん、ホワイダニットから考えると、館の主人しかいないよね」
被害者を二人とも恨んでいると言えば、館の主人だ。
「僕はさ、主治医が共犯だと思うんだ」
共犯? 居住まいを正して、颯の推理に耳を傾ける。
「犯行時刻を割り出したのは、主治医でしょ。でもその時刻に起きていた人は、足音なんかは聞いていない」
今までわかっていることを、ふんふんと頷いて聞く。
「だから犯行時刻自体が違ったのかなって?」
「主治医が嘘をついてたってこと?」
颯が力強く頷いた。
「主治医は主人に弱みがある」
「借金だよね?」
「そう、それを返さなくていいとか言って、主人の都合のいい証言をしたんじゃないかな? 二人を殺してって言われたら拒否すると思うけど、嘘の証言ならありなのかなって」
ありえなくもない。
というより、逆立ち移動説より納得できる。
「真相を読んでみようよ」
「由貴くん、先に読んでいいよ」
「颯の本なんだから、颯が先に読みなよ。俺は他の本を読んでていい?」
本棚を指す。
「じゃあ先に読ませてもらうね。好きな本を読んでていいよ」
颯が解決編のページをめくった。
俺は本棚の前に立ち、読んだことのない本を手に取る。
颯の前に座ると、颯が本から視線を上げた。
「こっちにおいでよ。背もたれがある方が楽でしょ?」
颯が自分の隣をポンポンと叩く。颯はベッドを背もたれにして、本を読んでいた。
浮き足立つのを隠して、颯の隣に腰を下ろす。
颯は目線を落として、続きを読み始めた。俺も本を開く。
颯側の半分だけ、体が燃えるように熱い。
集中して本を読み、颯が「はー……」と息を漏らした。
そちらに目を向けると、本を閉じて呆けている。
「どうしたの? 犯人は合ってた?」
「とりあえず読んで!」
身を乗り出す颯の勢いに負けて「あっ、うん」と少し背を反らして受け取る。
解決編で、探偵役の奥さんの弟が、主人と主治医の共犯を指摘した。
二人とも否定をするが、雪が止んで洋館から出られるまで、全員が二人を部屋に閉じ込めることになった。
あっ、颯の推理通りだ。
ん? でもまだ五十ページくらい残ってる。
続きを読んでいくと、メイドが閉じ込めた二人の部屋に忍び込もうとした。全員でメイドを押さえつける。
奥さんと執事だけじゃなく、主人も狙われる側だった。
弟は主人を助けるために、主治医と共犯という芝居をうって閉じこめた。
奥さんと執事の不倫関係ではなく、主人も殺して主人の遺産を全て手に入れることが動機だ。
小さな頃から苦労をして、母親が亡くなって父親と暮らせると思ったら、関係を隠されて小間使い。メイドは心を病んでしまった。
読み終わって「はー……」と俺も颯と同じ反応になる。
主人は助かったけど、モヤモヤしたものが残った。
「犯人、主人じゃなかったね」
「うん、僕の推理は作者の思惑通りだったね」
「でも颯はそこまでいけたんだからいいよ。俺なんて逆立ちについて、真剣に考えちゃったんだから」
「逆立ち?」
キョトンとして首を捻る颯に、志貴との会話をかいつまんで話した。
颯は吹き出して、声を立てて笑う。
静かに笑う姿しか見たことがなくて、瞬きを繰り返す。
「ごめんごめん、その発想はなかった。志貴は相変わらずおかしいね」
目尻を拭う颯。
鈍器で殴られたような、重い痛みが胸に広がる。
志貴のことで笑う颯を見たくなくて、視線を下げた。
「でも元オリンピック候補ってことを書くからには、作者はバカミス方面にもミスリードをしたかったのかもしれないね」
颯は声を弾ませていた。
「そう……かもね。志貴の突飛な言葉で、俺は逆立ちが頭から離れなかったから」
胸の痛みを誤魔化して、顔を上げた。
大丈夫。ちゃんと笑えているはず。
時計に目を向けると、お昼の二時。
「お腹減ったね」
「そうだね、なにか作ろうか」
「すごい! 料理できるの?」
「簡単なものだけね。本を読んで待っててよ」
颯が部屋を出て、一人になった。
立ち上がって、学習デスクの前に足を進める。青い帽子を手に取った。
「志貴のことであんな顔をして笑うのに、なんで俺とお揃いの帽子なんて飾ってるんだよ」
そう思っているのに、直接聞けない自分が情けない。
帽子を元の位置に戻し、元いた場所に座る。
天井を見上げ、ため息と共に肩を落とした。
颯がいないのに、颯の匂いで満ちている部屋も落ち着かない。
颯が志貴の名前を出すたび、心が沈むのをなんとかしたい。だって俺は、志貴のことも好きなんだから。
しばらくすると、階段を登る音が聞こえてきた。
慌てて本を手にして開く。
「できたから、リビングに来て」
颯が顔を覗かせる。
「ありがとう」
本を閉じて立ち上がる。
「結構進んだ?」
「ぼちぼち」
本当は一文字だって読んでいない。
「また持って帰っていいからね」
「うん、ありがとう」
颯に続いて階段を降り、ダイニングテーブルに着く。
トロトロの卵が乗ったオムライスだ。
「すごい! 美味しそう」
「食べよう」
二人で手を合わせて「いただきます」と声をそろえる。
チキンライスとトロトロ卵が絡まって、口の中が幸せで満ちる。
「美味しい!」
「よかった」
颯はホッと息をついて、大きな口でオムライスを食べる。
「料理できてすごいね」
「簡単なのしかできないよ」
全然簡単じゃないと思うけど。
「由貴くんは、僕に勝ったらなにを言おうとしたの?」
オムライスを頬張っていると、ふいに颯の凪いだ声が届く。
「えっと、……推理勝負のこと?」
「そう。二人とも犯人を当てられなかったでしょ。引き分けだし、罰ゲームはなしだよね? だから罰ゲームはなんて言おうとしたのか気になって」
「なにも考えてなった」
颯は瞬きを繰り返す。
「推理ばっかりに気を取られて、全く考えてなかったんだ」
「そう。僕は考えてたよ。由貴くんへの罰ゲーム」
「どんなのを考えてたの?」
颯は優しいし、そんなにキツい罰ゲームではなさそうだけど気になる。
颯は口を三日月みたいにして、綺麗に微笑んだ。
「内緒だよ」
颯が人差し指を口元で立て、目を細める。
ミステリアスな色気に心臓が跳ねて、茹ってしまうほど全身が熱くなった。
俯いて黙々とオムライスを口に運ぶ。さっきまで美味しかったのに、味なんてわからなくなってしまった。もったいない。
「すごく面白かったよ。これって続編もあるんだよね?」
「続編も持ってるから、明日貸すね」
「ありがとう。楽しみにしてる。それと……」
颯はもう一冊を俺に差し出した。帯に書かれた、読者への挑戦状の文字が目を引く。
「こっちも読んだから渡すね」
「颯は犯人わかった?」
「うん、結構自信あるよ」
両手で受け取って、大事にスクールバッグにしまう。
「俺も当ててみるよ!」
「由貴くんが読み終わったら、答え合わせをしようね」
大き頷く。誰かとミステリー小説について話すこともなかったし、それが颯で心がフワフワ軽い。
家に帰って颯に貸した本を本棚にしまおうとして、本の間からなにかが落ちた。
「栞を挟んで、忘れていたのかな?」
拾い上げると、二つ折りに畳まれたメモ用紙。
開くと『面白い本を貸してくれてありがとう。またおすすめ教えてね』と丁寧な字で書かれていた。
文字を指でなぞり、心が浮き立つ。
本を片付け、メモ用紙は学習デスクの引き出しにしまった。
ウキウキしたまま、ベッドにダイブする。颯に借りた本を寝転がりながら開いた。
舞台は吹雪に閉ざされた古い洋館。クローズドサークルの王道だ。
夢中になって読み、夕飯と風呂以外の時間で真相前まで読み切った。気付けば日付が変わっていて、慌てて瞼を下ろす。
でも面白すぎて、頭も目も冴えてしまっていた。
館の主人に招かれて、洋館に人が集まるが、そこで殺人事件が起きてしまう。吹雪で外に出られず、外部との通信も遮断された。
殺されたのは、館の主人の奥さんと執事。この二人は不倫関係にあったから、動機なら館の主人が怪しい。主人は元体操選手でオリンピック候補にまでなったが、競技中に足を怪我した。杖をつけば歩けるまでになったけれど、片足を引きずっている。
「そんな人が犯人なんてことが、あるのかな?」
足音や杖をつく音が響きそうだし。でもその時間に起きている人はいたのに、そんな証言は出ていない。
「颯は自信あるって言ってたけど、俺はまだ全然浮かばない」
枕元にあるスマホを掴んで時間を確認した。もうすぐ一時になる。
「やばい! 寝なきゃ」
目をギュッとつぶって、頭まで布団を被る。
どうしても小説のことを考えてしまい、なかなか眠ることができなかった。
翌朝は寝不足で、アラームが鳴ってもなかなかベッドから出られなかった。
「由貴、朝だよ」
志貴が大声を上げて、扉を開く。
掛け布団を剥ぎ取られて、尻を引っ叩かれた。
「ほら、起きて起きて」
寝ぼけながら目を擦り、のっそり起き上がる。
「由貴が寝坊なんて珍しいね。もしかして、体調悪い?」
志貴の手が、額に触れる。
「熱はなさそうだね」
朝から元気な声を聞き続け、少しだけ瞼が持ち上がる。
「昨日の夜、小説を読むのが止められなくて、寝不足なだけ」
大きなあくびをして、ベッドから降りた。
昇降口で志貴と別れ、五組の教室に入る。
席に着くと、颯が振り返って「おはよう」と春の日差しのような笑顔を向ける。
「おはよう。続き持ってきたよ」
颯に小説を渡す。それを受け取って、颯は眉を顰めた。
「ありがとう。でも、どうしたの? クマができてる?」
目の下を親指で撫でられた。
反射で背を逸らして、距離を取る。
「あっ、急に触ってごめんね」
「ううん、嫌だったとかじゃなくて、びっくりして」
気まずい空気が流れる。
でも俺は悪くないよね? 急に撫でられたら、仕方ないよね? 相手は颯だし。撫でてくるのが志貴だったら、全く気にしないけど。
「今度から気をつけるね」
「あっ、うん……」
かろうじて返事はできた。
「それで? なんで寝不足なの?」
「颯に貸してもらった本が止まらなくて、一気に読んじゃったから」
「そんなに面白かった?」
「うん、まだ犯人の目星はついてないんだけどね」
苦笑いを浮かべる。颯は顎に手を添えて、少し考え込み、こちらに身を乗り出した。
「由貴くんは、今週の土曜日は暇?」
「うん、なにもないよ」
「じゃあ朝からうちにおいでよ。推理勝負しよ。その後順番に結末まで読んだら、二人ともその日にすっきりできるし」
「そうだね。それまでに考えとく」
土曜日までに、考えをまとめなきゃ。
放課後、家に帰ってからは、事件の前後を読み返して悩み続けた。
生きているのは館の主人とメイドに、探偵役である奥さんの弟。それと主人の主治医に、主人の客が三人。あとは遭難しかけて館に辿り着いた部外者。結構多いな。
動機からだと館の主人。
相関図を作ってみよう。殺された二人は不倫関係。
メイドは主人の婚外子。母親が亡くなって、メイドとして主人に引き取られる。これを知っているのは本人たちだけ。メイドは自分と母親を捨てた主人を恨んでいたから、奥さんと執事の不倫には協力的だった。
奥さんの弟は近くに住んでいて、遊びに来ていた。客たちは主人の仕事の関係者。
主治医は主人に借金あり。死斑や死後硬直から死亡推定時刻を割り出したのも主治医。
犯行時刻に足音を聞かなかったと言ったのは、三人の客。三人で酒を飲んでいたから、この三人にはアリバイがある。三人とも酒に強い体質で、泥酔状態ではなかったということだ。
部外者は誰とも接点がない。遭難しかけて辿り着いた足跡は、吹雪で翌朝にはすっかり消えていた。そんな天気だから、外部犯の線はないはずだ。
「由貴! 母さんがスーパーで卵を買ってきてだって。卵が安いんだけど、一人一パックまでだから二人で行ってって」
扉を開けるなり、志貴が叫ぶ。
いつも騒がしく入ってくるけど、何年もこうだと慣れて驚くことはない。
「なにしてんの?」
志貴は学習デスクに向かう俺の後ろから、手元を覗き込んでくる。
「小説の犯人を考えてるの」
「続きを読めばいいじゃん」
「俺は当てたいの」
「ふーん」
志貴は俺の書いた相関図を見て、部外者へ指を差した。
「こいつが怪しい」
「どうして?」
「全く関係ない奴がなんでいるの? 誰かと関係あるけど、隠されてるだけなんじゃない? 遭難して、都合よく建物を見つけて助かるのはおかしい」
「でもミステリーでは、わりとあるんだよ」
もちろん部外者だと思っていた人が、関係者のこともある。けれど、本当にただ遭難しかけただけの部外者は、ミステリーの中では定番キャラだ。
「真相に辿り着くためのことは全部書いてあるらしいし、今回は本当に部外者だと思う」
「じゃあやっぱり一番怪しい、館の主人じゃないの?」
「夜中に足音や杖の音が聞こえたって証言はないよ」
「お尻歩きや、逆立ちで移動したんじゃない?」
「えー、そんな風に移動したら、誰かに見られた時に怪しまれるじゃん」
「だって夜中なんでしょ? 見られる可能性は低いんじゃないの?」
そうだけど、お尻歩きは進むのにすごく時間がかかるし、逆立ちで長く移動なんてできないよね?
……いや、待てよ。主人はオリンピック候補にまでなった元体操選手だ。可能なのか? 本当にこれが真相?
「由貴、それより早く行こうよ」
「あっ、うん。そうだね」
志貴に腕を掴まれ、スーパーに向かった。
そんな真相あり?
土曜日の朝、姿見の前で体を捻って念入りにチェックする。寝癖はないし、クマも消えた。
颯の家に向かい、部屋に通されると借りていた服を返す。
「ありがとう」
「気にしないで」
颯はクローゼットに服をしまう。
颯がこちらに背を向けている間に、机上ラックに視線を移す。
青い帽子が、存在を主張するかのようにあった。
颯が片付け終わると戻ってきて、向かい合って床に腰を下ろす。
「由貴くんは、犯人わかった?」
「うん、多分」
「それなら同時に犯人の名前を言おうか」
「いいよ。せーの」
「「館の主人」」
俺と颯の声が重なる。
「やっぱり颯もそう思った?」
「うん、ホワイダニットから考えると、館の主人しかいないよね」
被害者を二人とも恨んでいると言えば、館の主人だ。
「僕はさ、主治医が共犯だと思うんだ」
共犯? 居住まいを正して、颯の推理に耳を傾ける。
「犯行時刻を割り出したのは、主治医でしょ。でもその時刻に起きていた人は、足音なんかは聞いていない」
今までわかっていることを、ふんふんと頷いて聞く。
「だから犯行時刻自体が違ったのかなって?」
「主治医が嘘をついてたってこと?」
颯が力強く頷いた。
「主治医は主人に弱みがある」
「借金だよね?」
「そう、それを返さなくていいとか言って、主人の都合のいい証言をしたんじゃないかな? 二人を殺してって言われたら拒否すると思うけど、嘘の証言ならありなのかなって」
ありえなくもない。
というより、逆立ち移動説より納得できる。
「真相を読んでみようよ」
「由貴くん、先に読んでいいよ」
「颯の本なんだから、颯が先に読みなよ。俺は他の本を読んでていい?」
本棚を指す。
「じゃあ先に読ませてもらうね。好きな本を読んでていいよ」
颯が解決編のページをめくった。
俺は本棚の前に立ち、読んだことのない本を手に取る。
颯の前に座ると、颯が本から視線を上げた。
「こっちにおいでよ。背もたれがある方が楽でしょ?」
颯が自分の隣をポンポンと叩く。颯はベッドを背もたれにして、本を読んでいた。
浮き足立つのを隠して、颯の隣に腰を下ろす。
颯は目線を落として、続きを読み始めた。俺も本を開く。
颯側の半分だけ、体が燃えるように熱い。
集中して本を読み、颯が「はー……」と息を漏らした。
そちらに目を向けると、本を閉じて呆けている。
「どうしたの? 犯人は合ってた?」
「とりあえず読んで!」
身を乗り出す颯の勢いに負けて「あっ、うん」と少し背を反らして受け取る。
解決編で、探偵役の奥さんの弟が、主人と主治医の共犯を指摘した。
二人とも否定をするが、雪が止んで洋館から出られるまで、全員が二人を部屋に閉じ込めることになった。
あっ、颯の推理通りだ。
ん? でもまだ五十ページくらい残ってる。
続きを読んでいくと、メイドが閉じ込めた二人の部屋に忍び込もうとした。全員でメイドを押さえつける。
奥さんと執事だけじゃなく、主人も狙われる側だった。
弟は主人を助けるために、主治医と共犯という芝居をうって閉じこめた。
奥さんと執事の不倫関係ではなく、主人も殺して主人の遺産を全て手に入れることが動機だ。
小さな頃から苦労をして、母親が亡くなって父親と暮らせると思ったら、関係を隠されて小間使い。メイドは心を病んでしまった。
読み終わって「はー……」と俺も颯と同じ反応になる。
主人は助かったけど、モヤモヤしたものが残った。
「犯人、主人じゃなかったね」
「うん、僕の推理は作者の思惑通りだったね」
「でも颯はそこまでいけたんだからいいよ。俺なんて逆立ちについて、真剣に考えちゃったんだから」
「逆立ち?」
キョトンとして首を捻る颯に、志貴との会話をかいつまんで話した。
颯は吹き出して、声を立てて笑う。
静かに笑う姿しか見たことがなくて、瞬きを繰り返す。
「ごめんごめん、その発想はなかった。志貴は相変わらずおかしいね」
目尻を拭う颯。
鈍器で殴られたような、重い痛みが胸に広がる。
志貴のことで笑う颯を見たくなくて、視線を下げた。
「でも元オリンピック候補ってことを書くからには、作者はバカミス方面にもミスリードをしたかったのかもしれないね」
颯は声を弾ませていた。
「そう……かもね。志貴の突飛な言葉で、俺は逆立ちが頭から離れなかったから」
胸の痛みを誤魔化して、顔を上げた。
大丈夫。ちゃんと笑えているはず。
時計に目を向けると、お昼の二時。
「お腹減ったね」
「そうだね、なにか作ろうか」
「すごい! 料理できるの?」
「簡単なものだけね。本を読んで待っててよ」
颯が部屋を出て、一人になった。
立ち上がって、学習デスクの前に足を進める。青い帽子を手に取った。
「志貴のことであんな顔をして笑うのに、なんで俺とお揃いの帽子なんて飾ってるんだよ」
そう思っているのに、直接聞けない自分が情けない。
帽子を元の位置に戻し、元いた場所に座る。
天井を見上げ、ため息と共に肩を落とした。
颯がいないのに、颯の匂いで満ちている部屋も落ち着かない。
颯が志貴の名前を出すたび、心が沈むのをなんとかしたい。だって俺は、志貴のことも好きなんだから。
しばらくすると、階段を登る音が聞こえてきた。
慌てて本を手にして開く。
「できたから、リビングに来て」
颯が顔を覗かせる。
「ありがとう」
本を閉じて立ち上がる。
「結構進んだ?」
「ぼちぼち」
本当は一文字だって読んでいない。
「また持って帰っていいからね」
「うん、ありがとう」
颯に続いて階段を降り、ダイニングテーブルに着く。
トロトロの卵が乗ったオムライスだ。
「すごい! 美味しそう」
「食べよう」
二人で手を合わせて「いただきます」と声をそろえる。
チキンライスとトロトロ卵が絡まって、口の中が幸せで満ちる。
「美味しい!」
「よかった」
颯はホッと息をついて、大きな口でオムライスを食べる。
「料理できてすごいね」
「簡単なのしかできないよ」
全然簡単じゃないと思うけど。
「由貴くんは、僕に勝ったらなにを言おうとしたの?」
オムライスを頬張っていると、ふいに颯の凪いだ声が届く。
「えっと、……推理勝負のこと?」
「そう。二人とも犯人を当てられなかったでしょ。引き分けだし、罰ゲームはなしだよね? だから罰ゲームはなんて言おうとしたのか気になって」
「なにも考えてなった」
颯は瞬きを繰り返す。
「推理ばっかりに気を取られて、全く考えてなかったんだ」
「そう。僕は考えてたよ。由貴くんへの罰ゲーム」
「どんなのを考えてたの?」
颯は優しいし、そんなにキツい罰ゲームではなさそうだけど気になる。
颯は口を三日月みたいにして、綺麗に微笑んだ。
「内緒だよ」
颯が人差し指を口元で立て、目を細める。
ミステリアスな色気に心臓が跳ねて、茹ってしまうほど全身が熱くなった。
俯いて黙々とオムライスを口に運ぶ。さっきまで美味しかったのに、味なんてわからなくなってしまった。もったいない。



