恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜


 合格発表。
 大学が入学者選抜の結果を公表すること。近年は、大学のWEBサイト上で受験番号等を入力して合否を確認する方式が主流となっている。
 合格者は、定められた期限内に入学金の納付などの入学手続きを完了する必要がある。
 なお、専願で出願した場合、合格後の入学辞退は原則として認められない。


 ♡ ♡ ♡


 11月1日、日曜日の朝10時9分。

〈受かった。色々あ……〉

 その通知だけで、胸がいっぱいになった。

「っつ——!」

 俺は自室のベッドの上、正座のままでスマホを額につけ、喜びを噛み締める。

「よかっ……くぅ——!」

 そのままベッドに倒れ込み、五体投地。

「ぉめでとっ……、ごっ!?」

 ハッと気づく。これは直接言うべきなのでは。
 とりあえず電話だ。あの寝落ち通話以来、意識してしまって掛けたことはなかったけど。
 身を起こしてもう一度正座する。スマホをスワイプして、通知に触れた。

「おぅ」

 通知に続く文面を見て、思わず声が漏れる。
 
〈受かった。色々ありがとう。佐倉のおかげです〉
〈ちゃんと伝えたいことがあるので時間ください〉
〈明日は学校休みます〉
〈明後日の4時半にコスモスのとこで待ってます〉

 こんな長文が届くのは初めてだ。

「え、えー。ええ……?」

 たしかに明後日の3日は祝日だけど。
 今ごろ満開であろうコスモス畑に呼び出しとは。

「いやいやいや」

 4時半って午後だよな? 遅くない?
 夕焼けとか一緒に見るの?
 ……ちょっとそれは。

 手癖で《了解しました》の肉球スタンプだけ返しておく。
 少女漫画とか恋愛ドラマとか目指してるのか?

 どうした、辰野晴人。




 
 たっぷり空白を重ねた思考停止ののち、疑問をひとつ捻り出す。

「服、何着てけば……?」


 ◇◆◇◆


 翌日の学校では当然のように挙動不審だったようで、宮元に「体調悪いならはよ帰れ」と何度も言われ、最終的には「付いてってやるからスクールカウンセラーのとこ行け」と心配までされた。

「ほんとに大丈夫か、お前」
「だいじょばないけど、ネガティヴな何かではないから」
「エナドリ飲むか? コーンスープのがいいか」
「草津の湯が効くかも」
「は? 温泉?」
「なあ、ネクタイの結び方ってどれがいいと思う?」
「は?」

 最終的には、これに落ち着くよな。
 そんな判断をもとに、11月3日の夕方、制服を着込んだ俺は待ち合わせ場所に乗り込んだ。


 ◇◆◇◆


 風が吹いた瞬間、赤く染まりつつある空にピンク色の波がさざめいた。

「すご……!」

 梅雨の最中に見た光景とはまるで違う。
 淡い桜色から、鮮やかなピンク、深い紅色に近いものまで。
 満開のコスモスが、あたり一面に咲き乱れていた。
 遅い時間だからか、人影はまばらなのも幻想的な風景を後押ししていた。

「あ」

 目指す四阿の屋根の下、見慣れたベージュのブレザーの背中がある。
 先輩も制服か。まあ正装だもんな。
 ビシッとしたスーツに花束で待っていたらどうしようかと思った。

「せ、……?」

 声を張ろうとして、口をつぐむ。
 なんて呼びかけるのが正しいんだ?
 いつも通り「先輩」か? ここは親しみを込めて「辰野先輩」?
 ……晴人先輩? いや、それはやりすぎか。

「さっくら、けいさん!!」
「はいっ?!」

 頭がひっくり返った呼名に叫び返す。
 先輩がこちらに向いていた。いつものきれいなおでこが見える。
 四阿のベンチを指差された。

「座って!」

 いきなり促され、慌てて小走りで駆け寄る。あまり目を合わせないよう、真っ赤な顔の先輩にさっと視線を走らせた。
 眉毛の端が、ぴくぴくしていたように見えた気がした。
 大丈夫かな。

「そちらに、お座り……」

 語尾が消えていく先輩の言葉は、もはや敬語を通り越して犬語だし。
 示されたベンチには、紺のタオルハンカチが敷いてあった。

 …………。
 俺はハンカチをつまみ上げる。

「あっ?!」
「汗拭きにしてください」

 軽く畳んで先輩に渡す。

「ありがと」

 先輩が受け取ろうと手を伸ばす。
 俺と先輩の指先が、ほんの少しだけ触れる。

「……」
「……」

 お互い無言。
 さっそくハンカチを首筋に押し当てる先輩を尻目に、俺は剥き出しになった木のベンチに座った。入念に磨いたローファーの靴先に、目を落としながら考える。
 もうめんどくさいから、俺から言ってしまおうか。

「あの、先ぱ——、」
「佐倉! これ持ってて!」
「へ?」

 ピッ。謎の電子音が先輩の手の中で鳴る。俺のウィンザーノットのネクタイに、何か硬いものを押し付けてきた。
 怪訝に思いながら、それを手に取る。
 猫の顔の形の、白いキッチンタイマー。

 4:56、4:55、4:54……、動いてる?!

「あの……?」

 先輩は、ベンチに放ってあった黒のトートバッグを漁ると、中からB4サイズくらいのスケッチブックを取り出した。
 コスモス畑を背景に、卒業証書みたいにスケッチブックを脇に抱えた先輩が、ピシリと姿勢を正した。
 精悍な表情。緑がかった目が、まっすぐに俺を捉える。
 一瞬、見惚れた。
 
 先輩はすう、と深く息を吸って、声を張り上げる。

「それでは今から! プレゼンテーションを! 始めます!!」

 ……プレゼン?
 フリップ芸でもするかのように、先輩がスケッチブックを胸元で横に構えた。
 表紙をめくると、大振りでハライの強い字がタイトルを主張してくる。

 
 【佐倉啓さんを好きな理由について】
      3年 辰野晴人

 
 さすがにそれは、出オチでは。
 声を失った俺の前で、残り時間4:21のプレゼンテーションが始まった。


 ◇◆◇◆


「まず結論から言います!」

 先輩がガバッとめくったスケッチブックの次のページには《結論》と記されていた。
 予想外の声量に、俺は周囲に目を走らせた。まばらな人影は遠い。
 視線を戻した。眼球がこぼれそうなくらい目を見開いて、先輩が俺を待っていた。

「おれは、佐倉のことが好きです!」
「ぅむん」

 納得しすぎて、喉の奥から変な声が出る。今の内容、その《結論》の下に書けばいいのに。
 先輩がスケッチブックをぱたぱた開いたり閉じたりしながら、こちらをチラッと見てくる。

「……本当はこのあとに《理由》があるんだけど佐倉が好きだから好きって思◯△×#$%÷〒*で理由のとこは飛ばして次やっていいですかって言っても大丈夫?」

 すごく早口だった。途中は聞き逃したが、許可を求められていることは分かったので首肯する。
 先輩の表情がぱっと明るくなる。安堵した顔で、また姿勢を正した。

「では、たとえば、最初に——、」

 スケッチブックがめくられて、《具体例①》と大きく記されたページが現れる。

「ちょっとこれ見て!」

 スケッチブックを脇で挟み、先輩がズボンのポケットをまさぐった。取り出したスマホを前に突き出してくる。
 ロック画面を点灯させた。写真のようだが、遠い。

「ん?」

 俺はベンチから腰を浮かせて、数歩前に出る。

「消えました」
「これ!」

 真っ暗になった画面からまた、ぼやんと湧いて出てきたのは。

「……俺じゃないですか」

 夏の花火のときの写真だ。河原に座り込んで、買い込みすぎた花火をひたすらに消化していたときの。
 いつもブレブレ写真ばかりなのに、露出を調整したのか、宙に散る火花がくっきりと写っていた。
 薄く煙に包まれた俺の横顔は、大量の花火にさすがに飽きてきて、ちょっと目がうつろになっている。

「きれいでしょ?」
「スマホでこんなによく撮れるんですね」
「花火じゃなくて佐倉!」
「え」

 先輩がスマホを操作して、また突きつけてくる。ロック画面と同じ写真が、俺の顔の部分だけ拡大されている。

「きれい!」
「は、あ……?!」

 顔を褒められている?
 遅れて理解して、ぶわぁっと胸のあたりから熱さが全身に上がっていく。

「佐倉がきれいで、勝手に写真撮ってロック画とホーム画にしました!」

 先輩の顔が、たぶん今の俺と同じくらい赤かった。

「勝手に……?」

 俺は盛大な勘違いをしていた。
 既知の、「なんかいいにおい」と「ちょっと小さい」の他は、一緒に自己理解をしたとか、頭が回るとかみたいに。
 俺は自分のそういうところが「佐倉啓さんを好きな理由」に挙がると思っていたのに。
 まず最初に、顔?
 先輩、俺の顔も好きなの???

「次に!」

 先輩がスマホをしまいながら叫ぶ。俺の整理がつく前に、先輩がスケッチブックの次のページをめくった。
 手書きの棒グラフだ。
 隅に《具体例②》とあるだけで、グラフのタイトルも軸の説明もない。
 3つ棒があるうち、中央と右は小さな黒い四角がX軸に張り付いている程度なのに、左の棒はページを突き破るほど上に伸びていて、赤色で塗られていた。

「これは! おれのスマホの通話時間平均のグラフです!!」

 スケッチブックを持つ手も、グラフを示す先輩の指も、震えていた。
 告白のはずがなんでプレゼンなのか分からないけど。
 間違いなく、本気なんだ。

「これが佐倉との通話時間です! こっちが虎太朗で、こっちが親です!」
「なっ、」

 Y軸の目盛りがなくても分かる。7:42:08の棒だ。
 平均のグラフって言ったよな? 俺と先輩は1回しか通話してないから、間違いない。

「電話つなげっぱなしにしてごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げられた。

「いえ、こちらこそ……」

 まださっきの「きれい」の衝撃を引きずったまま、軽く頭を下げ返した。寝た俺の方が悪いし。

「佐倉、何回呼んでも返事なくて、切ろうとしたら寝息が聞こえてきて、おれ、『かわいい』ってなんか声に出ちゃって、それで……、おれは佐倉のこと好きなんだなって気付きました」

 か、と言いかけた自分の口を慌てて手で塞ぐ。反応がワンパターンで、つまらない奴と思われそうで。

 きれいの次に、かわいい?!
 俺が知らない俺について、先輩が喋っている。

 いや、薄々知っていた。きっとサワガニとか、ダンゴムシの赤ちゃんとかと同じで、小さくてかわいかったら、誰でも——、

「佐倉じゃない他の人じゃダメです!!!」
「はへ……?」

 熱のこもった声に、思考をぶったぎられる。
 いつの間にか《具体例③》が始まっていた。

「もし、佐倉くらいおれのこと見ててくれて、一緒に色々考えてくれて、なんかいいにおいがして、すげー頭よくて、肌めっちゃきれいで、ブラックのコーヒー飲める人いたらどうかなってちゃんと考えました!」

 肌? 俺は反射的に自分の頬に手を遣る。たしかにニキビはほとんどできないし、髭もちょろりとしか生えない体質だけど。
 そんなこと先輩、今まで一言も褒めてこなかったじゃないか!

「そしたら、」

 先輩が大きく息継ぎをした。

「そしたら頭の中で佐倉がもう1人増えて、めっちゃ嬉しかったからたぶんダメです!」

 理屈が分からない。

「俺は……、増えません……?」

 先輩がスケッチブックを体の前に下ろす。
 こちらに向けて、へにゃりと笑った。

「だから、佐倉がいいんだって」

 ピピピピ……、

「「わっ!」」

 二人揃って叫ぶ。俺の手の中で、キッチンタイマーが鳴り出していた。

「やば」

 慌てた先輩がページをめくる。こちらをまっすぐに見つめながら、もう一度《結論》が提示される。

「おれは本当に、佐倉のことが好きです!」
「……っ!」

 写真も、数値的根拠も無茶苦茶だった。
 ピピピピ……、
 先輩が次のページを開く。《ご清聴ありがとうございました》を出しかけて、さっとスケッチブックを体の後ろに隠した。
 ピピピピ……、
 具体例も途中から脱線していた。

「なので!!」

 電子音を掻き消すほど、先輩は声を張り上げる。

「おれと付き合ってください! 以上です!!」

 それでもこんなに惜しみなく、言葉を尽くされた。

 ピピッ。
 俺がタイマーを握り締めたせいで、音が止んだ。

 それを合図としたのか、先輩が深く頭を下げる。栗色の髪とコスモスが、さあっと吹いた風に揺れた。
 つむじを見せたままで、先輩が乞う。

「あ、あと、おれのスマホのパスコードは佐倉の誕生日です。続けて口頭試問をおねがいします」
「えーっと、あ、あの、……」

 突然の重めの個人情報に戸惑いつつ、言葉を探す。口頭試問って、志望分野の学術的な質問とかだよな。
 志望分野、俺?
 俺の血液型とか、趣味とか、好きなものは何ですか、とか?
 いや、それこそ、
「あの、俺も……好きです……」

 満開のコスモス畑に二人。もうちょっと気の利いた質問で返したかったが、結局いま一番言いたいことはそれだった。
 先輩が顔を上げた。口がぽかんと開いていた。

「も?」
「もです」
「も?!」

 先輩がスケッチブックを取り落とした。

「あっ、も、もったいなっ……!」

 腰を浮かせた俺に向けて、先輩が、
 
「佐倉あああっ!」

 跳躍した。

「どわっ?!」

 先輩にコアラみたいにしがみつかれた勢いで、二人でべしゃりと地面に座り込む。
 カシャーッ、とコンクリートを滑っていったのは、俺が取り落としたキッチンタイマーだ。
 砂利か何かが地面についた掌に食い込んで、人差し指の付け根あたりにビリビリと痛みが走っていた。

「……っ、は、」

 瞬間に息が苦しくなって、喘ぐ。
 顎を上げた先、信じられないくらい近くに先輩の顔があった。
 俺を見据える虹彩が、緑や赤茶や黄色までチカチカと光っていた。

「佐倉、だいじょぶ?」

 無意識なのか、言い終わりに先輩が唇を舐めた。唇のふちが濡れて艶立つ。
 栗色の髪の後ろで、ぼやけた背景が薄暗い桃色に揺れていた。

 近くに誰もいない。
 地べたに座っているから、コスモスの群れで隠れている。

 そして何より——、俺も先輩も、お互いが好きだ。

「辰野先輩……」

 俺は両腕を先輩の首に回す。ぱら、と砂利が掌から落ちて、痛みが遠ざかっていった。

「佐倉?」

 先輩の戸惑う声をよそに、目を薄く閉じる。
 ざ、と秋の風が髪を乱す感触が、緊張の中でも心地いい。
 先輩が身じろぎして、あの石鹸の匂いが立った。
 顔を寄せていく。
 唇が、
 触——、
 
「ストップゥーーーーっっ!!!」
「はぁっ?!」

 先輩に思いっきり顔を押し退けられて、俺は抗議の声を上げた。

「こんだけ状況設定して今さらですか?!」

 怒りついでに、口元にあった先輩の指を舐めてしまった。びく、と先輩が小さく跳ねて、情けない声で返してくる。

「ごめ、ち、ちがくて……、佐倉、ね?」
「何がダメなんですか」

 陽が落ちてきて、いよいよ逃せない雰囲気だ。

「ちょっと待って」

 ぎゅ、と抱きしめられた。先輩が俺の首筋に顔を埋めてくる。

「柔軟剤、元に戻した?」
「はい」
「なんで?」

 皮膚に熱い息がかかって、背中を一気に電流が駆け下りる感覚がした。

「それは……」

 甘ったるい空気に、甘ったるい互いの声が乗って、急に逃げ出したい気持ちになる。

「先輩が、好きだからです」

 口にしながら、どの意味にも取れるな、と思ったが補足も要らない気がした。

「ん」

 先輩の腕の力が強まる。

「来年、佐倉が大学決まったら、そんときはキスしよ」
「えっ!」
「えっ?」

 顔を見合わせる。

「本気ですか」
「え、うん……?」
「俺のこと遊びなんですか」
「えっ?! 違う! 逆、逆!!」

 手を振り回して否定してくる先輩に、そりゃそうだと思うが、これくらい言ってやらないと気が済まない。

「大事にしたいの! おれ成人だから! 16歳に手出さない!」
「……うわ」

 辰野晴人・18歳という事実に苛立つ。

「17歳も未成年ですけど」
「そこはオマケで!」
「あ、そうですか」

 もうこれは今日は無理だな、と判断して、俺は先輩の両腕を取り外し、抱擁から逃れた。

「じゃあもう帰りましょう」
「もう?!」
「成人が未成年連れ回すの良くないので」
「だから、ごめんって……」

 しおしおとなる先輩。
 ざまあみろだ。俺は立ち上がって、尻を手で払った。

「キッチンタイマーどこ行きました?」
「ん、たぶんあっち……。取ってくる」

 たん、と勢いよく立ち上がった先輩が、コスモス畑に駆け出す。
 俺は、ずっと地面に放り出されていたスケッチブックを拾った。

 何気なく、ぱらぱらとめくる。
 台本も裏に書いてあったんだな。「愛しています」なんて言われてないから、予定とぜんぜん違うこと喋ってたみたいだけど。
 コスモス畑を掻き分ける先輩の後ろ姿を見遣る。

 この先が、長く続くなら。
 こういうことも言われたいし、いつか自分が言ってみてもいい。

「さ、佐倉ぁ〜」

 先輩がこちらを振り向いてくる。

「どうしました?」

 キッチンタイマーを掲げて、今にも泣き出しそうな顔だった。

「電池、どっか飛んでった……」

 その後、コスモス畑に這いつくばって、ボタン電池を二人で捜索した。
 見つかるまで15分かかった。付き合って初めての共同作業だった。