きみを知っても終わらない

 そこから数日は朝礼の時間に間に合うように登校した。
 母親の用意した弁当を持ち、窮屈な電車に揺られる。同じ制服を身に着けた面々と同じ道を通った。
 ただ、今日も校門の前で立ち止まり、通り過ぎた先の道へと視線を向けてしまった。見たところで意味はない。もうとっくに朝練に精を出している頃合いだろう。
 そんなわけで昼休み。弁当を食べ終わったあと、陽希はあてどなくSNSを流し見る。
「間宮ぁ」
 名前を呼ばれ、間宮は小説から顔を上げた。
「夕方に腹減る予定ない?」
「あるけど今日は無理」
「まだ誘ってないんだけど」
「残念、本日は金曜日。つまり俺は塾です」
 そうだった、と大きくため息をこぼす。火曜と金曜は誘っても無駄なのだった。
 間宮がスマホを覗き込む。
「なに? またなんか……、あー、さつまいもスイーツ?」
「そうそう。秋ですよ、もう」
「そんな時期か。まだ全然暑いから忘れてた」
 開いていたのは、いろいろなチェーン店の期間限定スイーツをまとめた画像だ。
「こういうの見てると、とりあえずなんかひとつくらい食べとくかー、って気分になるんだよな」
 同意を求めるように、なあ、と言葉を重ねると、間宮は肩をすくめた。
「まあわからんでもない。けど、今日は俺は無理。来週なら付き合ってやるよ」
「んー……、来週までその気分続いているかなぁ」
 今食べたいと思ったら今なのだ。舌がさつまいもを求めている。腕を枕代わりにし、喉を鳴らしながら机に突っ伏した。
「べつに間宮じゃなくてもいいんだよな」
「ひどいな、おい」
 笑い混じりの軽い返答だ。間宮は気づいたら再び本を開いていた。
「うーん……」
 はあ、とため息をこぼしながら、伏せていた顔を上げる。硬い背もたれに身体を預けつつ、陽希は教室を見回した。
 数人ほどのかたまりがいくつかできている。そのなかのひとつに悠真がいた。
 ちょうど隣り合って喋っているのは、家がこの近くらしい村岡だ。今更だが、勝手にそういう話を聞いてしまったけれど良かったのだろうか。
 悠真はよく笑うし、表情が豊かだ。見ているだけで、相手がどんな話をしているのか伝わってくるようだ。それが悠真の親しみやすさの理由なのかもしれない。
 始発で見かけた悠真からは、それがすっぽりと抜けているような印象を受けた。でも話をしてみれば、少しばかり落ち着いていたものの、普段とそう変わらない話しぶりだった。
「……あ」
 ばちりと視線が合った。じっと見つめすぎていたらしい。
 思わず声を上げてしまい、間宮が胡乱げに片眉を上げた。
「あー……、まぁ、ありか」
 うんうん、と何度か頷きながら立ち上がる。小さく手招きした。あの輪のなかに入っていくのは気が重い。
 悠真がこくりと頷く。友人たちに何か声をかけているのを横目に、陽希は廊下へと足を向けた。


 悠真には部活があるので、陽希は先に目ぼしい店を回った。
 誘ったとき、悠真から夕食も食べたいと聞いていたため、待ち合わせはファストフード店にした。少し遅れる、という連絡に、二階にいる、と返した。
「悪い、帰りがけに後輩に捕まっちゃって」
「いい先輩じゃん。懐かれてるんだな」
「そうかな」
 うっすらと額に汗を浮かべながら、悠真は大きなスポーツバッグとともに姿を見せた。はあ、と息を吐き、陽希の正面の席に腰を下ろす。
「腹減った」
 悠真はポケットからスマホを取り出し、さっそくモバイルオーダーの画面を開いた。
「潮見は?」
「ん〜、パイだけ食べようかな。結構腹一杯なんだよな。ここ三軒目だから」
 待っている間に食べたものを指折り言うと、悠真は苦笑いをこぼした。奮発した自覚はある。甘いものはもうしばらくいらないかもしれない。
「パイってこれか?」
「あー、それ。ちょっとしょっぱそうで良いかなって」
 先に注文していたシェイクは残り少なくなっていた。これも美味しかったが、ここにやってくるまでのカフェで散々甘めのドリンクを飲んだので飽きていた。
「奢るよ。待たせた詫びだと思って」
「え!? いいのに」
「いいから」
 椅子から腰を浮かせて悠真の手首を掴んでスマホを覗き込む。その画面はすでに注文完了となっていた。
 後ろ手に自分の鞄に腕を突っ込み、財布を取り出す。けれど、陽希がしたのと同じように手首を押さえられた。
「じゃあ今度ジュースでも奢ってよ」
「……わかった」
 数秒見つめ合ったのち、はああ、と大きくため息をこぼす。悠真はスマホを机に伏せながら、頬杖をついた。
「意外と頑なだよな」
「だっておまえバイトしてないだろ」
 朝も放課後も練習。きっと土日も部活はあるのだろう。それ以外に割く時間はないはず。
 想像通り、悠真は首を縦に振った。
「なら尚更、気軽に奢ってもらっちゃ困る」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
 こくこく、と大仰に頷きながら言うと、悠真がくしゃりと破顔する。
「おまえ、そういう返しよくするな」
「え、そう?」
「うん。間宮と喋ってる時とか、特に」
 仲良いよなと問われ、素直に頷く。小中高と一緒なんだと答えると、悠真は、へえ、とわずかに前のめりになった。
「いいな、そういうの。幼馴染ってやつ?」
「まあ。小中は持ち上がりが多かったってのもあるんだけど、高校まで同じなのはあいつだけかな。綾高って、そんなに家から近くないし。高野も結構遠くないか?」
「ん。でも潮見とそんな変わんないよ。若丘だから」
 陽希の最寄りの茜野駅よりもふたつ先の駅だった。もしかしたら行動範囲も似たようなものだったのかもしれない。
「なんでうちの高校にしたの?」
「公立高のなかだと、うちって割とバスケ部強いんだよ。ま、全国優勝しちゃうような私立も県内にあるから、影は薄いんだけどな」
「まじか。知らなかった」
「たまに集会とかで前出てるけどな?」
 ああ、と薄っすらと残っている記憶に頷いた。
 しばらくすると、注文した商品を店員が運んできてくれた。悠真が受け取ったトレイからパイの包みを差し出す。
「ありがと」
「いえいえ。じゃあ早速」
 悠真は両手を合わせ、いただきます、と目を輝かせた。ハンバーガーの包み紙を剥き、大きな口でかぶりつく。
 勢いの良い食べっぷりに、ふ、と悠真に気づかれないように笑みを浮かべた。陽希も手元のパイをひとくち食べる。想像通り、程よい甘さと塩気を感じた。
「……部活終わりにバスケ部のやつらとこういうの来たりしないのか?」
「ん〜……、たまにある。でも自分ちで白米食いたいってやつらばっかりだからさ」
 ごくりと飲み込んでから悠真が答えた。唇についたソースを舌先で舐め取る。
「ま、量は少ないよな」
「だよな。たぶん俺も家帰ったら、またなんか食べるかも」
「なんか誘って悪かったな」
 思わず返した言葉に、悠真は眉を寄せた。
「そういうつもりで言ったんじゃないから。もっとおまえと話したくて」
「……その心は?」
 真剣な瞳で告げられた言葉を受け止めきれずに、陽希はわざとらしい返しで真意を探ろうとしてしまった。
 悠真のハンバーガーを持つ手が下がる。
「……なんで、って聞かれると思ったんだよ」
 数日前の電車での出来事を指しているのはすぐにわかった。
 自分たちはたまに喋るクラスメイトでしかなかった。なのに、今こうやって向かい合っているのは、新しく加わったつながりを互いに強く意識しているからだ。
「そんなこと気にしないって言われたら、たぶん嘘だろって思ったんだろうけど、でもおまえは気になるけど聞かない、俺のこと知らないから聞いても意味ない、って言ったから」
 一度、悠真が息を継ぐ。
「なんだろうな。……知ってほしいのかな。それで、気張らない世間話みたいに、実はさぁ、って俺のことを話したいのかもしれない」
 陽希は口を開いた。何かを返そうとして、言葉が出てこない。
 自分じゃなくとも、そんな人はいくらでもいるだろ。聞かせてほしいと思っている人だって、きっと片手じゃ収まらない。降り注ぐ言い訳よりも、ふつふつと湧いてくる嬉しさが上回ってしまう。
 それはたぶん、陽希自身も悠真のことを知りたいと思っていたからだ。一方的だったものが双方向になった。
「……なら、もっと喋ろう。くだんないことでも、俺、たぶん楽しく話聞けるよ」
 結局、そんなことくらいしか言えなかった。
 緊張がほどけていくように、悠真が長く息を吐く。再びハンバーガーにかぶりつき、咀嚼しながら笑顔を浮かべた。
 陽希も無意識で身体がこわばっていたらしい。肩から力を抜く。
 お墨付きをもらったところだ。パイを食べながら、ふと思いついたことを問いかけてみる。
「高野っていつも大人数で集まってるなって思ってたんだけど、こういうサシで遊んだりってするの?」
「あんまないな。どっか遊び行くってなっても、連鎖的に人が増えてく感じ」
 呆れたように悠真は眉を下げる。陽希にはあまり想像できない状況だった。
「楽しい?」
「楽しいよ。でも、ひとりでいるのも結構好き。ぼんやりできていいなって。どっちの時間も欲しいな」
 あ、と内心呟く。それが悠真の〝知ってほしい〟の一片であることはわかった。
「始発も?」
「まあ、そんな感じ。……潮見は?」
「俺?」
 切り返されてぱちぱちとまばたきをする。
「あー……、ひとりでも別に平気かな。でも、暇なら誰か誘うことが多いかも?」
「潮見って結構誰にでも話しかけるよな」
「ええ、そうかな。気後れすることは全然あるよ。それこそ、高野たちの集まりに割り込んだりとかはなぁ」
 昼休みなどの光景を思い返しながら頬杖をついた。悠真は想像もしていなかったと言いたげに目を瞠った。
「えっ、なんで?」
「でかい男たちが大人数で固まってんの、同じ男でもちょっと近づくのためらうって」
 はあ、とため息をこぼした。それが運動によって作り上げられた健全なものであることは承知の上だったが話は別だった。
 しかし何を思ったのか、悠真は面白がっている色を瞳に浮かべながらそっと身を乗り出した。
「なら、明日……は休みか。週明け、話しかけに来てよ」
「はあ?」
「ジュース奢ってくれるってさっき聞いたけどなぁ」
 とぼけたように唇がきれいな弧を描く。念押しに首を傾げられ、陽希はひくりと頬をこわばらせながらも、こくりと頷いた。