僕は十八歳の春を君と迎えたい

 誰かに呼ばれた気がして振り向いた。

 胸にコサージュを付けた三年生が、神妙な面持ちで前を見ている。僕もその中にいる。だから気のせいだ。

 でも、その中に過去の自分がいるのかもしれない、僕はそんな気がした。


 今日は卒業式。本当なら僕が迎えられなかった、そして隼が待ちに待った晴れの日だ。

「はい撮るよー」

 式典を終え、三年二組の教室で最後のホームルームを受ける。挨拶をする先生も、それを受け取る生徒も涙目で、内緒だけど僕もウルッときてしまった。

 美麗なイラストで飾られたホワイトボードを背景にした集合写真では、僕と隼は隣り合う。ぎゅうぎゅうに詰めて並ぶどさくさに紛れて僕たちは手を絡めた。顔が赤くなってないか心配だった僕に、隼は素知らぬ顔で「かわいい」と囁いた。追撃するのは卑怯だ。

 校舎を出ると、なんと先生たちが花道を作ってくれていた。

「一年間だけどお世話になりました」

 西村先生を見つけて、僕は駆け寄って感謝を伝えた。先生はメガネの奥を潤ませて、「元気でね」と握手をしてくれた。僕の手を包むしわしわの手があたたかくて、僕は胸にくるものをグッと押し留めて、やっぱりダメで涙が出てしまった。

「──あれ? 隼、どこ行ったんだろ」

 涙を拭いながら先生の花道を通り抜けると、保護者たちと合流するエリアがある。そこで母さんと合流するのに手間取っているうちに、うっかり隼の姿を見失ってしまった。来ているはずの隼のおじさんの姿もない。背が高いから結構目印になってたのに。

 不意に引き離されることに、僕は言いようのない不安に駆られた。「隼ちゃん遅いわねぇ」なんてのんびりしている母さんを横目に立ち尽くしていると、

「矢弥」

 トントン、と右の肩を叩かれた。僕の視界が急に開けた。

「あら隼ちゃん」
「! しゅ……っ」

 むにっ。

 振り返った僕の右頬に、隼の人差し指がめり込む。

「……隼……何してんの……」

 ジト目で犯人を睨むと、彼は気にした風もなく、

「いや。今回は引っ掛かってくれたなぁって」

 などとのたまう。僕はさっきまでの不安が吹き飛んだのに、つい拗ねたようにそっぽを向いてしまった。

「仕方ないじゃん。僕もう先見れないんだし……」

 でも「うん、そうだね」と隼が嬉しそうに笑ったから、まぁ、いいか。

 ところで隼のジャケットのボタンが全部ないのはどうしたことだろうか。

「悪い、うっかり捕まった」

 隼は僕の知らないうちに、ブレザーのジャケットについたボタンをすべて女子生徒や後輩たちに「記念に」と奪われてしまったらしい。

 僕は呆れたように彼を称賛した。途端にうんざりした顔の隼もなかなかのレアだ。

「つか、第二ボタンなんて詰襟制服限定って思うだろ。なんでブレザーのジャケットまで含まれてんだよ」
「いいじゃん。隼は人気者だしさ」

 すると隼は「うーん」と天を少し仰いで、ニヤニヤと僕に耳打ちした。

「妬いた?」

 ここでうろたえる僕じゃないので、ニヤニヤ顔をお返ししてやる。

「うーん……妬いてほしい?」
「ふふ。そうだな。思いっきり嫉妬してほしい」
「……大学生活、大変そうだなぁ」
「燃えるねぇ」

 隼が意味深でニッコリ笑った。

「隼ちゃんのお父さんも戻っていらしたわよ」

 母さんが教えてくれた方を見ると、人混みから携帯電話片手に戻ってくるおじさんの姿が見えた。

「また仕事の電話でしょうね。三木さんも心配するから、少しくらい抑えろって言ったんですけど」

 隼が仕方なさそうに肩を竦めた。

「ま、いきなりは本人も慣れないでしょうし、ちょっとずつやっていきますよ」

 隼の言葉に僕も母さんも「頑張ってね」と隼の肩を叩く。合流したおじさんは何事かと小難しい顔で眉を顰めていた。



 僕は、あの日を乗り越えた。

 隼を拒むことをしなかったし、僕と車がぶつかることもなかった。

 隼に見送られて共通テストにのぞみ、第一希望ではなかったけど、無事に大学に進学ができることになった。

 隼は当初は就職することに──というより僕と未練なく過ごすのでそれどころではなかったから──なっていたけれど、隼のお父さんの密かな努力が通じて進学に変わり、後期試験を突破して、なんと僕と同じ県外の大学に進むことになった。

 さらには念願のひとり暮らしならぬ、ふたり暮らしも決定し、春からシェアハウスで暮らすことになった。

 あの無限のような繰り返しの世界から抜けて進むには、少しばかり急展開すぎると思う。けど、見えるすべてが喜びに満ち溢れているような気がするのは、僕の思い込みじゃないと思うんだ。

「これで写真撮るの、すげぇ恥ずかしい」
「これも記念だよ。僕は嬉しいよ?」
「……じゃあ、これでいい」

 それぞれの家族と、そして僕と隼とで写真を撮る。
 僕たちの生まれて初めての春だ。

「あとで矢弥のボタンちょうだい」

 隼が僕に囁く。

「記念に?」
「記念に」
「ふふ、いいよ」

 人混みの中で僕たちの視線がそっと絡まり、人差し指が触れ合った。


 卒業式には歴史クラブのアクティブメンバー五人も祝いに来てくれた。

「めっちゃ寂しいです!」
「あとはお任せください」
「やることまったく決まってないっすけどね!」
「あはは。まぁ、のんびりやればいいよ」

 ね、隼、と振り向くと、

「ああ、そうだな」

 と微笑んでくれる。

「国府谷先輩マジ推せます。ありがとうございます」
「あはは……」


「もし空森先輩が大学落ちたらって思ってめちゃ〈青星〉探したんすけど、なんもなくてよかったっす!」
「鯖田くんって時々失礼なこと言うよね……」
「そっすか!」

 朗らかに言われるのでいっそ清々しい。

「……じゃあ〈青星〉って、まだ見つかってないんだ?」

 僕が訊くと、五人がそれぞれ話し出す。

「そうなんすよ!」
「もう誰か見つけたか」
「教頭が怪しいよね」
「校長の座を狙う、的な」
「狙ってなれるもんじゃない」

 僕は、「ははは」と笑うだけに留めた。隼も余計なことは言わなかった。「もうなくなったよ」とか「見つけたら教えてね」なんて酷なことも言えない。でも本当になくなったかもわからない。そうやって誰にもわからず、〈青星〉はまた、どこかに現れるのかもしれない。僕はなんとなくそう思った。

 後輩たちに手を振って別れ、帰りのバスを待つ間、晴れ渡る空を見上げて僕は言った。

「僕ね、嬉しいんだ」
「矢弥?」
「十八歳になれて、嬉しい」

 目を見開く隼を見る。

「ありがとう、隼」

 僕は、隼の目尻にたまった涙を拭った。

「ねぇ隼。これからのことさ」
「……うん」
「初めてだから、緊張するね」

 いたずらめいた笑みを送る。

「そうだな」

 愛しむ隼の眼差しが返る。

「だけど、俺たちで笑って受け入れられる未来を作ればいい。俺はそう信じてる」
「うん。僕も、信じてるよ」




おわり