きみを知っても終わらない

 チャイムが鳴ったというのに、まだ話し続ける先生になんとなく教室が冷めていくような気がする。数分経つと、先生もその空気に気づいて、早口になって話を終わらせた。
「今日はここまで。日直ー」
 その途端に空気が緩む。日直の号令で礼をすると、ようやく待ちに待った昼休みだ。陽希は頭を上げると同時に、教室の出入り口へと足を向けた。
 この授業の始まる前からじくじくと空腹に苛まれていた。いつもより随分と朝食が早かったせいだ。
「あれ、陽希。今日は弁当じゃないのか?」
 弁当包みを片手に持ちながら、友人の間宮が首をかしげた。
「んー。今日は購買。たまには良いと思って」
「なら急げよ。けっこうすぐ売りきれんぞー」
「そっか、たしかに」
 間宮は陽希の前の席に腰を下ろし、くるりと後ろを向く。陽希の机で弁当を広げながら、ひらりと手を振った。


 購買には生徒がごった返していた。自分の番が回ってきたときにまともなものは残っているのだろうか。
「やばいよな。食えるもの残ってるかな、これ」
 なあ、と付け足され、自分に話しかけているのか、と陽希は視線をわずかに上げる。
「……そうだな?」
 にこりと微笑みながら、悠真はわざとらしく肩をすくめて見せた。
 購買の棚の幅に広がった人の壁は三列ほどあった。自分たちの後ろにもまばらに人がやってくる。
 混雑のなかで大人しく順番を待ちながら、朝も電車のなかで出会ったクラスメイトとぽつぽつ言葉を交わす。
「潮見って普段弁当だった気がしたけど」
「早起きしたから今日はないんだよ」
「ああ、そうか。俺も同じ」
 だろうな、という言葉は飲み込んだ。
 今朝の遭遇をお互いにわかっているのに、触れないままに会話が進む。
「っていうより、高野ってほぼ毎日早弁してるじゃん。だから昼飯は購買の弁当だろ?」
「よく見てるな」
 悠真はわずかに目を見開いた。陽希はごまかすようにふるりと首を横に振った。悠真はただ普通に過ごしているつもりだろうが、それだけで目を惹くのだ。
 ふ、と息をこぼすように微笑む。
「みんな知ってるよ。いつものことだから」
 悠真はわずかに片眉を動かし、唇を尖らせた。視線が陽希から外れていく。
「……朝練終わりだと腹減るんだよ。仕方ない」
「なら、最初から二つ弁当用意してもらえばいいんじゃない? まあそこは母さんとかと相談だろうけど」
 コンビニよりは安いとはいえ、毎日購買を利用していればそれなりの金額になる。小遣いの範囲でやりくりするのは厳しいだろう。
 陽希の母親ならば「昼ご飯が足りないから小遣い増やしてほしい? だったら私が作るわよ! まぁメニューは同じだけどね!」と腕まくりをするだろう。
 悠真は陽希の言葉に「うーん」と喉を鳴らした。そっと視線を逸らしながら、それは申し訳ないだろ、と小さくこぼした。
 ぱちりとまばたきをする。短く息を吸って、話を切り替える。
「今日は早弁無し?」
「いや、チキンは食べた」
 悠真の視線がこちらに戻ってきた。口角がきゅっと引き上がって笑みが作られている。チキンというのはワンコインで買える購買の人気メニューだ。
「じゃ、今日二回目の購買か。そのときに弁当でも買っておけばよかったのに」
「まだ用意されてなかったんだよ。一時間目の休み時間だったから」
「へぇ」
 普段からよく利用しているらしい悠真の言葉に頷く。
 そうしているうちに、ようやく自分たちの番が回ってきた。弁当は数種類、パンは選べるくらいには残っていた。
 陽希は手元のしょうが焼き弁当と、横にあったペットボトルのお茶を手に取った。会計を済ませると、人の隙間を縫って列から抜け出す。購買内の少し開けた場所で、ふ、と息をついた。
 ほぼ同じタイミングで戻ってきた悠真が、陽希の手元に目を向けながら笑みを浮かべる。
「弁当余っててよかったな」
「うん。高野も買えた?」
「おう。俺は鮭弁とー、あとはパン」
 片手に弁当、もう片方の手にパンを三つも持っている。随分食べるな、と視線を上げた。
「……そんだけ食べるからでかいの?」
 ぱちぱちと悠真がまばたきを繰り返した。少しの間を置いて、ぶは、と吹き出す。
「どうだろ? たしかに昔からよく食べる方だったかもしれないけど」
 戻ろうぜ、と悠真が続ける。陽希は頷いた。
 購買を出て階段を上りながら、悠真は「でも遺伝かもしれないな。親父もでかいんだよ」と視線をこちらに向けた。
「何センチあんの?」
「百八十……三? 四? そんくらい。つーか、そんなこと言うけど、潮見も別にちっちゃくはないよな」
 悠真が自分との差を測るように、す、と手を水平に持ち上げる。
 陽希は試すように目を細めた。にこりと笑みを浮かべる。
「当ててみてよ」
「うーん、七十五……いや、もうちょい高い?」
「おお。だいたい正解。測るときによって、五だったり六だったり」
 話しているうちに、あっという間に教室のある三階にたどり着いていた。
 教室に入ると、自然と違う方向に足を向ける。
 ちらりと、悠真の背中を見る。いつも一緒にいる運動部の面々のなかに、するりと混ざり込んでいった。「買えたか?」「無事ゲット!」と両手を軽く上げながら、陽希にしたのと同じように、手に入れたばかりの昼食を見せている。
「陽希、買えたかー?」
 間宮の声に視線を戻した。陽希の帰りを待つ気はまるでなかったらしい間宮は、すでに弁当を半分ほど食べ終えていた。
 自分の席に座り、戦利品を置く。
「生姜焼きじゃん。うまそ」
「あげないからな」
「んなこと言ってないって。でも、それ食べたことないな。だいたい売り切れてた気がする」
「間宮はそんなに購買行かないだろ」
 軽快に飛んでくる言葉を打ち返しながら、弁当の蓋を開けて割り箸を割る。
「まあ、俺も初めてだから選んだんだけどな」
 基本的には母が弁当を用意してくれるが、時折購買も利用する。その時々で何が残っているかにもよるが、違うものを手に取ることが多い。
 前回はそれこそ悠真が選んでいた鮭弁を食べた。あれも美味いんだよなぁ、と一段と賑やかな集団に視線を向けた。
 人に囲まれながら、さっそく弁当を頬張っている。隣に座る友人に話しかけられて、咀嚼しながら視線を向けた。ごくりと飲み込んだあとで、困ったように眉を下げながら何かを言い返している。
 どうして今日に限ってこんなにも悠真が気になってしまうのか。理由はわかりきっていた。
「なぁ、今日って放課後暇?」
「ん、あー……、暇かな? 何?」
 間宮に視線を戻す。
「本屋付き合ってくれない?」
「えぇ、またかよ。ひとりで行けよ」
「いいだろ。人と喋りながら選ぶのが楽しいんだよ」
「俺、そういうの詳しくないって毎度言ってるじゃん」
 はあ、と大きくため息をこぼす。間宮の趣味の本屋巡りに引っ張られていった回数は、もうとっくに両手を超えていた。
 苦々しい顔をする陽希に、間宮はダメ押しというように両手を顔の前で合わせた。
「そのあと、あそこ行こう! 駅前に最近できたラーメン屋。おまえ、気になってるって言ってただろ?」
 交換条件かのように提示された内容に、口元に運んだ箸をぴたりと止める。ちら、と間宮を見た。
「…………ありだな」
「よし、決まり」
 満足げな間宮の笑顔に呆れた視線を向けながら、生姜焼きを口に放り込む。
 弁当を食べ終えると腹が満たされたからか、今度は強い眠気が襲ってきた。くあ、と大きなあくびをこぼす。
 ――毎日いるのかな、あいつ。
 今朝、偶然目にした悠真の姿を、陽希は思い返した。