恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜

 総合型選抜合格後に心得ること。
 入学手続を期限内に終わらせることはもちろん、入学前課題の提出や総合型選抜合格者向けプログラムへの参加など、学びの機会を逸しないように努めること。
 アルバイトや友人との交際に勤しむことも結構だが、基礎学力の向上を図ったり、専門領域の論文を読んだりするなど、自己研鑽の時間は充分にあるだろう。
 一般選抜に向けて勉強を続ける同級生に配慮しながら、残りの高校生活を品行方正に、かつ後悔のないよう過ごしてほしい。
 最後に、合格おめでとう。君たちのゴールではなくスタートを祝し、この本の後書きとしたい。


  ♡ ♡ ♡


 陽が落ちた駅までの帰り道、歩道を街灯が照らす中を並んで歩く。
 手くらいはつなぎたいけど、まずは答え合わせの時間だ。

「なんであんな、気を持たすようなことを言ったんですか」
「モタス?」
「だから、その、告白予告みたいな……」

 みたいでもなんでもなく、改まって「言いたいことある」はシンプルに予告だ。

「もしかして、俺が先輩のこと好きって気付いてたんですか」

 先輩がキョトンとして、ふるふる首を振った。

「まさかぁ」

 いろいろと、漏れてはいなかったようだった。

「佐倉と友達になりたかったけど、でも友達じゃやだったから。あーやって言ったらさ……。佐倉も、ちょっとくらいおれのこと考えてくれるかもって」
「ずいぶん邪悪ですね」

 思っていたより、打算的な人なのかもしれない。

「あと、なんでプレゼンなんですか」

 俺は教えてないのに。

「大学のねー、総合型選抜準備講座でプレゼンのやり方の資料もらったんだよね」
「はあ」

 もともと予定していた〈プレゼンテーション型〉の資料だろうか。

「ちゃんと気持ち伝えたかったから。『プレゼンは事前準備できる』って佐倉が言ってたじゃん?」

 にかっと笑う先輩。まさか、こんな形で返ってくるとは思わなかった。

「だめだった?」
「別にいいですけど——、痛っ!」

 ビリリと痛みが走った腰に、手を当てる。先輩に飛びつかれたとき、グキッと嫌な感じはあったのだが。

「だいじょぶ?」

 心配そうに覗き込んでくる先輩に、できるだけの仕返しはしたい。

「……先輩が、あんなに激しくしたせいですね」
「はげっ?!」

 下ネタ耐性のない顔が、みるみるうちに赤を通り越してどす黒くなっていく。俺は心の中で舌を出した。

「俺の腰が保たないので。あまり激しく、飛び付くのはよくないです」
「そーだね、飛び付くとね! 腰が!」

 顔色を気取られまいとしたのか、明後日の方を向いた先輩が、腕を差し出してきた。

「つ、掴まっていーよ」
「お借りします」

 ブレザー越しの硬い腕に自分の腕を絡めて、思いっきりしがみつく。

「……かわい、」
 ぼそりと呟く先輩と、それを聞き取ってしまった俺の二人で顔色を赤や黒や白に変える。
 そんな中で、「キスが俺の合格発表後なら、その先はいつになるんだろう」なんて、俺はとんでもなく破廉恥なことを考えていた。


 ◇◆◇◆


 12月。先輩は学校に許可をもらって、放課後や休日は冷凍クリスマスケーキの食品工場で短期バイトに励んでいた。
 俺は宮元と英検準1級のスコアを競うべく、夜は先輩と作業通話をする毎日だった。

《虎太朗はさ、指定校受かったから卒業までサッカー部にいるんだって》
「キャプテンは後輩に譲ったんですよね」
《うん。佐倉の代はホネのあるヤツが多いね〜》
「それは誰かの受け売りでしょう」
《監督》
「でしょうね」
《弁論部はさー、残念だったね》

 先日、弁論部は地区大会で敗退を喫した。

「そうですかね。妥当かと」

《きびしー。出たくならなかった?》
「今は別に。大学では何かやろうと思ってますけど」
《学校決めた? 2年はもうすぐ三者懇談じゃん》
「まあ、なんとなくは」
《来年の夏で志望校決定?》
「最長で、共通テストの自己採点後ですね」

 電話口の向こうで、しばらく沈黙が漂う。

《……遠っ!》
「そういうものです」

 えらく時間がかかったけど「合格するまでキスしない」って、時期分かって言ってたのかな。
 時計をちらりと見る。そろそろ通話を切り上げる頃だ。

《ねー、佐倉》
「はい」
《おれバイトの給料入るから、クリスマスプレゼントにシャーペンあげてもいい?》
「俺にですか?」
《うん、なんか勉強のときに使えるものあげたい》
「はい」
《いつも持ってて》

 御守り代わりということだろうか。

《クリスマス、一緒に選びにいこーね》
「先輩は欲しいものないですか」
《おれはいーの。行こ?》
「……はい」

 英検の一次試験まで1ヶ月を切ってしまうような日程だったが、初めての誘いは断りたくなかった。
 別に遠距離とかになるわけじゃないけど。
 高校生の先輩との毎日が、少しずつ短くなっていくのは素直に痛かった。



 12月24日は終業式だった。
 半日で終わった学校の帰り、いつもは降りない駅で下車し、ショッピングモールを目指してクリスマスムード一色の街に出る。

「佐倉、こっち歩いて」

 今日は朝からどこか落ち着いた雰囲気の先輩に腕を引かれ、俺は車道側から歩道側へと誘導される。しっくり来ないものを感じながら、俺は街の装飾を眺めた。

「明日から休みだし、明日出かけるのかと思ってました」

 喋るたびに白い息が漂う。

「クリスマスデートは24日なの」

 さすがに「デート」の部分だけは声をひそめて、先輩が、ふうふうと息を吐いて遊ぶ。制服の上に黒のダウンを着て、暖かそうだった。
 混んだ街の中で、体を斜めにして通行人とすれ違う。

「昼、フードコートでいい? 家の夜メシとダブらなそーなやつあるかな」
「和食なら……。鴨南蛮蕎麦とかですかね」
「蕎麦?! しかも鴨ってチキンじゃん?」
「duckでは」
「それアヒルじゃないの?!」

 そこから北京ダックの連想で、昼は中華に決まった。
 フードコートに入る直前、先輩がポツリと口にする。

「やっぱ、パスタとかにしない?」
「かなり中華の口ですけど、変えます?」
「……ううん。おれも中華喰いたい!」

 ホッとした様子で言う先輩を訝しみつつ、チェーン店のブースに並んでラーメンと餃子と炒飯を注文した。

「餃子って、酢胡椒で喰うとめっちゃ美味いよね」

 タレ皿の酢を眺めてうっとりする先輩を前に、こんな顔が見られるなら、俺はいくらでも黒胡椒を挽きたかった。


 腹ごしらえをして、大きな文房具店に入る。

「あっちいっぱいあるよ?」
「それは、ちょっと」

 壁面のガラスケースに並ぶ高級文具を指差してくる先輩に、この人はいったい予算いくらで考えてきたんだとおののく。
 シャーペンで1万円超えとかだろう。そんなの、ペンケースに入れたまま体育に行けない。
 フックに掛けられたシャーペンがずらりと並ぶコーナーで立ち止まる。

「あ。この芯が回るの好きです」

 定番品が2本、筆箱に入っている。

「やっぱいいんだ?」

 先輩がパッケージを手に取る。俺のピーコートの肩に先輩のダウンの袖が擦れて、シャ、と軽い音が鳴った。

「英単語とか分数が潰れないのはデカいですね。先輩は拘りないんですか?」
「あんまり。初めて献血したときに貰ったの、なんとなくずっと使ってる」
「ああ、たしかに」

 謎のキャラクターとハートマークが付いていたような。

「同じシリーズにする?」
「うーん……」

 値札をざっと見る。300円、500円、700円……、うわ、キラキラの石付きで5,000円とかあるな。

「これも良くない?」

 俺の視線を読んだのか、先輩がディスプレイされていたキラキラのシャーペンを手に取った。

「まさか」

 即座に首を横に振る。

「おれはいいと思うよ。白のやつ佐倉に似合いそう」

 口角を上げてこちらに渡そうとしてくる先輩に、かすかな胡散臭さを覚える。

「あの、先輩」
「なに?」

 これ言って怒られないかな。先輩の手からシャーペンを取って、元の場所に戻す。

「俺……、女の子ではないので」

 先輩の目に、動揺が走った。

「大事にしてもらってるのは有り難いですけど、今日の先輩より、いつもの感じの方が正直言って好きです」

 目を白黒させるというのはこういうことか、というくらい、先輩が高速で瞬きをする。

「聞いてます?」
「はい」

 返事は敬語で返ってきた。頷く栗色の前髪の揺れで、俺は朝からの違和感の正体にやっと気付く。

「そういえば今日、前髪下ろしてますね」
「うん」
「なんでですか」
「……」
「もしかして前に、俺がセク——、」

 むぎゅ。先輩に口を手で塞がれた。

「いーわーなーいでっ!」

 押し付けられた掌は熱く、じんわりと汗をかいていて、先輩がどんな気持ちで今日を過ごしていたのか理解するには充分だった。
 手をどけるついでに、一瞬だけその指先を握ってから離す。

「お揃いにしません?」
「へ?」
「クリスマスプレゼントなのに、俺だけ一方的に貰うなんて嫌ですよ。合格祝いも渡してないですし」

 宙で迷った拳をぎゅ、ぎゅ、と握りながら、先輩は困った顔をした。

「でも佐倉、バイトしてない……」
「いけます」

 俺だって先輩の「彼氏」なので、そこは考えてきている。

「英検合格ボーナス、親に前借りしてきました」

 先輩が目を剥く。

「そんなんあり?!」
「意地でも受かります」

 小遣いもあるしお年玉も貯金派だけど、ここは自分の力で手に入れた(あるいは手に入れる予定の)お金で買いたかった。

「こっちの、メカっぽいスケルトンのがいいです。先輩は何色にしますか」
「黄色……?」
「じゃあこれとこれを」

 棚から2本のシャーペンを取る。1本3,150円は、かなり奮発した方だ。

「大学でも使ってください」
「うん。めっちゃ使うー」

 無料のプレゼント包装をしてもらって、二人でプレゼント交換した。



「じゃあ、こっちの路線から帰ります」
「ん、今日はありがとねー」

 別れ際、駅の改札前で俺に手を振りかけた先輩が、急に神妙な顔をした。

「あのさ」

 俺はパスケースを出す手を止めて、先輩の次の言葉を待つ。

「おれね、ぜんぜん今日は手つなぐつもりだったんだけど」

 ピッ、バタン。ピッ、ピッ。改札を人がどんどん抜けていく。夕方の駅の喧騒に、先輩の声は負けていた。

「やっぱ勇気ないかも」

 中途半端な笑顔で、先輩は背中のリュックを背負い直した。

「情けなくてごめん」

 最初はすごく、距離の近い人だと思ってたのになあ。

「……別に、俺も同じなので」
「むずかしーよね」

 俺たちのすぐ傍を、恰幅のいいサラリーマンが通り過ぎていった。すみません、と軽く避けた先輩が詫びる。

「でも前に、俺たち人前で手つないでましたよね」
「え? いつ?!」
「受験のすぐあとに。先月もコスモス見た帰り、腕組んで歩いたじゃないですか」
「えっ?! ……えっ?!」

 混乱する先輩は、本当に覚えていないんだろう。
 他人のことなんて誰も気にしてないんじゃないか、と言うほど大成していないけど、先輩はもっと視野狭窄になればいいのにと思った。
 

 ◇◆◇◆


 冷えた廊下の床に先輩と二人で座り込み、塾へ〈3年生0学期〉を仕上げに行く同級生たちの後ろ姿を見送る。

「カポンってやるのが夢だったんだよね」
「あの筒、なにものなんでしょうね」
「ねー。小学校も中学も、おれんとこの卒業証書ってパタパタだったよ?」
「俺もです」

 茶の合皮の証書入れは二つ折りになっていて、表紙に〈卒業証書〉の金文字がある。先輩は頭上で開いたり閉じたりして、感触を確かめていた。

 2月の終わり。廊下の窓の外、空は冬の名残で薄い鼠色。桜の気配は微塵もない。
 卒業式の閉式後、「すぐ打ち上げ出るけど!」と、先輩は俺のクラスまで走ってきてくれていた。

「卒業しちゃった」
「おめでとうございます」
「……寂しいって言ってもいいよ?」
「それほどでもないです」

 強がりではあるが事実だ。
 夏前くらいに距離を置いていたときの方が寂しかった。
 今思えばあれって、痴話喧嘩というやつだったのかな。

「ねえ佐倉、」

 先輩が廊下に正座した。膝に卒業証書を載せ、リノリウムに三つ指をついて首を垂れる。

「これからも、末永くよろしくお願いします」
「床、冷たくないですか?」
「やばい」

 笑いながら顔を上げた先輩の額は今日も滑らかだったので、
 俺は素早く、そのおでこに触れるか触れないかのキスをした。

「さくらっ?!」
「誰も見てなかったです」
「約束!」
「口はまだ……っくしゅ!」

 顔の熱さより、体の寒さの方が勝っていた。

「もー!」

 先輩が呆れた様子でブレザーを脱いで、俺の肩に掛けてきた。
 暖かさと嗅ぎ慣れた匂いに包まれる。

「冷えますって」
「ベストあるから平気」
「でも、」
「いいの」

 先輩が立ち上がる。俺の頭を卒業証書でトントンと叩いた。

「ぜんぶ佐倉にあげる。おれ打ち上げ行くね」
「待っ……!」

 パッと身を翻して駆けていく先輩を、捕まえ損ねた手が宙を掻く。
 すっかり人のいなくなった廊下に、ポツンとひとり取り残された。

 仕方ない人だな、と、俺のよりワンサイズ大きそうなブレザーの前を合わせる。先輩の体温がまだ残っていた。
 金ボタンをひとつずつ、指でなぞって確かめる。
 また「彼氏」っぽい動きしてたな。

「……少女漫画とか、好きなのかな」

 今夜の通話で訊いてみよう。
 先輩のときめくシチュエーションや語彙は、これから知っていて損はなさそうだから。