好きな人の好きな人?

 夕飯を食べて満腹になり、お風呂でサッパリすると自室に籠る。
 買った本の続きを読もうと手に取って、ふいに本棚へ目が吸い寄せられた。

「颯に読み終わったら貸す約束をしてたんだ」

 迷った末に、手にしている本と貸す本を入れ替えた。
 ベッドにうつ伏せになって、本を開く。
 三日かけて、解決編の前まで読み終わった。

「また推理勝負できないかな。前回は引き分けだったし」

 颯にメッセージを送る。

『明日本を持っていくね。また推理勝負したいな』

 すぐに返信があった。

『うん、やろう! 負けないよ』
『俺も』

 学習デスクに腰掛けて、ルーズリーフに概要を書き出して行く。
 主人公は若い警察官。探偵役を担っている。休みを利用して、妻とスキー旅行に出かけた。
 宿泊先のペンションの持ち主はミステリー作家。いかにもな雰囲気で執筆するために購入。家族は妻と息子である盲目の青年で、料理担当の男性にバイトが二人住み込みで働いている。ペンションを切り盛りしているのは、作家の妻。
 週に二回食材を届けるのが作家の弟。この日は大雪が降ったが、食材がないと全員が困ると無理をしてやってきて、泊まることになった。この家族最大の秘密は、盲目の青年が実は奥さんと作家の弟の間に生まれた子供だということ。
 作家の担当編集者も、打ち合わせのために泊まっていた。編集者は作家の息子じゃないと知り、作家をゆすろうとしていた。家族の中で事実を知らないのは、息子だけ。

「他の宿泊客は作家のファンの女性と、スキーサークルの大学生五人組。……登場人物多いな」

 指折り数えて、口を引き結ぶ。
 最初の犠牲者は編集者。でもこの時は作家以外にアリバイがあった。作家に疑惑が向くが、次の犠牲者は作家。深夜のため、誰にもアリバイはなし。

「主人公が死亡推定時刻を割り出しているから、犯行はその時間で合ってるはずなんだよな」

 第一の事件で作家が犯人と思わせて、全く別の犯人がいることが提示されてしまった。
 でも第二の事件には、目撃者がいた。息子である、盲目の青年だ。彼は夜中にトイレに起きて、父親の部屋から誰かが出てくるところに遭遇した。タバコの匂いがしたから「お父さん?」と声を掛けたが返事はない。泣くのを堪えるような息遣いと鼻を啜る音を聞いた。多分男性だということだ。ちなみに登場人物の中で、喫煙者は作家だけ。
 作家は厨房のナイフで刺されていた。吸い殻はたくさん灰皿にあるのに、灰は毛足の長い絨毯に散らばっていたのは気になる。

「うーん。まずは編集者殺しのアリバイを崩さなきゃだよね」

 全員のアリバイは完璧。その時間の行動を全員分書き出してみても、証言に矛盾は見られなかった。

「えー、犯人は二人以上じゃなきゃ無理じゃないかな。よし、次は動機を考えてみよう」

 編集者は作家を脅していたんだから、作家とその家族も脅されていることを知っていれば動機になる。じゃあ作家は? 男性で絞るなら弟? 自分の子供だと持っていたのに、実は弟の子どもだった。でもそれなら、弟が作家を殺すんじゃなくて、作家が弟を殺す動機になるんじゃないだろうか。

「あー、わかんない」

 颯が読み終わるまで、もう少し考えよう。




 翌日、颯に本を渡す。

「ありがとう。由貴くんは犯人わかった?」
「まだわかんない」
「今日と明日で読み切るから、明後日の日曜日に僕の家で犯人当てしようよ。また罰ゲームを賭けて」

 颯は片目を閉じて、口元に綺麗な笑みを浮かべる。
 胸が高鳴り、無条件で頷いていた。翻弄されっぱなしで、すでに負けそう。

「日曜日までに、考えをまとめておくね」
「うん、僕も当てられるように頑張るよ」




 日曜日の朝、身支度を整えていると、志貴が「おはよ」と寝起きとは思えない声量とともに扉を開いた。

「志貴、おはよう」
「ねぇ、今日はどこかに遊びにいかない?」
「ごめん、今から颯の家に行くからまた今度ね」

 志貴はわざとらしくショックを受けたとでもいうように、ベッドに倒れ込んだ。

「やらしい! 絶対にエロいこと考えてんじゃん」
「なに言ってんの! 小説の推理勝負をするんだよ」
「そんなん家に連れ込む口実だろ。俺と遊ぼうぜ」
「颯はそんな人じゃないって」
「いやいや。『僕が勝ったからご褒美が欲しいな』とかあの胡散臭い笑顔で押しきって、エロいことするんだ」

 志貴がうつ伏せの格好で、手足をバタつかせる。

「勝ったほうが罰ゲームって、そういうことも言われるの?」
「はぁ? そんなん了承したの? 颯の思う壺じゃん。嫌なら絶対逃げろよ。むしろついていってやろうか?」
「いいって。いってきます」

 志貴を残して、階段を駆け下りて外に出る。
 颯がそんな事言うわけ無いじゃん。……でも俺たちは付き合ってるわけで。でもでも手を握るくらいしか、したことないし。
 志貴が変なことを言うから、家を出たばかりなのに汗が滲む。火照った顔を冷やすよう、手であおいだ。




 颯の部屋に通され、いつも通り並んでベッドを背もたれにして座る。
 今まで気にならなかったけれど、拳一つ分しか空いていない距離が落ち着かない。これも志貴のせいだ。

「面白かったよ、ありがとう」

 本を渡される。

「由貴くんは犯人わかった?」
「うん、筋は通ってると思う」

 ずっと考えて、答えは出せた。

「さっそく同時に言おうか」

 颯は自信がありそうだ。早く言いたくてわくわくしているように見える。
 俺たちは「せーの」の合図で口を開く。

「作家」
「作家の弟」

 答えが割れて、顔を見合わせる。
 作家と言ったのは俺で、颯は弟。

「どういうこと? 作家は被害者だよ? 自殺だってこと?」
「ううん、違うよ。編集者を殺したのは作家。唯一アリバイがないしね。作家殺しは正当防衛だと思ってる。作家が弟を殺そうとして、返り討ちにあった。だから犯人は作家」

 颯は顎に手を添えて、思索の海に潜る。しばらくしてこちらに目を向けた。

「続きを聞いてもいい?」
「うん。作家が弟を殺す動機はあっても、逆は思い浮かばなかったんだ。それに作家は編集者殺しでアリバイがない。そんな人と二人で会うなんて考えられないし、仮に会わなければいけないなら、武器を持っていくんじゃないのかなって」
「それが厨房のナイフだね」

 奥歯に力を込めて頷く。

「タバコの臭いが移るくらい一緒にいたってことは、きっと子どものことを話していだんだろうね。そこで作家はカッとなって、灰皿で殴りかかろうとした。計画性がないから、灰も吸い殻も振りかぶった時に落ちた。でも弟が身を守るために刺してしまった。吸い殻は拾ったけれど、カーペットは毛足が長くて灰は絡まって拾えなかった。夜中に掃除機の音がしても変に思われるかもしれないし、灰はどこにいった? って疑問を持たれるはずだからそのままにしたんだ。とにかくその部屋から逃げたかった」
「そこで子どもと会ったんだね」
「『お父さん?』って呼びかけたら、泣いたんだよね。名乗り出ることのできない親子だから、初めてそう呼ばれて泣いたのかなって。子どもが呼んだのは作家だったとしても、感極まったんだと思ったんだ。もちろん兄を殺してしまった、罪悪感からかもしれないけど」

 必死に考えた推理を披露して、深く息を吐きだした。

「僕も真相はそれなんじゃないかって思えてきたよ。由貴くん、解決編を読んで」

 先にラストまでを読み、颯に渡す。颯は集中して、どんどんページを捲っていく。最後のページを読み終わると、パタンと閉じて顔を輝かせた。

「由貴くんの推理通りだったね。すごいよ」

 胸を張って自信満々に笑う。

「じゃあ罰ゲームを受けるのは僕だね。由貴くん、僕はなにをすればいいかな? なんでも言うこと聞くよ」

 エロいことするんだ、と志貴の言葉が頭の中で反響している。頭の中から追い出すために、思いっきり首を振った。
 罰ゲームに関しては、今回も考えていなかった。
 颯にしてもらいたいことってなんだろ? 全くアイデアが浮かばない。
 颯は悩み込む俺を、微笑ましそうに見つめて待っている。

「あっ、前回颯が俺にする罰ゲームがなんだったかを教えてほしい」

 秘密だって言われて、聞けていない。

「ああ、そんなことでいいの? 僕と七秒間見つめ合ってって言おうとしたよ」

 あっさりと答えられ、瞬きを繰り返す。

「そんなんでよかったの?」

 志貴のせいでどんなすごいことを言われるか気になって聞いたけど、拍子抜けするほど簡単なことだった。その時は付き合っていなかったから、当たり前なんだろうけど。

「やってみる?」
「いいよ」

 颯と視線を絡めた。心の中で数を数えていく。
 熱を帯びた瞳に捕らえられ、体温は上がるし視線が泳ぎそうになった。瞼にグッと力を込めて、颯の顔へ目を固定させる。

「七秒経ったね」

 颯が口を開き、吐息が唇に触れて沸騰した血液が全身を巡る。胸を押さえて、背中を丸めた。心臓が耳の中にあるみたいにうるさい。

「どうだった?」
「人の目を見るのって、意外と難しいんだなって思ったよ」
「それだけ?」

 颯の不服そうな声に顔を上げる。

「七秒見つめると恋に落ちるらしいけど、どうなのかなって気になって」
「もう落ちてるから」

 しどろもどろに答えると、颯は額を押さえて俯いた。

「なんかもう、こんなに幸せでいいのかなってなるね。結局僕の言う事を聞いてもらっちゃったし、由貴くんは他にないの?」

 頭を捻っていると、空腹感に襲われる。すでにお昼は過ぎていた。

「また颯が作ったオムライスが食べたい」
「まかせて。できたら呼びに来るから待ってて」
「一緒に行ってもいい?」
「いいよ。リビングにはなにもないから、本を持ってきなよ」
「ううん、いらない」

 颯とリビングに行き、ダイニングテーブルについた。
 正面にはキッチンがあり、颯が料理しているところを特等席で眺める。
 ときおり顔を上げ、目が合うと笑いかけてくれる。颯を独り占めしているみたいで、すっごく贅沢だ。
 できあがったトロトロのオムライスには、ケチャップでハートが描かれていた。

「崩すのがもったいないね」
「僕は食べてほしいな。できたてが一番美味しいし」

 手を合わせて「いただきます」と声を揃える。
 前回は途中で味がわからなくなったけれど、頬が落ちそうなほど美味しい。

「こんなに幸せでいいのかなってなる」

 好きな人が俺のためにご飯を作ってくれて、一緒に食べてくれる。心もお腹も満たされた。
 片付け終わると、そっと手を掬われる。

「部屋に戻ろうか?」
「うん」

 颯は前のめりになり、俺の耳に口を寄せる。息がかかって身を捩った。

「僕は由貴くんに触れたい」

 耳の奥が震えた。
 颯が顔を離し、艶のある瞳で俺を見下ろす。

「ダメならリビングで過ごそ? いつ親が帰ってくるかわからないから、ここで触れることはしないよ」

 手を握り返して、ねだる。

「颯の部屋に行きたい」

 颯はわずかに瞼を上げた。

「本当にいいの?」
「うん」

 自分で行きたいと言ったけれど、確認されてまた返事をしなきゃいけないのは、恥ずかしさに拍車をかける。有無も言わさず、連れていってくれればいいのに。
 颯の顔を見ていられなくて俯いた。

「じゃあ、行こうか」

 耳元で囁かれる。いつもより少し低くて、背筋がゾクゾクとした。
 二人で階段を上がり、颯が扉を開けてくれて先に入る。
 さっきまでいた部屋なのに、空気が違って感じられた。
 扉が閉まる音と共に、後ろから抱きしめられる。
 体が強張り、足が震えた。ギュッと目をつぶって、激しい心音を耐える。

「僕はもっと触れたいけど、由貴くんはどうかな?」

 耳の裏に颯の唇が触れた。そこが火傷したみたいに、ジンジン熱を持つ。

「も、もっと?!」

 声が裏返って、下唇を噛んだ。
 抱きしめられているだけで胸が痛いのに、もっとされたら爆発してしまうかもしれない。
 背中から颯のぬくもりが離れていく。寒くもないのに、ひんやりした。
 颯は固まっている俺の前に回り込んだ。つま先が触れ合いそうなほど近い。
 颯の両手が頬を包み、優しい手つきで上を向かせられる。
 熱を持った颯の瞳に、情けなく眉を落とした俺が映っていた。

「キスしたい」

 震える手で、颯の服の裾を掴む。
 朝から志貴に変なことを言われて、意識してしまっていた。
 部屋に行きたいと言った時は、もっと穏やかな気持ちだった。
 実際に抱きしめられて、部屋に行きたいと言ったことを、簡単に考えていたのかもしれないと悟る。
 緊張して不安になって、心細くなった。でも嬉しくて、幸せで、颯が好きで……。いろんな感情が糸のように絡まり合って固まっている。

「ダメかな?」

 言葉を発せない俺に、颯は瞳を揺らす。
 颯の胸に触れた。余裕そうに見えていたけれど、颯の心音も、俺と同じくらい速い。

「……いいよ」

 震える口で、絞り出した。
 颯の顔から、力が抜けたのがわかる。
 ゆっくり顔が近付いてきて、瞼を下ろした。
 唇が重なる。温かくて柔らかい。
 すぐに離れていく。
 颯は顔を真っ赤にして、片手で口を覆うと顔を背けた。

「ごめんね。あんまり見ないで」
「……嫌だったってこと?」

 自分の服がシワになる程キツく握る。

「ち、違うよ! そうじゃなくて」

 颯は勢いよくこちらに視線を戻した。耳まで真っ赤なまま。

「由貴くんのカッコいい彼氏でいたいって言ったのに、全然余裕なくて浮かれてさ。だからちょっと落ち着くまで待ってて」

 バツが悪そうに視線を泳がせ、尻すぼみになる声。
 愛おしさが込み上げ、奔流となって溢れ出す。
 颯に自分から抱きついた。首元に顔を埋める。

「ゆ、由貴くん?!」

 颯のひっくり返る声も愛おしい。

「俺も言ったよ。どんな颯も好きだって」

 おずおずと背中に手が回った。宝物みたいに、大事に腕の中へ閉じ込められる。
 不安はすっかり消えて、心の中は幸せで満ちていた。