アイドル様とは一緒にいれない

 友達の恋バナを聞くことが好きだった。照れくさそうに、もったいぶって話す横顔が輝いて見えた。俺も初恋を経験したら、きっとそんな風に悩みや惚気を聞いてもらうのだと思い描いていた。
 俺の初恋は誰にも共有しちゃいけなかった。ただ一人でずっとずっと耐えて、とにかく辛かった。胸がボロボロになった。恋なんて二度としたくないと思った。だけど、一生で一番の宝物だったと今なら胸をはって言える。




 最新のハンディファンを机に立てて冷たい風を浴びながら黒板を見る。「文化祭実行委員」の文字。一学期の中間テストが終わった後の恒例行事だ。中高一貫校だからこれで五度目。俺の大好きな時間だ。俺が考えたことで人が笑顔になることが嬉しくて、毎年「文実」に立候補している。今年も例にもれず手を挙げた。

「立候補は……お! 田中ありがとうな。他にやりたいやつは?」

 俺の名前が黒板に書かれる。文化祭実行委員は各クラス二人と決まっている。秋に開催される文化祭当日までの数ヶ月の間、協力しあっていく仲になるから、できれば話しやすい奴がいいなと思っていた。なのに、ザワザワ声のする方を見てみれば、手をあげていたのはいけすかない奴だった。
「田中遥」の横に「金沢拓也」と付け足される。

「じゃあ二人共よろしくな。早速だが明日の放課後に委員の集まりがあるからな」

 金沢は学校の有名人。平均身長よりも高い俺でも見上げて話し掛けなくてはいけないくらいの高身長に、小さな顔。ひとつひとつのパーツに派手さはないものの、整ったそれらは綺麗に配置されている。
 去年は確か、クラス企画の劇で王子役をしていた。正直俺からしてみれば、そんな役を引き受けるような奴の気がしれなかった。自認が王子とか恥ずかしすぎるだろ。共感性羞恥って感じ。顔がいい奴はそういうこと考えずにノリでなんでもやっちゃうんだろうな。どうせ文実だって目立ってモテると思って立候補したんだろう。こっちは生き甲斐だっていうのに。
 眉間に皺を寄せて金沢を盗み見ると、簡単に気が付かれて手を振られてしまった。そういうチャラいところが嫌なんだよ! と心の中で毒づいた。



仏頂面で不貞腐れている俺の肩が重くなる。半目になりながら振り向いた。

「加川……市原……助けて」
「そんな顔してやんなよ、ジャン負けじゃなかっただけマシじゃん」
「そうは言うけどさぁー」

たしかに、去年一緒に文実をやった奴よりかはマシなんだけどさ……にしたって、性格の合う合わないはあるだろ?

「あ、てか今年も美耶とシフトの時間被るようにして! お願い!」
「まぁそれくらいいいけど……」

加川と美耶ちゃんはもう付き合って二年になる。加川と俺は四年間も同じクラスで、二人が付き合う前から話を聞いていたからシフトの調整くらいはしてやりたくなるのだ。

「いいなぁ俺今年一緒に回る人いないんだけど……」
「市原別れたばっかだもんなぁ」
「気になってる子もいないの?」
「それはいる」
「田中は今年も社畜なの?」
「今の所ね、気になる人もいないし、文実の仕事に専念するわ」
 どうせ俺しか働かなさそうだしね! と心の中で付け足した。



「田中! 何で先に行っちゃったの? 行く場所同じなんだから待ってくれてたら良かったのに」

 文実の集まりが終わってさっさと帰ろうと立ち上がると金沢に声をかけられた。こういうやつは人当たりだけは良いんだよな……

「別に……俺毎年文実だから慣れで……?」
「あー、毎年こんな感じなん?」
「うん大体。全体での集まりは確認事項くらいで、基本はクラスごとに進めてく感じ」

 あんまり関わりたくないとか言ってらんないよな……自分が苦手ってだけで文化祭を台無しにする訳にはいかないし。不本意ではあるが、致し方なくカバンからスマホを出す。

「だから、俺の連絡先クラスグルから追加しといてね」
「もちろん! ありがとな! 俺は初めてだから色々教えてよ」

 無駄にキラキラした笑顔で俺の顔を覗き込んでくる。こう言う調子乗った奴が嫌いなんだよ俺は! どうせ準備もろくに手伝わないんだろ。
 別に金沢に何かされたわけでも、陽キャに嫌な思い出があるわけでもないけれどとにかくむしゃくしゃして笑顔が引き攣った。

「ねぇこの後暇? どっか寄らね? 何からやったらいいかよく分かんなくて……」
「……別に暇だけど」

 委員会が一緒じゃなかったら絶対に交わらないだろうが、文化祭を成功させるためだと自分に言い聞かせてしぶしぶ頷いた。



 駅に向かって歩き出すなり、キラキラ男は俺を質問攻めにする。

「田中って部活とかやってたっけ? 俺はサッカー」
「帰宅部」
「えー! そうなん? 暇じゃないの? 普段何してんの?」
「受験勉強とか」

 大嘘だ。俺の趣味はアイドルを応援すること。特に最近人気のオーディション番組は欠かさず見てる。知ってるか? あれって一話につき三時間くらいあるし、本編以外の動画コンテンツとかも多くてハマると結構腰を据えなきゃいけないんだ。
 今やってる番組の推しはリンって言うんだけど、練習生期間が長くて本当に真面目に頑張ってるから報われて欲しいんだよな〜。アイドルってキラキラしてるように見えるけど、オーディション番組はその裏の努力してる部分が見えるから好きなんだ。
誰かを笑顔にするために陰で頑張るっていいなと感動した。それから、なんとなく続けていた文実も、通じるところがあるなと思って毎年積極的に立候補するようになったんだ。
でも、わざわざこいつに丁寧に俺の趣味を説明してやる必要もないだろ。そう思ってテキトーに返事した。

「すごい、真面目だね。文実とかやってるからもっと青春楽しんでるのかと思った」

 金沢の相槌にイラっとくる。

「何それどう言う意味?」
「え、あ、ごめん言葉選び悪かったわ。田中って見た目も綺麗にしてるし、美容? にも詳しそうだしSNSとかやってんのかなーって」

 早口でいきなり褒められて、余計にモヤモヤする。というか、そんなに細かいところまで見てくるなよ。

「バカにしてんの? こんなレベルで表に立てるわけないでしょ。顔のサイズとかデカすぎるもん」
「アッハハハ! そんなことないと思うけど、イケメンじゃん」

 はー? 俺よりも格段に顔面偏差値高い奴が何言ってんだよ! 心の中では盛大に言ってやっているのに、現実の俺は口をワナワナさせるので精一杯。

「何で文実やってんの?」
「普通に楽しいから? 俺が準備したことでみんなが笑顔になってくれるの嬉しいし」

 ぼそぼそと小さな声で答える。別に恥ずかしいことじゃないのに、なんだか気恥ずかしかった。

「そういうお前はどうしていきなり文実やる気になったわけ?」
「んー……リーダーシップ身につきそうだし、なんか楽しそうだし」

 想像していた理由よりもまともな理由で拍子抜けする。確かに、指定校推薦のために文実やってる奴もいるし、そう言う理由もあるか。

「なんだ、モテたいだけかと思った」
「俺のこと何だと思ってんの!」

 俺の失礼発言に間髪入れずに突っ込んできたのが可笑しくて思わず吹き出すと、金沢も声をあげて笑う。いけすかなくはあるけど、やっていけそうかなと考えを改めた。



 駅前のちょっと古いファストフード店の一番奥にあるソファ席を陣取って、さっきもらったプリントを広げながら俺は丁寧に説明をはじめた。

「まず、文実の仕事は主に二つ。一つはクラス企画を進めることだろ? で、もう一つは後夜祭とか全体企画を考える方。こっちは大体夏休みまでに各クラスごとに文実で案を考えて、夏休みに入ったら会議して、準備に入る感じ」
「ふーん、じゃあまずは全体企画考えるんだ」
「そう」

金沢はしばらく黙ったかと思うと、おもむろにルーズリーフとシャーペンを取り出した。シャッシャっと軽快な音が鳴る。

「アイドルのコピーダンスで紅白ダンス合戦とかどう? 俺、もしあったら出てみたい」

綺麗な瞳で見つめられて、思わず息を飲んだ。真剣な眼差しに魅入られてしまう。慌てて瞬きをすると、何考えてんだと自分に喝をいれた。

「 素人がコピーしたの見たってなんも面白くないでしょ」

言葉にしてハッとした。こんなに冷たく言い放つつもりはなかったんだ。たしかに俺は、大してアイドルを好きでもないやつがアイドルの真似して自分に酔いしれてるところを見るのは嫌いだけど、こいつにこんなにあたる必要なかった。
金沢も何も言わずに固まっている。

「……口悪すぎない? 何、俺の事嫌いなん?」
「いやっ……そうじゃなくて……お前が……」

真面目に考えてくれないから。その言葉は口に出来なかった。

「俺が何?」
「ごめん……なんでもない、俺が悪かった」

下を向いていたら、目の前の人影が動く。慌てて見上げると、奥歯を噛み締めて苦しそうに顔を歪めた金沢が荷物を持って立っていた。

「帰る」
「か、かなざわ……」

 店内には俺の情けない声だけが響いた。



 清々しい朝だというのに俺の足取りは重すぎる。昨日は帰ってから、即ふて寝したから随分早い時間に目が覚めてしまった。罪悪感でいっぱいで学校なんて行きたくなかった。どんな顔して金沢と話せばいいのか分からないんだもん。嫌すぎてジタバタしてた音で母さんに起きてることがバレて、早々に家を追い出されてしまった。
 嫌われたよな……あいつからしたら、提案したことをいきなり理不尽に却下されて文句言われて……って俺最悪すぎない? あーほんともう人間辞めちゃいたい。大して話したこともないあいつは俺が強火アイドルオタクだなんて知る訳ないもんな……はぁ……ちゃんと謝ろ……
 何度ため息をついても足りない。わざと各停の電車に乗って、不自然じゃない程度にゆっくり歩いたのにもう校門をくぐってしまった。なんか上履きも心なしか汚く見えるし。もう一度盛大にため息をついた時。

「はよ」

 突然後ろから声をかけられて、驚きすぎて身をすくめた。だって、聞いただけで分かる。この無駄に良い声の持ち主は金沢だ。

「金沢……おはよう」

 ゆっくりと振り向くと、想像とは真逆のキラキラした笑顔があった。こいつ、昨日俺にあんなこと言われたのに何でこんな顔してるんだろ。そんな失礼な考えが頭に浮かんだが、慌ててそうではないと反省する。

「昨日は本当にごめん! 俺……言ってなかったんだけどアイドルが好きすぎて拗らせててさ……そんなん言い訳にならないって分かってんだけど……まじでごめん」

許されたい訳じゃないけど、誠実にならなくちゃいけないと思った。頭を下げた俺の額に衝撃が走る。

「いった〜! 何すんだよ!」
「デコピン」
「分かってるっつーの!」

 何だよこっちが謝ってるっていうのに! 涙目になりながらキッと睨みつけると、金沢はもう教室に向かって歩きはじめていた。

「な! 置いてくなよ!」
「早く来なよ! 田中に見せたいもんあって早く学校来ちゃったんだから」

 飄々とした声でそう言われて、俺は慌てて靴箱にスニーカーを突っ込んで金沢の背中を追いかける。

「あ、あと田中がアイドル好きそうなの知ってたよ」
「何で⁉︎」
「だってお前、電車の中でいっつもアイドルの動画見てんじゃん。だからてっきり目指してんのかと思ってた」
「な訳ない! てか……気づいてたなら昨日言えよー!」

 ケラケラと笑う金沢と小突き合いながらまだ誰もいない廊下を進む。教室の中も勿論まだ誰もいなくて、澄んだ空気と朝の光のせいでいつもの教室よりも神聖に見えた。
 俺たちは鞄を適当な机の上に放り投げる。

「昨日の田中の意見を踏まえて、俺なりに真剣に考えてみたんだよ」

 金沢は消しゴムで何度も消した跡の残るルーズリーフを差し出してきた。タイトルが「紅白何でも合戦」に書き換えられている。
 アイドルのコピーダンス、バンド演奏、コント、劇。色々なジャンルの出し物の枠が設けられていて、有志の生徒がそれぞれ出し物を披露する……

「何これ、めっちゃいい……」
「お褒めにあずかり光栄。なんかさ、田中に言われて、確かにアイドル興味ない奴とかもいるもんなーって思ったんだよ」
 俺はもう一度ルーズリーフをよく読んだ。くしゃくしゃの紙から、金沢が昨日どれだけ頭を悩ませたのか伝わってくる。
「各枠オーディションで決めるのも良いな。そうしたらみんな頑張って準備するだろ? 今までの後夜祭って先着順だったから良くなかったのかも。枠が決まってるならどちらにしろ参加チームを絞る必要が出てくるし……どうかな?」
「最高!」

 拳が目の前に突き出された。くすぐったく思いながら、俺の拳をそこに重ねた。



 それからというもの、俺たちは放課後になると自然と一緒に残るようになった。意見はよくぶつかるし、言い合いにはなるけれど不思議と大きな喧嘩にはならない。
 最初は不安しかなかったものの、やってみると俺と金沢の相性はものすごく良かった。というか、金沢が俺の想像を遥に凌駕するほど文実の仕事に熱心で、「面白そう」という直感を働かせて斬新な案をたくさん出してくれたんだ。それを経験だけは一丁前な俺が丁寧に仕上げるって感じだ。後夜祭の企画も、当日の正門の装飾も俺たちの意見が採用された。
 クラス企画も大きな揉め事なくお化け屋敷に決まった。
 夏休みも毎日のように学校へ行った。拓也も毎日準備に来ては、「今日やることリスト」を作って準備に来てくれたクラスメイトに配っていた。こういう、やらなきゃいけないことに対してマメなところはもの凄く意外だった。準備を終えたあとは、友達に遊びに誘われても、後片付けがあるからと言って断って、一番最後まで残って一緒に片付けをしてくれた。
 そうして夏休みも無事に終わり。順調に進んでいたのだ……だが、つい一時間前……

「ええ⁉︎ お化け屋敷禁止⁉︎ 何でいきなり……!」

 担任に呼び出された俺たちは、申し訳なさそうな顔でお化け屋敷は禁止だと告げられた。

「教頭先生が言うには、暗くて転倒の危険があるからだそうだ……今更なのは分かってるが新しい企画を考えてくれ」

 もう二学期だというのに、今更企画を変更しろだなんてありえない。すでにいくらか予算も使ってしまっているのだ。という訳で、俺たちは今、昼休みの時間を返上して屋上で緊急会議を開いている。



「納得できるかよこんなん。絶対変えたくない、金沢もそう思うだろ?」
「あぁ。何で俺らだけ企画変えなきゃいけねーんだよ。抜け道探そうよ」

 弁当なんてそっちのけであーだこーだと意見を交わす。

「そもそも何で去年まで許可されてたのに今年はダメなんだ……」
「……それだ! それだよ金沢! 教頭は今年赴任してきて何も知らないから今年からルールが変わっちゃったんだ……! 」

 金沢の何気ない一言が足がかりになって、糸口が見えてきた。頭をフル回転させてどうしたら納得してもらえるか考える。

「田中、毎年文実やってるって言ってたよな? 去年までのお化け屋敷企画の企画書とか資料とかを集めて抗議文作るのとかどう? ついでに足元に光るテープ貼りますとか添えてさ」
「天才すぎ!」

 興奮して肩を組もうとして、足元に弁当を置いていたことを思い出した。そのままバランスを崩す。

「わぁぁ!」
「……えっ⁉︎」

 咄嗟に伸ばした手が、何かを掴む。けれど勢いまでは止められず、そのまま身体が前へ傾いた。
 どさっ、と二人分の体重が床に落ちる。

「……っ」

 目を開けると、すぐ目の前に金沢の顔があった。

「…………」
「…………」

 何が何だか分からなくて、沈黙が訪れる。
 金沢がゴクリと唾を飲む音が聞こえて、ようやく自分が金沢の胸元に両腕を回し、抱きつくような格好になっていることに気づいた。

「えっ」

 かあっと頬が熱くなる。

「あっ! ご、ごめん!」
「いや、別に……」

 金沢の声まで、妙に上ずっていた。

「と、とりあえず資料探しに行くか、遥」
「え?」
「え?」
「今……」
「……あ」

 金沢が固まる。

「今、俺のこと……」

 今度は金沢の顔が真っ赤になる番だ。

「いや、違っ、今のは……!」
「名前で呼んだ?」
「動揺したから!」
「動揺して名前で呼ぶことある⁉︎」
「ごめん」
「いい! 遥でいい! 俺も……拓也って呼ぶ…………仲良くなったし」

 何を思ったのか、そんなことを口走っていた。金沢……いや、拓也はセーターをこれでもかと伸ばした萌え袖で口元を隠してコクコク頷いた。



 それからの二ヶ月はあっという間。昔から学校にいる先生達に署名を頼んで回って、どうにか教頭にお化け屋敷を認めてもらった。ほとんど毎日放課後に居残りしてはクラス企画の準備を進める。たまに帰り道にアイスの買い食いなんかしたりして。
 後夜祭の企画でも何度も先生と揉めたし、正門の装飾はペンキを倒した奴がいて予算が足りなくなったりして壁にぶち当たることも多かったけど、いつも隣に拓也がいた。

「遥、それ他クラの企画書じゃね?」
「え、嘘!」
「やっぱり。こっちが俺らの」
「ありがとう! 先生に渡す前に拓也が気づいてくれて良かった!」

 何気ないやり取りを繰り返す度に、名前で呼び合うことの違和感は薄れていった。



 そうして迎えた当日。一日目は無事大成功。二日目も朝から校内は生徒や来客でごった返していて、俺たちは自分のクラス企画そっちのけで走り回った。そんなんだから忘れていたのだ。俺の一番の大仕事を……
 文化祭終了の放送が流れて、来客が帰っていく。だが、生徒にはまだ一番の楽しみが待っていた。俺たちが二人で喧嘩しながら考えた後夜祭だ。
 たまたま休み時間に廊下で出会った文実の先輩から、発案者の俺たちに当日の進行をしてほしいと頼まれた。断りづらくて、俺は拓也に確認もせず引き受けてしまった。それが大失敗だったのだ。
 拓也は有言実行とでもいうのだろうか。後夜祭でアイドルのコピーダンスを踊る。と、いうことはだ。そう、俺がたった一人で全校生徒の前で司会進行をしなくてはいけなくなってしまったのだ……
クラスメイトの前ならまだしも、全校生徒の前で一人で喋り続けるなんて絶対にできない。さっきから緊張のしすぎで喉が乾いていて、もうペットボトルは二本目だ。あぁどうしよう、もう一回トイレ行っておこうかな。不安になって舞台袖をウロウロしていると、ポケットに入れていたスマホが震える。
 ――深呼吸して
 ――どうしても緊張するなら最後俺のとこ話に来て
 拓也からのライン。緊張で震えていた手が固まった。時間を見れば、ちょうど有志出演者のリハーサルが終わったであろう時間。
 ど、どーゆーこと? え、拓也俺のこと甘やかしすぎてない? え、いいの? 行っていいの?
 どうしてくれるんだ拓也。緊張どころじゃなくなっちゃったよ。一人で司会するって分かった日から俺がずっと「緊張する」ってこぼしてたの覚えてくれてたってことでしょう? いてもたってもいられなくて、こっそり舞台袖を抜け出して拓也のいる待機場所まで走った。

「た、拓也!」

 俺は絶対どこか変になってて、何かヤバめのものが分泌されてて。走りすぎたから胸がドキドキしてて。だから、拓也の姿を見つけて飛びつきたくなった。固いハグとかしたら絶対力貰えるだろうって。
 でも、周りが騒がしすぎて何とかギリギリのところで理性が勝った。男同士でいきなり抱き合ってたら変だもんな。そう思った瞬間に、今度はどこまで近づいて良いか分からなくなった。
 もしかすると拓也も同じことを考えていたのかもしれない。両手をおろしたまま握りしめた変な姿勢のまま、まだ俺と少し距離があるのに強く頷いた。それだけだった。
 でも、何でかな。一瞬で涙の膜が張るくらい力をもらったんだ。本当はもう少し拓也の顔を見て安心したかったけれど、俺を探す声が聞こえて後ろ髪を引かれる思いで待機場所をあとにした。



 結論から言えば、俺の司会は大成功。ついでに、アイドルガチオタクからすると拓也のコピーダンスはダメダメだった。生徒はみんな喜んでペンライトを振っていたけど、終始真剣な表情だったし、体も動かしきれてないし、何よりアイドルらしいファンサービスが一つもなかった。拓也の顔とスタイルじゃなかったら全然許してない。そんなことを考えながら、ゴミ捨て場にゴミを放り投げていると、拓也が俺のところにやってきた。

「お疲れ、文化祭終わっちゃったな」
「ね……楽しかったな。色々迷惑かけたよな、ありがとう最後まで」

 心の底から、拓也が居なかったらこんなに楽しい文化祭に出来なかったって思ってる。

「こちらこそ。ねぇ、最後のダンスさ、遥的にはどうだった? お眼鏡にかなった?」

 拓也が真剣な眼差しでこっちを見てくる。

「……正直に言っていい?」
「もちろん」
「ダメダメだった」
「えぇ!」

 あまりにも素直な反応がおかしくて吹き出した。

「だって固すぎ。顔とかずっとしかめっ面で、せっかくカッコいいのに。振りだって、せっかく手足長いのに小さく縮こまってて……アイドルはファン見て笑うんだよ!」
「いや無理だって! 緊張するし!」
「じゃあなんで出たんだよ」
「遥と考えた企画だったから……それに、遥を満足させてみたくて」
「……え?」

 思わず手が止まる。何だよそれ。また顔に熱が集まってきた。
 グゥルルル……静かなゴミ捨て場に俺の腹の音が鳴り響いた。恥ずかしすぎる。気まずくなっておそるおそる隣を見上げると、拓也はものすごい顔で笑いを堪えていた。

「どっか寄って帰る?」
「……そうする」

 体が熱い。

「牛丼とかどう?」
「めっちゃあり」

 へー、拓也って牛丼とか誘うんだ。こいつと話すたびに、キラキラしていない部分を見つけては、俺だけの秘密みたいで何だか嬉しくなる。ふふんと笑うと、拓也は不思議そうな顔をした。



 文化祭の話をしていたらあっという間に店の前についた。券売機を前に俺と拓也は全く別のことでそれぞれ頭を悩ませて固まった。
 並盛りと大盛りどっちにしよう……。お腹に手を当ててうーんと考える。正直めちゃめちゃお腹は空いてるけれど、少食の俺にとってはこのお腹の具合でも大盛りだとちょっと多いんだよな……でも大盛りは並と値段変わらないし……
 ドケチ脳でああだこうだと考えていると拓也に肘で突かれた。

「遥何で迷ってんの?」
「並か大盛りか。大盛りは多くて残しちゃう気がして」
「ガチ? マジで言ってる? 俺メガ盛り食べたいけどお金全然入ってなくてマックスでも大盛りしか買えないんだよ……お願い! 大盛り頼んで余った分俺にちょーだい!」

 両手を合わせて懇願ポーズするイケメンってなんかダサくてかわいいな。仕方がないからいいよと言ってあげると、派手にガッツポーズして喜んだ。

「うんまっ! やばい今まで食べた中で一番美味い」
「わかんの、やっぱ働いた後の飯は違うんだわ」

 夜まで動き続けた腹ペコの高校生男子二人の前にキラキラつゆだくの牛丼置いたらこんな低脳な会話しか出来なくなるに決まってるでしょ? だって米とかほっくほくだし、ツユはしょっぱくて体に染みるし。幸せを噛み締めながらちらっと隣を見ると、拓也も同じようにがっついていた。

「めっちゃ夜になっちゃったね」
「ね。文実って毎年こんな夜遅くまで頑張ってたの?」
「うん、みんな片付けずに打ち上げ行っちゃうじゃん。で、怒られんの俺らなの」
「過去四年分めちゃくちゃ反省してる」

 お互い黙々と目の前のご飯に集中しながらしみじみと話す。もう夜の十時を回ってる。牛丼屋には疲れたサラリーマンの独り客がちらほらいるだけ。

「ねぇ遥、聞いていい?」
「何いきなり。いいけど」

 ちょっと喉が渇いてきたから水を飲む。

「遥の人生設計教えてよ」
「ブッ……ゴホッゴホッ」

 驚きすぎて水を吐き出すかと思った。

「ガチで何いきなり」
「いや、俺、人の人生設計聞くの趣味なんよな」
「いやそんなことある?」

どんな趣味だよっと心の中で突っ込んだが、今日はそういう話もしてみたくなった。

「まずプラン一ね。商社に入ってエリートサラリーマンになって金持ち人生を送る」
「アッハハ、王道すぎ。プラン二は?」
「こっちは邪道だよ。海外のすんごい美女と結婚して、息子ないしは娘を小さい頃から英才教育して、アジア人系の見た目なのに英語がネイティブっていうのを強みにハリウッドスターにして、私が育てましたってやる」
「ゴホッ……アッハハハハ! 何だそれ!」

 俺の邪道パターンに拓也はツボったみたいで、笑いながらのたうちまわる。

「それ、子供の将来決めるってこと?」
「ちげーよばか、万が一ハリウッドスターになりたいような子供が生まれても俺は応援するぞってこと」
「そっかぁ」

 いきなり遠い目をして近くの壁を見つめ始めた拓也が気に掛かった。

「拓也は?」
「俺? 俺は……うーん……」

 何だよ勿体ぶって。こっちは話したんだぞ。間が空きすぎて耐えられなくなった俺は、体ごと拓也の方を向いた。丁度その時、小さな声でぽそっと拓也がこぼした。

「アイドルになりたい」
「え……」
「俺はアイドルになって、いろんな人を笑顔にしたい。俺、小学校でいじめられてた時にアイドルに力もらって……中学受験で第一志望ダメだった時も、今も、毎日毎日アイドルに笑顔もらってて……だから俺もそういう人になりたい。どこかで一人で悩んでる人に元気を与えられるような……俺じゃ……無理かな?」
「無理じゃない」

 考えなくても言葉が出てきた。だって拓也は努力家で真面目ないい奴じゃん。キラキラした反対側で、ルーズリーフがぐちゃぐちゃになるまで頑張る奴だろ。

「絶対無理じゃないよ。なれるよって簡単にいうのは無責任だと思うけど、絶対に無理じゃない。だって拓也はやると決めたらとことんやる奴だろ?」
「……ふふっ、そっか」

 口元だけにまにまさせて、拓也はまた壁と睨めっこした。

「でもさぁ、うちの親は大反対なんだよね。遥のプラン一みたいなのを望んでんの」
「親は親で色々考えるもんな…………でも、俺はお前の夢、全力で応援したいよ」
「ありがと」

 ようやくこっちを向いた拓也は、儚げに笑った。なんでそんな諦めた顔してんだよ。

「ガチオタの俺が全力でサポートしてやるから。文実の時みたいに意見めちゃめちゃ出して、誰よりも力強い味方になってやるから。だからそんな顔すんなよ」
「頼りにしてます。あ、牛丼もらっていい?」
「だめ! まだ食える!」

 俺は目の前のどんぶりを抱きしめるようにして拓也を威嚇した。
 高校二年生の秋、受験前最後の何も考えずに楽しんでいられる時間だった。