恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜

 オープンキャンパス。
 大学が受験生に向けてキャンパスを開放し、学部説明や施設見学、体験講義、個別相談などを行う進学イベント。
 春・夏に開催が集中するため、機会損失を防ぐべく高校1・2年生から積極的に参加しておきたい。
 総合型選抜では、オープンキャンパス参加を出願要件とする大学や、体験講義後の課題レポートを選考に用いる大学もある。

 ♡ ♡ ♡

「——わぁっ?!」

 やってしまった。
 布団を跳ね除けて、がばっ、と俺はベッドから起き上がった。
 慌てて枕元を見る。ベッドの枠とマットレスのあいだに、画面が付いたままのスマホが挟まっていた。

 ……嘘だろ。

 恐る恐るケーブルを手繰り寄せ、指先でスマホに触れる。

「熱っ!」

 取り落としたスマホが、ゴン、と枕元の棚にぶつかる。
 スピーカーモードのままのスマホから、ゴソゴソと音が聞こえてきた。

《んー? 佐倉、起きたぁ?》

 枕元に、辰野先輩。
 心臓が丸ごと、口から飛び出しそうだった。
 
《おはよぉ。佐倉ぁ? いま6時10分だよぉ》

 寝起きだからか、俺の邪念のせいなのか。
 先輩の声が、心なしか甘く聞こえる。

「あ……っ、せ?」
《おはよ!》
「おはようございます……」

 顔が熱い。

《よく寝てたねぇ。いい夢見れたー?》
「は、はい」

 それはもう、とっても。

「あの、すみません……。俺、」
《だいじょぶー。……また、あとでー》

 何もかも「大丈夫」ではないまま、ティロン、と通話が切れる。

 オーディオ通話 - 7:42:08

 なんだ、この数字。

「ね、」

 生まれてはじめて。

「……ね?」

 寝落ち通話なるものを、〈好きな人〉としてしまった。


◇◆◇◆
 

「12時過ぎとか? なんかむにゃむにゃしてたよ」
「すみません……」

 朝の通学路。目頭を指で揉みながら、俺は隣を歩く先輩に、心からの謝罪をする。

「ううん、遅くまでありがと」

 ふにゃりと笑う先輩の、笑顔が直視しづらい。
 
 本当に申し訳ありません。心の中で繰り返す。
 昨夜は、猫になって先輩に可愛がってもらうという、身の程知らずの夢を見ました。
 しかも〈佐倉、かわいいねー〉なんて、絶対言わなさそうなことまで言わせてしまいまして。
 ……彼女とかいたら、言うのかな。

 これ以上考え出すと死にたくなりそうなので、俺は強めに目頭を押し、思考のリセットを図る。

「それで、オープンキャンパスが6日なんですね?」
「うん。申し込みまだいけそう」

 先輩がスマホの画面を見せてきた。

 〈城徳大学 現代社会学部 社会共創学科〉。

 昨日の夜、先輩と通話しながら色々な大学について調べた。
 初めての電話越しの声にドギマギしながら、教育理念や3P、ゼミの活動内容まで一緒に見て、辿り着いたのがこの大学だった。

「親には、オーキャンの夜に進路の話したいって言ってある」
「連休最終日ですよね」
「ねー。なんも予定なくてよかったー」

 じゃあ他の日には誰かと予定があるってことか。また変な勘繰りを始める自分に、嫌気がさしてくる。
 面倒くさい奴だな、俺。
 先輩がスマホの画面をスワイプする。
 今日も前髪はセンター分けに立ち上げられていて、どうやったらこんなにきれいにおでこが出せるんだろうと観察してしまう。

「いろんな学部でワークショップ? ってなんか体験みたいなのもできんだよねー。学食も食えるって」
「城徳大、社会福祉学部もありますよね。比較に回ってみたらいいんじゃないですか?」
「うん……」

 どこか浮かない顔の先輩に、もしかしてと淡い期待を寄せる。

「楽しそうですよね。……俺なんか、家で勉強するくらいしか予定ないですから」
「あ、そうなんだ?」

 先輩がスマホから顔を上げる。
 ……そうなんです。だから、

「中間テスト、あるもんねー」
「え」

 返ってきた先輩の言葉に、絶句する。

「総合型選抜のこと、ちゃんと話聞いてくる」
「そう、ですね」
「資料ふたつ貰ってこよー」

 スッスッと指を動かす先輩は、オープンキャンパス参加申し込みフォームを開いているようだった。
 つい半開きになった口に、5月の朝の爽やかな風が舞い込んでくる。

 先輩。なんで俺のこと、誘ってくれないんですか。


 ◇◆◇◆


「共生社会系、増えたよな」

 昼飯の後、エナジードリンクの缶を呷った宮元がゲップ未遂の息を吐いた。
 教室に漂う弁当のにおいに、ケミカルさが載ってくる。

「うわ最悪」

 俺は机の上の単語帳から赤の暗記シートを引き抜き、空気を仰いで対面の宮元に返した。

「すまん。でも、城徳大の共創ならニッコマクラスの真ん中ちょい上な」
「たすかる。あんま情報なくて」
「余裕」

 宮元が、大学名のぎっちり載ったプリントを折ってランチトートにしまった。
 塾で貰った資料らしいが、持つべきものは受験オタクのクラスメイトだ。

「ランク上げたじゃん?」
「……そだね」

 急激に眠気が襲ってきて、俺は単語帳を枕に突っ伏した。いつも夜11時には寝ているから、夜更かし気味だ。

「待て、寝るな。明日、14:20の回だから遅れるなよ」
「2時間くらい?」
「上映時間99分。考察勢が盛り上がってる」
「あ、そう」

 どうでもいいなと思いながら、だらけた姿勢でポケットを探る。
 スマホの乗り換え検索アプリを開き、電車の時間を確認した。
 明日は宮元と映画に行く。
 宮元の親の株主優待でお得に観られるとか、入場者特典がランダムだからとか、そんな程度の気やすさで。

「はぁ……」

 あくびと溜め息の混ざり物を噛み殺して、俺は頬を机に付けたままスマホの画面をタップした。
 7:42:08。通話履歴は残っていて、昨夜が都合の良い夢だけじゃなかったことは確かなのに。

「……オーキャンってさ、ソロで行く方がいいのかな」

 宮元の答えは早かった。

「どこにメリット持たすかだろ」
「メリット?」
「ソロならゆっくり見れるし、親と行けば話が早い。オレなら、学部の倍率順に巡回コース組んでやる」
「便利だねー……」

 あ、本当に瞼が落ちてきそう。
 ヴッ。俺の手の中でスマホが短く震える。

「——!」
「うわ何?!」

 急に姿勢を正した俺に宮元が悲鳴を上げるが、構ってられない。

 辰野晴人      今
 写真を送信しました

「写真?」

 心当たりがないまま、通知をタップした。
 肌色の真ん中に、暗いオレンジ色の小さな物体。
 ポコ、と下にメッセージの吹き出しが出る。

 〈北の渡り廊下にサワガニいる〉

 サワガニ。
 よく見たらそうかも、というくらい手ブレが酷い。これ、掌に載せて片手で接写したのか。
 ポコ。遅れてもう1通メッセージが届く。

 〈ちょっと佐倉に似てる〉

「……」

 じっとりした目つきか、佇まいか。いいにおいはしなさそうなので、その方面はあまり考えたくない。
 どこがですか、と訊いても〈なんとなく〉と返ってきそうなので、質問するのは止めた。

 〈手、よく洗ってください〉

 それだけ返事をして、スマホを机に伏せて置いた。仮眠は諦め、単語帳を開く。
 猫改めカニになる夢なんて、見たくはないから。

「……なんかお前、浮ついてね?」

 宮元の指摘は鋭くて、暗記シートを持つ俺の指が少し滑った。

 その日は職員研修とかで、放課後の時間もなく帰された。
 一人きりの帰り道、薬局に寄って「リュミエ 軽やかに香りつづくガーデニアミュゲ&ウッディ」を小遣いで買った。


 ◇◆◇◆


 先輩からの連絡もないままゴールデンウィーク後半はあっさりと過ぎて、連休明けの放課後。

「遅くなったー、ごめんね」
「……どうも」
 部室に現れた先輩に俯き加減で会釈し、俺は握りしめていたスマホを胸ポケットに滑らせた。
 いつもの時間から、40分くらいが過ぎている。今日はもう来ないのかと思っていた。

「今朝もごめんねー?」
「いえ、別に……」

 本当はとても、気にしている。
 6日ぶりの登校なのに、朝から〈寝坊したごめわ〉との連絡を受けて、今朝は先輩と合流できなかったのだ。
 あいにく今日は渡り廊下にサワガニもおらず、放課後になっても先輩はなかなか部室に来ず、で、俺はもうこの世界が終わってしまえばいいのに、まで妄想を膨らませていたところだった。

「はー、つかれた!」

 ガタン。先輩がなぜか、俺の隣でなく会議机を挟んだ対面の椅子に掛ける。
 どさり、とリュックが放り出される音と一緒に、もう一度世界が終わりそうだった。
 こんなのは、よくない。

「それで、オーキャン——、」

 俺は顔を上げ、先輩の方に視線を投げかけて、止まった。

「あっ、あんま見ないで!」

 先輩は、自分の顔をサッと大学のパンフレットで隠した。
 前髪が。

「ホント今日時間なくて!! 友達にワックス借りたけどペタンコなっちゃって!!」

 先輩の前髪が、下りている。

「……」

 爽やかな普段の雰囲気と違って、無造作でどことなく陰があるというか。

「……セクシー?」
「何言ってんの佐倉あぁああ?!」

 声に出してしまった俺より、言われた先輩の方が動揺していて、逆に落ち着いた。
 これくらいの冗談、先輩後輩でも言うよな?
 ——仕切り直し。

「それで、オーキャンどうだったんですか」
「ん。あのね」

 先輩がパンフレットを下ろして、付箋のあるページを開いた。対面でも分かるくらい耳まで赤くなっていて、先輩の下ネタ耐性の低さを実感する。

「おれのやりたいこと、ここならできるって思った」

 現代社会学部のページだった。アクティブラーニング主体のカリキュラムに、産官学連携プログラムの紹介、学生のインタビュー。先輩が、教員紹介の写真を指差す。

「この、准教授のヤン先生と話した。サッカーのこととか、ボランティアで思ったこととか。公園とか街のデザインしてる先生なんだけど、インクルーシブって言葉教えてくれて、そういうこと一緒にやれたらいいねって」
「そうなんですか……」

 先輩の口調の端々から、確信めいたものを感じた。

「帰って調べたけど、ボランティアのときに『ボッチャはインクルーシブ・スポーツ』って説明あったよね」

 前髪が目に掛かってうっとうしいのか、先輩が頭を振った。

「あとね。ヤン先生、佐倉めっちゃ褒めてくれた」
「えっ?」

 そこでどうして、俺が出てくる?

「なんでこの学部なの、ってなって、後輩とこういうこと考えましたって話したら、〈エガタイヒトと出会えたんだね〉って」

 得難い人、か。
 先輩の誇らしげな声が、耳に心地よく響いた。

「で、親も賛成してくれたから、さっき竹やんのとこ行ってきた」

 さらっと言われた内容に、一瞬理解が追いつかなかった。
 進路の、竹田先生?

「行けた……んですか」
「うん。けっこう捕まっちゃって、スマホさわれなかった」

 ごめんね、と先輩はまた謝る。

「で、担任にも朝、資料渡してある」

 連休前、ふたつ貰ってこよう、と言っていた資料の片方は、俺の分じゃなかったわけだ。
 ぞわ、と背中を悪寒が走る。

「それで、おれ、こっちの入試やってみたくて」

 先輩がパンフレットを閉じ、募集要項を開いた。青と黒の2色刷りの中に、いつもの蛍光ペンで線がたくさん引かれている。

 総合型選抜〈社会探究型〉。
 志望理由書、体験講義レポート、当日課題、面接。

「……〈プレゼンテーション型〉にするんじゃなかったんですか」

 寝落ち通話のときに、一緒に決めたはずだった。
 志望理由書と自己推薦書が800字ずつに、プレゼンテーションと口頭試問。
 東央大より書類は増えるが、形式が似ていて俺もしっかり手伝えるから。

「うん、ごめん」

 先輩がぐしぐしと前髪を掻き回した。

「なんでですか」

 さあっと自分の胸の奥が冷えていくのを感じる。

「ん、とね。社会探究型って、当日課題はグループで色々考えたりモノ作りしたりするんだって。めっちゃ楽しかったって去年受けた人が話してくれてー、」

 斜め上を見上げながら、一生懸命に何かを数えるような仕草をする先輩。

「おれも、大学で一緒にやるかもしれない人と受験がんばれるの面白そうかなって……」

 また指をひとつ折る。

「竹やんは評定と活動点?もいけるーって言ってた」
「竹田先生、仲よかったんですね……」

 それはそうだ。だから「優しくしてくれて気まずくなった」んだろうから。

「あ、あと! 専願だから受かりやすいって!」

 小指を残して4本の指が折られて、気付く。
 俺の説得材料を、数えている?

「——プレゼンテーション型は併願ですもんね」

 声が震えていなくてよかった、と思った。
 紙面に引かれた蛍光ペンの線を、目で辿っていく。
 よれたり、何重にも重なって滲んだりした線は、先輩が熱心に読み込んで、考えた証拠だ。
 一人で。

「志望理由書と体験講義レポートって、どんな書式なんですか?」

 俺の問いに、前髪に隠れた先輩の眉根が歪むのが分かった。

「ここ」

 先輩が、募集要項の後ろの方のページを開き直す。ページの右上に付箋が貼られていた。
 この質問が来るのも、想定済みだったんだろう。

「見せてください」

 先輩の手元から要項を引き寄せる。
 ミシン目で切って使えるように、書式が綴じ込まれていた。A4用紙の半分くらいを使って、太い黒枠が描かれている。
 

 志望理由書〈社会探究型〉
 本学を志望する理由について、400字以内で記入してください。記入には黒ボールペンを使用すること。
 

「400字……」

 たった、これだけ?
 俺はぱらぱらと要項をめくっていく。

「レポートの紙がないですけど」
「体験講義のあとに配るって。内容のまとめとか意見とか、すぐ書いて出すっぽい」
「その場でですか」
「うん。体験講義はもう予約してきた。夏休みのやつ」
「……大丈夫なんですか」

 俺がいなくても。
 先輩が小さく頷く。ぐし、とまた前髪を掻き回した。
 不思議な緑がかった目も、きれいなおでこも隠れて、ぜんぜん知らない人みたいだった。

「レポートの書き方の講座、来月やるって」
「そっちも予約してあるんですか」
「それはまだ」
「来月なら、早くした方がいいんじゃないですか」
 先輩が曖昧な笑みを浮かべる。
「それは佐倉に話してからかなって——、」
 
 なんで、そこだけ?

「だいたい〈専願〉って重さわかってるんですか」

 先輩の笑みがスッと消えた。俺の声の硬さを感じ取ったみたいだった。

「……わかってるよ。浮気するなってことでしょ?」

 浮気? イラつきを覚えた瞬間、俺の口はもう開いていた。

「どうして今そんな喩えするんですか!」
「は? お前がいつもしてたじゃん?!」

 もっともな反論を受けて、目の奥がかあっと熱くなる。
 手元の募集要項を先輩に突き返した。先輩が受け取り損ねた要項は、机の縁に当たって床に落ちていく。
 ばさばさ、と乾いた音が止んで、部室が静まり返る。

「あちゃあ、」

 先輩がパイプ椅子から降りて、床にしゃがんだ。
 机に隠れて顔が見えなくなる。
 要項についた床埃を払う音が聞こえたのち、机の下からためらいがちな声が漂ってきた。

「なんで……、応援してくれないの」

 語尾の抑揚はふらついていた。やんわりと責められているのか違うのか、どうも判断が付かなかった。
 机の向こうで、ふわふわと栗色の髪の毛が揺れる。

「佐倉はおれより、おれのこと分かってくれてたじゃん……」

 全身の皮膚が、ちりちりと粟立つ。
 痛い。
 たぶん先輩は、もっと痛い。

「応援してますよ」

 俺がパイプ椅子から腰を浮かせると、ギィ、と耳障りな軋みが立った。
 しゃがんだままの先輩の方は見ないようにして、壁の黒板に向かう。
 先週書いた予定を、ざざっと黒板消しで擦っていく。

   定〉
   理
  中間
  レ      6
 ★2年  旅行、期
 面    終

「志望理由書の完成まで、ちゃんと手伝います」

 ちゃんと、は先輩の口癖だな、と頭の片隅をどこか淡い感覚が過ぎる。

「中間テストと修学旅行があるので、次に会(あ)……、会議するのは6月中旬でいいですね?」

 肩越しに見遣ると、先輩はゆらりと立ち上がったところだった。

「さくら、」

 色のない声だった。

「ごめんね」
「……すぐ謝らないでください」

 分かってもいないくせに。

「ん」

 先輩がリュックを引き寄せ、会議机に広がった大学の資料を投げ込んだ。

「さき帰る」

 口が開いたままのリュックを背負い、先輩がドアの向こうに消える。
 ばたん、とドアの閉まる音が、妙に大きく響いた。


「はぁー……」

 一人きりの部室で、俺は長い長い溜め息をついた。
 しばらくは帰宅部になろう。
 文芸同好会は解散だろうなあ、と少し寂しく思った。