体育祭の片付けが終わるころには、すっかり日が傾いていた。十月に入ってからは、夕方になると少し肌寒い。
閉会式のあとは自由解散になった。片付けを手伝わない生徒は先に帰り、実行委員と有志だけが学校に残っていた。
ふたりとも有志として片付けを手伝っていたのだが、悠真はテントの解体に駆り出されていた。案の定、先に手が空いたのは自分のほうだった。
「陽希」
ぼんやりと外を眺めるのも飽きる頃合いになって、ようやく悠真が戻ってきた。まだクラスTシャツのままだ。
「……遅くない?」
「悪い、流れで色々運んでた」
「実行委員でもないのに、お人好しだよなぁ」
きっと断られないとわかっているから、皆も気安く悠真に声をかけるのだろう。嫌がっている素振りもなく、笑顔で「いいよ」と答える顔が思い浮かぶ。
「責められてる?」
「いや、ただの感想。もう帰れんの?」
「うん。あ、でもちょっと待って。着替えたい」
そう言うと、悠真は自分の席に向かい、いつもの大きなスポーツバッグを机の上に載せた。
「ここで?」
「女子いないし、すぐ終わるし」
「そう」
裾に手を当てて一気にTシャツを脱ぐ。陽希はなんとなく窓の外に視線を逃がした。
「ん。準備できた。帰るか」
すぐという言葉通り、たいして待たずに声がかかる。悠真は白いシャツを着ただけで、ネクタイも結んでいなかった。
「わー、悠真くんともあろう者が校則違反ですか」
芝居がかった調子でからかいながら、鞄を背負う。なにも言い返すことなく、悠真は楽しそうに笑っていた。
「……なに」
「なんでも?」
眉を寄せるも、悠真は笑いを引きずったままもう一度「帰ろう」と言った。
電車はそれなりに混んでいた。けれど数駅進んだところで、運良く目の前の座席がふたり分空いた。
「疲れた」
陽希は背もたれに体重を預け、大きく息を吐いた。
「天気良かったしな。俺も炎天下ってあんま得意じゃない」
「そんなふうに見えない。ずっと走り回ってただろ?」
「まぁ、暑さには強いほうだと思うけどね。太陽は違うよ、やっぱ」
駅を出発した電車が徐々に加速していく。窓からはオレンジ色の光が差し込んだ。流れる景色から車内に視線を戻した。
会話はいつもより途切れ途切れだった。
「悠真」
「ん?」
「……眠い?」
一拍置いて、眠くない、とはっきり返ってきた。
しかし言葉と裏腹に、悠真はわずかに身体を陽希のほうに傾ける。肩に寄りかかるほどではない。ただ、隣にいる知り合いの方へ少し寄っただけとも言えるような距離で、悠真は静かに瞼を下ろした。
黙っていると周囲のざわめきや電車の音が大きく聞こえる。
ちらりと隣に視線を向ける。瞼は閉じたままだ。
陽希も同じく瞼を下ろした。疲れていた身体は、ここぞとばかりに眠気を連れてくる。電車の揺れも、隣から伝わる体温も心地よかった。ほどなく、意識が浅く沈んでいく。
しばらくうつらうつらとしていると、『次は茜野、茜野』とアナウンスが流れる。ビクリと身体を跳ねさせる。
「やばっ。悠真、俺ここ、降りる」
片言になりながら前のめりになる。鞄の紐を慌てて握り、隣に顔を向けた。
先に起きていたらしい悠真と視線が合う。
「うん」
そう返した悠真も、どうしてか陽希と一緒に立ち上がった。なぜ、と問いかける暇もなく、扉が開く。
悠真に続くような形でホームへ降りた。背後で発車メロディが鳴り、すぐに扉が閉まる。
電車がホームを離れていくのを見送ってから、ようやく悠真を見る。
「……なんで降りたの?」
「ちょっと動き足りないから、歩いて帰ろうかなって」
「えぇ……?」
悠真の家まで、歩ける距離ではある。だが、歩こうと思うような距離ではない。
改札を抜ける。
「少し寄り道する?」
「陽希がいいなら」
とはいえ、普通の街だ。悠真の最寄りと比べても、面白みがあるわけではない。とりあえず駅前を歩くことにした。見慣れた道を、特に行き先も決めずに進む。
蓮の通う保育園とは反対側なので、悠真もあまり来たことがないらしい。
「……ずっとここに住んでるのか?」
「うん。引っ越ししたことない」
「へぇ」
それきり会話が途切れた。
駅から少し離れると、人通りも減っていく。悠真は隣を歩いたまま、周囲を見回すでもなく前を向いていた。
電車のなかでもいつもより口数が少なかったことを思い出す。やっぱり疲れているのか、と考えたところで、悠真が口を開いた。
「……ごめん」
「何が?」
「さっきの、嘘」
足を止める。
「動き足りないってやつ?」
「うん」
「そりゃそうだろ。あんだけ動いて動き足りないって言われて信じるわけない」
呆れたように首を左右に振った。バレてたか、と悠真は眉を下げる。
「でも、陽希はそれを嘘だろって言ってこないよな」
「……だって」
言葉を続けられず、閉口した。
悠真の嘘は言い訳だったのだろう。けれど、悠真がそう言ったということは、隠しておきたいということだ。わざわざ暴こうとは思わない。
とはいえ、今問われて初めて、そうだったのだと思い至っただけだ。実際には無意識だった。気を遣っていたつもりはないし、そう伝えればかえって違う意味に取られそうな気もする。
足を止めたまま、陽希は少し考えるように視線を落とす。
「最初の始発の時もそうだったなって」
場の空気を変えるように、悠真は眉を下げたままへらりと笑った。陽希を追い越してゆっくりと歩く。その背を追いかけた。
「最初?」
あの日、電車のなかで言葉は交わさなかった。お互いに気づいていたのはわかったうえで、何もしなかった。
「俺、あの時けっこう焦ってたんだよ」
「そうだったんだ」
「だから昼休み、購買に行くおまえを追いかけた」
偶然ではなかった。今更知った事実に目を丸くする。
「探りでも入れようとしたのか」
「それもあるけど、こっちから話しかけたら、聞いてくるかなって。なんであんな時間に一人でいたの、とか。……試してたのかも」
悠真が自嘲する。
「ほら、やっぱり……って、自分の想像の通りの反応だったって確認して、安心、したかったのかも」
ぽつぽつと吐き出される言葉とともに、悠真の目線がどんどんと下がっていった。
陽希は悠真に聞こえるように、はあ、とわざとらしいため息をこぼした。
「……あとからならいくらでも言えるだろ。かもしれない、を重ねまくったら、全部自分が悪い方に寄っていくというか。そういうとこ、わりとネガティブなんだな」
悠真の瞳がこちらに向く。思わず眉をひそめたくなるくらい、まじまじと見つめられる。
「そうかも」
悠真は憑き物が落ちたように頬をほころばせた。
「あの時何考えてたかは、もう正確にはわかんないな」
「だろ?」
「でも、陽希が次の日も普通に話しかけてきたのは覚えてる。びっくりした」
「なんで?」
「前の日、何も聞いてこなかっただろ。ああ、別に気にしてないんだって思ったのに、普通にまた来るから、どっちなんだよって」
そんなことを言われても、陽希のなかに答えはない。そのときそんな気分だったから、というのが、無責任だけれど一番正しいだろう。
「悪かったな」
「責めてない。というか、陽希のそういう……なにも考えてないというか、いや、ごめんそれだと悪口っぽいな……えっと」
腕を組んで考え込んだあと、自然体なところ、と悠真は言い直した。何度か頷く。
「はぁ……」
「それを自分でわかってないのが、まさに、だろ」
悠真は口元を手のひらで覆いながら、喉を鳴らして笑った。教室でもそうだった。今日はどうにも様子がおかしい。
ひとしきり笑ったあと、悠真は陽希の手首をそっと掴んだ。軽く引き寄せられ、疑問とともに視線を向ける。
「陽希が好きだ」
吹っ切れたように、悠真は目を細めた。
「え?」
意味を咀嚼している間に、言葉が降り注ぐ。
「好き。もっと話したいと思って電車を降りるくらいには好き。ひとりになりたい気分のときも、なんでか陽希のことを思い出すくらいには好き」
「ちょ、ちょっと待って」
言葉の意味を理解するより先に、思考が空回りした。一歩後退る。掴まれた手首が、そのぶんわずかに引かれた。
まさか、と思う。そんなわけないだろ、と脳内で反響する。
悠真の声色も瞳も全て、陽希の逃げ道を塞いでいく根拠にしかならない。
「……昔の彼女の話に嫉妬するくらいには好きだ」
一息置いて告げられた内容がとどめだ。もう、〝好き〟に込められた意味を正しく受け取るしかない。
は、と浅く息を吸う。
「俺は陽希が好きだってこと、知っていてほしい」
めちゃくちゃにかき回しておいて、悠真はそれ以上何も求めなかった。笑みを浮かべながら、手首をそっと離す。
掴まれていた場所がじんじんと熱を持っているように感じた。
閉会式のあとは自由解散になった。片付けを手伝わない生徒は先に帰り、実行委員と有志だけが学校に残っていた。
ふたりとも有志として片付けを手伝っていたのだが、悠真はテントの解体に駆り出されていた。案の定、先に手が空いたのは自分のほうだった。
「陽希」
ぼんやりと外を眺めるのも飽きる頃合いになって、ようやく悠真が戻ってきた。まだクラスTシャツのままだ。
「……遅くない?」
「悪い、流れで色々運んでた」
「実行委員でもないのに、お人好しだよなぁ」
きっと断られないとわかっているから、皆も気安く悠真に声をかけるのだろう。嫌がっている素振りもなく、笑顔で「いいよ」と答える顔が思い浮かぶ。
「責められてる?」
「いや、ただの感想。もう帰れんの?」
「うん。あ、でもちょっと待って。着替えたい」
そう言うと、悠真は自分の席に向かい、いつもの大きなスポーツバッグを机の上に載せた。
「ここで?」
「女子いないし、すぐ終わるし」
「そう」
裾に手を当てて一気にTシャツを脱ぐ。陽希はなんとなく窓の外に視線を逃がした。
「ん。準備できた。帰るか」
すぐという言葉通り、たいして待たずに声がかかる。悠真は白いシャツを着ただけで、ネクタイも結んでいなかった。
「わー、悠真くんともあろう者が校則違反ですか」
芝居がかった調子でからかいながら、鞄を背負う。なにも言い返すことなく、悠真は楽しそうに笑っていた。
「……なに」
「なんでも?」
眉を寄せるも、悠真は笑いを引きずったままもう一度「帰ろう」と言った。
電車はそれなりに混んでいた。けれど数駅進んだところで、運良く目の前の座席がふたり分空いた。
「疲れた」
陽希は背もたれに体重を預け、大きく息を吐いた。
「天気良かったしな。俺も炎天下ってあんま得意じゃない」
「そんなふうに見えない。ずっと走り回ってただろ?」
「まぁ、暑さには強いほうだと思うけどね。太陽は違うよ、やっぱ」
駅を出発した電車が徐々に加速していく。窓からはオレンジ色の光が差し込んだ。流れる景色から車内に視線を戻した。
会話はいつもより途切れ途切れだった。
「悠真」
「ん?」
「……眠い?」
一拍置いて、眠くない、とはっきり返ってきた。
しかし言葉と裏腹に、悠真はわずかに身体を陽希のほうに傾ける。肩に寄りかかるほどではない。ただ、隣にいる知り合いの方へ少し寄っただけとも言えるような距離で、悠真は静かに瞼を下ろした。
黙っていると周囲のざわめきや電車の音が大きく聞こえる。
ちらりと隣に視線を向ける。瞼は閉じたままだ。
陽希も同じく瞼を下ろした。疲れていた身体は、ここぞとばかりに眠気を連れてくる。電車の揺れも、隣から伝わる体温も心地よかった。ほどなく、意識が浅く沈んでいく。
しばらくうつらうつらとしていると、『次は茜野、茜野』とアナウンスが流れる。ビクリと身体を跳ねさせる。
「やばっ。悠真、俺ここ、降りる」
片言になりながら前のめりになる。鞄の紐を慌てて握り、隣に顔を向けた。
先に起きていたらしい悠真と視線が合う。
「うん」
そう返した悠真も、どうしてか陽希と一緒に立ち上がった。なぜ、と問いかける暇もなく、扉が開く。
悠真に続くような形でホームへ降りた。背後で発車メロディが鳴り、すぐに扉が閉まる。
電車がホームを離れていくのを見送ってから、ようやく悠真を見る。
「……なんで降りたの?」
「ちょっと動き足りないから、歩いて帰ろうかなって」
「えぇ……?」
悠真の家まで、歩ける距離ではある。だが、歩こうと思うような距離ではない。
改札を抜ける。
「少し寄り道する?」
「陽希がいいなら」
とはいえ、普通の街だ。悠真の最寄りと比べても、面白みがあるわけではない。とりあえず駅前を歩くことにした。見慣れた道を、特に行き先も決めずに進む。
蓮の通う保育園とは反対側なので、悠真もあまり来たことがないらしい。
「……ずっとここに住んでるのか?」
「うん。引っ越ししたことない」
「へぇ」
それきり会話が途切れた。
駅から少し離れると、人通りも減っていく。悠真は隣を歩いたまま、周囲を見回すでもなく前を向いていた。
電車のなかでもいつもより口数が少なかったことを思い出す。やっぱり疲れているのか、と考えたところで、悠真が口を開いた。
「……ごめん」
「何が?」
「さっきの、嘘」
足を止める。
「動き足りないってやつ?」
「うん」
「そりゃそうだろ。あんだけ動いて動き足りないって言われて信じるわけない」
呆れたように首を左右に振った。バレてたか、と悠真は眉を下げる。
「でも、陽希はそれを嘘だろって言ってこないよな」
「……だって」
言葉を続けられず、閉口した。
悠真の嘘は言い訳だったのだろう。けれど、悠真がそう言ったということは、隠しておきたいということだ。わざわざ暴こうとは思わない。
とはいえ、今問われて初めて、そうだったのだと思い至っただけだ。実際には無意識だった。気を遣っていたつもりはないし、そう伝えればかえって違う意味に取られそうな気もする。
足を止めたまま、陽希は少し考えるように視線を落とす。
「最初の始発の時もそうだったなって」
場の空気を変えるように、悠真は眉を下げたままへらりと笑った。陽希を追い越してゆっくりと歩く。その背を追いかけた。
「最初?」
あの日、電車のなかで言葉は交わさなかった。お互いに気づいていたのはわかったうえで、何もしなかった。
「俺、あの時けっこう焦ってたんだよ」
「そうだったんだ」
「だから昼休み、購買に行くおまえを追いかけた」
偶然ではなかった。今更知った事実に目を丸くする。
「探りでも入れようとしたのか」
「それもあるけど、こっちから話しかけたら、聞いてくるかなって。なんであんな時間に一人でいたの、とか。……試してたのかも」
悠真が自嘲する。
「ほら、やっぱり……って、自分の想像の通りの反応だったって確認して、安心、したかったのかも」
ぽつぽつと吐き出される言葉とともに、悠真の目線がどんどんと下がっていった。
陽希は悠真に聞こえるように、はあ、とわざとらしいため息をこぼした。
「……あとからならいくらでも言えるだろ。かもしれない、を重ねまくったら、全部自分が悪い方に寄っていくというか。そういうとこ、わりとネガティブなんだな」
悠真の瞳がこちらに向く。思わず眉をひそめたくなるくらい、まじまじと見つめられる。
「そうかも」
悠真は憑き物が落ちたように頬をほころばせた。
「あの時何考えてたかは、もう正確にはわかんないな」
「だろ?」
「でも、陽希が次の日も普通に話しかけてきたのは覚えてる。びっくりした」
「なんで?」
「前の日、何も聞いてこなかっただろ。ああ、別に気にしてないんだって思ったのに、普通にまた来るから、どっちなんだよって」
そんなことを言われても、陽希のなかに答えはない。そのときそんな気分だったから、というのが、無責任だけれど一番正しいだろう。
「悪かったな」
「責めてない。というか、陽希のそういう……なにも考えてないというか、いや、ごめんそれだと悪口っぽいな……えっと」
腕を組んで考え込んだあと、自然体なところ、と悠真は言い直した。何度か頷く。
「はぁ……」
「それを自分でわかってないのが、まさに、だろ」
悠真は口元を手のひらで覆いながら、喉を鳴らして笑った。教室でもそうだった。今日はどうにも様子がおかしい。
ひとしきり笑ったあと、悠真は陽希の手首をそっと掴んだ。軽く引き寄せられ、疑問とともに視線を向ける。
「陽希が好きだ」
吹っ切れたように、悠真は目を細めた。
「え?」
意味を咀嚼している間に、言葉が降り注ぐ。
「好き。もっと話したいと思って電車を降りるくらいには好き。ひとりになりたい気分のときも、なんでか陽希のことを思い出すくらいには好き」
「ちょ、ちょっと待って」
言葉の意味を理解するより先に、思考が空回りした。一歩後退る。掴まれた手首が、そのぶんわずかに引かれた。
まさか、と思う。そんなわけないだろ、と脳内で反響する。
悠真の声色も瞳も全て、陽希の逃げ道を塞いでいく根拠にしかならない。
「……昔の彼女の話に嫉妬するくらいには好きだ」
一息置いて告げられた内容がとどめだ。もう、〝好き〟に込められた意味を正しく受け取るしかない。
は、と浅く息を吸う。
「俺は陽希が好きだってこと、知っていてほしい」
めちゃくちゃにかき回しておいて、悠真はそれ以上何も求めなかった。笑みを浮かべながら、手首をそっと離す。
掴まれていた場所がじんじんと熱を持っているように感じた。
