恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜

 出願。
 大学へ志望意思を表明し、入学者選抜への申し込みを行うこと。
 志願者は、志願票や調査書、志望理由書など、大学が指定する書類を揃え、定められた出願期間内に提出する。必要書類が大学に受理されることで、出願が成立する。
 近年では、WEB上で出願情報を登録した後、調査書などの必要書類を別途郵送する方式を採用する大学も多い。
 受験方式により専願・併願の扱いが異なるため、募集要項を熟読し誤りのないようにすること。


 ♡ ♡ ♡

 そして、9月が来た。

「ひっ、必着!!!! 必ず、着く!!!」

 道のど真ん中で、スマホを見た俺は悲鳴を上げていた。

「うっそ!!」

 大きな封筒を抱えた先輩が、限界まで口を開いて叫び返す。
 出願締め切り直前まで準備して、ようやく書き上げた出願書類。
 制限文字数は短い方が難しかったな、なんて話をしながら、まさに郵便局に持って行こうというところだった。

 俺が何気なく「10日(きょう)の消印有効でしたよね」と呟いて。
 先輩が「……ん?」と動きを止めて。

 募集要項を確認した、今だ。

「やばいやばいやばいやばい」

 先輩の顔色がどんどん悪くなっていく。

「あっ、あっ、あ……っ?!」

 俺も口をぱくぱくさせる。
 いつから取り違えていたんだろう。

 必着と消印有効。
 夏休みの終わり頃、2学期の行事カレンダーを見た。
 9月10日が半日授業だ、という話をしたときにはもう、「じゃあ一緒に郵便局に出しに行けますね」なんて浮かれていた気がする。
 そもそも、期限ギリギリまで——、

「……学校!!」

 ハッと、先輩が天啓を得たように喉から声を絞り出した。

「担任と進路と松っちゃんに、坊主にして詫びに行く……!」

 親にも、と口を動かしながらアスファルトに膝をつきかけた先輩を、俺はすんでのところで抱き留める。

「先生に電話しましょう!」


 先輩の涙混じりの電話の内容は、ほぼ聞き取れなかった。
 目の前に白い光がチカチカして、心臓から肺から胃から何もかもぜんぶ、口から吐いてしまいそうだった。
 俺がしっかりしなかったから?
 違う。先輩の人生のことだ。だけど、俺はこの夏ずっと——、

「……くら、さくらぁ〜」

 いつの間にか学校との電話を終えていた先輩に背中をはたかれて、我に返る。

「今から大学に電話する」
「だい、大学?」
「うん。学校、竹やんいなくて、代わりに大江先生が出た」

 目の潤んだ先輩が、口をへの字に結んでいた。

「落ち着いて自分でリカバリーしろって」
「リカバリー?」

 学校は、助けてくれないのか?

「自分のことだから、ちゃんと行動して取り戻せって」

 先輩がスマホの画面を連打する。

「あった。城徳大の入試課。高校名と名前言って電話して、大学に今から直接持って行っていいか訊きなさいって」

 先輩の声は震えていた。

「電話してくる」

 俺にくるりと背中を向け、先輩は近くの建物の庇まで走っていった。
 ダメだったときに顔を見られたくないんだろう、と思った。



 ◇◆◇◆



 〈本番緊張〉
 妙な四文字熟語とともに、上目遣いの自撮り写真が送られてきた。
 9月中旬。写真の中の先輩は、まだ蒸し暑さが残るのにきちんとブレザーを着込んでいた。
 《躍進》の宮島杓子を顎に当て、あざとい表情でこちらを見ている。
 背景には個室トイレのドアが並んでいた。さすがに大学のじゃなくて、最寄り駅の公衆トイレだろう。

 キラキラ目の適当なリアクションを写真に付け、俺は図書館の自習机にスマホを伏せた。
 深く深く息を吐く。やっとここまで、辿り着いた。

 一時はどうなることかと思った。
 出願書類の必着期限を間違え、入試課に直接持参しようとしてキャンパスを間違え、なんとか受付時間ギリギリに滑り込み、先輩は無事(?)に城徳大の総合型選抜〈社会探究型〉に出願した。
 届いた受験票を前に、二人で男泣きしたのは内緒だ。

 今日は土曜日。先輩は、1日がかりでグループワークと面接の試験を受ける。
 出願から今日まで、3年生同士や進路の先生とで練習を重ねていたから、俺はずっと蚊帳の外だ。
 思い直して、もう一度スマホに手を伸ばす。
 
 梅雨より前の自分だったら、不安でいっぱいになっていたかもしれないけど。
 今の心は、凪いでいる。

〈図書館にいます。終わったら教えてください〉

 そう送信して、さっき送られてきた写真を拡大してみる。
 試験に合わせて、少し短く整えられた前髪。栗色の髪は天然だったらしく、変わらず柔らかそうだった。
 
 この人、俺のこと好きなんだよな。
 夏のあいだに醸成した、疑いようのない事実。
 結局「俺のどこが好きなのか」は、「なんかいいにおい」と「ちょっと小さい」以外はリサーチできないまま、先輩の試験日になった。


 ◇◆◇◆


「たーだいまー!!!」

 夕方も駅はそれなりに混んでいた。ロータリーの反対側からでも、先輩はすぐ俺を見つけて手を振ってくれた。俺も駆け寄る。

「お疲れさまでした!」
「ほーんと、めっちゃ疲れた!」

 言葉のわりには上機嫌な先輩が、俺の手を掴んだ。

「腹減った! ドーナツ食べよ!」

 ぐいぐいと手を引かれ、駅ナカのドーナツショップに向けて連行されていく。
 ……いやこれ、「手繋いでる」で別にいいか。
 対面の通行人を避ける。どうせ高校生がふざけてるくらいにしか見られないだろう、と踏んで、先輩の手をそっと握り返す。

「今日は飲み物頼みますか」
「うん。ゆっくりしよー」

 ドーナツ2つずつにおかわり自由のカフェオレとホットコーヒーを頼み、二人がけテーブルの席を確保した。

「ニューファッションってこういうのかなあ」

 もちもち生地のドーナツを齧り、対面に座る先輩が呟いた。いちごチョコのコーティングに、小さくヒビが入る。

「生食感のは新しい感じがしますね」

 そう返して、俺はチョコがかかったオールドファッション・ドーナツを半分に割る。丸のまま食べると、口の端にチョコがつくのが好きではなかった。

「グループワークはどうでしたか?」
「ん、すっごい楽しかったよ〜」

 先輩が首を縦に強く振る。

「鳥取から来たイトウ君って人がめっちゃ話面白くて、制作のアイディアもいっぱい持ってて。ヤシの木の幹ってさ、ダンボールの皮剥いたら作れるって知ってた?」
「はあ」

 ヤシの木? 先輩はドーナツをもう一口齧って続ける。

「あと、椿山(つばきやま)のカワゾエさんって子がいたんだけど、いろんな言葉知ってて佐倉みたいだった!」
「へえ……?」

 椿山女子は、県内でも有名なお嬢様高校だ。

「で、一高(イチコウ)のナカニシ君が——」
「あの、先輩」

 話が止まらなくなる前に、1回遮っておく。

「グループワークはどんな課題が出たんですか」
「ん?」

 先輩が目を丸くする。驚くところじゃない。

「えーっと、『ヒトとAIでつくるユートピア』みたいなテーマパーク考えて、企画書と、かんたんに模型つくって発表」
「ヤシの木はなぜ?」

 ユートピアってリンゴの木とかじゃないのか。

「なんか、鳥取にハワイ温泉ってあるらしくて。リゾートしながら入れる温泉のテーマパークなら、お年寄りから子供までみんな楽しめるねってなったから」

 温泉ってまさか、湯(ゆ)ートピア……?

「AIは、どこに?」

「お客さん一人一人の体調チェックしたりとか、いろんな国の言葉で看板読めるとか、そっちはいろいろタニザキ君が考えてくれた〜、高校どこだったっけ」
「よく名前覚えてますね」

 俺ならたぶん、緊張で飛んでいる。先輩がサムズアップをしてみせた。

「人の顔と名前一致させるの得意」
「あ、俺のことも覚えててくれてましたもんね」

 ここに来てまさかの伏線回収だ。同じ高校とはいえ、弁論大会で見ただけの人の顔と名前を数ヶ月忘れずにいられるのは、普通にすごい。

「でも、面接やばいかも……」

 急に先輩がしおしおと肩を落とす。

「何かあったんですか」
「うん、『グループワークのとき、なんで一回決まった役割分担に口挟んだの?』みたいなこと訊かれた」
「え」

 なんでそんなこと? と俺の顔には書かれていたようで、しょぼくれた先輩が答える。

「タニザキ君がパパッと振ってくれたんだけど、カワゾエさんがタイムキーパーだったんだよね。カワゾエさん、最初すっごい緊張してて手震えてたし、時計めっちゃちっちゃくて。ナカニシ君がゴツくてカッコいいのしてたから、タイムキーパー、ナカニシ君にしない?って言っちゃった」
「……それ、面接で説明しました?」
「人が緊張してたとか勝手に言うの変じゃん? 時計の話だけしたら、微妙な顔された」

 言えば絶対、評価されたはずなのに。

「先輩らしいですね」

 ぶるぶると横に首を振って返される。

「あーしんどかったー」

 先輩がカフェオレのマグカップを押しやって、テーブルの空いたスペースに突っ伏した。

「……ね、佐倉」
「はい」
「おれさ、受験終わったよ」
「んっ?!」

 先輩がのそりと顔だけをこちらに向けた。
 生首みたいな状態で、言葉を継ぐ。

「おれ、言いたいこと——、」
「ちょ、ストップ!!!」

 俺はとっさにドーナツを持ったままの手を前に突き出した。

「むっ」

 オールドファッションの最後の一口が、もそもそと先輩の口の中に消えていく。
 あ、間接キス……。

「ではなく! 結果! まだ! です!」

 不服そうな先輩が、咀嚼しながら恨みがましく見てくる。
 告白しかけた人が向ける目つきではないだろう、それ。

「合格発表まで公募制推薦の準備しましょう、先輩」


 ◇◆◇◆


 駅の近くのビルのワンフロア。
 すっかり常連になったスタディルームで、ゼリービーンズのような形の机を選んで二人並んで腰かける。
 放課後のスタディルームはカフェと図書館の中間くらいの雰囲気で、制服や私服の同年代くらいの人たちが、1人だったり仲間連れだったり、思い思いに過ごしていた。
 例の参考書を開いて、先輩が首をうなだれる。

「こいつ開くこと、もうないと思ってたのに……」
「使うべきでした」

 参考書の末尾に、「オープンキャンパス比較シート」と「やることリスト」がついていた。リストの方には、出願期限(必着・消印有効)や、試験・合格発表・入金手続き日のスケジュールを書き込む欄まで存在していた。

「ほら、ここに〈併願先の出願準備〉って項目あります」
「締め切り書いとく」
「そうしてください」

 スマホで調べた内容を、指差し確認しながら先輩は参考書に転記していった。

「一般入試のとこも書いとこ」
「科目、何で受けるんですか?」
「英語と現代文と政治・経済」
「政経?」
「なんでか知らないけど、選択授業が日本史探究と政治・経済になってたから」
「日本史はダメなんですか」
「世界史の方がたぶん好き」

 アルゼンチンとかベルギーの場所わかるし、とぼやく先輩はスペインやブラジルやイングランドの場所も知っていそうだったが、イスラーム史に興味が持てるかは不明だった。

「でも総合型か公募制で受かんないと……。一般で城徳はムリかも」

 一般入試では安全圏の大学も受けるつもりでいるようだが、ずいぶん弱気になっていた。

「WEBの合格発表、日曜日の10時ですよね」
「うん」

 先輩がシャーペンのノック部分で、俺の手の甲をぐるぐるとなぞる。

「今、ハートマーク描きませんでした?」
「ねこ」

 絶対ハートだった。

「で、どうします? 一緒に見ます?」

 先輩からすぐに返事は返ってこなかった。

「先輩?」
「うん、だいじょぶ」

 大きくマルを描かれる。

「おれ一人で見て、ちゃんと報告する」
「……わかりました」

 いろいろと、待つ身はつらい。


 ◇◆◇◆
 

 そして秋祭の時期がやってきた。
 1日目に体育祭、2・3日目が文化祭という、秋のイベントを密集させた3日間だ。
 体育祭の大縄練習や文化祭の模擬店準備が続き、なかなか時間が合わない中、先輩と渡り廊下で偶然出くわした。

「佐倉は青組だよね? 選択種目なに?」
「玉入れとビーチフラッグです」
「なんだー。おれ、借り人競争としっぽ取り」
「被りませんね」
「ねー。佐倉のしっぽ欲しかったのに」

 渡り廊下の手すりにもたれて、カッターシャツにベスト姿の先輩が変なことを残念がる。
 俺たちの横を、大きな荷物を持った生徒たちが忙しなく行き来する。

「……佐倉、あのさ」
「はい」

 先輩が口元を手で隠しながら、俺に耳打ちしてくる。

「おれ、借り人のとき絶対佐倉のとこ行くから、一緒に走ってよ」
「なっ?!」

 俺は耳を押さえて後退りした。

「先輩は黄組でしょう。裏取引ですか!」
「ラスト秋祭なの! お願い!」

 拝む仕草をされる。

「去年は秋祭出れなかったから、めっちゃ楽しみにしてんの!」
「……」

 その頃学校に救急車が来た、という宮元の話を思い出した。

「引いたお題が『お母さん』とかだったらどうするんですか」
「そのときは、ママー!って言う」

 裏声を出してゲラゲラ笑う先輩を見ながら、借り人競争のお題が「特進クラスの人」とか「4月生まれの人」とか、気兼ねなく先輩とゴールできるものであることを祈った。


 でもまあ、現実はそんなにうまくはいかなくて。

「佐倉! ベクトル! 解ける?!」
「無理です!」
「誰かーっ、理系の人ーっ?!」

 借り人競争のお題「ベクトルの計算ができる人」のせいで、全校生徒見守る中で先輩と走る機会は普通に逃したが、先輩がしっぽ取りで無双しているところは目に焼きつけた。

 
 文化祭中は、二人で回る時間はなかった。シフトの関係があるから仕方ない。
 俺は時間を合わせて、先輩のクラスのマッスルカフェに遊びに行った。

「あー、佐倉だ。いらっしゃいマッスル〜」
「ど、どうも」

 上半身を裸に剥いたギャルソン姿の先輩に迎えられる。外腹斜筋はきれいに陰影を作っていたが、カッコよさより間抜けさが先に立った。
 よくこんな企画出したな。通したのは俺たち、選挙管理委員会だけど。

「1名さマッスル?」
「……はい」

 一緒に回る予定だった宮元には逃げられたので、ソロ参戦だ。
 先輩が右手を挙げ、恭しく奥を指差す。カミソリ負けした腋の下とか、どうでもいいところが気になってしまった。

「あちらの体組成計、乗りマッスル? 体脂肪率15%以下の方は、マッチョと一緒にポージング撮影ができマッスル」
「やめときます」

 チビガリでも条件が成立しそうなので断って、案内された席に着く。先輩がポケットからメモを取り出した。

「おれスペシャルプロテイン、サービスね」
「いいんですか」
「家族か友達か、誰かひとりは奢れるルール」
「ありがとうございます」

 さりげなく差し出された〈特別枠〉に、くすぐったい思いになる。
 机を積み上げた間仕切りの奥に向かい、先輩が声を張り上げた。

「いちごチョコP入りマッスル〜」
「「「ありがとうございマッスル〜!!!」」」

 サラウンドで響く野太い声に、情緒を奪われる。

「マッチョ指名入りマソー」

 ゆるい宣言をした先輩が、俺の横の椅子を引いて座った。身を寄せて不満声を上げる。

「佐倉どこいたの? おれ、お前んとこのお化け屋敷3回入ったよー」

 毎回同じところで悲鳴を上げていたので、知っていた。

「中盤あたりの、墓石の横の生首が俺でしたね」
「声かけてよ!」
「声帯ちぎれてる設定なので」
「ひど!」

 先輩が、俺の肩に肘を置いて揺すった。
 プロテインドリンクが運ばれてくる。チンチロリンに勝って、サイドチェストをする笹木(先輩)と並んで写真を撮らされた。
 先輩は俺たちの足元に寝転がって、勝手にフレームインしてきていた。

 こんな馬鹿騒ぎは人生で一度きりなのかもしれないな、と思うと、今日が終わるのが惜しかった。