歴史クラブ。
創立百年をこえる塔覧高校で、最初からある部活のひとつだ。
古参っぽく、部室も一番古い旧校舎一階にある。他の部活の部室は新校舎に移っていて、正直取り残された感はだいぶ強い。
昔は地元の歴史を中心に調査探求しようとしていたらしい。それがいつからか、歴史オタクの集会所みたいな場所になり、今では文化クラブの中ではメジャーと思われた分野なのに、部員を多数抱える割には実際に活動するのはその十分の一にも満たないヘンテコな部活と化している。
僕もその例に漏れず、入学当初に早々と歴史クラブに入り、幽霊部員の仲間入りになった。
そもそもなぜ歴史クラブを選んだのかと言えば、残念ながら塔覧高校には帰宅部は存在しなかったからという単純なこと。
そんな幽霊部員だった僕が歴史クラブの部室を訪問するようになったのは本当にほんの偶然で、三年生に進級するタイミングで気まぐれを起こし、部室を覗いてみようとしたんだ。どうせ誰もいないだろう、あるいは幽霊部員が同じように気まぐれを起こして顔を出している、とたかを括って。
予想に反して、一度も訪問することのなかった部室には、パソコンモニターに齧り付いてゲームをする下級生が二人いて、脇にお茶をたしなむ顧問の先生が座っていた。
僕はこのドアを開ける瞬間、(やらかした)と後悔した。
初めて〈先〉が見えたんだ。
僕が彼らの推薦で「今年度歴史クラブ部長」に就任する姿を。
※
「あ、空森先輩、こんにちは」
部室前の掲示板にプリントを貼っているのは、新一年生の多部山だ。手元のプリントには「今週は何があった日?」というタイトルが見える。
彼女が友だちと一緒に始めた企画で、古代から近代の間でピックアップした過去の一週間のできごとをA4サイズの紙にまとめるというもの。ピンポイントでできごとを見つけるのは難しいものの、日本と世界の関わりを示しつつ、日付がわかるものを優先しているらしい。
これをやりたい、と最初に聞かされた時は、部長はもうこの子でいいんじゃないですか、と先生に推薦しかけた。だって一年生なんて、高校という環境に馴染むのに必死な時期だったはずなのに。
「ちっす」
隣の、これも新一年生新浜が続いて挨拶をする。彼女はだいぶフランクだ。
「……どうもです」
前のふたりに隠れるように挨拶するのが九蔵。引っ込み思案を絵に描いたような子だけど、一度「推し」の説明を弾丸トークで聞いた経験から、人の見かけによらなさを実感した。
彼女たちこそ、僕が歴史クラブの部長に就任してから入部を希望し、かつ実際に部室に入り浸ってくれる奇跡的な新入生なのだ。
「こんにちは。もう五月も終わるね。そろそろ体育祭かぁ」
憂鬱だなぁ、と続けた。三人は「私たち、体育祭の実行委員に入ったんです」と口々に話し始める。
「えっ? すごいね……めっちゃやる気ある……」
「せっかくの高校生活だし、思い出いっぱい作らないとって思って!」
めっちゃ陽でまぶしい。
「……で、そちらの方は?」
部室に戻りながら控えめに尋ねてくる多部山に、僕は「ああ」と隣を振り仰いだ。そこには、遡ること五時間前、「見学したい」と願い出た隼が立っている。
「クラブ見学希望なんだ。西村先生に言わなきゃ」
「三年生、ですよね? え? 今から?」
「ははは……」
当然の疑問に僕は苦笑いだけ返して、隼と一緒に部室に足を踏み入れた。
旧校舎一階の玄関脇にある部室。日に焼けて色褪せた壁に設置されている棚には、創設当初に発行されていた部誌や地域の無料誌、古地図のたぐい、歴史の雑誌などが並んでいる。
「へぇ。古参の部活だけあって、いろいろあるな」
隼は棚の本を眺めながら言った。
「あ、今朝の! 一緒に来てくれたんすか!」
モニターに向かっていた鯖田が、こちらに気付くとパッと立ち上がって挨拶をした。
部室には卒業生の置き土産であるパソコンが一台備えられている。これをメインで使っているのが二年の鯖田と、彼のクラスメイトの二ノ前だ。パソコンオタクというほどではないらしいけど、少なくとも僕より詳しくて、僕よりゲームが上手い。今も、なんとかという歴史シミュレーションゲームをしている。
「おやおや。国府谷くんじゃないの」
ちょうど顧問の西村先生が部屋に入ってきた。定年間近ののんびり先生ではあるが、若い頃は竹刀片手に生徒をバシバシ鍛えていたという。ちなみに担当は数学だ。
「見学希望です」
「あっ、そうなんです。いいですかね?」
先生は「もちろん、大歓迎だよ」と僕、それから隼を見て言った。隼は「お邪魔します」と頭を下げて挨拶する。
「バスケ部辞めちゃったって聞いてびっくりしたよ。高校最後のインターハイ、出なくてよかったの?」
「はい。問題ないです」
どこが問題ない、なんだろう。僕は隼の口からそんな風に聞くと、彼のこれまでの努力を彼自身が放棄した事実に胸が勝手に痛くなる。
「本当に?」
「ああ。矢弥が心配することないよ」
僕の言葉にも、隼は微笑むだけだ。
実際、バスケ部のメンバーからはかなり惜しまれていた。退部届は昨日出したばかりらしく、今日は休み時間の度に教室までやってきた部員たちから「なんで辞めるんだ」と質問攻めにあい、昼休みにはパンを食べていた外階段の上から下から「辞めないでください」と下級生軍団に囲まれた。みんな体格がよくて、圧はものすごい。
その度、間近に座る僕には、それはもう痛いくらいの棘のある視線が刺さった。まるで僕が隼をバスケから遠ざけた犯人かのように。彼らは直接口には出さないけれど、目がそう語るので肩身が狭くなる一方だった。
隼はそんな僕を庇うようにしては「そういうのが嫌になった」と一蹴する。すごすごと帰っていく部員たちを見ると、ちょっとかわいそうにも思えた。
「──じゃあ空森部長、説明よろしくね」
指名された僕はハッとして、ぎこちなく隼の隣に座った。
「えっと、歴史クラブです」
隼が黙って頷く。「知ってるって」くらいのツッコミがほしいところだ。
「僕が部長です。でもクラブの代表ってだけで権力なんてないから、レベルはみんなと一緒かそれ以下と見てほしい、です」
隼はそれを聞いてようやく微笑んだ。
「新学期で部長になっててびっくりしたよ」
「あ、はは……だよね。普通去年のうちに決まってるはずだったのに」
実は僕の部長職就任は本当にイレギュラーだった。去年の時点で二年だった何某君が部長に交代したのに、年度末にいきなり転校してしまったんだ。家族の海外赴任についていったとかなんとか。
で、他に二年の適任者がいなくて困っていたところに、新年度に僕が間抜け面で顔を出し、白羽の矢が立った、というわけだ。
「活動内容は町の歴史とかを中心に調べたり、フィールドワークしたり……が理想ですが、特に何をしてるってわけでもないです。月曜日と水曜日が活動日ですが、基本的に……自由に過ごしてます」
西村先生はこの表現に異を唱えなかった。
「登録者はいっぱいいるけど、大半が幽霊部員。僕も元はそうでした。ここにいるのはほんとマジで貴重なアクティブメンバーです」
そう言うと、僕はまず顧問の西村先生を紹介し、続いてパソコンモニターでまだゲームをしている二年を紹介した。
「隼も今朝会ったよね、二年の鯖田くんと、二ノ前くん」
「どもっす」
と鯖田。二ノ前はシャイな子なので、黙って頭を下げるだけだ。
「……で、次が新入生で」
多部山、新浜、九蔵を紹介する。ソワソワしていた彼女らは隼の顔を見たり見なかったり。まぁ盗み見しているのはわかっている。
僕も隼を見たけど、今回は何も言わずにペコリと頭を下げただけだった。
「国府谷先輩は元バスケ部なんですね。ポジションはどこですか?」
「フォワード」
「かぁっこい〜!」
この感じ、さすが女子だ。
「国府谷くんにもいろいろ考えがあるので、余計な詮索はよしましょう。歴史クラブに入部するかしないかも、彼にお任せでね」
西村先生はそう朗らかに言った。
「はーい!」
「──えっと、とりあえず……」
と、何をするかまったく未定で困った僕は、今朝のことを思い出し、鯖田に視線を送った。
鯖田はそれを待っていたかのように、おもむろに立ち上がると背中に隠し持っていたらしいノートを腹に回した。
その途端、僕は見てしまった。
「……七不思議?」
創立百年をこえる塔覧高校で、最初からある部活のひとつだ。
古参っぽく、部室も一番古い旧校舎一階にある。他の部活の部室は新校舎に移っていて、正直取り残された感はだいぶ強い。
昔は地元の歴史を中心に調査探求しようとしていたらしい。それがいつからか、歴史オタクの集会所みたいな場所になり、今では文化クラブの中ではメジャーと思われた分野なのに、部員を多数抱える割には実際に活動するのはその十分の一にも満たないヘンテコな部活と化している。
僕もその例に漏れず、入学当初に早々と歴史クラブに入り、幽霊部員の仲間入りになった。
そもそもなぜ歴史クラブを選んだのかと言えば、残念ながら塔覧高校には帰宅部は存在しなかったからという単純なこと。
そんな幽霊部員だった僕が歴史クラブの部室を訪問するようになったのは本当にほんの偶然で、三年生に進級するタイミングで気まぐれを起こし、部室を覗いてみようとしたんだ。どうせ誰もいないだろう、あるいは幽霊部員が同じように気まぐれを起こして顔を出している、とたかを括って。
予想に反して、一度も訪問することのなかった部室には、パソコンモニターに齧り付いてゲームをする下級生が二人いて、脇にお茶をたしなむ顧問の先生が座っていた。
僕はこのドアを開ける瞬間、(やらかした)と後悔した。
初めて〈先〉が見えたんだ。
僕が彼らの推薦で「今年度歴史クラブ部長」に就任する姿を。
※
「あ、空森先輩、こんにちは」
部室前の掲示板にプリントを貼っているのは、新一年生の多部山だ。手元のプリントには「今週は何があった日?」というタイトルが見える。
彼女が友だちと一緒に始めた企画で、古代から近代の間でピックアップした過去の一週間のできごとをA4サイズの紙にまとめるというもの。ピンポイントでできごとを見つけるのは難しいものの、日本と世界の関わりを示しつつ、日付がわかるものを優先しているらしい。
これをやりたい、と最初に聞かされた時は、部長はもうこの子でいいんじゃないですか、と先生に推薦しかけた。だって一年生なんて、高校という環境に馴染むのに必死な時期だったはずなのに。
「ちっす」
隣の、これも新一年生新浜が続いて挨拶をする。彼女はだいぶフランクだ。
「……どうもです」
前のふたりに隠れるように挨拶するのが九蔵。引っ込み思案を絵に描いたような子だけど、一度「推し」の説明を弾丸トークで聞いた経験から、人の見かけによらなさを実感した。
彼女たちこそ、僕が歴史クラブの部長に就任してから入部を希望し、かつ実際に部室に入り浸ってくれる奇跡的な新入生なのだ。
「こんにちは。もう五月も終わるね。そろそろ体育祭かぁ」
憂鬱だなぁ、と続けた。三人は「私たち、体育祭の実行委員に入ったんです」と口々に話し始める。
「えっ? すごいね……めっちゃやる気ある……」
「せっかくの高校生活だし、思い出いっぱい作らないとって思って!」
めっちゃ陽でまぶしい。
「……で、そちらの方は?」
部室に戻りながら控えめに尋ねてくる多部山に、僕は「ああ」と隣を振り仰いだ。そこには、遡ること五時間前、「見学したい」と願い出た隼が立っている。
「クラブ見学希望なんだ。西村先生に言わなきゃ」
「三年生、ですよね? え? 今から?」
「ははは……」
当然の疑問に僕は苦笑いだけ返して、隼と一緒に部室に足を踏み入れた。
旧校舎一階の玄関脇にある部室。日に焼けて色褪せた壁に設置されている棚には、創設当初に発行されていた部誌や地域の無料誌、古地図のたぐい、歴史の雑誌などが並んでいる。
「へぇ。古参の部活だけあって、いろいろあるな」
隼は棚の本を眺めながら言った。
「あ、今朝の! 一緒に来てくれたんすか!」
モニターに向かっていた鯖田が、こちらに気付くとパッと立ち上がって挨拶をした。
部室には卒業生の置き土産であるパソコンが一台備えられている。これをメインで使っているのが二年の鯖田と、彼のクラスメイトの二ノ前だ。パソコンオタクというほどではないらしいけど、少なくとも僕より詳しくて、僕よりゲームが上手い。今も、なんとかという歴史シミュレーションゲームをしている。
「おやおや。国府谷くんじゃないの」
ちょうど顧問の西村先生が部屋に入ってきた。定年間近ののんびり先生ではあるが、若い頃は竹刀片手に生徒をバシバシ鍛えていたという。ちなみに担当は数学だ。
「見学希望です」
「あっ、そうなんです。いいですかね?」
先生は「もちろん、大歓迎だよ」と僕、それから隼を見て言った。隼は「お邪魔します」と頭を下げて挨拶する。
「バスケ部辞めちゃったって聞いてびっくりしたよ。高校最後のインターハイ、出なくてよかったの?」
「はい。問題ないです」
どこが問題ない、なんだろう。僕は隼の口からそんな風に聞くと、彼のこれまでの努力を彼自身が放棄した事実に胸が勝手に痛くなる。
「本当に?」
「ああ。矢弥が心配することないよ」
僕の言葉にも、隼は微笑むだけだ。
実際、バスケ部のメンバーからはかなり惜しまれていた。退部届は昨日出したばかりらしく、今日は休み時間の度に教室までやってきた部員たちから「なんで辞めるんだ」と質問攻めにあい、昼休みにはパンを食べていた外階段の上から下から「辞めないでください」と下級生軍団に囲まれた。みんな体格がよくて、圧はものすごい。
その度、間近に座る僕には、それはもう痛いくらいの棘のある視線が刺さった。まるで僕が隼をバスケから遠ざけた犯人かのように。彼らは直接口には出さないけれど、目がそう語るので肩身が狭くなる一方だった。
隼はそんな僕を庇うようにしては「そういうのが嫌になった」と一蹴する。すごすごと帰っていく部員たちを見ると、ちょっとかわいそうにも思えた。
「──じゃあ空森部長、説明よろしくね」
指名された僕はハッとして、ぎこちなく隼の隣に座った。
「えっと、歴史クラブです」
隼が黙って頷く。「知ってるって」くらいのツッコミがほしいところだ。
「僕が部長です。でもクラブの代表ってだけで権力なんてないから、レベルはみんなと一緒かそれ以下と見てほしい、です」
隼はそれを聞いてようやく微笑んだ。
「新学期で部長になっててびっくりしたよ」
「あ、はは……だよね。普通去年のうちに決まってるはずだったのに」
実は僕の部長職就任は本当にイレギュラーだった。去年の時点で二年だった何某君が部長に交代したのに、年度末にいきなり転校してしまったんだ。家族の海外赴任についていったとかなんとか。
で、他に二年の適任者がいなくて困っていたところに、新年度に僕が間抜け面で顔を出し、白羽の矢が立った、というわけだ。
「活動内容は町の歴史とかを中心に調べたり、フィールドワークしたり……が理想ですが、特に何をしてるってわけでもないです。月曜日と水曜日が活動日ですが、基本的に……自由に過ごしてます」
西村先生はこの表現に異を唱えなかった。
「登録者はいっぱいいるけど、大半が幽霊部員。僕も元はそうでした。ここにいるのはほんとマジで貴重なアクティブメンバーです」
そう言うと、僕はまず顧問の西村先生を紹介し、続いてパソコンモニターでまだゲームをしている二年を紹介した。
「隼も今朝会ったよね、二年の鯖田くんと、二ノ前くん」
「どもっす」
と鯖田。二ノ前はシャイな子なので、黙って頭を下げるだけだ。
「……で、次が新入生で」
多部山、新浜、九蔵を紹介する。ソワソワしていた彼女らは隼の顔を見たり見なかったり。まぁ盗み見しているのはわかっている。
僕も隼を見たけど、今回は何も言わずにペコリと頭を下げただけだった。
「国府谷先輩は元バスケ部なんですね。ポジションはどこですか?」
「フォワード」
「かぁっこい〜!」
この感じ、さすが女子だ。
「国府谷くんにもいろいろ考えがあるので、余計な詮索はよしましょう。歴史クラブに入部するかしないかも、彼にお任せでね」
西村先生はそう朗らかに言った。
「はーい!」
「──えっと、とりあえず……」
と、何をするかまったく未定で困った僕は、今朝のことを思い出し、鯖田に視線を送った。
鯖田はそれを待っていたかのように、おもむろに立ち上がると背中に隠し持っていたらしいノートを腹に回した。
その途端、僕は見てしまった。
「……七不思議?」
