きみを知っても終わらない

 電車の窓の向こうで、細かな雪がちらついていた。
 朝は冷えるでしょう、というお天気キャスターの言葉を思い出す。山の近くはともかく、市街地にも降ったのは今年初めてだったはずだ。
「積もると思う?」
「どうだろ。昼になっても降ってるか次第じゃない」
 悠真の言葉に、陽希も窓へ顔を向ける。
 暗い景色のなか、街灯に照らされたところだけ雪がはっきりと見えた。線路脇の草や家の屋根には、うっすら白いものが積もっている。
 十二月に入ってから一気に寒くなった。
 吐く息は白いし、制服の上にコートを着ても朝は寒い。早々にマフラーも装備して、いつも顔を埋めていた。
 まして今日は日曜の始発だ。こんな時間にわざわざ外へ出るのは物好きだと思う。
 それでも昨日、悠真から「明日、久しぶりに河川敷行かない?」と連絡が来て、ほとんど迷わず頷いた。たぶん悠真は天気予報を見ていなさそうだ。
「寒い」
「陽希って寒がりだよな」
 くっつく? と聞かれて、陽希はもう少しだけ悠真にもたれかかった。
 車内に暖房も効いているが、人が少ないせいで思ったよりも温まっていない。
「寒いのも嫌だし、暑いのも嫌。もう少し人体に優しい気温であってほしい」
「わがままだな」
 呆れた声が返ってくる。コートのポケットに手を突っ込んだまま、悠真も陽希の肩へ軽くもたれかかった。
 電車が揺れる。けれど、どちらも身体を離そうとはしなかった。


 綾森駅を出る。駅前はただでさえ人が少ない。日の出前の薄暗さも相まって、いつもより寂しく見えた。雪は電車の中から見ていたときよりも大粒になっている。
「うわー、なんか強くなってるな。河川敷行くのやめる? 朝マックならやってるし」
 悠真が唯一店内が明るい店を指差した。陽希は眉を思い切り寄せる。
「えぇ……」
「すげぇ嫌そうな声出すなぁ。はいはい、じゃあ予定通りにしましょうか」
 悠真は傘をさして、さっさと学校方面へ歩き出した。陽希も傘をさして隣に並ぶ。コートのポケットから出さなければならなかった手が一気に冷える。
「手袋持ってこればよかった」
「え、ないのか」
「俺普段からあんまつけないから」
「あー……そういやそうだったな」
 ちらりと、悠真がこちらをうかがう。傘と傘がぶつかった。
「あのさ。前におまえが教えてくれた道あるだろ」
 蓮を一緒に迎えに行ったとき、と悠真が付け足す。陽希は頷いた。
「その道ってやっぱり朝も人少ない?」
「……なるほどね。いいじゃん、そっち行こう」
 あのときは焦っていたから、悠真はほとんど道を覚えていないらしい。たしかに、あれ以降わざわざ使うこともなかった。
 こっち、と悠真のコートの袖を引っ張る。大通りから裏道に入ったところで、陽希は自分の傘を閉じ、悠真の傘のなかに入り込んだ。
「肩濡れそう?」
「若干。もう少しくっついて」
 悠真が陽希の腰に腕を回して引き寄せる。わざとらしい会話だ。陽希は袖を掴んだまま、さらに身体を寄せた。
「どう頑張っても収まらないだろ。悠真がでかいから」
「陽希だって平均以上はあるくせに」
「おまえと並ぶと小さく見えるんだよ。あまり近づかないでもらえますかー?」
 からかうように言いながら、自分から肩を寄せる。今日はこういうことをしていても、妙に楽しかった。
 悠真も面白がって、腰に回された腕にさらに力を込めた。
「ちょ、歩きづらい」
 笑いながら悠真の脇腹を肘で小突く。離れるかと思った腕はそのままだった。
「たまにはいいだろ」
「……まぁ」
 口に出してから、少しだけ照れくさくなった。悠真も一瞬黙る。そのあと、寒いな、と脈絡もなく話が巻き戻った。
 細い道を何度か曲がりながら進む。結局一度も人とすれ違わなかった。
 学校の近くでいつもの通学路に出る。そっと身体を離して、陽希は自分の傘を開いた。離れた途端、さっきまで触れていた身体の熱がなくなる。
「さむ」
「また言ってる」
 悠真が笑う。何事もなかったように並んで歩き出した。
 閉じた校門の前を通り過ぎる。ここから先は、もう何度も歩いた道だった。住宅街を抜けて、槻瀬川へ向かう。
 積もるほどではないと思っていた雪も、家の塀や植え込みの上には薄く残っていた。傘に落ちる音はほとんど聞こえないのに、視界の端で絶えず白いものが散っている。
 川へ続く階段まで来ると、悠真が立ち止まった。
「おお」
 陽希もその隣に並ぶ。
 河川敷は、見慣れた景色の上に薄く白を重ねたようになっていた。
 芝生はまだところどころ緑が覗いている。川沿いの道にも積雪と呼べるほどの量はない。それでも、初めて来た夏とも、二人三脚を練習していた秋とも違って見えた。
「寝転がれないな」
「最初からわかってただろ」
 すっとぼけたことを言う悠真に肩を竦める。
 階段を下り、屋根付きのベンチがある方へと曲がった。道なりに進むと、すぐに目的の場所が見えてくる。
 屋根のおかげで座面に雪は積もっていない。悠真が先に腰を下ろした。陽希も隣に座る。
「……なに」
「いや」
 ちらりと向けた視線が重なり、陽希は眉を寄せた。
 ふたりでいるときに悠真が向けてくる目には、まだ少し慣れない。付き合う前とは明らかに違う。好きだと言われたあとでは、その意味もわかってしまう。
「なんか今日ずっと楽しそうだな」
「久々のデートですからね」
「それは誰のせいですかー?」
「部活三昧の俺のせいです」
 降参とばかりに悠真が両手を上げた。そのまま視線を合わせる。数秒後、どちらからともなく吹き出すように笑った。
 ひとしきり笑って、息を整える。笑いが収まると、自然とまた目が合った。
 悠真の口元にはまだ少し笑みが残っている。
 陽希もたぶん似たような顔をしていた。
 屋根の外では変わらず雪が降っていた。細かな粒が風に流され、ときどきふたりのもとまで入り込んでくる。吐いた息が白く滲んで、すぐに消えた。
 さっきまで散々ふざけていたのに、急に何を話せばいいのかわからなくなる。
 気まずいわけではない。ただ、悠真がいつもより近く感じた。
 視線が少し下がる。
 悠真も同じことを考えていたのか、わずかに身体をこちらへ向ける。けれど、そのままでは来ない。陽希の反応を待つように、途中で止まった。
 妙に律儀だな、と思う。ついさっきは人目がないのをいいことに腰まで抱いてきたくせに。
 陽希は小さく息を吐いて、自分から残りの距離を詰めた。近づくにつれ、瞼を閉じた。
 ――唇が触れる。
 一瞬だった。離れると、悠真はわずかに目を見開いたまま固まっていた。
「……なに」
「いや。陽希から来ると思ってなかった」
「そっちが途中で止まるからだろ」
「一応、確認しようかなって」
 思わず笑う。悠真も釣られるように口元を緩めた。
 触れた感触は思っていたよりもあっさりしていた。もっと何か劇的に変わるものなのかと思っていたが、そんなことはない。
 陽希はもう一度悠真を見る。
「……もう一回していい?」
「え」
 悠真が目を丸くする。
 その反応がおかしくて、陽希は思わず笑った。
「嫌ならいいけど」
「嫌なわけないだろ」
 食い気味の返事を聞き終えるより先に、また距離を詰めた。ベンチについた手に自分の手を重ねる。
 今度はさっきよりも少しだけ長く、唇が重なった。