好きな人の好きな人?

 始業式の朝、昇降口に張り出されているクラス表を一組から順番に眺める。

「あっ、俺は一組だ」

 隣で志貴が指を差す。

「由貴は何組?」
「えーっと……。あっ、五組だ」
「結構離れたね。忘れ物したとき、不便だな」
「忘れ物をしないように、気を付けなよ」

 頬をふくらませるけれど、俺の名前の上に『結川颯』と書かれていて、それどころじゃない。胸の中は大騒ぎ。平静を装えていただろうか?

「じゃあ、またな」

 志貴は片手を上げて、近くを通った友達に飛びかかっていた。
 緊張しながら二年五組の教室に入る。俺の席は廊下側の一番後ろ。
 颯はまだいなかった。
 席に座ってそわそわしていると、隣に座った人が「おはよ」と声をかけてきた。

「おはよう」

 挨拶を返す。

「兄と弟、どっち?」

 胸の中にモヤが広がる。口角を無理やり引き上げた。

「弟だよ。名前は由貴。よろしくね」
「ああ、よろしく」

 知らない人にも双子ってことは覚えられているけれど、俺として見てもらえないのは寂しい。

「由貴くん、おはよう」

 後ろから穏やかな声がかかった。
 颯は俺の前の席に座り、振り返って口の端を広げる。
 やっぱり颯は、由貴として見てくれる。心の中のモヤが晴れた。

「颯、おはよう」
「同じクラスになれたね。嬉しいな」

 颯の何気ない言葉に、心の中は乱される。
 俺も嬉しいと言えたらいいのに。意識しすぎて、声が喉の奥から出てこない。
 これが颯と俺の差なんだろうな。
 颯はスルスルと言葉が出てきて、意識されていないのがよくわかる。
 志貴相手なら、どうなんだろう。
 嫌な気持ちに囚われかけて、意識的にその思考を追い出した。

「どうしたの?」
「なんでもない」

 慌てて両手を振る。
 志貴と比べて卑屈になるのは、悪い癖だ。




 始業式が終わり、帰りの準備をしていると、颯が振り返った。

「由貴くんはこの後予定ある?」
「なにもないよ」
「それならうちに来ない? 小説を貸したいし」
「行きたい。昼ごはんを食べてから行くよ。俺も貸す本を、持って行くね」

 住所を聞き、スマホのメモに入力した。
 颯とは途中まで一緒に帰り、別れたところで全力疾走。急いで家に帰る。
 昼食のチャーハンを掻っ込んで、部屋に駆け込んだ。
 志貴に読んでもらって決めようとした、三冊の本を前にして腕を組む。

「どれにしよう。迷うな」

 しばらく悩み、三冊とも持って行くことにした。読んだことがあると言われても気まずいし、三冊あればどれかは読んでいないだろう。
 着替えて家を出ると、志貴が帰ってきた。

「帰ってくるの早いな。どっか出かけるの?」
「あっ、うん。遊びに行ってくる」
「嬉しそうな顔しちゃって。さてはこの間のデート相手だな」

 志貴はからかう気満々の、ニヤけ顔を近付けてくる。

「だからデートじゃないって言ったじゃん」
「その相手と遊ぶことは、否定しないんだね」

 志貴の口角が吊り上がる。そのうち顔からはみ出そうだ。

「それじゃ楽しんでこいよ。早く会いたいんだろ?」

 志貴は手をひらひら振って、家に入って行く。
 早く会いたい。そう思ってるよ。
 友達に向ける感情ではない気がして、まずいとも思っている。
 ブレーキが効かないみたいに、頭で追いつかないほど速く颯に心が傾いていく。
 はやる気持ちを押さえつけ、ゆっくりと歩き出した。




 十分ほど歩いて、颯の家に辿り着く。
 白い外壁に濃紺の屋根が乗った、落ち着いた雰囲気の家だ。
 インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開く。
 Tシャツにジーンズ姿の颯が出迎えてくれた。

「いらっしゃい。迷わなかった?」
「うん、地図アプリを見ながら来たから」
「上がって」

 手を玄関に向けられ、「お邪魔します」と小さく頭を下げる。声が少し震えてしまった。
 颯に続いて階段を登り、一歩ずつ上がっていくたびに心音は大きくなっていく。

「ここが僕の部屋だよ」

 扉を開いて、颯が振り返った。
 胸を押さえつけながら部屋に入る。
 ベッドと学習デスクと本棚があるシンプルな部屋。シーツとカーテンは緑で統一されているけれど、学習デスクの机上ラックにある青が目立って目が吸い寄せられた。
 俺と野球を見に行った時に買った帽子だ。
 扉が閉まる音で振り返った。
 颯が扉の前で「どうしたの?」と微かに首を傾ける。

「なんでもないよ」

 自然と返せていただろうか。
 どうして飾っているのだろう。
 ここの球団を応援しているから? でも颯の部屋には、他に球団グッズなんてない。

「もしかして、僕の部屋って汚い?」
「ううん、そんなことない。すっごく綺麗だよ」

 とんでもない勘違いをさせてしまい、必死に首と手を振る。ドラマに出てきそうな、整った部屋だ。

「そっか、よかった。こっちに来て」

 颯が本棚の前に立ち、俺もその隣に並ぶ。
 本屋みたいに作者順に並べられていて、几帳面な性格なのだろうと推測する。

「これは読んだことある?」

 一冊を抜き取って、差し出された。
 有名作家の初期作品だ。

「ううん、読んだことない。読んでみたいと思って図書館で探したけど、閉架図書で別の読みたい作品を借りたんだよね」

 閉架図書だと、出して欲しいと頼まなければならない。気が引けて、書架に並ぶ本を選んでしまいがちだ。

「それならちょうどよかった。由貴くんは図書館によく行くの?」
「うん、いっぱい読みたいけど、全部は買えないもん」

 毎月のお小遣いは限られているから、無料でたくさん読める図書館は、よく利用する。

「じゃあ今度一緒に行こ? 僕も図書館好きだよ」
「いいよね。本の匂いとか、落ち着いた雰囲気とか好き」

 古紙の匂いは、本の歴史を感じられる。

「他に読みたい本があれば、持って帰っていいよ」

 ありがたい申し出に、本棚に並ぶ背表紙をジッと見つめる。颯はクローズドサークルが好きと言っていたように、閉ざされた場所で事件の起こる話がたくさん並んでいた。人気ジャンルなだけあって、有名作品が多い。
 読んだことのない、有名作品を抜き取る。

「これも貸して」
「どうぞ」

 本をバッグにしまうと、自分が持ってきた本が入っていることを思い出した。
 バッグから三冊の本を出す。

「おすすめを持ってきたんだけど、読んだことないのある?」
「これは読んだことないな」

 颯が指したのは、人の死なない日常ミステリー。それを渡し、残りはバッグに戻す。

「今から読んでもいい?」
「うん、俺も読みたい」

 ベッドを背もたれにして、床に並んで座った。
 颯に借りた小説に目を落とす。
 部屋は静寂に包まれて、ゆったりとした時間が流れていた。ときおりページをめくる、心地いい音がするだけ。
 最初からクライマックスのような展開で、ページをめくる手が止まらない。

「飲み物を持ってくるね」

 そう颯に声をかけられたのは、五十ページほど読んだ頃だった。
 颯が読んでいたのは連作短編だから、一区切りついた頃だろう。

「手伝うよ」
「大丈夫だよ。待ってて」

 腰を浮かしかけたが止められた。
 颯が部屋を出ていく。
 財布からポイントカードを取り出して、栞代わりに挟んだ。
 読んでいる時は夢中で気にならなかったけれど、ずっと下を向いていて首に痛みを感じた。ぐるりと回すと、よく目立つ青い帽子が視界に入る。
 やっぱり気になる。
 飾り気のない部屋で、それだけが浮いて見えた。




 ほどなくして「由貴くん、扉を開けて」と部屋の外から声がかかる。
 扉を開くと、お盆を両手で持った颯が「ありがとう」と表情を和らげた。お盆にはお茶の入ったグラスと、クッキーが乗っている。

「俺が運ぶよ」

 お盆を受け取ろうとしたけれど、手が底に当たってしまった。グラスが傾いて、俺の方に倒れる。服がお茶を吸って体に張り付いた。

「ごめんね、大丈夫?」
「あっ、うん。俺の手が当たったからだし。こぼしてごめん」

 颯は学習デスクにお盆を置くと、俺の前で立ち膝になった。
 張り付く体と服の間に手を入れて、タオルで拭ってくれる。
 颯の頭頂部を見下ろしながら、下っ腹がゾワゾワと落ち着かない。

「自分でやるよ」
「というより、着替えたほうがいいね。僕の服を貸すから」

 クローゼットを開けて、薄手のパーカーを出してくれた。

「ありがとう」

 受け取って服を脱ぐ。

「洗濯機に入れてくるね」
「そこまでしてもらわなくていいよ。家で洗うし」
「それなら水洗いしてくるよ。シミになるといけないから」

 颯は濡れた服を受け取って、階段を降りていく。
 颯の服を身につけるが、自分の服とは違う匂いに胸が跳ねる。
 颯がずっと近くにいるみたいで、落ち着かない。
 戻ってきた颯は、濡れた服をベランダに干した。

「少し大きかったかな?」
「颯のほうが背が高いからね」

 袖は指先が少ししか出ないから捲った。
 お茶を飲みながらクッキーを食べて、本の世界に浸れる至福の時間。

「え?」

 颯から驚きの声が上がり、そちらに目を向ける。パラパラと前の方に戻っていた。
 しばらくそこに目を通し、また続きを読み始める。
 勧めた本に夢中になってもらえたみたいで、ぴょんと飛び跳ねたくなった。
 颯が俺の視線に気付いて、顔を上げる。

「面白いね。あまり日常ミステリーって読んだことなかったけど、実際に起こりそうな謎解き感があって」
「俺の好きな本を気に入ってもらえてよかった」

 その後も本を読み続けた。
 陽が傾き始めて、部屋は赤く染まる。颯が電気をつけた。

「もうこんな時間なんだね。そろそろ帰るよ」

 本をバッグにしまう。ベランダにかけた服はまだ湿っていて、颯がビニール袋に入れてくれた。それもバッグに詰め込む。

「あっ、そうだ。ちょっと待ってて」

 颯がボディバッグから、紙袋を取り出した。中身は小説。

「この本は読んだことある?」
「ううん、ないよ」
「じゃあさ、解決編の手前まで読んで、犯人が誰か予想しようよ。どっちが犯人を当てられるか、勝負しない?」

 本の帯には『読者への挑戦状』とデカデカと書かれていた。

「うん、いいよ。面白そう!」

 颯が目次を開く。

「最終章が解決編みたいだから、その前まで読んだら由貴くんに渡すね」
「俺もそこまで読んだら、犯人当て勝負だね」
「せっかくだし、罰ゲームでも用意しようか?」
「どんなの?」

 颯は顎に手を添えて、斜め上に視線を送る。

「そうだなー……。負けた方が勝った方の言うことを聞くってのはどうかな?」
「いいよ。負けないからね」
「僕だって!」

 バッグを掴んで「また明日」と手を振って家を出た。




 家に着くと、志貴が階段から飛び降りて母さんに怒鳴られているところだった。
 豪快に飛び降りるから、そのうち階段の下に穴が開きそうだ。

「由貴おかえり。あれ? 出かける時に着ていた服と違わない? また新しい服を買ったの?」
「ただいま。これはお茶をこぼしたから、借りたんだ」
「へー、デート相手って大きい男なんだ」
「だから、デートじゃないって」
「顔がニヤけてて、説得力なーい!」

 志貴が腰を屈めて、俺の顔を上目遣いで見上げた。意地悪く口角も上がっている。

「由貴も帰ってきたの? 夕飯できたから手を洗ったら席に着きなさいよ」
「はーい」

 返事をして、洗面所に逃げ込む。
 志貴は「お腹減った」と先にリビングへ入っていった。




 夕食と風呂を済ませると、子供の頃のアルバムを持って部屋にこもる。
 志貴とのツーショットばかりだけど、そこに友達が写っている写真も混ざっている。
 パラパラめくっていくと、颯を見つけた。
 真ん中に志貴がいて、左に俺。右に颯。颯と写っている写真は五枚だったけれど、トリオ芸人かと思うほど立ち位置が同じだった。
 颯はもともと志貴の友達なだけあって、志貴と颯のツーショットは何枚も見つかる。
 当然ながら、俺と颯のツーショットは見つからなかった。
 アルバムを閉じて、スマホに目を向ける。

「昔の写真がなくてもいいんだ。俺には今の写真があるから」

 ドームで撮ったツーショット写真に目を落としながら、自分に言い聞かせた。