ある日突然、不良が俺だけの忠犬なった

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林間学校の当日、移動バスで点呼を取っていると、瀬田は言われたとおり遅刻せず、朝早くから来ていた。これまで欠席だったせいで、林間学校のグループができた時は、瀬田を抜きで人数を数えていたが、彼が入ったことで他のメンバーはどこか気まずそうだった。でも、彼の明るい一面を見て、次第に空気は変わりつつある。お前がいることに、充分意味はあるよ、といってやりたい。出席簿にチェックを付け、そのまま先生の方へと報告に行った。

「待て」をしてから、瀬田は俺の側へと近寄ってこなくなった。甘いパンも飲み物も持ってこない。宿題を職員室へ運んでいる時も、呼びかけてこない。スーパーに何度か行ってみても、会うことはない。むしろ避けられている気さえいる。別に俺は、あいつを嫌ったわけでは無い。否定もしていない。ただ、待って欲しいと頼んだだけだ。

なのに、こういう風に露骨に態度に出されると、罪悪感が募っていた。

「委員長。ビニール袋とか持ってない?あいつ酔っちゃってさ」

 同じグループの男子が声を掛けてくる。林間学校ではグループ活動がメインだ。たとえ同じクラスでも、活動中は他グループとかかわることは少ない。

「あぁ、分かった」

 良い機会だ。もっと瀬田にはクラスメイトに馴染んで欲しい。俺ばかりに気を取られるんじゃなくて、真面目に勉強して成果を出せば、お前は必要な存在だっていうことを、明確に実感できる。そしたら、俺なんかに奉仕せずに済む。

「あ、委員長。カレーの材料ってさ。人参とじゃがいもとタマネギと、何かあったっけ」
「確か林檎とコンソメの素も置いてあったような。……ちょっと見てくる」

 軍手をした手では食材に触るのも避けた方がいい。そう思って率先して食材を取りに行く。

「ねえねえ、委員長。ここにある薪って使っても良いのかな」
「そこのは、昨日の雨で水を吸ってしまっているらしい。そっちのテントに乾いたものがあるから、取ってくる」

 今は手が空いているし、そう沢山持つ必要もないなら、俺1人で充分だ。ぎゅっと拳を握ったまま歩いて行くと、瀬田が同じように薪を運んでいる最中だった。

「……あ」

 じっとこちらの様子を伺っている。俺が薪を抱えるのを見て、何か言ってくるだろうか。どうかここでは忠犬を出さないでくれ、と心の中で祈る。

「瀬田くん。どうしたの」

後ろから、お団子の女子が顔を覗かせる。俺達がにらみ合っているのに気づいたのか、どこか気まずそうだった。

「いや、別に何でもない」
「そう?じゃあ先に戻るね」

彼女がそう言ったタイミングで、ぐっと足が地面のぬかるみで滑る。昨日まで降っていた雨のせいで、地面がぬかるんでいたらしい。咄嗟に薪を持った手を解き、彼女の方へと差し出すが、俺よりずっと長く大きな手が先に伸びた。

「大丈夫か?」

カランカラン、と軽い木の音が響く。落ちた薪よりもずっと、俺の心は底へ底へと沈んでいく。瀬田の手が、彼女の腕を掴んでいた。

「え?あ、ごめん。ちょっと滑っただけ」

頬が赤い。恥ずかしそうに顔を手で覆う。その2人を見て、なんて自分は場違いなのだろうと、いたたまれなくなった。

「薪は全部俺が持って行くから、すりむいた所洗ってきた方が良い」
「え、嘘。私、すりむいてた?ちょっと洗ってくる!」

お前、そんな優しく話せたんだな。女子が相手なら、さすがに柔らかい口調になるのか。そうやって新しい一面を見た自分が、なぜかざわついている。

「……瀬田」

呼ぶと彼は、こっちを向いた。でも、遅い。いつもの何倍も遅い。少し前まで嬉しそうに振り向いて近くに来てくれたじゃないか。

「あのさ、えっと……」

お前の腕なら、俺の分も持てるだろ。だったら、うちのグループの分も運んでくれよ。そうやって言えば良い。瀬田は必ず応えてくれる。

でも、言葉は引っ掛かり、詰まった喉からは出てこない。

沈黙が長引いたせいか、先に瀬田が口を開いた。

「神崎くん。俺、ずっと言おうと思ってんだけど」
「な、なに」
「なんでそんな、都合良く使われてんの」

初めて聞く、彼の声色だった。低く響いてガツンと胸を打ってくる。そんな声だった。

「使われているって……」
「前にも言ったけど、神崎くんは虐げる側の人間になれるのに。もっと人を使うべきだと思うけど」
「お前また、そうやって俺を揶揄って」
「本音だけど。だって神崎くんのグループ見てみ。だーれも動いてないじゃん。神崎くんがやってくれるって、皆、思ってんだよ」

ずっと見ないようにしていた事だった。俺が動けば、誰に頼まなくても上手く回る。荒波を立てずに済む。人との会話が苦手で、相手に威圧感を与えてしまう自分ができる、最善の方法。それを全て言い当てられてしまった気がして、情けなくなった。

「……んだよ。俺についてこなくなったと思ったら、今度は説教する気か」
「いや、そうじゃなくて」
「女子の薪は持つのに、俺のは持ってくれないもんな」
「何だよ、その可愛いふて腐れ方。すげーな。さすがは孤高だ。ときめくわ」
「おい。ふざけて言ってるんじゃなくて」

 瀬田は優しく笑う。こいつってこんな顔も出来るのか、と不思議な気持ちになった。

「びびんなくても、誰も神崎くんを嫌がったりしないだろ。むしろ委員長っていう皮が剥がれて、神崎くんが何を考えているのか、みんな知りたいだろうし」
「やっぱりお前は」

お前は、よく人の事を見ているよな、と言いかけて口を閉じる。そういえば、まだ「待て」をしているんだった、と今更思い出して瀬田から離れる。

瀬田以外のクラスメイトは、皆俺のことを委員長と呼ぶ。間違っていないけれど、肩書きだけで自分が塗り固められていく気がして、居心地はよくなかった。その役割にふさわしい行動をしなければならないと思っていたから。俺が瀬田と接する時だけは、神崎という自分自身でいられたのかもしれない。

「……あのさ」

 グループのメンバーがこっちを振り向く。おのおの調理器具を確認したり、火の付け方を調べたりしている。じっと見るその目に「実は」と声を張った。

「料理とか、苦手だから、野菜を切ったりするのは任せたい。計算はできるから、そこだけは……」

顔が熱い。自分から人に頼むのって、こんなにも緊張するのかと、汗ばんだ手を握る。俺はずっと楽をしていたのかもしれない。誰かに叱られる前に。目を付けられる前に。先手を打って安心できる自分を作っておく。

「え、そうなの?意外。委員長って出来ないことあるんだ」
「じゃあ計量とか頼もうかな。委員長なら、1グラム単位で教えてくれそう」

誰も失望なんてしなかった。俺が言ったことに対して、驚きはしても引いたりしない。もしかすると、ずっと考えすぎていたのかもしれないな、と安堵で自然と笑みがこぼれた。

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「おい、瀬田。あとはお前だけだぞ」
 夜になり、風呂の時間になっても来ないので、仕方なく部屋まで呼びに行った。瀬田は1人でくるくるとバスケットボールを回して遊んでいる。一日中自由を奪われて反動でも来たのか、「はいはい」と返事をしても能動的に動く様子はなかった。

「そのボール、どこから取ってきたんだよ」
「川の近くに落ちてた。まだ新品近いし、もらってきた」
「そんな勝手な。……先生に渡すから、ボールをよこせ」

彼の腕を掴もうとした途端、ぐっと距離を離される。その大きな目はじっと俺を睨んでいた。

「まだ、待てじゃなかったっけ?」
「……バカかよ」
「許しは貰わないと、言うこと聞かないけど」
「昼間は瀬田から俺に喋りかけて来たじゃないか」
「あのときは、神崎くんが話しかけて欲しそうだったから」

ぐっと耳をつねる。調子に乗るな、といさめてからボールを取り上げた。

「でもまあ、礼は言っとく。少しだけ周りと打ち解けられる気がしたから」
「じゃあ、俺に言うことあるんじゃない?」
「礼は言ったけど」
「そっちじゃなくて」

にこにこと満面の笑みを向けられる。つい瀬田の髪を撫でてしまう。

「よし」

そう言うと、彼は覆い被さるように抱きついてきた。視界の全てがこいつで埋まる。匂いも全部いっぱいになる。バクバクと心臓の音がどんどんと大きくなっていくのが分かる。無意識に彼の背中に手を回していた。

「本当にお前は暖かいよな」
「体温は高い方だからな」
「……それに、賢くて、お利口」

そこまで言ってから、瀬田の顔をのぞき込む。俺が何を言いたいのか、彼も気づいたらしく、犬歯がにかっと笑って見えた。

「もしかして、ご褒美くれんの?」
「あぁ。今やってる。ぎゅってして、お前のこと褒めてる」
すると瀬田の顔が曇る。眉間に皺がより、不細工な顔になった。

「何だよ、その顔。もっと嬉しそうにしろよ」
「駄目だ、委員長。それは委員長過ぎる。神崎くんなら、もっと特別なご褒美をくれるはずだ」

忠犬も反抗するようになったかと、面倒臭い要求にため息を吐く。

「じゃあ、何が欲しいんだよ」
「ちゅーして」
「馬鹿だろ。却下」

すると、彼の指が俺の目尻に触れる。もう既に痣は消えて、痛みはなくなっていた。

「傷残らなくて良かった」
「……別に大した怪我じゃなかったから」
「残ったら、一生分俺が面倒見ると思っていたのに」
「まだそれ言ってんのかよ。ほら、早く風呂の支度しろよ。みんなもう行ってるんだから」

 すると、次の瞬間、彼の唇が触れた。目尻のところだけじわりと熱くなる。触れた体温と柔らかさに全身から汗が噴き出た。耳まで体温が上昇してから、声が出ていない事に気づく。この男の首輪は自分が持っていたはずなのに。なのに、抗えない。

「よし。……ほら、行くんでしょ。神崎くん」
「……調子乗るなよ」
「はは。……あ、そうだ。着替え持ってきてないから、神崎くんの貸してよ。委員長なら予備のものぐらい持ってきてるでしょ」
「あれほど忘れるなって言ったのに、お前は全く……」

 繋がれる手。そのまま引っ張っていく力に、体を預けてしまう。
 どうやら従順な犬となったのは、俺の方だったらしい。