恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜

 3P(さんぴー)
 大学の教育方針を示す「3つのポリシー」の俗称。建学の精神や教育理念と共に、進学先の理解のために受験生が知っておくべき重要な情報である。
 AP:アドミッション・ポリシー(入学者受け入れ方針)
 CP:カリキュラム・ポリシー(教育課程編成・実施方針)
 DP:ディプロマ・ポリシー(学位授与方針)
 それぞれ、大学のパンフレットや公式WEBサイト等で確認ができる。

 ♡ ♡ ♡

 先輩と出会って、2週間が過ぎた。
 〈いちごフェア まもなく終了!〉
 朝の通学路。ファミレスの窓に連なって貼られたポスターに、爽やかな陽光が反射していた。

「わ! うまそー!」

 いちごパフェの写真に釣られた先輩が、俺の隣で声を上げる。
 放課後たびたび〈文芸同好会〉部室に現れる先輩と流れで一緒に帰るうち、「朝も喋ろーよ」とペースをすっかり巻き取られてしまい、今日は登校時間を合わせることになったのだ。

 今日は? 今日からは?
 ……どっちだ。

 ちらりと目をやった先に機嫌良さそうな先輩の顔を認める。確かめるのも憚られて、俺は手元の紙に目を落とした。

「マス目があるわけじゃないんですね」
「ねー。横線ギチギチじゃん」

 俺が持っているのは、東央大学の志望理由書 所定書式だ。
 学校まで、最寄り駅から徒歩15分。「届いてたの気付かなかった」という大学の資料を、歩きながら二人で(あらた)めていく。

「てっきり、横書きの原稿用紙だと思ってました」
「おれも」

 指定書式は、ただ横に線が引かれただけの無愛想なプリントだった。
 あの『総合型選抜』の本に出ていた見本にはマス目があったので、書式を見た瞬間、目を疑った。
 A4両面に、横線がみっしり。全部で何文字書けばいいんだ、これ?
 弁論の原稿でも、約1,800字。それより多いかもしれない、と、俺は横線の圧を感じる。

「とりあえず、最初の一行に適当な文でも書いてみたらどうですか? それの文字数と行数を掛ければ、アタリはつきそうです」
「あ、それいいね」

 俺の手元から白紙を取り返す先輩は、その圧に気付いていないようだった。
 すぐ先の歩行者信号が赤になった。同じ制服を着た集団に混じり、横断歩道の手前で並んで待つ。

「何書こっかな」
「春はあけぼのでも、寿限無(じゅげむ)でも」
「揚げ物? 春はいちごじゃん」

 先輩が、どこまで本気で言っているのか掴めない。
 何気なく周りに目をやった。
 膨れた黒髪に擦れたトートバッグ、特進。
 セットされた短髪に前を開けたジャケットと黄色のゴツいスニーカー、スポーツ。
 あっちで立ったまま問題集を解いているボサ髪メガネは、遠目でも分かる同じクラスの知り合い。

 髪型や色、制服の着方、鞄や靴。改めて見ると、特進とスポーツ、それぞれの生徒の違いがはっきりと出ていた。
 隣に立つ先輩を盗み見る。
 滑らかな弧を描くおでこの上で、軽く立ち上げた前髪が揺れていた。
 俺、からかわれてないよな?

「先輩って、今まで……。本とか、どんなの読んでました?」

 さすがに教科書ちゃんと読んでました? とは聞けず、遠回しに探りを入れる。

「マンガならくわしーよ」

 いくつか挙げられたタイトルは、すべてサッカー漫画。予想どおりの回答だった。

「読書感想文、今までどうしてたんですか」
「あー、おれね、それ自信ある」
「えっ?!」

 信号が青に変わり、制服の群れが奥に向かって流れていく。

 感想文に自信。この数日は片鱗も見せなかったが、もしかして本当は「書ける」タイプなのだろうか。

「小中高ぜんぶ、毎年同じ絵本で書いてんだよね」
「絵本?!」

 そんな抜け道があるのか。

「うん。知ってる? 猫の話なんだけど、」

 確かにあれなら、高校生でも書きようはあるか。

「なるほど。『百万回……」
「じゃなくて、『ねこねこ と おおざかな』」
「ねこねこ」
「うん。おれ大好きでさー、あの本」

 俺の知る限り、課題図書や推薦図書にはなかったように思う。

「ドラねこがさ、サビのかぎ尻尾をお魚釣りに使おうって言ったり、クロを夜の偵察隊長にしたり……。ぐうたらなクセに、ねこねこのことよく見てんだよね。いちばん体張っておさかな捕まえるし、尊敬するわー」

 しみじみ話す先輩の横で、俺はそっと心のメモを更新する。
 先輩の好きなもの:サッカー、いちご、猫。

 

「どーいう化学反応なん? 朝のアレ」

 昼休み。教室の自席で弁当を広げようとした俺に、ボサ髪メガネの宮元(みやもと)が話しかけてきた。
 購買の袋を持って、空いていた前の席に座ってくる。

「あの先輩、サッカー部の副キャプテンだった人じゃん」
「『だった』人?」

 聞き返してしまう。初めて知った先輩の役職よりも、過去形の表現が耳に残った。

「覚えとらん? 秋祭(あきさい)の前くらいに救急車来て、かなり騒ぎになってた」
「そうだっけ……」

 その頃の俺はきっと、弁論大会の準備に掛かり切りだったから、人のことなんて気にも止めていなかった。

「知らんのにつるんでる訳? 舎弟とかやらされてんの?」

 ふざけた口ぶりだが心配してくれているらしい宮元に向かい、かぶりを振った。

「総合型選抜の準備、ちょっと手伝ってる」
「なんそれ。志望校どこ? 手伝うってなに?」

 他人のことなので迷ったが、俺と宮元、互いの交友関係の狭さを信用し、声をひそめて返した。

「東央の福祉。いまは志望理由書作ってる」

 俺の答えに、宮元はサンドイッチの袋を開きながら呆れた声を上げた。

SFC(エスエフシー)とかじゃねーのかよ。やるなら譲ってG-MARCH(ジーマーチ)だろ」
「声でかいよ」

 苦情は入れておく。
 宮元が言いたいのは、大学のレベルの話だ。受験研究するなら難関私大か、せめて私立上位群まで。

「志望理由書って。年内入試対策の授業、オレら2学期から色々あるじゃん」
「そうだけど……」

 箸箱を取りつつ濁す俺に、宮元が重ねてくる。

「お前に声掛かるって間違いなく弁論絡みだろ。身削ってまで、付き合う意味あんの?」

 口は悪いが、諭すような調子だった。宮元はこういう奴だ。
 俺が先輩を手伝う意味、か。
 弁当箱の隅、きんぴらごぼうを箸でつまむ。

「……意味を探すことに、意味を感じられたらいいかなって思ってる」
「は? メタ認知的なやつ?」
「むしろ未知との遭遇かな」

 きんぴらごぼうを口に入れる。
 コーヒー牛乳をすすった宮元が、ストローの先を噛んでから言った。

「お前がしんどくならんなら、悪くないかもしれん」
「今のところは大丈夫」
 輪唐辛子が歯に引っかかり、少し軋んだ感触がした。



 放課後。
 会議机とパイプ椅子だけの殺風景な部室に、先輩と椅子ひとつ開けて並んで腰掛けた。
 どうせどこに座っても「隣来て」「見て」と言われるので、いろいろと省略できる。

「ずっと誰も来てないけど、この部、ほんとに生きてる?」
「深海生物くらいには」

 便宜上「部室」と呼んでいるが、同好会なので部ですらない。
 先生方のご厚意でギリギリ維持できているものの、受験モードに入った3年生たちは滅多に顔を出しに来ない。
 1・2年の在籍者は俺しかいないので、解散は時間の問題だった。

「大学受験研究会、に改称してみましょうか」

 そうすれば宮元みたいな受験オタクが殺到して、賑やかになりそうだ。

「佐倉は……、それでいいの?」
 世界史の参考書を開きながら放った俺の軽口を、先輩は真面目に受け止めたみたいだった。

「と、いうのは?」

 質問の意図を取りかねて、聞き返す。

「読んだり書いたりしなくていいの」
「そっちはミステリ研究会とか、ライトノベル同好会の領分ですね」

 資料複合問題の地図をシャーペンの先で追っていく。
 地理的条件の理解が前面に出すぎていて、歴史なのか地理なのか、科目が分からなくなってくる。

「好きなんじゃないの」

 俺に投げかけられる先輩の眼差しは、今日も緑に光っていた。

「別に。……書かないためにいるようなものなので」

 俺が口ごもりながら付け足した後半は、聞き逃してくれたみたいだった。

「先輩はひととおり、ネタ出しできたんですか」

 今日で志望理由書の構想を終え、本文に入ろうというのが当座の目標になっていた。

「あんま、まとまってないけど」
 先輩がリュックからバインダーを取り出す。表紙には、バンドかなにかのステッカーがごちゃごちゃ貼られていた。

「よろしく!」

 ページを開いて渡される。受け取る瞬間、かすかに指先が触れた。
 先輩の指は少し湿っていて、熱かった。

 

 首筋を冷や汗が伝った気がした。

「どお?」

 先輩がちらちらとこちらを伺ってくる。

「これは……」

 先輩の構想メモを前に、俺は頭を抱えたくなった。
 型はきっちり守っている。
 誤字は目立つものの、文章量も意外にある。

 が、何かが違う。

 あんなに言ったのに、ラブレターじゃなくてファンレターになってる?
 いや違う、熱意も、やりたいこともふんわり書けている。

 何かがしっくり来ない。
 将来像が「福祉の現場で人を支えたい」って、当たり前のことしか書いてないからか?

「佐倉。もしかしておれ、かなりやばい?」
「ちょっと待ってください」

 さすがに焦り顔の先輩を前に、俺は『総合型選抜』の本を開いた。
 〈志望理由書の構成〉のページをもう一度。そこで、読み飛ばしていた単語を認める。

「教育理念と、3P(さんぴー)……?」

 ページをめくって紙面を追いかける。アドミッション・ポリシー、入学者受け入れ方針。カリキュラム・ポリシー……。

「先輩、3Pです! 分かります?!」

 勢いよく俺が顔を上げた先で、先輩はどこかきまり悪そうな表情を見せていた。

「さん、ぴー。うん、わかる……。そっちのやつ……」

 目のふちが少し赤い。さすがに、後輩に指摘されるのは恥ずかしいのか。
 だが、乗り越えてもらわなくてはならない。

「整理しましょう」

 枠に囲まれた、AP・CP・DPの意味をざっと目でなぞる。
 入口、過程、出口。

「こういう人に来てほしい、がAP。その人たちにこういう目的でこういうことを学んでもらいます、がCP」

 赤みの差した頬のまま、首を縦に振る先輩。俺は続ける。

「で、最終的にこうなって卒業してほしい、がDP……っていう理解でいいはずです」

 話しながら、言葉が収束していく心地よさを感じる。
 ここからが本題だ。

「東央大の理念と3P、確認しましたか?」
「見たよーな……」

 ますます恥入って、自信なさげな様子だ。
 改めて先輩の構想メモに目を走らせる。
 理念と3P。この観点で見れば、足りない部分が手に取るように分かる。

「先輩。これ、大学名隠したらどこでも使えそうな内容になってます」
「え、うそ」

 先輩が目を丸くするが、事実だ。

「東央大じゃなきゃだめ、って核の部分を、理念とか3Pへの納得度で示していく必要があると思います」

 言いながら、でも露骨に表現するのも違うのではないか、と思い、言い直す。

「浸透度、の方が近いんですかね。体現度?」
「じゃ、じゃあ、今のおれ、」

 俺の細かいこだわりと自己点検のあいだに、先輩の顔はさっきよりももっと赤くなっていた。

「誰でもいいからヤり……、付き合って、ってラブレター書いてるってこと?!」
「それは的確な喩えですね」

 突如投入された下ネタはさておき、比喩の鋭さにはちょっぴり感心した。



「福祉の中でも特に、社会福祉士の育成に力を入れてる大学なんですね」
「うん。親と話してて、福祉やるならここじゃないかって」

 東央大の公式サイトをスマホに出し、先輩がルーズリーフに教育理念と3Pを写していく。
 ハネやハライのきつい大ぶりの文字。粒が揃っていて読みやすいから、好感が持てる。

 〈社会福祉士〉という語が、繰り返し出てきていた。
 社会福祉士って、困ってる人を福祉と繋ぐ仕事だよな。
 人には好かれそうだが、社会制度の説明とかできるんだろうか、と少し心配になる。
 ……余計なお世話だ。

「改めて、志望理由書の方針ですが、」

 分かりにくいが役には立つ例の本を閉じて、俺は先輩に向き直った。
 猫で喩えてもいいんだけど。

「先輩。いちご、好きですか?」
「うん、好きー! オレ言ったっけ?」

 春は揚げ物よりいちご派なのは、けさ先輩が自分で言っていた。

「俺も〈フルーツ全般〉好きなんですよね。駅前のファミレスでいちごフェアやってるので、一緒にパフェ食べに行きましょうよ」
「行く!」

 間髪入れず返してきた先輩の顔の前で、人差し指を立てる。

「っていう俺と、」
「?」

 俺の指の先をまじまじと見る先輩に、爪を短く切っておいてよかった、と思う。

「俺も先輩と同じで〈いちご好き〉なんですけど、実は〈お菓子作り〉が趣味で。パフェはもちろん、いちごタルトとか苺大福も作れるんですけど、食べてくれますか?」
「すげー! 食いたい!」

 先輩の顔が迫ってきて、俺の指が喰われそうだった。

「っていう俺と、」

 続いて中指を立てる。俺のピースサインを、目を白黒させた先輩が見つめた。

「???」
「その、えっと、〈いちごが好きな先輩〉のことが……なんか好き、で……、よく分かんないけど一緒にいたいとか言う俺がいたとして、」

 おずおずと三本目の薬指を立てた。
 どうして俺と先輩で喩えちゃったんだ、俺。

「……どの俺が一番、いいと思いますか」
「最後の」
「え」

 絡みついた緑の眼差しに、薬指が震えた。

「最後の佐倉」

 指先に先輩の息が掛かる。
 三本立てた指を挟んで、俺と先輩の顔が信じられないほど近くにあった。

 遠くの方で、練習中の運動部から湧く歓声が聞こえた。

「……」

 俺の喉が鳴る音が、大きく響いた気がした。
 ひとつでも言葉を間違えたら、何かがばらばらに壊れてしまいそうだった。

 先輩の乾き気味の唇が、ゆっくりと開く。

「ゴール、」
「っ?!」

 先輩が、カーテンが中途半端に開いた窓に顔を向けた。
 ぽつりと呟く。

「いま、誰かがゴール決めた」
「あっ……、外?」
「うん」

 俺から体を離した先輩が、額に落ちる前髪を静かに払った。眩しそうに目を細める。
 大人びた仕草が、妙に印象的だった。

「……それで、さっきの喩えなんですけど、」

 喩え、という部分を強調してしまっている自分がいた。

「あの、志望理由書で、理念や3Pと接続しながら個性を出していく、って話をしたかったんです」
「うん、めっちゃわかりやすかった」

 先輩は少し口角を上げた。
 ならなぜ、3番目を選ぶんだ?

「2番目を目指すといいかと」

 俺の戸惑いに、先輩は気付いているんだろうか。

「お菓子はこんど作ってきてくれる?」
「作れません」
「えー」

 むくれてみせる先輩。
 やっぱり、からかわれているのかもしれない。



 その日の帰り、二人で駅前のファミレスに寄った。
 懐と相談しつつ、いちごパフェと大盛りフライドポテトを注文する。分け合って食べているとき、先輩がぼやいた。

「おれ、部活以外なんにもしてこなかったんだよね。勉強も、バイトも、恋愛も」

 モテそうなのに、そういうものなのか。

「俺も後ろの二つは全然ですけど……」

 噛み締めたポテトの塩気に、ヒントが載ってくる。

「先輩。ボランティア、一緒に行ってみませんか?」