「久しぶりですね、ここ来るの」
文化祭後に部長の交代があって、新部長になったのは二ノ前だ。ちょっとだけ砕けたしゃべり方になっていて嬉しい。
「ここ……意外と居心地よかったんだなぁって」
部室の長机にへばりつきながら感慨深く呟く。
「国府谷先輩と喧嘩でもしたんですか?」
「うっ」
薄々思ってはいたけれど、彼はちょっと察しがいい。
「なんで……」
「空森先輩がわかりやすすぎだと思いますよ」
国語の便覧とか歴史の資料集を広げる多部山が、呆れるように言う。
「そ、そうかなぁ?」
「バレバレって時ありますもん」
と向かいの新浜が言い、その隣の九蔵が頷く。
「えっ? ど、どんな時?」
僕は情けなくも前のめりだ。
「例えば、『お腹すいた』とか『早く帰りたい』とか『これ美味しそうだから食べたい』とか」
具体的にどんどん出てくるじゃないか。
「僕めっちゃわがまま放題じゃない?」
「普段我慢してる分、内心が溢れ出ちゃってるんすよ」
「わかるー」
三重奏が耳に痛かった。
でも振り返ってみたら、隼はよく僕にそうやって世話を焼いてくれたことがあった。
あれもバレてたがゆえの行動だとしたら、
「恥ずかし……」
「今さらっすよ」
しかもその流れで僕の気持ちすら無自覚に垂れ流していたとすれば、
「最悪……」
「推せる」
若い子の気持ちも、もう僕にはわからない。
「でも国府谷先輩って最近特に、たしかに廊下とかですれ違う時、こっちのこと気付かなくてスルーされるの多いですよね」
「だよね? あ、そう言えばこの前、バレー部の友だち待ってて遅くなった時、旧校舎から出てきたの見ましたよ」
僕は思わず伏せていた顔を上げた。
「ほんとに? いつ? 隼、どんな様子だった?」
「期末テスト前でクラブないのにどうしたんだろって。なんかめっちゃ暗い顔してたんですよね。だから声かけづらかったなぁ」
僕は首を傾げた。
「何をしてたんだろう」
「部室に忘れものとか?」
「〈開かずの教室〉……とか」
九蔵が呟く。そこは隼の提案で、七不思議としては含んだけど敢えて謎のままにしていた場所だ。不埒な侵入者を防ぐためにと隼はもっともな理由を言っていたけど、その発言の裏には何かあるのだろうか?
僕は、そこに行ってみることにした。一年二年も付いてくるけど、放っておいた。
階段を上がって最上階、二階部分のトイレの隣。
「……開いてる」
あるはずの南京錠がなかった。
「え、マジすか」
小声で鯖田が驚く。
黙って頷いて、ゆっくりと引き戸を開ける。
埃っぽい室内は前に来たままなのに、前回と違うような気がした。
ガサ。
「ヒッ」
九蔵が喉の奥で悲鳴を上げる。新浜がその口を塞いだものの、どうやら遅かったようだ。
「誰ー?」
「ぎゃあ!」
みんなでいっせいに叫ぶ。部屋の奥から聞こえた声の主も「きゃー!」と叫び返してきた。
「……って、東山先生?」
先に気付いたのは多部山で、「先生」というのは一年の社会担当の東山先生だった。
「あ、多部山さん? どうしたのこんなところに?」
目を白黒させる先生に、歴史クラブのことを説明すると、「なるほど」と納得し、「文化祭の展示、よくまとめてあったよね」と褒めてくれた。
「発表では『わからない』って書いてたけど、〈開かずの教室〉ってここよね。昔は使われてたけど、生徒がやんちゃして大きな怪我して以降、封鎖されたんだって。あ、これ他のみんなには内緒ね?」
サラッととんでもない秘密を聞いてしまい、僕たちは神妙に頷くしかできなかった。
「年明けに授業で使おうと思ってる教材探しててね、ここら辺にあったと記憶してたんだけど……」
どこにあったかなぁ、と頭を掻いている。いち早く我に返った鯖田が素早く声を上げた。
「手伝います! どんなやつすか?」
「あ、私も手伝います!」
「いいの? ありがとう。埃だらけだから気をつけてね」
流れで手伝うことにした僕たちは、先生と協力してキョロキョロと部屋の隅に視線を投げていく。目的のものは中くらいの箱に入っているそうだけど、みんな大きくて小さくて、見分けがつきにくい。
(あれは……)
と、視線は僕が以前、青い石を見つけた箱のある場所へ向けられた。
(なんだろう……違和感、みたいな……)
みんなに見咎められないように探すフリをしてそっと離れ、ゆっくりそこへ近づいていく。
あの時に気をつけて、触ったことがわからないように扱っていたはずのその箱。
(指で擦った跡がある……)
内心のドキドキを抑えながら、その箱を取り出す。蓋と本体に、誰かが触った形跡がある。
蓋を開けると、そこには何も入っていない。当たり前だ、この箱の中身は僕の家の机の抽斗にある。
(誰が触ったんだろう……)
先生かも知れない。確証はない。
「あ、空森君、そっちいるんなら、ついでにそこら辺も探せる?」
まだそこら辺は探してないから。
「あっ、は、はい」
先生の言葉に軽く愕然となりつつ、僕は慌てて従った。空箱が頭から離れない。
あの指の跡が、いったい誰のものなのか──
※
十二月の後半。今日は今年最後の登校の日だ。
「……おはよ」
「おはよう……」
バスのエンジン音にかき消されそうなくらいの声。表情も暗く、笑顔どころか薄笑いを貼り付けているような顔。こんなにも力のない挨拶をする隼なんて初めてだ。
どうしたの、とか話を聞くよ、とか、言いたいことは山ほどあるのに、僕は僕で夢見の悪い朝ばかりでたまらない。
「……クマ」
「え?」
「矢弥、目にクマができてる」
隼の指がソッと僕の頬に触れそうになる。直前でバスが大きく揺れたから、その指が離れていった。僕を支える手は来なかった。
「あ……受験勉強……はかどっちゃって。正月にはさすがにごろ寝で回復するから大丈夫だよ」
隼の目が僕をジッと見る。責められているような、心配されているような。せめて後者であってほしい。
バスの中はザワザワしているけど、僕たちは静かだった。耐えきれなくなって、僕はつい思い出したことをポロッと口にした。
「ね、ねぇ、隼ってさ、〈開かずの教室〉って、入った?」
「……いや、入ってないよ」
「そ、そっか」
会話が途切れる。他の話題を探そうか、と思っていると、
「なんでそんなことを?」
「えっ? えっと、この前、歴史クラブのみんなで入ったんだよね。その……隼、に似た人を見たっていう人がいて」
なんで僕はそんな誤魔化しをしたんだろう。
「鍵が開いてたからびっくりしたけど、先生が中で探し物をしてたってオチでさ」
僕が以前にあの青い石を見つけたエピソードは伏せた。
「そう、なんだ」
「不思議だね、って、話……」
学校最寄りのバス停に到着した。僕と隼は黙って降りた。
「……矢弥」
「な、なに?」
「もしもこの先、辛いことがあっても、必ず笑って受け入れる未来がある」
「……それって……」
僕が口にして、隼が怒ってしまった言葉だ。
隼は小さく頷いて、
「認めるよ。俺はどんな形でも矢弥のそばにいる。必ず、近くにいるから」
と続けた。
どういう意味なんだろう。
(……っ)
その時、僕の脳裏にあの光景が蘇った。見知らぬ場所で、肩を触れ合わせ、笑う男女──隼と、誰か。
そこに僕は、いない。
「……うん」
僕は曖昧に笑った。ひどいことを言うんだな、と思った。でも、そんな隼の優しさに僕は惹かれたんだ。
そして僕はそんな隼が心底諦められなくて、それに心底がっかりして、やっぱり僕は隼からー離れるべきなんだ、と確信した。
隼は僕の葛藤なんて知る由もない。歩き出し、僕はその視界に入らなかった。
隼の広い背中を眺めながら、僕は呟く。
たぶん、無理だよ──と。
そうして、冬休みに入った。
僕はあれから隼の姿を見なかった。
受験生の立場でよかったと、この時ばかりは感謝した。
だからと言って受験勉強そのものに力を抜くわけにもいかない。僕には僕の未来があるんだから。
窓の外の重々しい空が僕の心をさらに重たくする。
会いたい。会えない。自転車で十分の距離がとても遠い。
文化祭後に部長の交代があって、新部長になったのは二ノ前だ。ちょっとだけ砕けたしゃべり方になっていて嬉しい。
「ここ……意外と居心地よかったんだなぁって」
部室の長机にへばりつきながら感慨深く呟く。
「国府谷先輩と喧嘩でもしたんですか?」
「うっ」
薄々思ってはいたけれど、彼はちょっと察しがいい。
「なんで……」
「空森先輩がわかりやすすぎだと思いますよ」
国語の便覧とか歴史の資料集を広げる多部山が、呆れるように言う。
「そ、そうかなぁ?」
「バレバレって時ありますもん」
と向かいの新浜が言い、その隣の九蔵が頷く。
「えっ? ど、どんな時?」
僕は情けなくも前のめりだ。
「例えば、『お腹すいた』とか『早く帰りたい』とか『これ美味しそうだから食べたい』とか」
具体的にどんどん出てくるじゃないか。
「僕めっちゃわがまま放題じゃない?」
「普段我慢してる分、内心が溢れ出ちゃってるんすよ」
「わかるー」
三重奏が耳に痛かった。
でも振り返ってみたら、隼はよく僕にそうやって世話を焼いてくれたことがあった。
あれもバレてたがゆえの行動だとしたら、
「恥ずかし……」
「今さらっすよ」
しかもその流れで僕の気持ちすら無自覚に垂れ流していたとすれば、
「最悪……」
「推せる」
若い子の気持ちも、もう僕にはわからない。
「でも国府谷先輩って最近特に、たしかに廊下とかですれ違う時、こっちのこと気付かなくてスルーされるの多いですよね」
「だよね? あ、そう言えばこの前、バレー部の友だち待ってて遅くなった時、旧校舎から出てきたの見ましたよ」
僕は思わず伏せていた顔を上げた。
「ほんとに? いつ? 隼、どんな様子だった?」
「期末テスト前でクラブないのにどうしたんだろって。なんかめっちゃ暗い顔してたんですよね。だから声かけづらかったなぁ」
僕は首を傾げた。
「何をしてたんだろう」
「部室に忘れものとか?」
「〈開かずの教室〉……とか」
九蔵が呟く。そこは隼の提案で、七不思議としては含んだけど敢えて謎のままにしていた場所だ。不埒な侵入者を防ぐためにと隼はもっともな理由を言っていたけど、その発言の裏には何かあるのだろうか?
僕は、そこに行ってみることにした。一年二年も付いてくるけど、放っておいた。
階段を上がって最上階、二階部分のトイレの隣。
「……開いてる」
あるはずの南京錠がなかった。
「え、マジすか」
小声で鯖田が驚く。
黙って頷いて、ゆっくりと引き戸を開ける。
埃っぽい室内は前に来たままなのに、前回と違うような気がした。
ガサ。
「ヒッ」
九蔵が喉の奥で悲鳴を上げる。新浜がその口を塞いだものの、どうやら遅かったようだ。
「誰ー?」
「ぎゃあ!」
みんなでいっせいに叫ぶ。部屋の奥から聞こえた声の主も「きゃー!」と叫び返してきた。
「……って、東山先生?」
先に気付いたのは多部山で、「先生」というのは一年の社会担当の東山先生だった。
「あ、多部山さん? どうしたのこんなところに?」
目を白黒させる先生に、歴史クラブのことを説明すると、「なるほど」と納得し、「文化祭の展示、よくまとめてあったよね」と褒めてくれた。
「発表では『わからない』って書いてたけど、〈開かずの教室〉ってここよね。昔は使われてたけど、生徒がやんちゃして大きな怪我して以降、封鎖されたんだって。あ、これ他のみんなには内緒ね?」
サラッととんでもない秘密を聞いてしまい、僕たちは神妙に頷くしかできなかった。
「年明けに授業で使おうと思ってる教材探しててね、ここら辺にあったと記憶してたんだけど……」
どこにあったかなぁ、と頭を掻いている。いち早く我に返った鯖田が素早く声を上げた。
「手伝います! どんなやつすか?」
「あ、私も手伝います!」
「いいの? ありがとう。埃だらけだから気をつけてね」
流れで手伝うことにした僕たちは、先生と協力してキョロキョロと部屋の隅に視線を投げていく。目的のものは中くらいの箱に入っているそうだけど、みんな大きくて小さくて、見分けがつきにくい。
(あれは……)
と、視線は僕が以前、青い石を見つけた箱のある場所へ向けられた。
(なんだろう……違和感、みたいな……)
みんなに見咎められないように探すフリをしてそっと離れ、ゆっくりそこへ近づいていく。
あの時に気をつけて、触ったことがわからないように扱っていたはずのその箱。
(指で擦った跡がある……)
内心のドキドキを抑えながら、その箱を取り出す。蓋と本体に、誰かが触った形跡がある。
蓋を開けると、そこには何も入っていない。当たり前だ、この箱の中身は僕の家の机の抽斗にある。
(誰が触ったんだろう……)
先生かも知れない。確証はない。
「あ、空森君、そっちいるんなら、ついでにそこら辺も探せる?」
まだそこら辺は探してないから。
「あっ、は、はい」
先生の言葉に軽く愕然となりつつ、僕は慌てて従った。空箱が頭から離れない。
あの指の跡が、いったい誰のものなのか──
※
十二月の後半。今日は今年最後の登校の日だ。
「……おはよ」
「おはよう……」
バスのエンジン音にかき消されそうなくらいの声。表情も暗く、笑顔どころか薄笑いを貼り付けているような顔。こんなにも力のない挨拶をする隼なんて初めてだ。
どうしたの、とか話を聞くよ、とか、言いたいことは山ほどあるのに、僕は僕で夢見の悪い朝ばかりでたまらない。
「……クマ」
「え?」
「矢弥、目にクマができてる」
隼の指がソッと僕の頬に触れそうになる。直前でバスが大きく揺れたから、その指が離れていった。僕を支える手は来なかった。
「あ……受験勉強……はかどっちゃって。正月にはさすがにごろ寝で回復するから大丈夫だよ」
隼の目が僕をジッと見る。責められているような、心配されているような。せめて後者であってほしい。
バスの中はザワザワしているけど、僕たちは静かだった。耐えきれなくなって、僕はつい思い出したことをポロッと口にした。
「ね、ねぇ、隼ってさ、〈開かずの教室〉って、入った?」
「……いや、入ってないよ」
「そ、そっか」
会話が途切れる。他の話題を探そうか、と思っていると、
「なんでそんなことを?」
「えっ? えっと、この前、歴史クラブのみんなで入ったんだよね。その……隼、に似た人を見たっていう人がいて」
なんで僕はそんな誤魔化しをしたんだろう。
「鍵が開いてたからびっくりしたけど、先生が中で探し物をしてたってオチでさ」
僕が以前にあの青い石を見つけたエピソードは伏せた。
「そう、なんだ」
「不思議だね、って、話……」
学校最寄りのバス停に到着した。僕と隼は黙って降りた。
「……矢弥」
「な、なに?」
「もしもこの先、辛いことがあっても、必ず笑って受け入れる未来がある」
「……それって……」
僕が口にして、隼が怒ってしまった言葉だ。
隼は小さく頷いて、
「認めるよ。俺はどんな形でも矢弥のそばにいる。必ず、近くにいるから」
と続けた。
どういう意味なんだろう。
(……っ)
その時、僕の脳裏にあの光景が蘇った。見知らぬ場所で、肩を触れ合わせ、笑う男女──隼と、誰か。
そこに僕は、いない。
「……うん」
僕は曖昧に笑った。ひどいことを言うんだな、と思った。でも、そんな隼の優しさに僕は惹かれたんだ。
そして僕はそんな隼が心底諦められなくて、それに心底がっかりして、やっぱり僕は隼からー離れるべきなんだ、と確信した。
隼は僕の葛藤なんて知る由もない。歩き出し、僕はその視界に入らなかった。
隼の広い背中を眺めながら、僕は呟く。
たぶん、無理だよ──と。
そうして、冬休みに入った。
僕はあれから隼の姿を見なかった。
受験生の立場でよかったと、この時ばかりは感謝した。
だからと言って受験勉強そのものに力を抜くわけにもいかない。僕には僕の未来があるんだから。
窓の外の重々しい空が僕の心をさらに重たくする。
会いたい。会えない。自転車で十分の距離がとても遠い。
