好きな人の好きな人?

 翌朝クローゼットから服を引っ張り出し、姿見の前で体に当てて途方に暮れる。着ていく服が決まらない。
 あまりカチッとしすぎても気合い入りすぎって思われるかもしれないし、かと言ってダサいとも思われたくはない。

「ねぇ、由貴。俺の黒いスウェットパンツ知らない?」

 扉を開けた志貴は、服で散らかる部屋に目を瞬かせた。
 すぐに片方の口角を上げて、いたずらっ子のように笑う。

「なになに? デート?」
「そんなんじゃないって。友達と遊ぶだけ」
「こんなに服を悩むなんて、普通の友達じゃないじゃん」

 志貴が肩をドンとぶつけてきて、よろける。

「俺が選んであげよっか? どこに行くの?」
「わかんない。待ち合わせ場所しか、決めていないから」
「じゃあ迷うね」

 志貴はベッドの上にある、黒のスウェットパンツを見つけた。

「やっぱり由貴のところにあった」

 嬉々として履き替える。

「昨日買ったジャケット似合ってたし、それに合わせたら?」

 志貴がストライプのシャツと黒のテーパードパンツを俺に差し出した。

「付き合ったら、俺にも紹介しろよ」
「だから、そんなんじゃないし」

 部屋を出ていく志貴の背に投げかけて、下唇を噛んで俯く。
 颯が好きなのは志貴なんだから、付き合えるわけがない。
 志貴が選んでくれた服を着て、急いで部屋を片付ける。




 駅前には待ち合わせの五分前に着いた。土曜日ということもあり、人でごった返している。
 颯はすでに待っていて、俺に気付くと片手を上げて笑顔を見せた。
 白いTシャツにライトブルーのシャツを羽織り、ベージュのワイドパンツを身につけている。顔も服も爽やかだ。

「遅くなってごめん」
「僕も着いたばかりだし、まだ約束の時間になってないよ」

 優しい声が耳に心地いい。

「服似合ってるよ」

 その声で続けられ、胸が跳ねた。

「ありがとう。志貴が選んでくれたんだ」

 そう返して、しまった、と奥歯を噛む。
 チラリと颯を盗み見ると、眉を下げて笑っていた。

「そう、昔から由貴くんと志貴は仲がいいよね。妬けちゃうな」

 息が詰まる。颯はなにごともないように、話題を変えた。

「ちょっと早いけど、お昼ごはんを食べようか」

 颯の穏やかな雰囲気で、息苦しさが和らぐ。

「うん、朝ごはんを食べてこなかったから、お腹減った」
「いっぱい寝たんだね」

 余裕を持って起きたけれど、準備に時間がかかって食べる暇がなかった。本当のことを言うのは恥ずかしく、曖昧に頷く。
 近くのファミレスに入って、パスタを注文した。

「今日はどこに行くの?」
「ドームにデーゲームを見に行こうと思って」

 二枚のチケットを見せられる。

「由貴くんは野球が好きだよね? 小学生の頃、少年野球に入ってたし」

 確かに小学生の頃は野球をやっていた。志貴がやりたいと言って、俺も一緒にチームへ入れられた。
 もう野球はやっていないけれど、そんな昔のことまで覚えていてくれていたんだ。心の奥で明かりが灯る。

「ありがとう。チケットいくら?」
「気にしないで。親が仕事で行けなくなって、どうしようってなってたものだから」
「そうなの? 本当に大丈夫?」
「うん、むしろ一緒に観てくれると、席が無駄にならなくなってありがたいよ」

 颯がチケットをしまうと、テーブルに料理が運ばれてきた。
 フォークにパスタを巻いて口に含む。ミートソースがパスタによく絡んでいて美味しい。

「由貴くんは高校では野球部?」

 迷ったけれど、咀嚼して飲み込んでから答えた。

「野球は小学生で辞めちゃったんだ。高校では部活はやってない」
「そうなんだ。じゃあ野球観戦は興味なかったよね?」
「そんなことないよ。プロ野球はテレビでしか観たことがないから、すっごく楽しみだよ」
「よかった。でも僕は由貴くんを、小学生までのことしか知らないって思い知らされたな」

 颯は少し声のトーンが落ち、寂しそうに笑う。
 俺なんて、小学生の頃のこともあまり覚えていない。
 颯は志貴と仲が良くて、俺が遊びに混ぜてもらっていただけだ。
 颯のことを知りたい。

「颯は好きなことある?」

 自然だったかな? 声が裏返らなかったかな?
 奥歯に力を入れて、チラリと視線を投げる。
 颯は気にした様子もなく、うーん、と唸って斜め上に目線を送った。
 変に思われてないみたいで、ホッと胸を撫で下ろす。

「そうだなー、僕はミステリー小説が好きかな」
「本当? 俺も好きだよ」

 ついつい前のめりになって返すと、颯も目を輝かせる。

「じゃあ今度、由貴くんのおすすめを貸してよ」
「いいよ。颯のも貸して」
「もちろん。僕はクローズドサークルが好きなんだけど、由貴くんは?」
「いいよね。逃げ場のない場所で事件が起きる緊張感。俺は安楽椅子探偵が好き」

 話を聞いただけで事件を解決しちゃうのが、カッコよくてたまらない。なにより、真相に辿り着くまでの情報が提示されるから、フェアでいい。

「限られた情報から、真相を組み立てる楽しみがあるよね」

 うんうん、と完全同意。
 ミステリー小説という共通の好きなものがあるとわかり、話は弾んで浮かれていた。




「そろそろ移動しようか」

 颯に促され、時計に目を向ける。十一時半。一時間以上話していたことになる。
 時間があっという間に過ぎていた。
 これは俺たちの好きなミステリー小説で使う時間差トリックなどではなく、颯と話すのが楽しいからだ。推理をするまでもない。
 店を出ると電車に乗った。車内はそこそこ混んでいて、吊り革に掴まりながら立つ。

「颯はこっちに戻ってきたばかりなんだよね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ高校はどこなの?」
「南高だよ」
「えっ?! 俺と一緒だ」
「そうなの? 同じクラスになれるといいね。席が前後になるだろうし」

 結川と吉沢だから、その可能性は高い。

「僕がこっちにいた四年生までは、いつも志貴が後ろの席だったな」

 颯は思い出したように、ふっと目を細める。
 ドキッとするほど綺麗な横顔だけど、針で刺されたように胸がチクリと痛んだ。

「由貴くんとは、一度も同じクラスにならなかったね」

 颯と志貴には、俺の知らない思い出がたくさんあるんだろうな。知らずのうちに視線は下がる。

「どうしたの? 体調悪い?」

 颯が心配そうに顔を覗き込んでくる。

「ううん、大丈夫。えっと……、お腹いっぱいでぼうっとしちゃっただけ」

 両手を振って、必死に言い訳を口にした。

「僕にもたれかかって、目を閉じたら? 立ったままだと眠れないだろうけど、ちょっとは良くなるんじゃないかな?」
「え? いや、悪いよ」

 顔が熱くなり、目が泳いでしまう。
 颯が俺の頭を自分の方に引き寄せた。颯の肩に頭が乗る。胸が騒ぎ、軽いパニックに陥る。

「あと一駅で着いちゃうのは残念だけど」

 甘い声が降ってきて、頭がショートした。




 電車を降りてもドキドキしっぱなし。颯の言葉が頭の中で繰り返し再生される。
 どういう意味? 自分の都合のいいように捉えてしまいそうで、颯は志貴が好き、と自戒のように心の中で繰り返す。
 気持ちは冷えていき、すごく冷静になれた。
 ドームに着くと、入り口はすでにたくさんの人で溢れかえっていた。
 ユニフォームを着ていたり、応援グッズを身につけている人が多い。

「せっかくだから、なにか買おうか」

 颯に促され、物販を見て回る。
 青い帽子をかぶってみた。

「似合うね。僕もその帽子にしようかな」

 颯も帽子をかぶって、鏡で確認している。

「どうかな? 似合う?」
「うん、似合うよ」
「それならこれにしよ」

 お揃いの帽子に心が躍る。被ると、足取りが軽くなった。




 ドームの中に入り、指定された席に座る。三塁側の内野席。
 球団チアが踊っている中、マスコットキャラ同士がじゃれあっている。

「可愛いね」
「うん、野球が始まる前も楽しいんだね」

 颯と顔を見合わせて笑う。




 試合開始を告げるアナウンスが流れ、空気が震えるほどドーム全体が沸いた。
 応援チームの選手たちが守備位置につき、先頭打者がバッターボックスに入る。

「始まるね」
「ドキドキしてきた」

 ピッチャーが投げる。速いと思う頃には、バシッと重い打球音が響いていた。低く鋭い球は三遊間を抜け、レフトが捌く。すでに打者は一塁を踏んでいた。

「すごい」

 テレビで見るのとは、迫力が全然違う。敵チームの攻撃だとしても、興奮してしまう。
 プレイしている選手たちだけではなく、観客も一体となってドーム全体が熱い。俺も熱気の一部になったみたいだ。

「来てよかったね」
「うん、誘ってくれてありがとう」

 隣を見ると、颯が目を細めて顔を綻ばせる。その顔が優しすぎて、咄嗟に逸らしてしまった。
 帽子のツバを下げる。染まる顔を隠せていれば、いいのだけど。
 その後試合は一進一退の展開になった。
 スーパープレイを見て、知らずのうちに身を乗り出す。前に座る知らないおじさんが振り返った。邪魔をしちゃったかな、と不安になっていると、おじさんは「イエーイ!」と叫んで両手を上げる。ハイタッチを交わせば、おじさんは満足そうに前へ向き直った。
 颯が俺に身を寄せる。そちら側だけ、体温が高くなったみたいだ。

「びっくりしたね」
「うん」

 内緒話みたいに、耳元で話しかけられた。息がかかり、ゾクリとして体に力か入る。頷くことしかできない。
 試合に目を向ける。
 周囲の観客と声を上げ、応援に夢中になった。
 そして九回裏。
 ランナーが一塁と二塁で、四番打者が打席に入った。
 ピッチャーが投げ、今までで一番大きな打球音が響く。
 打球は高く上がった。ライト方向へ伸びていく。

「入る?」
「入ったら勝ち越しだよ!」

 球を目で追っていると、知らずのうちに立ち上がっていた。
 入ればホームラン。入らなければライトフライ。
 体の前で指を組み、入って、と祈る。
 球はゆっくり下降し、スタンドに吸い込まれた。

「入った!」

 ドームが爆発したかのように、歓声で震える。
 隣の颯と手をパチンと鳴らした。その後は、前のおじさんだけじゃなく、近くにいる人たちと手を合わせて喜びを分かち合う。
 颯に「すごかったね」と肩を組まれた。……近い。
 さっきまで試合に夢中だったのに、颯に意識が持っていかれる。

「うん、すごかった」

 かろうじて返した言葉は、ひどく小さなものだった。

「せっかくだし、写真を撮ろうよ」

 颯はスマホを持って腕を伸ばす。写真を撮るから近付かれたのか。
 理由がわかると、肩から力が抜けていった。急に近付かれて、どうしたらいいのかわからなかったから。

「撮るよ」

 顔の横で、ピースサインを作る。シャッター音が鳴った。
 おそろいの帽子を被り、満開の笑顔をした俺たちが写っている。

「その写真、俺にも送ってくれる?」
「いいよ」

 勇気を振り絞って伝えたけれど、颯はあっさりと頷いた。
 颯がスマホを操作すると、俺のスマホが震えた。
 ヒーローインタビューが終わり、「そろそろ出ようか」と声をかけられる。
 颯に続いてドームを出た。
 外で帽子をバッグにしまう。汗をかいて張り付く前髪を払った。
 颯は帽子を取ってもサラサラしていそう。髪が揺れて、帽子をとるだけなのに、絵になる。
 



 帰りの電車は、すし詰め状態だった。
 颯の肩に頬を押し付けているのは、わざとじゃない。

「大丈夫?」
「全然平気だよ」

 ドキドキしすぎて、永遠のような感覚に陥ったけれど、きっかり三十分で電車は最寄り駅についた。
 駅で「またね」と手を振り分かれる。
 この後どうする? もう少し遊ばない? 心の中で誘うシミュレーションをしていたけれど、結局声にはならなかった。
 小さくなっていく颯の背を眺めた。
 ふいに颯が振り返り、視線が絡む。
 颯は顔の横で手を振った。
 バッと勢いよく頭を下げて、慌ててその場を離れる。
 見ているのがバレた。でも、変わらない優しい顔で手を振ってくれた。
 嬉しいとか恥ずかしいとか切ないとか、色んな感情がないまぜになって胸を締め付ける。




 家について階段を駆け上がり、部屋に入る。
 扉を締めて、ずりずりとその場に座り込んだ。
 全身が燃えるように熱い。
 ベッドのサイドチェストの上に、帽子を飾った。
 バッグからスマホを取り出す。颯とのトーク画面を開いた。
 写真の下に『また遊ぼうね』とメッセージが書かれていて、スマホをギュッと胸に抱き寄せた。




 夕食と風呂を済ませて本棚を眺める。颯に勧める本を、どれにしよう。
 クローズドサークルが好きって言っていたけれど、読んだことがある本を避けるために、違うものにしたほうが無難かな?
 俺の好きな、安楽椅子探偵にしようか?
 散々悩んだ挙句、三冊まで絞り込んだ。

「ねぇ、やっぱり宿題写させて」

 志貴が勢いよく扉を開く。

「だからそれは志貴のためにならないって」

 苦笑してベッドに腰掛ける。
 志貴は帽子に目を留めた。

「なにこれ? 野球を観てきたの?」
「うん、そうだけど」
「やっぱデートじゃん。由貴が自分から野球観戦に行くとは思えないし」

 志貴にこのこのー、と肘で小突かれる。

「だからそんなんじゃないってば」
「でも楽しかったんでしょ? 部屋に飾って浮かれてる」

 からかわれて、口を尖らせた。

「いいでしょ! 飾ったって」
「いいんじゃない。由貴が楽しそうで、俺も嬉しい」

 屈託なく笑う志貴を見て、心の奥に淀みのようなものが沈んでいく。
 志貴は俺のことを喜んでくれるのに、俺は志貴に颯が戻ってきていることすら伝えていない。

「どうした? なにを悩んでんの?」

 志貴がベッドの上であぐらをかく。
 俺は目を瞬かせた。

「由貴は悩んでるとき、右下を向くし口に力が入るから、すぐに分かるよ」

 両手で口を覆う。志貴は腕を組んで顎を突き出した。

「ほら、悩みを言ってみろって」

 言えと言われても、颯のことを志貴に相談なんてできるわけがない。
 必死に思考を巡らし、手をポンと叩く。
 本棚から三冊の本を取り出した。

「この三冊を読んで、どれが一番面白かったか教えて」

 志貴は本をパラパラとめくって、突き返してきた。

「無理。五百ページもあるじゃん。一冊読むのに一ヶ月はかかる」
「大丈夫だって。三冊とも読み始めたら止まらないから。春休みだし、一日一冊読めるよ」
「由貴は読めるかもしれないけど、俺は無理なの。漫画ならいっぱい読めるけど、字ばかりだと眠くなる」

 志貴は「相談室閉店!」と顔の前で腕をクロスさせた。

「なぁ、今度は俺の相談に乗って。本当に宿題がヤバいんだって」
「写させはしないけど、わからないところを教えるのはいいよ」
「もうそれでいいや」

 志貴は学習デスクに向かい、プリントを広げた。
 少しだけ手が動き、すぐに「由貴」と呼ばれる。

「助けて」

 普段明るい志貴の、か細い声に笑いが漏れた。

「どこがわからないの?」

 後ろから覗き込むと、半分くらい白紙だった。

「頑張って終わらせよ」

 その後の春休みは、志貴と勉強をして終わってしまった。