僕は十八歳の春を君と迎えたい

 結局、今回の三者面談に隼のお父さんは参加しなかったらしい。二度目の進路相談も兼ねていたけど、隼の就職も変わりない。覚悟はしていたものの、やっばり気落ちする。

 でも隼には隼の人生がある。僕なんかに好かれてるなんて知っても困るだろうし、僕は表向き、隼のこれからを応援する係を降りる気はないし。

 ちなみに僕は来年一月の共通テストに向けて、厳しい現実を突き付けられていた。

「この間の模試はC判定。ギリギリ」
「おばさんはなんて?」
「『やっぱりそうですよね』的な雰囲気プンプンしてた。わかるよ。僕も模試挑んでる最中に『これ半々の匂いする』って思ったもん」
「その時点でわかるんなら、矢弥が自分の実力を客観的に見れてるいい証拠じゃないか」

 大半が既視感による回答だったけれど、これまた「できるものはできる、できないものはできない」だったので結果的には変わりはなかった。

「三年の夏休みの追い込みに賭けようってさ」
「矢弥は市内の大学希望だったっけ?」
「うん。家から通える範囲の、僕の実力で行けるところ」

 その条件だと正直なかなか厳しかったけれど、諦めるわけにはいかない。

「夏休み中にも模試があるから、それまでに苦手なところをちょっとでも理解しないと」

 言うは易し、とかいうやつだ。自分でもうんざりする。

「俺でよければ、矢弥の苦手分野の手助けするよ」
「えっ、いいの? 隼様ぁ……」笑われた。「一応自力でやってみるけど、最悪、よろしくお願いします」

 頭を下げると、隼も「よろしくお願いされます」と。この調子のよさに隠れた優しさが自然体で、僕は心から幸せになれる。

 そんなこんなで突入した、高校最後の夏休み。
 出された宿題は二年までのとは格が違う。

「ドリルの森……」
「ポエム言ってないで。どこまでやった?」

 僕の絶望の呟きは隼によってさらっと受け流された。

「意外と進んでるんだよ。国語と数学の問題集を半分ずつと、……それくらい」
「長文読解が飛んでるぞ」
「だって途中で目が滑るんだよね……」

 実は既視感だらけでうんざりして手をつけられない、というのが本当の理由だ。

「まぁ、わからんでもないな」と苦笑いで同意を得られた。「ということは小論文は?」
「察してください……」

 陰キャはえてして勉学に重きを置きがちなキャラクターのはずなんだけれども、この既視感スキル──もうスキルと呼んでいいと思う──がなかったら、僕はただの陰キャモブだ。

 というわけで、今日は隼を僕の部屋に招き、勉強会という名の「僕の宿題を助けて」イベントを開催することになった。

「お前がちゃんと進学できるように、俺がバックアップしてやるから」
「さすがは秀才幼馴染様……僕を苦しませる方法をよく知ってらっしゃる……」

 隼は僕の冗談に「ははは」と快活に笑い、僕の手をグッと握った。

「手加減しないからな」
「あは、は……いや、お手柔らかにお願いします……」

 隼は成績もいいし、教え方も上手い。見覚えのある問題だったとしても、僕よりも早く的確に解説して僕を驚かせてくれる。

 あっという間に、問題集の手をつけていない部分が埋まった。さらには来週の模試で指定されている範囲の予習まで進む。

「──っあー! 頭がパンクしそう! 手が固まった!」

 気が付けば、部屋の壁掛け時計の針は午後五時を過ぎていた。途中、母さんからのお菓子の差し入れで休憩を挟みつつ、都合四時間も机に集中していたらしい。僕はすごい。

「矢弥はすごいな」
「お……あ、え? 何、が?」

 思っていたことを言い当てられたような恥ずかしさで言葉が詰まる。隼は目を細めて微笑んでいた。

「めちゃくちゃ集中して取り組んでただろ。いつもなら三十分くらいで一度は根を上げるのに」
「い、いやぁ、なんか途中から面白くなってきちゃって……。いや、ていうか隼の教え方がいいんだよ。家庭教師のバイトとかしたらお金貯まるんじゃない?」

 隼は呆気に取られたように笑った。

「大袈裟だろ。俺みたいなのに教わりたい奴なんていないって」
「いやいる! 僕がそれだし」
「じゃあ家庭教師代」

 と隼が僕に掌を開いて見せる。からかっているのは一目瞭然。これで怯む僕ではない。……ちょっと心臓ドキドキ言ってるけど、からかいにはからかいで返すのが男ってものだ、と思う。

 僕は隼の手に僕の手を添え、反対側を包んで、海外の偉い人がするような握手をしてやった。

「!」

 隼の驚きように、僕はドキドキを隠せているか心配になりつつも、ギュッと隼の手を握る。クーラーで冷えた部屋なのに、僕の体も掌もじんわりと熱い。それを隠すように、わざとにっこり笑って、

「こちらでよろしいでしょうか?」

 と答えた。

「……もっと難しいのを教えたら、もっと『高いの』をもらえるんでしょうか?」
「へ?」

 読み違えた。こんなことで怯む隼でもなかったんだった。

「た、高いのって、例えば……?」
「……ふ、訊くんだ、それ」
「……」

 だらだらと冷や汗をかく、しょうもないキチンレースは呆気なく幕が降りた。階下から母さんの「隼ちゃん、晩御飯食べてくー? 持って帰るー?」とのお尋ねが飛んできたのだ。思わず僕はホッと胸を撫で下ろした。

「……えっと、どうする、隼?」
「じゃあ、食べてこうかな」

 おじさんは帰ってくるのか、こないのか、隼はそれは言わないまま答えた。心なしか名残惜しそうに。

 ふたりで一階に降りると、ダイニングテーブルには隼の分のご飯茶碗やおかずの唐揚げが用意されていた。母さんは何も言わずに持ち帰り用のタッパーまで準備している。

「余ったら明日の朝御飯にでも食べちゃって」
「……ありがとうございます」
「何よぉ、かしこまっちゃって。ほら矢弥、あんたボサッと立ってないでご飯よそいな」
「はーい」

 隼と僕とで態度の違う母さんの号令で三人の晩御飯が始まった。父さんは仕事、姉は大学のコンパか何かでそれぞれ遅くなるということで、いつもより人数は少ない。でも隼がいることで寂しさはまったく感じないのが不思議だ。

「隼ちゃんがバスケ辞めちゃったの、最初に聞いた時ね、おばさんびっくりしたわ」

 咀嚼の合間に母さんがそうこぼす。

 本当だったら今頃隼は、夏休みのクラブ合宿なり、よその学校との試合なりで忙しくしていたはずだ。
 歴史クラブに入ってくれたのは嬉しい反面、本当にバスケを辞めてまでやることでもない、という思いが拭いきれない。

 今になっても、隼がバスケを辞めた理由をしっかりと聞いてもいないんだから。
 僕は不意に不安な気持ちに襲われて、食後の運動と称して隼を外に連れ出した。

「珍しいな、矢弥から誘うなんて」

 家で保管しているバスケットボールを手の中で器用にクルクル回しながら、隼は僕に笑いかけた。

「正直、体が鈍ってるんじゃないかと思って」
「今なら俺に勝てそうって?」
「そう思うんなら、そう」

 はははっ、と隼は吹き出した。

「矢弥らしくていいな。──よしわかった。こっちも手加減しないからな」

 隼の目が光って僕の目を刺す。僕は内心ドキリとした。

 実を言わなくても、僕のバスケのスキルなんて隼からしたら赤ちゃんみたいなものだけど、自宅の小さな庭には、幼馴染のよしみでバスケットゴールを設置してあるから、経験はある。

 ボールは隼から。ゆっくりドリブルしながら不敵な笑みで近寄ってくる。僕は両足を広げて腰を落とし、右か左か、どちらから来るのかハラハラしながら待ち受ける。

 にわかに隼の足が動き出す。

 右から抜かれる寸前に体を寄せてブロックする。

「わっ」

 僕の目の前で隼が身を翻すように一回転し、僕の左側に移動したと思ったら、飛び上がって腕を伸ばし、ボールを放つ。

(……!)

 僕の頭に映像が流れてきた。

 ゼッケンを着た隼が、ゴール下で揉みくちゃになりながらボールを放つ。けれどその直前にどこからか手が伸びて、隼の首を掴んでうしろへ引き倒そうとする。

「あぶ、……っ」

 僕はとっさに叫んでいた。「危ない」と、隼にどんな危険も起こらないはずの今に。

 こんな、既視感とは違う、変な感覚。

 ガコン、と鈍い音をたててバスケットボールがネットを通り、地面に落ちた。

 驚く隼の顔がある。

「びっくりした……どうしたんだ、いきなり? アブって、虫がいた?」
「……へっ? あ、そうそう、ハチかと思ったけど、アブみたいなのだったよ。あとは僕がこけそうになっちゃって危ない、のダブルミーニング的な……」

 言い終える前に隼が近寄り、僕の体を点検するように見回す。

「足は? 挫いてるとか?」
「あっ、大丈夫! 実際こけたわけじゃないから」

 言いながら地面に転がるボールを拾う。

「やっぱり隼はすごいなぁ。わざわざバスケ部やめる必要なかったんじゃない? 歴史クラブなんて、手伝いくらいでもじゅうぶんなのに」
「……」

 背後で隼が何かを呟いた。

「隼?」
「……言っただろ。もう、構っていられないんだよ」

 夕陽が沈みかけの黄昏時。薄暗くなった中で隼の顔が泣いているように僕は感じた。

「矢弥は、俺と一緒にいるのは、嫌?」

 バスケ部を辞めた理由を訊いた僕に、隼が問いかけたのと同じだ。どうしてまた訊いてくるんだろう。答えなんて変わらないのに。
 僕の方が「一緒にいたい」って叫びたいのに。できないんだよ。だって僕たちは。

「嫌じゃないよ。それにさ……幼馴染じゃん、僕ら。だから……隼が何に構ってられないのか知らないけど、隼が考えた末にそう決めたんだから、僕は隼の味方だよ」
「矢弥……」

 隼の真剣な顔が近付く。僕は体を固くした。

「隼……」

 プゥ〜……

「わっ、虫!」

 バチン! と僕は隼の頬を至近距離で引っ叩いた。

「いっ……!」
「わぁ! 隼! ごめんっ!」
「……あんたら……何やってんの」

 帰ってきた姉が呆れたように言った。はたから見たら完全に「振られる隼」と「振る僕」だ。

「……隼、誤解、解こうね」
「うん……そうだな」