好きな人の好きな人?

 翌日の放課後、颯と昇降口で靴を履き替えていると、志貴が顎をしゃくる。

「おい、面貸せよ」

 志貴は限界まで声を低くして、両手をポケットに突っ込んで斜に構えているけれど、どう見ても無理をしている。似合っていないし、弱そう。
 颯は小さく肩を揺らして、息を吐き出した。

「また今度じゃダメ? 今からデートなんだけど」
「そのデートに、ついていってやろうか?」
「それ、デートじゃなくなるよ」
「嫌ならとっとと来いよ」

 二人の空気がピンと張り詰める。

「由貴くん、ちょっと待っててくれる?」

 二人が歩き出し、背中がどんどん小さくなっていく。右往左往していると「どうした?」と後ろから声をかけられる。
 振り返ると、蓮見先輩が無表情に俺を見下ろしていた。

「あ、あの。志貴が颯を連れて行ってしまって。なんか二人とも険悪な感じがして」

 興味をそそられたようで、蓮見先輩の目に光が宿る。

「へぇ、一緒につけるか?」
「でも俺はここで待っててって言われています」
「気になるんだろ?」

 ブンブンと頷く。

「どこに向かった?」

 右を指すと蓮見先輩が「行くぞ」と足を踏み出した。その背を慌てて追いかける。
 校舎裏から声が聞こえて、立ち止まった。
 蓮見先輩と壁に張り付いて、耳を傾ける。

「いつまで黙ってんの? 由貴くんが待ってるんだけど」

 颯の声は淡々としていた。

「ちょっとくらい待てよ。俺だって言いたくないことを言おうと、心の準備をしているんだから」
「次からは心の準備を済ませてから、声かけろよ」

 声が途切れ、風が葉を揺らす清涼な音が聞こえるだけ。
 固唾を飲むと、志貴が大きく息を吸い込んだ。

「ほんっとうに嫌だけど、絶対に由貴のことを大事にしろよ。泣かせたらぶっ飛ばすからな!」

 志貴が喚き、声が上がりそうになった。瞠目した蓮見先輩に、口を押さえられる。
 すみません、と心の中で謝って視線を下げた。

「そんなこと、するわけないじゃん」

 颯の自信満々の声が聞こえ、隠れるタイミングもなく鉢合わせた。
 颯は目を大きく見開いた後、蓮見先輩に敵意剥き出しの目を向ける。

「あっ、悪い」

 蓮見先輩は両手を顔の横に上げて、手のひらを見せる。

「あれ? 由貴もついてきたの? 蓮見先輩まで」

 颯の後ろからひょこっと顔を覗かせ、志貴が蓮見先輩を「一緒に帰ろ」と誘う。
 俺は颯に手首を掴まれ、引っ張られながら歩く。

「待って、歩くの早いよ」
「すぐにここから離れたい」

 怒ってる? 待っててって言われたのに、ついていっちゃったから。
 校門を出ると、手を離される。

「ごめんね。約束を破って」
「なんのこと?」
「待たずにつけたから」

 颯は空を見上げて、額を押さえた。
 口を尖らせ、子どもみたいに拗ねた顔を見せる。
 怒らせてしまって不謹慎だけど、いつもの穏やかな颯とは違い、表情豊かでいろんな顔が見られて胸が高鳴る。

「僕が怒ってるのは、さっきの人と近かったから。誰? 由貴くんとどんな関係なの?」
「蓮見先輩は、球技大会で俺たちが負けたGKの人だよ」
「……誰? って聞いたのは僕の方だけど、聞きたいのはそういうことじゃなくて」
「そうなの? えっと、俺との関係は……、なんだろ? 昨日初めてしゃべったから、わかんない」

 颯は首をもたげて、体から力を抜く。

「なんでそんな人と一緒にいてひっついてんの? 由貴くんの彼氏は僕でしょ?」
「もしかして、ヤキモチを焼いてるの?」
「もしかしなくても、そうだけど」
「大丈夫だよ。蓮見先輩は俺じゃなくて、志貴が好きなんだから」

 きっぱりと否定するけれど、訝しげな目を向けられる。

「また由貴くんが勘違いしてるんじゃなくて? 僕の時みたいに」

 颯は志貴が好きというポンコツ推理のことを蒸し返されて、ぐうの音も出ない。

「でも、今回は本当だよ。蓮見先輩は志貴がうちに連れてきて、付き合い始めたみたいだもん」

 はっきりと確かめたわけじゃないけど、間違いないと自信を持てる。
 昨日、志貴の部屋でのことをかいつまんで話した。結果的に、蓮見先輩も颯と志貴の電話を聞いていたことを知られる。
 颯は志貴と蓮見先輩のことは納得してくれたようだけど、「僕以外の人と引っ付いたら、焼くからね」と念を押した。

「うん、ごめんね。気をつける」

 颯はいつもの優しい笑みに戻って、「デートしよ」と誘ってくれた。




 向かったのは、この地域で一番大きな本屋。カフェが併設されていて、コーヒーの香りがほのかに漂ってくる。
 ミステリー小説のコーナーも広く、俺にとっては遊園地のアトラクションみたいに胸が躍る。
 颯が平積みされている本を手に取った。

「あっ、それ、持ってるよ」

 志貴が選んでくれた、雪に閉ざされた館ミステリー。颯が好きそうだと思った通りだった。

「面白かった?」
「ううん、まだ読んでない。今度貸すよ」

 いつもなら買ってすぐに読むけれど、本を楽しむメンタルではなかった。

「ありがとう。由貴くんが読み終わったら貸して」

 お互いにおすすめの本を選びあう。
 俺は脱出ゲームで事件が起きるけれど、謎を解かないとそこから出られないクローズドサークルに脱出要素を合わせた本を渡した。
 颯が選んでくれたのは、優秀な助手に誘導されながら謎を解かされる、ダメ探偵のバディもの。
 カフェは精算前の本も持ち込めて、ゆったりとした一人がけのソファに体を沈める。
 通路も広めで、隣との間隔も空いており、本を読むのに最適な環境だ。
 ここに住みたいくらい、心地が良い。
 二人ともカフェオレを買って本を読む。
 探偵と助手のやり取りが面白く、クスッと笑えるのに事件は本格的。
 颯は脱出ゲームの問題を解こうとしているようで、全然先に進んでいない。




 早々に飲み切ったカフェオレのグラスの底に、溶けた氷が水を張っている。
 時計に目を向けると、いつのまにか一時間経っていた。

「この本買ってくるね」

 颯に声をかけると、颯も本を閉じて立ち上がる。

「僕も買ってくる。家でゆっくり謎解きしたい」

 脱出ゲームの問題が図付きで載っているから、主人公と一緒になって謎解きをできる楽しさがある。
 本を購入して、本屋を後にした。

「由貴くんのおすすめは、面白い作品が多いね」
「俺も颯がすすめてくれる本好きだよ。今回のは探偵と助手のやり取りはコメディっぽいのに、事件はずっしりシリアスで」

 拳を握って力説すれば、颯が口角を柔和に広げる。

「よかった。由貴くんが楽しんでくれるのが、一番嬉しい」

 夕焼けに染まるその顔が綺麗で、息を飲む。

「颯はなんで俺のことを好きになったの?」

 子どもの頃からずっと想ってくれている理由が、思い浮かばなかった。だって俺は、幼稚園の頃なんて忘れていることの方が多い。

「僕は双子を見たのが初めてで、同じ子が二人いるって気になったんだ」

 幼稚園で双子は、俺と志貴だけだったはずだ。

「でも二人とも全然違った。同じ組だった志貴はやんちゃだしわがままだし。由貴くんが砂場で遊んでいる時に、道具を奪った子がいたんだよね。志貴なら返せって泣き喚いてただろうけど、由貴くんは口をへの字に曲げて泣くのを我慢していた」

 全く覚えていない。

「僕はすごいって褒められる優越感を想像して、取り返してあげようと思ったんだ。そうしたら相手の子と殴り合いの喧嘩になっちゃった」
「え? 大丈夫だったの?」
「子どもの喧嘩だからね。先生が間に入って、お互いごめんで終わったよ。でもおもちゃを取られた時は我慢していた由貴くんが、喧嘩をしたら大泣きし出して、先生は由貴くんを宥める方が大変そうだった」

 そんなこともあったかもしれない。それが颯だったことは、すっかり忘れていたけれど。

「最初は、この子ずっと泣いててうるさいなって思った。でも泣いている理由が、お友達が怪我をしちゃったから、だって。僕も相手も由貴くんを友達だと思っていなかったのに。それなのに僕たちが怪我をして泣いたんだ」
「母さんが公園で初めて会う子でも、お友達と遊べて楽しかったねって言ってたから、同じ歳くらいの子はみんな友達だと思っていたんだと思う」

 颯はふふっと声を漏らして笑った。そして奥歯を噛み締めて、後ろめたいように硬い口を開く。

「……志貴に聞いたかもしれないけど、僕はわんぱくだったんだよね」
「ガキ大将みたいって言ってたよ」
「最悪な表現だね。でも、そんな感じで、しょっちゅう喧嘩をしていた。仲直りも早かったけど」

 口を尖らせて言い訳のように付け足した言葉が、可愛らしく感じた。

「僕が怪我をしたら泣く子がいるって知って、興味が湧いた。泣いてほしくなくて、由貴くんの前ではいい子のふりをするようになった。志貴には『颯は由貴の前ではヘン』って言われて、僕が由貴くんを好きなことを、僕よりも先に勘付いたみたいだよ。僕はなんで由貴くんに泣かれたくないのか、由貴くんの前で喧嘩しないようにしようとしていたのかわかっていなかったから。好きなんだなって気付いたのは、小学生になってからだし」
「そうなの?」

 ジャングルジムから降りられなくなった時は、理由もわからず助けてくれたのか。

「小学校に入ってしばらくして、誰が可愛いかって話題が出たんだ。思い浮かんだのが由貴くんだった。その時一緒にいた志貴の顔を見ても、可愛いとは思わなかった。そこで由貴くんが好きだからだって気付いたんだ。そこからはなんとか由貴くんと仲良くなろうと必死だったけど、ことごとく志貴に邪魔された」

 乾いた笑いしか出てこない。
 そんなに想われていたのに、志貴のおまけで遊びに入れてもらえていると思っていた。

「颯が戻ってきてくれてよかった。そうじゃなきゃ、その気持ちも知らなかったし、こうして一緒にいることもできなかったから」
「親の転勤でさ、嫌だって駄々を捏ねたけど、小学生にはどうすることもできないよね。だから大学は絶対にこっちを受けようと思ってたけど、それより早く戻ってこられた。一緒にいられて、すごく幸せ」

 いつも別れる場所に着いてしまった。

「またね」

 名残惜しい気持ちで手を振ると、指を絡められる。

「なんでこうするかわかる?」
「俺のことが好きだから」
「うん、覚えていてくれてよかった。もう変な推理しないでよ」

 釘を刺されて、苦笑いを浮かべる。

「また明日」

 颯が手を振り、俺も指を絡めてぎゅっと握った。颯は面食らったように、口が半開きになる。

「俺がこうする理由わかる?」

 颯は俺の手を握り返してくる。隠しきれない笑みを浮かべて。

「僕のことが好きだから?」

 首振り人形のように、何度も頷く。
 好きだって伝え合うだけで、いつも見ている景色がワントーン明るくなったみたいだ。
 もの寂しさを残しながら、手を離して家へ向かう。
 少し進んで後ろを向くと、颯も同じタイミングで振り返った。視線が絡んで、また手を振り合う。
 正面を向いて、ステップでも踏むように軽く足を踏み出した。