恋して覚える♡総合型選抜〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜

 総合型選抜。
 志望理由書や面接、プレゼンテーションなどを通し、受験生を多面的に評価する大学入試制度。
 学ぶ意欲や主体性が重視される近年では、大学入試におけるスタンダードな選抜方式のひとつとなっている。

 ♡ ♡ ♡
 
佐倉(さくら)(けい)君!おれの受験の神様になってください!」
「はあ……?」

 1学期始業式の翌日。放課後、孤独を満喫していた〈文芸同好会〉の部室で、俺は見知らぬ男に土下座をかまされていた。
 ヒビ割れが走るリノリウムの床に目を落とす。赤の指定サンダルを履いた俺のつま先の真ん前に、ふわふわ柔らかそうな栗色の髪がある。
 その先に、サッカー部のユニフォームに包まれた背中。青翠(あおみどり)色の地にTATSUNO(たつの)、と白でプリントされた文字と背番号を追いかけながら、細身なのに筋肉がきれいに盛り上がってるなあと感心していた。
 ……あ、腰周りがまくれて、蛍光オレンジのパンツが見えてる。

「えーっと、ですね、」

 額に変な汗が浮く。気まずさを感じながら、視線を彷徨わせた。白いハーフパンツの尻の向こう、白靴下のかかとに目を向ける。
 青の指定サンダル。

「なってくれる?!」

 勢いよく男が顔を上げた。舞い立ったホコリが夕陽を受けて、ちらちらと輝く。

「いえ、あのー……」

 言い淀む俺を見上げてくる〈タツノ〉とかいう人。きりっと濃い眉の下、切れ長の瞳の目力に勝てる気はしなかった。
 ……受験の神様って言ったよな?

「なんで3年の先輩が、2年の俺にそんなこと頼むんですか」

 
恋して覚える♡総合型選抜
〜先輩、言語化も深掘りもできてません〜


「とりあえず、そこ座ってください」

 俺が適当にパイプ椅子を指差すと、タツノは立ち上がって「失礼します!」と45度の最敬礼をした。ガバッと頭を下げて、ゆっくりと上げるやつ。

「ど、どうぞ」

 久しく接していない体育会系の気配に、良くないことに巻き込まれかけている予感ばかりが立つ。
 長机を2個向き合わせに付けただけの、手狭な部室に二人。
 小脇に本を抱え、真ん中の椅子に腰かけたタツノの正面は避けて、(はす)向かいの椅子を引いた。

「聞きたいことは色々あるんですけど、」

 場の主導権を握ろうと、俺はそう切り出しながら言葉を探す。

「まず、3つ。あなたは誰で、どうして俺の名前を知ってて、どうしてここに来たんですか」
「さすが……!」

 俺の問いの終わりに被せて、タツノはきらきら輝く眼差しを返してきた。

「質問に答えてください」

 会話のペースが掴めないまま、促してみる。タツノはこくん、とうなずいた。

「スポーツ・芸術コース3年、サッカー部……の、タツノ・ハルトです。干支の辰に野原の野、晴れる人。佐倉君の名前は前から知ってて、会いたくて、特進コースの教室探してたら、現文のまっちゃんにここにいるって教えてもらったから来ました」
「うん?」

 余計な情報ばかりで、いまいち要領を得ない辰野晴人(たつのはると)(先輩)の回答。

 前から知ってた? それで、俺に、

「会いたくて?」
「そう。会いたくて!」
「なっ……!」

 思わず口から出た言葉は、辰野にオウム返しされてしまう。人懐っこく、ニカッと笑った口元には白い歯がきれいに整列していて、眩しさに顔が熱くなった。
 サッカー部って、みんなこんな生き物なのか。
 今日は午前中、部活動紹介があった。体育館のステージで、サッカー部も並んでいたが、こんな先輩がいたかは記憶になかった。

「ま、前って。いつから俺の名前知ってたんですか」

 逸れていく思考に負けずに見返す。
 すると辰野はスン、と笑顔を引っ込めた。表情の変化が早い。

「冬。弁論の、全国大会」
「……なるほど」

 たっぷり余裕を取って、返す。ちくりと胸を差す痛みを逃したくて、俺は大げさにうなずいた。
 辰野がパチパチとまばたきをする。

「てか、弁論部じゃなくて文芸同好会だったんだ」
「それで、」

 俺は脱線しかけた話を引き戻した。

「目的は?」
「もくてき?」

 返された疑問に呆れつつ背中を預けた椅子が、ギッ、と派手に鳴る。

「受験の神様ってなんですか。俺に、その、会いたっ……たい、というのは」
「あ、噛んだ。なんかいいね」
「……」

 さすがに黙り込みたくなった。

「ごめん。真面目にやる」

 ぴょこ、と軽く頭を下げる辰野。動作は軽いが声のトーンは沈んでいて、逆に少しだけ申し訳なくなる。

「これ」

 辰野が持っていた本を机に載せた。おびただしい付箋や読みぐせで膨らんだ……参考書?
 群青色の表紙がこちらに向けられた。金色の極太ゴシック体で書かれた書名を、読み上げてみる。

「……『大学受験 ゼロからわかる総合型選抜』?」
「そう」

 辰野が俺の声に顎を引き、姿勢を正した。

「佐倉君」

 ま、まさか。浮いて泳いだ俺の視線は、辰野の真剣な眼差しに捕まった。

「おれの受験対策、手伝ってほしい」

 予感的中。

「いや、それは……」
「佐倉君しかいない、じゃなくて、」

 言いながら、辰野がかぶりを振る。

「佐倉君がいい。佐倉君じゃなきゃダメ」
「ちょ、」

 ストレートな言葉の群れよりも、また自分が赤面してないかという不安の方が頭を殴りつけてくる。
 会いたいとか俺しかいないとか俺がいいとか、俺じゃなきゃだめとか、そんなポンポン与えられていい言葉じゃない、はずだ。
 なのに、辰野は止まらなかった。小首をかしげる。

「違うな。佐倉君と、した……」
「佐倉でいいです! 後輩なので!」

 遮ってやけくそで叫ぶ。もう限界だった。

「つまりアレですか! 弁論やってた俺に、面接とかプレゼンのコツとか教えてほしいってことですか?!」
「そう、そういうこと! あと、志望理由書! アドバイスほしい!」

 長机越しに身を乗り出してくる辰野から、椅子を引いてそっと距離を取った。
 言葉のドッジボールだけで、こっちはもうズタボロだ。
 当然の疑問をぶつけておく。

「先生に頼めばいいじゃないですか」

 俺はあまり話したことはないけど、進路指導部の先生たちは、別に悪い人じゃない。
 国語の松木先生だって「まっちゃん」って呼べるくらいの仲なんだろうし。
 俺の言葉に、辰野は困ったように笑った。

「それが、ちょこっと気まずくなっちゃって」
「気まずい?」
「この2週間で3回くらい、進路変更しちゃったから」

 参考書からはみ出た付箋をいじりながら、辰野が答える。2週間で3回。それはたしかに、頼みづらそうだけど。

「でも先生だって仕事ですよ」

 プロには頼るべきだ。俺も去年、弁論のスピーチ原稿作りのときは、先生に何度も何度も添削をしてもらった。

「だよね。だから、これはおれの問題」

 困り眉を崩さず、辰野がパイプ椅子から立ち上がる。椅子の脚が床に擦れて、キィィィッと甲高い悲鳴をあげた。
 会議机のまわりを半周し、辰野が俺の傍まで歩み寄ってくる。
 椅子を少し斜めに引いて、俺は辰野を見上げる格好になった。

「グロいの苦手だったらごめんね」

 そう言って辰野は突然、履いていたハーフパンツの裾を思いっきりたくし上げた。
 光沢のある白い布の下から、日に焼けた肌と隠れた部分の境界が覗く。

「……!」

 俺は息を呑んだ。
 右足の付け根あたり、斜め下に向かって走る肉色の裂け目。
 指一本分くらいの長さで薄く隆起し、さらさらとした皮膚から浮いて艶だっていた。
 傷痕。

「手術もしたけど、けっきょく大学のサッカー推薦ダメになって。部活の顧問が担任だから、めっちゃ迷惑かけちゃって」

 する、と裾が落とされて、傷が隠れる。でも、視線が上げられない。息が苦しい。
 辰野が続ける。

「なのに、顧問も進路も、先生たちみんな優しくて。サッカーと関われるとこ、いろいろ探してくれて」

 辰野がハーフパンツの裾を握る。細かく手が揺れていた。

「おれが専門学校行きたいとか、大学受験するとか、ブレブレなのに、いっぱい話聞いてくれた」
「……」

 俺は言葉を失って、辰野の指先を見ていた。
 白く光る布の上で、震える皺がゆっくりと捻れていく。

「でも、ボール蹴れないのに、サッカーが傍にある人生ってなんなんだろって考え始めたら、わけわかんなくなって。おれ、もしかしてサッカーのこと忘れたいのかも? って思ったら、さすがにもう、先生に言えなくなっちゃったよね」

 だから〈辰野の問題〉なのか。
 先生たちはたぶん、この思いもちゃんと受け止めてくれるはずなのに。
 話が途切れたのを感じて、俺は少しだけ視線を上にあげる。薄く筋肉が押し上げる翠のユニフォームに、数字の2が大きくプリントされていた。
 辰野が本当にサッカーのことを忘れたいのなら、ユニフォームのまま、こんな話はしないような気がした。

「おれのことばっかでごめん。もうちょっと喋っていい?」

 辰野の言葉に黙って頷く。無遠慮なのにごめんが多い人だな、と思う。

「それでいま、福祉系の大学考えてて。受験の準備、おれなりに頑張ったけど全然ダメでさあ」

 参考書から溢れるほどの付箋は、全部ひとりで貼り続けたのだろうか。
 辰野の呟きが、俺のつむじに落ちてくる。

「勉強もちゃんとやっとけばよかった」
「……そのぶんサッカー、頑張ってたんですよね」

 生々しい手術の痕。体だけに残った傷じゃないのは、俺にも分かる。
 唇を噛んで、湿らせた。

「どうして俺なんですか」

 弁論大会で見かけただけなら、ほぼ初対面だ。そんな俺に、どうして傷を見せられる?

「佐倉」

 名前を呼ばれて、俺は顔を上げた。辰野がゆるく体を折って、椅子に座ったままの俺の顔を、横から覗き込んでくる。
 空気が動く。制汗剤なのか、安っぽい石鹸のにおいがした。

「なんでおまえが泣きそうなの」

 囁いた辰野の口角が、少し緩んでいた。
 耳に残る柔らかい声を払うように、俺は顔をそむける。

「俺には、無理です」

 背負えないだろう、こんなの。
 俺の言葉なんかで。

「無理じゃないよ」
「無理です」
「無理じゃない」
「どうして?!」

 自分でも驚くくらい強い声が出て、俺は慌てて両の掌で口を押さえた。
 旧校舎は過疎った部室棟ばかりだけど、廊下まで聞こえてしまったかもしれない。

「佐倉」

 また名前を呼ばれる。目を合わせないように俯いていたら、視界いっぱいに辰野の手が広がった。
 浅黒く焼けた手の甲と、黄みがかって白い掌。
 口元に当てていた俺の手を、辰野がそっと取った。

「佐倉がいいよ」

 ぎゅ、とそのまま手を握られる。

「去年の弁論大会、すげーかっこよかった。あんな何百人もいるとこで喋るとか、強すぎ」

 辰野の熱い手と声が、俺の喉の奥をジクジク痛ませていた。

「めっちゃ遠くで喋ってるのに、なんかガツンって来て」

 ふぅーっ、と、辰野が深呼吸をする。

「言葉で戦ってる人って感じで、だから、佐倉にお願いしたいと思いました」

 ジクリ、とひときわ重たい痛みが俺の喉に刺さる。
 1年の冬を思い出す。修正だらけの真っ赤な原稿を手に、鏡の前で、喉が潰れそうなくらい繰り返しスピーチを練習した。
 勝ちたくて。誰かに伝わっているか、信じたくて。
 この人には、届いていたのか。

「……どうして最後だけ丁寧語なんですか」
「わっ!」

 辰野の肩がビクッと跳ね、握られていた手が解かれる。
 俺も驚いて、辰野の方を見てしまった。
 至近距離で目が合う。
 淡い茶色の中に緑が混じった、不思議な色の目をしていた。

「びっ……くりしたあ」

 栗色の髪を振りながら、辰野が呟く。

「うわめっちゃ汗でた」

 手で額の汗を拭う辰野。いちいち動作がやかましくて、見てて飽きないのが不思議だった。
 そして、俺は考える。

「草稿と、ブラッシュアップまでならやれます」
「ソウ……?」

 きょとんとする辰野に向き直り、言い換えた。

「プレゼンも志望理由書も、形にするのは手伝ってもいいです」
「マジで!」

 続く「ありがとう」の「あ」の口の開きを予想して、押し留める。

「その代わり、最終確認は必ず先生にやってもらってください。リミットから逆算して、2週間以上の余裕を持って。それでいいなら引き受けます」

 辰野は、すごく嫌そうな顔をした。
 そして今日いちばん、短い言葉が返ってくる。

「……ん」
「ふふっ」

 態度が露骨すぎて、俺はつい、少し吹き出してしまう。

「辰野先輩」
「なにぃ?」

 不満顔の〈先輩〉に、伝えておく。

「言葉で戦う人って言ってましたよね。3年生に、高校生フリーラップ大会の準優勝者いますよ」

 それくらいエッジを効かせた方が、この人には合いそうな気もする。
 先輩は、斜め上を見上げて呟いた。

「あー、そいつ同じクラス」
「頼んでみたらどうですか」

 俺の勧めに、先輩は首を振る。

「ううん」

 汗で額に張り付いた前髪を掻き上げ、先輩が笑った。

「わかんないけど、佐倉がいいんだと思う、おれ」

 いつの間にか陽が落ちた、薄暗い部室。
 埃の沈む空気の中に、かすかな石鹸のにおい。
 まっすぐに、俺だけに向かう言葉。

「ぜんっぜん……」

 呟きが、勝手に俺の口からこぼれていた。

「なんて?」

 先輩が聞き返してくる。

「いえ。なんでもないです。もう遅いので、出ませんか」

 俺はパイプ椅子から立ち上がり、リュックサックを手に取った。

「あ、じゃあ一緒に帰ろ!」

 当然のように言う先輩の横顔を、呆れながら盗み見る。

〈めっちゃ遠くで喋ってるのに、なんかガツンって来て〉
〈わかんないけど、佐倉がいいんだと思う〉

 先輩、それ。
 ぜんぜん言語化も、深掘りもできてないじゃないですか。