アイドル様とは一緒にいれない

 冬がやってきて、先輩たちが続々と進路を決めていって、春がやってきた。大学受験という俺の人生を大きく変化させるかもしれない一大イベントを間近に控えた春。
 新学期に校舎の掲示板に貼られたクラス分け表は残酷だった。あんなに仲良くなった俺と拓也は校舎の両端のクラスに離された。とはいえ、文化祭が終わって三学期を迎えた頃には、それぞれ元々仲良くしていた別のグループに出戻っていたからあんまり話す機会はなかったけど。
 それでも、高校生活最後の一年を、親友と呼べるやつと一緒のクラスで過ごせたら絶対に楽しかったのになと不貞腐れた。
 勉強にあまり自信のない俺は、気が向いて描いてみた絵が賞をとった話を盛りに盛って、ついでに文実の話も添えて公募推薦で大学を受ける予定だ。だから本番は十一月。他の人よりも早いから気を引き締めなくちゃいけない。そんなこんなであまりスマホを見ない生活をしていたから、久しぶりに拓也から連絡が来るまで、ある情報を知らないでいた。
 ――話したいことがある
 授業中、いきなりそんな連絡がきていたから驚いた。別に一日遊んだところで受験の結果が変わるわけないか、と自分に言い聞かせて、すぐに返信する。なんの話だか全く見当がつかず、授業なんて全く頭に入ってこない。やっとのことで六時間目の授業を終えると、待ち合わせ場所として指定されていたカラオケまで全速力で走った。



「よ! 久しぶり」
「おー」

 個室の扉を後ろ手で閉めながら、全然急いでなんていませんよ、といった感じの涼しい顔を意識しながら軽く声をかける。久しぶりに間近で見た拓也は、前よりもシュッとしていてキラキラ度が増していた。

「どうした? なんかあった?」

 拓也は俺に座るよう手で促して、俺が落ち着いたのを確認すると大きく息を吸った。

「単刀直入何だけどさ、俺、アイプロ出るわ」
「え?」

 驚きすぎて理解が遅れる。アイプロってあのアイプロ? 韓国の大手アイドルオーディション番組、アイドル・プロデューサーズ? え、どういうこと? アイプロ新シーズンやんの? まじで? あそっか、俺最近スマホ見てなかったから……え⁉︎ 拓也アイドルになれるかもってこと?

「ガチで⁉︎」

 やっと声が出た。カラオケでよかった、今俺絶対すごい声量だったもん。俺の反応がそんなに面白かったのか、拓也はいつもみたいに腹を抱えて笑った。

「ガチ」

 ダブルピースでにっこり笑顔。え〜! ビジュが天才! もうアイドルなんだけど! こんなの合格だよ合格!

「おめでとう! 俺、応援するから、死ぬまで応援団長だから! お前すげぇよ、夢叶えちゃって」

 驚きすぎたからだろう、涙が出てくる。

「まだ番組出れるだけだから。全然今のままだと初回落ちだし。本当は誰にも言っちゃいけないんだけど、遥にだけは報告したくてさ」

 拓也の口から出てくる言葉がいちいち嬉しくて、鼻水まで出てきた。だって俺ら、なんかちょっと疎遠気味だったじゃん。あの牛丼屋のことなんてもう忘れちゃったかと思ってたよ。

「こんな絶対言っちゃいけないこと、俺のこと信頼して言ってくれてありがとな……! まじで俺、俺にできること何でもするから……!」
「ふはっ、その言葉を待ってた」
「え?」

 ちょっと意味がわからなくて瞬きをする。すると、真剣な顔をした拓也がぐいっと顔を覗き込んできた。

「素直に答えてくれる?」
「うん」
「俺の実力は後夜祭の時と変わらないんだけど、初回で脱落しない可能性は?」
「三パー」
「うっ……だよね。次! 俺に足りてないスキルは?」
「ダンス、歌、ラップ、表情管理、ファンサ、セルフメイク、あとは〜」
「とにかく全部でしょ?」
「うん」
「コーチして! 俺のマネージャー!」
「え⁉︎」

 拓也は牛丼のあまりをせがんで来た時と同じ、両手を合わせたポーズでお願いっと目を瞑った。いやいやいやありえない。

「そこはプロに頼めよ」
「お金ないし」
「親は? 貸してくれないの?」
「親大反対だから、勝手に受けて今めっちゃ怒られてるとこ」
「やっぱり……?」

 牛丼屋で、拓也の親が拓也にエリート人生を歩ませたがっていると聞いたことを思い出した。

「うん、受験はどうすんだって激怒してる」
「どうするの? てか学校は?」
「休学かな。出席日数足りなくなっちゃってどうせ留年だし。それで、落ちたら復学して一年学年下げて一般受験すると思う」
「親はそれで納得してくれたの?」
「受験失敗したら浪人費用は自分で出せって」

 それでも、説得はできたんだ。よかったと胸を撫で下ろした。

「まぁ怒ってるは怒ってるからさ。だから……お願い遥!」
「いやまず俺オタクなだけでコピーダンスすらやったことないけど⁉︎」
「でも目だけは肥えてるでしょ!」

 ぐぬぬっと身体ごとのけぞる。それについてくるように拓也が身を乗り出すから、極限まで反れた腰が悲鳴をあげた。

「うぅ……分かった! 俺でよければやるよ!」
「ほんと⁉︎」
「あぁ、だけど俺も受験あるからそっち優先だけど」
「もちろん!」

 はぁっと一息ついた俺は、もう一度しっかりと拓也の目を見て伝えた。

「夢への一歩、おめでとう」
「ありがとう遥」

 拓也なら絶対にやれる。拓也の目を見てそう確信する。

「拓也ってオーディション番組はどれくらい見てるんだっけ」
「あんまりなんだよねそれが……普通にそこから教えて欲しいかも」
「了解」

 俺はスマホを開くと、ファイルを一つ拓也に転送した。俺がいつか誰かにオーディション番組を布教する時がくればと期待して作った資料がはじめて役に立ちそうだ。

「まず、番組には五十人弱の練習生が参加する。そこから大体六人くらいを視聴者投票で選ぶために、四つの関門、生存式がある。毎回の生存式に向けて、一、二曲パフォーマンスをする。初回は大体半数の二十五人が脱落かな」
「うんうん」
「あ、資料次のページで」
「えこれ何用? もしかしてエスパーだった?」
「布教用」

 使いもしないのに資料を作っていた俺のオタクぶりに拓也は吹き出した。

「で、曲は練習生が自分で選べたりするんだけど……曲選びとか同じグループの練習生の注目度とかによって、実力よりも注目されたりされなかったりするからここが重要かな。まぁあとは本編の編集次第って感じ。分量さえあれば初回はほぼ大丈夫だと思う」
「なるほど……」
「本編の編集には悪編っていうのがあって、性格悪く見えるように切り取ってツギハギされたりするから、毎日前髪クリップ変えたりして対策するといいよ。あとはケミかなぁ……仲良い練習生同士をまとめて推す人とか多いし」
「BL営業ってこと?」
「そこまではいかなくてもいいんじゃないかな? そういうの好きな人もいるけど」
「ふーん、じゃあ俺それは程々にするわ」

 俺的にはそれはあんまり興味がないからなーと流すと、拓也からも興味なさげな返事が返ってくる。なんだかちょっとほっとした。

「スキルの話は……多分小さい頃からずっとやってました! みたいな人に勝つのは無理。それが出来ちゃったらその人の十何年が可哀想すぎるし。だから、表情管理とかファンサとか、性格とかそういうところでボーナスポイントを稼ぐってイメージがいいかも」
「わかりやすいです先生」
「それからキャラだけど、拓也はいい奴だから基本的には素でいいんじゃないかな。あ、でもなんかイメージカラーは白って雰囲気だから、ちょっと清廉潔白な感じ? 高貴さ? 意識してみてもいいかも」
「牛丼メガ盛りすら払えないけど?」
「やば、ウケんだけど」

 耐えきれずに声をあげて笑ってしまった。

「あと、フフッ、髪色なんだけど、アッハハ……ちょ待って、アハハハハ! 髪色は他の練習生とぱっと見で差別化できるようにするといいよ」
「遥は何色が似合うと思う?」

拓也に似合う色……? ものすごく真剣に考える。ハイセンスな印象にするのか、柔らかい印象にするのかによっても変わるよな……

「拓也ってパーソナルカラーなんだか分かる?」
「たしか……イエベ冬?」
「やっば! 無いもの来たんだけど!」
「ガチ?」

突然のイエベ冬に俺は腹を抱えて笑った。なんだよイエベ冬って! 本物のイケメンはオシャレに無頓着なの?

「てことはイエベかブルベ冬かだよな……うーん多分拓也はイエベ春っぽいんだよなぁ」
「じゃあそれにしとこうかな」

パーソナルカラーってそういうものじゃないけど、拓也が俺に全幅の信頼を寄せてなんでも頷いてくるのが可愛いから放っておくか……

「無難に好印象なのは暗めの茶髪かなぁ……でも、目立つって意味だとオリーブベージュとかも良さそう」
「もし遥だったらどうする?」
「俺は絶対オリーブベージュ。ファイナルまで残る前提で、ファイナル直前に暗い髪に戻してギャップで萌えた票を集める」

オーディション番組のことになったら俺はガチだから、真顔で即答した。あれは単なる実力勝負ではなくて、自己プロデュースも含めた努力と運が実を結ぶエンタメだから。

「じゃあそうする! ありがとな!」

うん、お前のキラキラ笑顔に明るくて柔らかい印象のオリーブベージュは絶対似合う! 何故か心の中で拓也を褒めちぎってしまっていることを自覚して、勝手に気まずくなった。

「ダンスと歌とラップはどうしよう……」
「とりあえずダンスの練習の時俺のことも呼んでよ。気がついたことあれば言うから」
「ほんと!? めっちゃ助かる」
「もちろん、友達のために協力するのは当たり前だろ? で、いつから合宿始まるの?」
「二ヶ月後」

二ヶ月後というと、ちょうど中間テストが終わったあたりだ。

「そっか、そうしたら今年は拓也と文実やれないのか……」
「んな悲しそうな顔すんなって。もっと世界規模で笑顔作ってこうぜ」
「それもそうだな」

拓也が遠くに行ってしまったような感じがして少しだけ寂しかったけれど、その気持ちに気づかれないようにそっと心に蓋をした。



 俺が田中遥という人物を認識したのは、まだ中学生一年生の頃だった。たまに朝の電車で一緒になる、俺と同じ学校の制服を着た人。その人はいつもスマホでアイドルのパフォーマンス動画を見ていた。誰かに言ったことはないけれど、俺もアイドルが好きだから薄らと親近感みたいなものを抱いた。
 小学校低学年の頃の俺は、母さんによく似ていて女顔だった。それが原因でいじめを受けた。いじめをした張本人たちは、口を揃えて「いじり」だと言ったが、俺にとってはいじめだった。俺はそいつらのせいで自分の顔が嫌になって上手く笑えなくなったんだから。
 「女みたいな顔」「ヘラヘラしてる」理不尽なことばかり言われていた。そんな時。たまたまつけっぱなしだったテレビの中で、中性的な顔をした綺麗な男の人が笑っているのを見た。彼は共演者に綺麗な顔だと言われるとすごく嬉しそうにしていた。
 もちろんその人は俺なんかよりも比べ物にならないほど綺麗だったけれど、その時の俺は、俺と似たような顔をした彼が下を向かずに堂々としていることに勇気をもらったんだ。母さんに、その人は駆け出しのアイドルグループのセンターなのだと教えてもらった。それがきっかけでアイドルが好きになった。
 中学に上がる頃にはだいぶ顔に男らしさが出てきて、もういじめられることはなかったが、俺の中でアイドルは少しの元気と少しの勇気、それから沢山のワクワクをくれる存在であり続けていた。だけどやっぱりいじめられることは怖くて、男のくせに男のアイドルが好きだとは誰にも言えなかった。「流行ってる曲だけ知ってます」という雰囲気を醸し出して、なんとか自分を取り繕った。
 変とか、らしくないとか。そういう風に言われることも怖かった。俺はもの凄く臆病だから、とにかくみんなに嫌われないように頑張った。朝の通学の時に聞く音楽は、その週の人気ランキングをそのまま上位から流す。あまり興味の無い人気のバラエティ番組も見たし、動画配信者のくだらない動画も視聴した。逆に、アイドルが好きなこととか、漫画やアニメは少年漫画系よりも異世界系の方が好きなこととか、食事は食べられればなんでもいいと思っていることなんかはひた隠しにした。
 そんなこんなで俺はいつの間にか学校で一軍と呼ばれる存在になっていた。誰かにいじめられることはなかったけれど、息苦しかった。



 そうやって違和感に気が付かない振りをしながら過ごしていた時に田中遥を知ったのだ。たまに見かける遥は中学二年生になる頃からだんだんと洗練されていった。肌が綺麗になって、眉が整って、いつの間にかアイドルみたいになった。学校にいるどの男子もそんなことやっていない。俺だったらそんな浮いて目立つことは絶対に出来ないから尊敬した。
 それからも、電車や学校で遥を見つけてはこっそり眺めていた。遥は暗いわけでは無いけれど、あまり多くの人とは関わっていないみたいだった。数少ない友達にアイドル好きを打ち明けているのかそうで無いのかは分からなかった。もうひとつ分かったことがある。遥は何事に対しても好き嫌いがハッキリしているようだった。俺と違って、興味のない話には全く聞く耳も持たないようだし、友達の話についていけない時でも平気そうにしていた。
 そんな遥は文化祭実行委員をずっと続けているようだった。周りを気にせずに自分の気持ちを大切にしている遥を尊敬していたし、アイドルの話もしてみたかったから、俺も毎年文実に立候補した。けれど、どうしてか俺のクラスでは毎年文実は人気で、じゃんけんの弱い俺は毎年諦めさせられた。
 


 だから、遥と同じクラスになれて、一緒に文実をやれるだなんて俺にとっては夢みたいなことだったのだ。
 浮かれて、文実の初めての集まりが終わったその日に飯に誘った。そのままの調子で、俺は後夜祭企画に「アイドルコピーダンスで紅白ダンス合戦」なるものを提案した。俺の想像では、これをきっかけにアイドルの話をして遥と仲良くなるつもりだったのだ。それがどうだ。遥は俺の案に対してキレた。俺の方も遥に認めてもらえなくて悲しくてやるせなくて、そのまま店を出てしまった。それでも、なんだかんだ負けず嫌いの俺は明日こそ憧れの遥に認めてもらおうと夜通し案を考えた。いい案を考えられたら、遥からの好感度も上がって、大好きなアイドルの話をできると思ったから。
 そうやって俺は文実の仕事に熱中していった。遥とやる文実の仕事はとにかく楽しくて、求められている以上に働いた自覚がある。一ヶ月も経たないうちに、俺の遥への憧れは単なる憧れなんかじゃないんだと気がついた。
 だって、遥が笑うたびに胸がキュンと締め付けられるのだ。



 文化祭の準備で集まるたびに、俺たちは仲を深めていった。友情とは別に、準備で何か困ったことがあったらお互いに頼り合えるような、そんな信頼感も深まっていった。遥相手でも俺は少し臆病だったけれど、少しずつアイドルの話も出来るようになった。それから、好きな漫画やアニメが一緒だということも判明した。そうやって俺たちはかけがえのない存在になっていった。
 好きなことに全力で挑む遥の姿を見て、俺は毎日惚れ直した。そんな遥が、後夜祭の司会を俺抜きでやるのは緊張するというのだ。可愛いと思わないわけがなかった。
 文化祭が無事に終わってハイになった俺は、そのままの勢いで遥にアイドルの夢を打ち明けた。そんな俺に遥は、「やると決めたらとことんやる奴」だから大丈夫だと言ってくれた。外見でも、アイドルが好きなことでもない。俺自身を評価してくれた。それがすごくすごく嬉しくて、俺の遥に対する神聖視に磨きがかかった。
 遥のことがたまらなく好きになる一方で、俺は自分が嫌になっていった。遥のことが大好きで大切なのに、周りの目が気になるのだ。遥と一緒にいたら、俺の好きがダダ漏れになって誰かに気づかれるんじゃないかと思って怖くなった。それでも毎日気持ちは積み重なっていった。自分を嫌いになるたびに、自分の気持ちに嘘をつかない遥にまた憧れて惚れ直すから。
 そんなことをしていたある冬の日、アイプロのオーディションの公募があることを知った。アイドルになりたいという夢を叶えられる方法だと知っている。けれど、すぐには応募できなかった。オーディションに参加して、落ちた時に周りからどう思われるのか怖かった。学校での居場所がなくなるんじゃないかと怖かった。それから、デビューができた時のことも怖かった。今まで自分が正しいと思って進んできた、普通の学生としての日常が一瞬で取り戻せないものへと変わってしまうことが怖かった。
 そうやって俺はまた言い訳をして、夢を見て見ぬ振りをしていた。募集締め切りは年明けすぐだった。家でゴロゴロしながら、たまにSNSに流れてくるアイプロの公募情報を見ては色んな可能性を考えて画面をスクロールする冬休みを過ごした。
 怠惰に迎えた年越しの日。カウントダウンが終わった瞬間にスマホがなった。画面には、遥の名前。慌ててラインを開いた。
 ――あけましておめでとう。今年も頑張ろうな
 それだけだったが、俺を動かすには十分だった。遥みたいになりたい。そう強く思った自分を思い出した。人生を思いきり楽しんでいる遥の横に立てるようになりたい。俺は、スクロールし続けていた画面をタップした。



「拓也、どういうつもりか説明しろ。こんなこと聞いてないぞ。学校はどうするつもりなんだ? 受験は? 今自分がどんな立場だか分かってるんだろうな?」
「ちょっとお父さん……」

 どうせ受かるわけも無いから、周りを気にせずに好きな気持ちに素直でいたいと思って受けたアイプロのオーディションは、なぜかとんとん拍子に駒を進めていき、出演が決まってしまった。どんな風に親に伝えたらいいか分からず、散々考えて正直に話したらこれだ。俺はなんと言ったらいいか分からなくて、下を向いた。食卓の反対側では淡々と怒る父さんを母さんが宥めている。

「はぁ……そもそもなんでこんなもの勝手に受けたんだ」

 大きくため息をつかれて、俺の中で反抗心のようなものが生まれた。きっと父さんも母さんも、俺がこんな大胆な行動を取れるだなんて考えてもいなかったのだろう。何も挑戦できない奴だと思われているような気がしてムカつく。

「やりたいと思ったから……」

 食卓の木目を睨みつけて言った。

「やりたいとか、好きだとか、そんな短絡的な理由でそれ以外のことを全て蔑ろにして言いわけがないだろう! お前はもう高三になるんだ。学校だって大学受験だってある。なんで今こんなこと……!」

 父さんの言っていることは何も間違っていない。それは分かっている。それでも、俺は変わりたかった。もう二度と掴めないようなチャンスを逃したくなかった。
 今まで親に反抗したことなんてほとんどない。いじめられて地元の中学に通うことを拒んだ俺に中学受験をさせてくれて、中高一貫校に通わせてくれて。ものすごく感謝してる。けど、今のままじゃ俺はずっと変わらないままだ。

「好きな気持ちを貫くことは短絡的なんかじゃない! すごく勇気のいることだ、すごく難しいことだ。誰に馬鹿にされても、上手くいかなくても、自分の気持ちに素直に生きることが間違ってるわけがない!」

 人生で一番大きな声で叫んだ。喉が少し痛い。

「もちろん受験させてもらって学校に通わせてもらったことには感謝してる。してもらったことを無駄にしてしまうことは分かってる。それでも、今ここでやらなきゃ、挑戦しなきゃ、俺はいじめられて周りの目ばっか気にしてたあの頃と何も変わらないんだよ!」

 だんだん目頭が熱くなってきて、視界がぼやける。こんなに大それたことをしなくても、遥みたいに生きられることは分かっているけれど、俺はこうでもしないと言い訳ばかりして変われない気がするんだ。
 年甲斐もなく嗚咽混じりに泣いた。泣いて泣いて泣き続けながら、父さんの言葉に何度も言い返した。

「お父さん……拓也の気持ちを尊重してあげましょう……」

 母さんがポツリと呟くと、父さんは開いていた口を閉じて黙った。

「父さん……母さん……一年だけ俺に時間をください。学校は……休学するしかないけど、オーディションに挑戦してみて、精一杯頑張って、それでもダメだったら一年学年を下げて復学して、ちゃんと受験もする。今の志望校からレベルを下げたりしないって約束する。毎日勉強だってする……だから、お願いします」

 自分を産んだ親に、敬語で頭を下げることなんて人生で何回あるのだろうか。分からないけれど、俺の考えつく中で一番の誠意を見せる方法だった。