僕は十八歳の春を君と迎えたい

 この四月の進級式は今度で何回目になるか、もう数えていない。

 本当に数えきれないくらい、矢弥の「おはよう」を聞いた。その度に矢弥への想いや幸せが募っていく。そしてその背後でタイムリミットが囁くんだ。

 これは何度目か繰り返した、三年二組の国府谷隼なんだ、と。



 俺がこうなったのは、やらなければいけないことがあるからだった。

 なぜ矢弥が首を振ったのか、その理由が知りたい。

 それをたしかめたら、俺は本当に矢弥の一番になれないかもしれない。
 けれどもあの時の俺には迷う暇なんてなかった。

 あの青い石を最初に手にした時、「願いを叶える。引き換えを持て」という声が頭の中に直接響いたんだ。

 だからあの時、俺はすぐに願った。──告白をやり直したい、と。

 でも残念なことに、いつも必ず、俺は目的を忘れてしまう。

 思い出すのは決まって文化祭のある十一月。例によって旧校舎での告白タイムに連れ出されたあとだ。なぜか鍵が開いている〈開かずの教室〉候補のあの部屋であの石を手に入れることで、俺は思い出すんだ。



 最初の話だ。

 矢弥の俺に対する感情が、ただの幼馴染へのそれではおさまらない、歪んだものだと気付いたのは、十二月二十五日のクリスマスマーケット最終日だった。

 気に入ったキーホルダーの青色が売り切れていて気落ちしていた矢弥を、俺は適当に慰めた。
 そうしたら、矢弥はこう言った。

 ──僕が今日までいられたのは隼のおかげなんだよ。離れ離れになっても、これまでの思い出を大切にしたいんだ。

 矢弥は寂しそうに笑って、別の店で親への土産を買った。

 俺は急に矢弥が離れていくような気がして、矢弥を会場から連れ出した。近くの木の陰に隠れて矢弥に「俺は矢弥が好き」と伝えた。

 本当はその言葉でなくてもよかった。でもこう言えば、矢弥は自分から離れていかない、と思ったんだ。
 矢弥の目が見開いて、顔を伏せられて、時間だけが過ぎていった。

 ──ありがとう。

 そう、矢弥は言った。

 すぐに返事がほしかった。すぐに矢弥を俺のものだとわかるようにしたかった。

 けれど矢弥は俺の浅ましい考えを見透かすように、「テストの日まで待って」と言った。

 どうしてすぐ答えてくれないんだと苛立って、いや、これもいいかもしれないと考えを変えた。

 テスト──共通テストの日まで、矢弥は俺のことを考え続けてくれる。俺で頭がいっぱいになってくれるんだ。そう思うと、痺れそうな気持ちになった。

 結果は知っての通りで、俺は振られた。

 絶対に受け入れられると信じていたのに、矢弥は試験会場の建物を背に、泣きそうな顔で俺を振った。

 ごめん、と謝られた。隼は悪くないんだ、と。

 いやだ、いやだいやだいやだ。

 矢弥、行かないでくれ。俺から離れないでくれ。

 伸ばした腕も声も、もう矢弥には届かなかった。
 地面に倒れて真っ赤になった矢弥の瞳から涙が見えた気がする。

 俺は無意識にコートのポケットに手を入れた。硬い感触がある。つまみ上げると、それはいつか〈開かずの教室〉で手に入れた青い石だった。

〈青星(せいしょう)〉

 頭に浮かんだ二文字が俺にしゃべりかける。

〈願いを叶える。引き換えを持て〉

 俺は叫んだ。
 矢弥を助けてくれ。
 もう一度やり直したい、あの告白を。

 あの一年間を──!



 それから俺は何度も何度も三年生を、矢弥の幼馴染をやり直した。

 何度挫けそうになったか知れない。
 何せ、矢弥はただの一度も俺を受け入れてくれないのだから。

 でも矢弥は毎回俺に「おはよう」と言ってくれた。
 まるで灯台の灯りのように、ずっとやさしく俺を照らしてくれる。

 灯りは言った。「今度は大丈夫。今度は助かる」
 俺はこうやってこの光に縋りつくのに、記憶を取り戻すのが遅すぎて、俺が三年生を繰り返すのと同じ回数、矢弥はあの日に命を落とした。

 引き換えになったのは、繰り返す自分の記憶だった。だから失敗する。
 耐えられないから、俺は繰り返し、記憶を失う。
 いつしか告白の答えなんてどうでもよくなった。

 矢弥を救いたい。

 それでも彼は死んでいく。
 もうどうしようもなかった。

 だから、俺はすべてを受け入れた。
 これは俺の罰なんだと思った。最初から、矢弥を軽んじていた俺への罰。
 矢弥への気持ちを素直に認めても、今さらなんだと。
 俺はもうこれで最後と決めた。

 そしてその冬、その瞬間に俺は〈青星〉に願った。

 ──最後の一年がほしい。

 そうすると不思議なくらいに、次の俺の記憶は最初から存在するようになった。

 このチャンスを逃すまいと、俺は真っ先にバスケ部を辞め、歴史クラブに入った。

 矢弥は喜んでくれた反面、今までより矢弥にべったりな俺に戸惑いを隠せていなかったな。

 俺はそんや矢弥の心に沿うように心がけた。もう何も返ってこなくてもいいから、矢弥が俺のために不安に思うことがないように、と。

 矢弥のぎこちなく笑う仕草や、自分を「陰キャ」と自称しつつ、頑張って下級生とコミュニケーションをとる健気な姿勢、俺のことをいつも気遣ってくれる優しさ。

 何度も繰り返す中で、俺は最初に「好きだ」と感じていた独占欲だけの思いが間違いだったと痛いほどにわかっていた。

 今は違う。矢弥が好き。本当に心から、愛しく思えているんだ。



 ところで、今度の矢弥は不思議なことをしていた。

 知らないはずのことを知っていたような風でいる。
 知っていたのかと聞いても否定する。

 踏み込んだら扉を閉じられる。やきもきを繰り返しながら、俺は矢弥の知らない時間を共有するようにした。

 明確に異変を感じたのは体育祭の日だ。
 騎馬戦のあと、汚した顔や足を洗って休憩がてら旧校舎にいると、そこに隣のクラスの女子たちがやってくる。俺に告白するためだ。
 俺はその告白を面倒がって断って、適当に時間を潰していた。

 旧校舎に足を踏み入れるのは、本当なら十一月。今行けばどうなっているのだろうと気になって、俺は〈青星〉のところに行った。

〈青星〉はあった。誘惑もものすごかった。でも俺は、もう手にしない。その場所が変わってないことをたしかめるだけにとどめた。

 その時間が思ったよりかかってしまったからだろうか。矢弥からのメッセージが来ないことに気付いた時には、救急車のサイレンが聞こえてしまっていた。本当なら今頃、俺は矢弥と体育館の裏手でサボっているはずなんだ。

 胸騒ぎは実現となり、そこにはパニック状態の矢弥がいた。

 止めようがなくて、仕方なく口で塞ぐことにした。生まれて初めて矢弥にキスをした。どさくさ紛れすぎて感動なんてできなかった。ひたすら矢弥のことが心配で、動揺がおさまらない矢弥を人目から遠ざけて落ち着くようにつとめた。

 気を失った矢弥を保健室まで運んで、仕方なくリレーに出て、またすぐに保健室に戻って矢弥のそばにい続けた。

 矢弥が目を覚ましてから、バス停で別れても、俺は矢弥が俺を拒んでいないか不安で仕方がなかった。

 その夜、矢弥が拙い言い訳で家にやってきた時は、俺は安堵で胸が張り裂けそうだった。
 それでもいつ心が変わってしまうか不安で、矢弥のどんな動きにも敏感に察知し、押しすぎないように、離れ過ぎないようにと心を配った。
 笑ってくれていい。結局俺は俺のことしか考えていなかったんだよ。



 夏休みの過ごし方もこれまでと違う。俺はバスケを辞めたからインターハイには出ない。その分矢弥と同じ時間を過ごせる。
 矢弥の未来のために「幼馴染」として冗談混じりで手を貸したり、三年の夏休みの決して多くない時間を過ごした。

 今思えば、矢弥は俺がインターハイに出た記憶を思い出しかけていたんだ。俺は「まさか」と、現実から目を逸らしていた。



 次の大きな異変が起こったのは文化祭のあとだ。
 俺しか知らないはずの〈青星〉が歴史クラブのメンバーに──矢弥に知られた。あのノートなんてヒントにすらならないからとたかを括っていたのに。

 まさかと思ってあの部屋に忍び込み、〈青星〉がなくなっていることを知った。

 最後と決めたこの春の俺の選択は、いろいろなそれまでを変えてきた。でもせめて〈青星〉はそのままでいてほしい。だからそれすらも変わってしまうことで、この先がどう変化させられるのか恐怖でならなかった。

 矢弥や歴史クラブのメンバーが〈青星〉を見つけたらどうしよう。いや、場所が少し変わっただけかもしれない。元の場所に戻さないと、何が起こるかわからない。
 俺はそんな脅迫めいた感情に負けて、時間を見つけては学校中を、そしてあの部屋に忍び込み、〈青星〉を探した。

 十二月になっても〈青星〉は陰も形もなかった。もう誰かが持っている? もう使われた? 焦りは簡単に怒りに繋がった。

 ──笑って受け入れる未来があるよ。

 本当に愚かだった。衝撃で縮こまる矢弥に申し訳なさが先に立ち、俺は謝って本来の目的に立ち返るように努めた。

 矢弥と幸せな最後の三年生を過ごす。

 矢弥が笑って受け入れる未来が来ますように、と切に願った。



 予定通りクリスマスマーケットの誘いがきた。それまでのと違うのは、誘いのメッセージが来るのがいつもより一日早いということ。

 いつにする? と矢弥に訊かれて、俺は思い切って二十四日に指定した。俺が告白するのはクリスマス当日だから、もしかしたら俺が矢弥に告白をせず、普通の幼馴染として過ごせる可能性があるかもしれないと考えた。
 もしまたあの瞬間が来ても、今度は俺が矢弥の代わりになれる。

 そう信じて。



 それなのに──


 ※


 人並みを掻き分けながら走り去っていく矢弥の背中があった。

 迂闊。油断。諦念。

 あらゆる感情がうずまいて、俺は咄嗟に動けなかった。

「まってくれ、やひろ」

 それでも俺は震える膝を無理矢理動かして、周囲の視線を振り払い走る。

 すべてを思い出した矢弥を追って。