「年の瀬」をぼんやり意識し出す十二月に入った。父さんは「忙しい、辛い、疲れた」というばかりだけれど、たしかに帰りは遅い。でも週末は忘年会という名の飲み会三昧だから、何が疲れるのかよくわからない。
僕にとってこの十二月は、これまでの人生で一番に夢見のよくない日々で構成されている気がする。
キーワード「夢占い」で何度検索したか知れないほど、僕は毎晩のように夢を見るようになった。それまでもおかしな夢──謎の光の夢とか──を時々見てはいたけれど、ほぼ毎晩なんて初めてだ。
相談しようにも、そんなのをまともに取り合ってくれる人なんていない。
隼なら話を聞いてくれるだろうけれど、その夢の登場人物のほとんどが隼なので、自意識過剰すぎて言い出せるはずもない。
ちなみに夢の内容と言えば、
隼と手を繋ぎ崖から空中を歩いてどこかに行く。
昔飼っていたペットの犬のお尻が巨大化し真っ黒くなり、僕に向かって飛びかかってくる。
隼のいない文化祭を過ごす。
隼が知らない女の人と笑い合っている。
見覚えのない学校にいつまでもたどり着けない。
……などなど。
モチ、可愛かったなぁ、なんて亡き愛犬を思い出せたのはいいことだけれど、脈絡なさすぎ&隼出てき過ぎ問題のため、どうしても隼には言い出せないのだ。
「……モチの墓参りしとこ」
僕はとりあえず自宅庭に埋まっているモチの墓を拝んでみることにした。
そして期末テスト最終日。これが終わればもうすぐ冬休みに入る。
ビュウと冷たい北風が首元に忍び入る。僕はマフラーをグッと首に巻きつけて寒さを凌いだ。
隼と登下校するのは変わらない。冬休みに入れば、あと少しでこの生活は終わる。
これまでなら「何をして遊ぶか」なんて呑気に考えていたけれど、受験生の今、自由に遊びまわるのは厳しい。
それに隼からは、相変わらず理由がわからない焦りみたいなものを感じるんだ。
「おじさんと、なんかあった?」
バスを降りてから靴箱に向かうまでの道のり、僕は口数が少なくなって久しい隼におずおずと話しかけた。
「……いや、大丈夫。年末近いし、ほとんど会えてない」
向こうも忙しくて、早朝に出勤し夜中に帰る日々なんだという。毎年のことらしいのに、だったらこの隼の余裕のない態度はどうしたのかと、僕は隼の病気を心配するまでになる。
「それはないよ」
「じゃあ眠れてない?」
「……」
ビンゴだ。
「悩みごと? 今だったら進路とか、成績……は先生の態度見る限り変じゃなさそうだし」
可能性がない、とも言い切れないけど。
あるいは。
「か、彼女……とか」
「誰の?」
「隼の……」
隼はようやくクスッと笑った。
「矢弥の妄想力が相変わらずで安心した。心配しなくても存在しないよ」
「そ、そう、なんだ……べ、別に心配なんてしてないし……」
それに告白はすべて断っていると聞いているし、それは大丈夫なんだろうけど。
「あと……あれ、かな? 『今はそれどころじゃない』って」
隼の動きが一瞬止まったのを、僕は見逃さなかった。
「隼?」
「……」
「原因って、それ?」
隼は貝になってしまった。僕はムッとして言葉を重ねた。
「隼、ここしばらく、どっか行くことあったよね。女子に告白されてるってのは知ってるよ。でもそれ以外で。先生に呼び出された、とかトイレこもってた、とか。それはそれで本当だと思うけど、それだけでこんなに隼が悩むなんて、心配だよ」
僕はそこまで言って(そうか)と急に納得した。
僕の夢。
あれは、予知だ。
僕には見えなかった、隼に関わる既視感の代わりが、あの夢だとしたら。
〈隼が知らない女の人と笑い合っている〉
これは近い将来、隼に訪れる場面なんだ。こうなるために、隼は今悩んでいるんだ。
だったら、僕にできることは多くない。むしろ僕は隼のために、ただひとつするべきことがある。
「……けど、大丈夫だよ。心配いらない」
靴を履き替えながら、僕は決断した。
「矢弥?」
「隼はさ、今こうやって苦しんでるけど、いつか、素晴らしい出会いがあると思う。いつか、笑って受け入れられる未来があるよ。だから、もう少しの辛抱だと思うから、頑張ろう、ね?」
瞬間、隼の顔が歪んだ。怒りが、あった。
「……あるわけない」
「し、隼……」
「あるわけないだろッ‼︎ 俺にそんな未来なんて! 笑うなんて! 何も知らないくせに! 俺が、どれだけ……っ」
隼の顔が引き攣るように固まった。
僕も同じだ。生まれて初めて浴びた隼の怒鳴り声。耳がキーンと鳴って、頭が真っ白になって、全身が縮み上がって硬直した。
「ど、どしたんすか?」
騒ぎを聞きつけた鯖田がかけつけ、僕たちに声をかけてきた。返事をする余裕なんて、僕たちにはなかった。
「国府谷、大丈夫そ?」
クラスの陽キャ女子も恐る恐る声をかける。
「──ぁ……」
周囲の異様さに我に返った隼が、僕の方に腕を伸ばし、けれど届かずに戻った。僕はそれを目で追うしかできない。
「……ごめん」
視線を逸らし、隼は逃げるように立ち去った。置いてけぼりになった僕は、みんなの視線を一手に引き受ける羽目になってしまった。
「空森先輩……大丈夫ですか?」
二ノ前の心配そうに声をかける。
彼の言葉は遠くから聞こえていたから、たぶん「大丈夫」と答えてはいるはず。
穏やかで冷静と思われていた隼の一変した様子は、目の当たりにした誰もが不安を覚えるのに充分なインパクトがあった。
普段接点のない陽キャ女子がわらわらと僕に集まる。
「国府谷どしたん? 激オコ超えだったけど?」
「てか空森も大丈夫そ? 息してる?」
僕はたぶんこれにも「大丈夫」と答えたはずだ。
騒ぎを聞きつけた先生がやってきたが、僕は遠くなった耳でまた「大丈夫です」と答えることしかできなかった。
さすがにテストを欠席するほど冷静さを欠いていたわけではなかったらしい。
隼はテスト開始ギリギリの時間に教室に入ってきた。事情を中途半端にしか知らないクラスメイトの好奇の視線を浴びながら席に座る。
「矢弥」
隼の静かな声が聞こえた。
「ごめん。急にあんな言い方。驚かせた」
「そ、そんな……いいよ、僕だって、隼の事情全部知らないのに、知ったかぶりしたみたいに言ったし……」
隼はゆるくかぶりを振った。まるで僕の言葉を受け止めようとしないかのように。
「……俺、矢弥には笑っていてほしいんだ。ずっと、幸せでいてほしい」
「隼……?」
「ごめん」
そう言って隼は僕から視線を外し、机に向かった。
僕は、そう。これは置き去りだ。心が置き去りにされたような思いがした。拒絶された、と思ったんだ。
僕の気持ちが隼に見透かされて、拒まれた。そんな風にしか考えられなかった。
その日、僕は隣り合う隼の方に視線を向けられず、また隼の視線が僕を向くことはなかった。
テストが終われば、隼は教室を出ていく。
残された僕は原因を知りたがる女子の興味津々の視線を浴びながら、頭に入らない教科書を広げてやり過ごすしかなかった。
今日の分のテストが終わると、隼は僕の方をようやくチラリと見た。
痛ましそうに視線を外し、振り返らずにカバンを持って教室を出て行った。
勇気を振り絞って隼を追いかけたけど、隼はどこにもいなかった。もうバスに乗って帰ったのかも知れない。
やるんじゃなかった。言うんじゃなかった。
あんな、相手のことを思い遣ったような建前の、気持ちの押し付け。身を引くことの美化。悲劇のヒロインぶって、何がしたかったんだろう、僕は。
隼には気持ちが伝わらず、隼の気持ちも受け取れず。
バカみたいだ。
「僕は……バカだ」
声に出すとなおさら、自分の愚かさが滲み出てきた。
※
期末テスト最終日。
隼と朝のバスは一緒に、は変わらない。
「おはよ」
「お、おはよう……」
挨拶もする。隣合って立ち、バスが揺れたら僕の体を支えてくれる。
それだけだ。車中の会話も、視線を合わせることも、できなくなった。
日に日に隼の苛立ちが増えているように感じ、けれど尋ねることもできず、僕は結局、隼になんの手助けもできなかった。
しかも僕は僕で悪夢にうなされる夜が頻繁に起こり、気づけばあくびが止まらない。
時折隼の視線が来るな、とわかるのに、声をかけてくれないから、僕も気兼ねしてそのままになってしまう。
僕たちの関係は本当にギクシャクしたものになってしまった。
僕にとってこの十二月は、これまでの人生で一番に夢見のよくない日々で構成されている気がする。
キーワード「夢占い」で何度検索したか知れないほど、僕は毎晩のように夢を見るようになった。それまでもおかしな夢──謎の光の夢とか──を時々見てはいたけれど、ほぼ毎晩なんて初めてだ。
相談しようにも、そんなのをまともに取り合ってくれる人なんていない。
隼なら話を聞いてくれるだろうけれど、その夢の登場人物のほとんどが隼なので、自意識過剰すぎて言い出せるはずもない。
ちなみに夢の内容と言えば、
隼と手を繋ぎ崖から空中を歩いてどこかに行く。
昔飼っていたペットの犬のお尻が巨大化し真っ黒くなり、僕に向かって飛びかかってくる。
隼のいない文化祭を過ごす。
隼が知らない女の人と笑い合っている。
見覚えのない学校にいつまでもたどり着けない。
……などなど。
モチ、可愛かったなぁ、なんて亡き愛犬を思い出せたのはいいことだけれど、脈絡なさすぎ&隼出てき過ぎ問題のため、どうしても隼には言い出せないのだ。
「……モチの墓参りしとこ」
僕はとりあえず自宅庭に埋まっているモチの墓を拝んでみることにした。
そして期末テスト最終日。これが終わればもうすぐ冬休みに入る。
ビュウと冷たい北風が首元に忍び入る。僕はマフラーをグッと首に巻きつけて寒さを凌いだ。
隼と登下校するのは変わらない。冬休みに入れば、あと少しでこの生活は終わる。
これまでなら「何をして遊ぶか」なんて呑気に考えていたけれど、受験生の今、自由に遊びまわるのは厳しい。
それに隼からは、相変わらず理由がわからない焦りみたいなものを感じるんだ。
「おじさんと、なんかあった?」
バスを降りてから靴箱に向かうまでの道のり、僕は口数が少なくなって久しい隼におずおずと話しかけた。
「……いや、大丈夫。年末近いし、ほとんど会えてない」
向こうも忙しくて、早朝に出勤し夜中に帰る日々なんだという。毎年のことらしいのに、だったらこの隼の余裕のない態度はどうしたのかと、僕は隼の病気を心配するまでになる。
「それはないよ」
「じゃあ眠れてない?」
「……」
ビンゴだ。
「悩みごと? 今だったら進路とか、成績……は先生の態度見る限り変じゃなさそうだし」
可能性がない、とも言い切れないけど。
あるいは。
「か、彼女……とか」
「誰の?」
「隼の……」
隼はようやくクスッと笑った。
「矢弥の妄想力が相変わらずで安心した。心配しなくても存在しないよ」
「そ、そう、なんだ……べ、別に心配なんてしてないし……」
それに告白はすべて断っていると聞いているし、それは大丈夫なんだろうけど。
「あと……あれ、かな? 『今はそれどころじゃない』って」
隼の動きが一瞬止まったのを、僕は見逃さなかった。
「隼?」
「……」
「原因って、それ?」
隼は貝になってしまった。僕はムッとして言葉を重ねた。
「隼、ここしばらく、どっか行くことあったよね。女子に告白されてるってのは知ってるよ。でもそれ以外で。先生に呼び出された、とかトイレこもってた、とか。それはそれで本当だと思うけど、それだけでこんなに隼が悩むなんて、心配だよ」
僕はそこまで言って(そうか)と急に納得した。
僕の夢。
あれは、予知だ。
僕には見えなかった、隼に関わる既視感の代わりが、あの夢だとしたら。
〈隼が知らない女の人と笑い合っている〉
これは近い将来、隼に訪れる場面なんだ。こうなるために、隼は今悩んでいるんだ。
だったら、僕にできることは多くない。むしろ僕は隼のために、ただひとつするべきことがある。
「……けど、大丈夫だよ。心配いらない」
靴を履き替えながら、僕は決断した。
「矢弥?」
「隼はさ、今こうやって苦しんでるけど、いつか、素晴らしい出会いがあると思う。いつか、笑って受け入れられる未来があるよ。だから、もう少しの辛抱だと思うから、頑張ろう、ね?」
瞬間、隼の顔が歪んだ。怒りが、あった。
「……あるわけない」
「し、隼……」
「あるわけないだろッ‼︎ 俺にそんな未来なんて! 笑うなんて! 何も知らないくせに! 俺が、どれだけ……っ」
隼の顔が引き攣るように固まった。
僕も同じだ。生まれて初めて浴びた隼の怒鳴り声。耳がキーンと鳴って、頭が真っ白になって、全身が縮み上がって硬直した。
「ど、どしたんすか?」
騒ぎを聞きつけた鯖田がかけつけ、僕たちに声をかけてきた。返事をする余裕なんて、僕たちにはなかった。
「国府谷、大丈夫そ?」
クラスの陽キャ女子も恐る恐る声をかける。
「──ぁ……」
周囲の異様さに我に返った隼が、僕の方に腕を伸ばし、けれど届かずに戻った。僕はそれを目で追うしかできない。
「……ごめん」
視線を逸らし、隼は逃げるように立ち去った。置いてけぼりになった僕は、みんなの視線を一手に引き受ける羽目になってしまった。
「空森先輩……大丈夫ですか?」
二ノ前の心配そうに声をかける。
彼の言葉は遠くから聞こえていたから、たぶん「大丈夫」と答えてはいるはず。
穏やかで冷静と思われていた隼の一変した様子は、目の当たりにした誰もが不安を覚えるのに充分なインパクトがあった。
普段接点のない陽キャ女子がわらわらと僕に集まる。
「国府谷どしたん? 激オコ超えだったけど?」
「てか空森も大丈夫そ? 息してる?」
僕はたぶんこれにも「大丈夫」と答えたはずだ。
騒ぎを聞きつけた先生がやってきたが、僕は遠くなった耳でまた「大丈夫です」と答えることしかできなかった。
さすがにテストを欠席するほど冷静さを欠いていたわけではなかったらしい。
隼はテスト開始ギリギリの時間に教室に入ってきた。事情を中途半端にしか知らないクラスメイトの好奇の視線を浴びながら席に座る。
「矢弥」
隼の静かな声が聞こえた。
「ごめん。急にあんな言い方。驚かせた」
「そ、そんな……いいよ、僕だって、隼の事情全部知らないのに、知ったかぶりしたみたいに言ったし……」
隼はゆるくかぶりを振った。まるで僕の言葉を受け止めようとしないかのように。
「……俺、矢弥には笑っていてほしいんだ。ずっと、幸せでいてほしい」
「隼……?」
「ごめん」
そう言って隼は僕から視線を外し、机に向かった。
僕は、そう。これは置き去りだ。心が置き去りにされたような思いがした。拒絶された、と思ったんだ。
僕の気持ちが隼に見透かされて、拒まれた。そんな風にしか考えられなかった。
その日、僕は隣り合う隼の方に視線を向けられず、また隼の視線が僕を向くことはなかった。
テストが終われば、隼は教室を出ていく。
残された僕は原因を知りたがる女子の興味津々の視線を浴びながら、頭に入らない教科書を広げてやり過ごすしかなかった。
今日の分のテストが終わると、隼は僕の方をようやくチラリと見た。
痛ましそうに視線を外し、振り返らずにカバンを持って教室を出て行った。
勇気を振り絞って隼を追いかけたけど、隼はどこにもいなかった。もうバスに乗って帰ったのかも知れない。
やるんじゃなかった。言うんじゃなかった。
あんな、相手のことを思い遣ったような建前の、気持ちの押し付け。身を引くことの美化。悲劇のヒロインぶって、何がしたかったんだろう、僕は。
隼には気持ちが伝わらず、隼の気持ちも受け取れず。
バカみたいだ。
「僕は……バカだ」
声に出すとなおさら、自分の愚かさが滲み出てきた。
※
期末テスト最終日。
隼と朝のバスは一緒に、は変わらない。
「おはよ」
「お、おはよう……」
挨拶もする。隣合って立ち、バスが揺れたら僕の体を支えてくれる。
それだけだ。車中の会話も、視線を合わせることも、できなくなった。
日に日に隼の苛立ちが増えているように感じ、けれど尋ねることもできず、僕は結局、隼になんの手助けもできなかった。
しかも僕は僕で悪夢にうなされる夜が頻繁に起こり、気づけばあくびが止まらない。
時折隼の視線が来るな、とわかるのに、声をかけてくれないから、僕も気兼ねしてそのままになってしまう。
僕たちの関係は本当にギクシャクしたものになってしまった。
