ある日突然、不良が俺だけの忠犬なった

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 瀬田とは、この時から少しだけ親しくなった。
 相変わらず学校に来る頻度は少ないけれど、1週間に一度は顔を出すようになったし、先生に文句を言いつつも、宿題を出す事もあるらしい。彼なりの誠意を見せている。それだけなら良かった。良い方向に進んでいると心から喜べた。しかし問題なのは、彼からの熱を帯びた視線だった。
 あいつは多分、俺に対して好意を抱いている。獲物を狙うような異常さではなく、おやつを前に置かれた犬のように、じっと待てをしているのだ。話しかけてこないくせに、ずっとこっちを見てくるので、その視線の先を見ずとも瀬田がどこにいるのか分かってしまう。

 出来心で振り返った瞬間、あいつはにっと犬歯の見せて笑うのだ。その顔は嫌いではなかった。

「あ、委員長。ちょっと良いか」

 いつも通り日誌を職員室に届けた後、先生に呼び止められる。まさか、瀬田について先生も気づいたのかと淡い期待を寄せたけれど、全く違った角度から話題が切り出された。

「健康診断。お前、まだ受けてないよな」
「健康診断?」
「そう。他の生徒は全員2ヶ月前に終わっているんだが、神崎は風邪で休んでいなかっただろ。色々と行事が重なって延期になっていたが、やっと日程が決まってな。今週の金曜の放課後だから、空けとけよ。たしか部活は入ってなかったよな」
「えぇ。まあ」
「よし。じゃあ瀬田にも伝えておいてくれ」
「……は?」
「瀬田だよ。あいつもずっと不登校で健康診断は受けていなかったからな。うちのクラスでは、お前と瀬田だけだから、頼んだぞ」

 健康診断の紙を渡されて、つい反射的にため息が出る。意図せずに、2回目の会話する機会が生まれてしまった。別に瀬田は嫌いじゃない。ただ、おかしな奴なのだ。俺の顔をただひたすら褒める。忠犬のように懐くし。特殊な面食いかもしれないが、あの男の目を見ていると、自分まで変になりそうで苦手だった。

 たかが健康診断。たったの1時間程度である。いつも通り表情筋を殺して接していれば良いのだと、自らに言い聞かせた。

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 教室にはいなかったので、昼休みに体育館を覗いてみると、思った通り彼は友人とバスケで遊んでいた。キュッ、キュッと靴の裏が擦れる音が響き、合間にぎゃはは、と笑い声が聞こえてくる。声が大きくてうるさくて、こいつらの空間は苦手だ。どうせ俺がよんでも声は聞こえない。だったら、チャイムが鳴るまで入り口の隅で待ち伏せしようかと、後ずさりした。

 その時、ガコンとバスケットゴールが揺れる。誰かが投げたボールが、壁に当たって、勢い良くボールが跳ねた。その軌道を読んだように、長くて大きな腕がぐっとボールを捕まえた。片手で包み込むように、勢いを殺してキャッチした。
瀬田は体が大きくて180センチ近い。手も足も長くて大きい。その一方で、言動には荒っぽさはそこまで感じず、むしろ優しさが含まれているのだ。だから俺も、この男をあまり怖がらずに済んでいるのだろう。初めて同じクラスになって顔を見た時、その迫力ある見た目から、声を掛けるのも恐ろしかった。
偶然とはいえ会話のきっかけができないと、今日までずっと認識は変わっていなかったかもしれない。

 もう少しだけ、瀬田のことを知りたいと思った。

「瀬田!」

 くるっと首が回り、あの犬のような目がこちらに気づく。その瞬間、ボールをどこかに投げ捨てて、俺の目の前へ走ってきた。

「委員長じゃん。なになに。なんでここにいんの?俺に会いに来たの?」

 声がでかい。周りの連中がクスクス笑っているのが聞こえる。「彼女かよ」と冗談で笑う声が聞こえて、不愉快極まりなかった。

「健康診断の紙を渡しに来たんだ。先生に頼まれて」
「えっ、わざわざここに?教室で渡してくれたら良いのに」
「またお前、そのまま午後の授業受けずに帰るだろ」
「はは。当たり」
 文字を読むのが苦手なのか、眉間に皺を寄せて紙を見つめ、すぐにまるめてポケットにしまった。

「金曜だからな。勝手に帰るなよ」
「はいはい。多分帰らないよ」
「その日は俺も受けるから、もし来なかったら先生にチクるから」
「えっ!委員長も来るの?なら、絶対行くわ」
「お前なあ……。だったらいつもの授業も出席しろよ。俺に会いたいなら良いだろ」
「だって席離れてるし、俺の方が前に座っているから、顔見れねぇだろ。じゃあ、こういう2人きりになれる機会を見つけるしかねぇし」

 どう反応すれば良いのか分からず、黙り込むしかない。口の端をぎゅっと結んで、睨むように様子を伺う。瀬田は相変わらず気持ちの良いほどの笑顔だった。

「おいおい、瀬田。神崎さま怒ってるぞ」
「うわ、確かに。こんだけ間近で見たら、すげー綺麗。肌とか真っ白じゃん」

 瀬田の声が大きいせいで、他の連中が集まってくる。からかう対象を見つけた好奇の目に、苛立ちが募る。「じゃあ、俺はもう戻るから」と振り返ることもせずに体育館を後にした。

 人とはなるべく壁を作ってやり過ごしてきた。顔とか容姿について言われるのが大嫌いだからだ。目つきが悪くて、人より表情も硬い。怒っているのかと何度も言われてきた。瀬田の屈託のない笑顔が心底羨ましいものだと、窓ガラスに映る自分を見て思った。

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「委員長の体型って、俺と全然違うよな」

 宣言通り健康診断に現れ、保健室にある更衣室で着替えながら、瀬田は突然言い出した。夕方のオレンジに色づく空が、ぼんやりと浮かんでいる。第一ボタンを外すタイミングで言われ、つい「何だよ、それ」と口をへの字に曲げた。

「どうせ俺はひょろひょろでガリガリだよ。運動も全然してこなかったし、電車通学で楽をしているからな」
「え、もしかして地雷だった?別に褒めたわけでも、悪く言った訳でもないんだよ。ただ同じ歳で同じ男でも、全然違うよなぁって、つくづく……」

そう言いながら、じっと俺の体を観察してくるので、おもわず肩を拳で軽く殴った。
「ほら、その腕も。めっちゃ白いし細い。本当にヨーロッパ中世の王家みたいな感じだよなぁ」
「……あのさ。聞いても良いか」

制服のシャツを脱ぎ、体操服に手を掛けた状態で尋ねる。瀬田は目を丸くして「何?」と首を傾げた。
「お前には俺がどう映っているか知らないけれど、辞めてくれないか。神格化するっていうのかな。自分で言うのも恥ずかしいけれど」

「え、綺麗って言われるの嫌なの?折角綺麗なのに」

「だから、それを辞めて欲しいんだよ。俺は別に綺麗でもない。ただ、男らしくないから、揶揄っている連中がいるだけで」
「いや。委員長はもっと自信を持つべきだ。周りの奴を虐げてしまえる程に、孤高の存在として命令できる。成績優秀で眉目秀麗。非の打ち所がないってこういう事なんだって思って……」

「だから、それをやめろって言ってんだよ!!!!」

初めて誰かに向かって声を荒げてしまった。こんなにも醜い声が自分の喉から出るのかと、落胆さえ感じた。側にいた保健の先生が、「どうしたの」と心配そうに声を掛けたけれど、瀬田が真っ先に「何でもないっす。俺がまた変な事言っちゃったんで」と、やんちゃな笑顔を見せたので、先生はそのまま戻っていった。
まさか神崎が、何もないのに怒るはずがない。そうやって自然と無意識に植え付けられた、俺への印象。それにずっと助けられてきたのに、今は自分の知らない間に、自分という像が勝手に作られているのだと思うと、少し怖くなった。
 一呼吸おいてから、瀬田が話の続きをする。

「……要するに、委員長は綺麗って言われるのが嫌なんじゃなくて、自分が綺麗でもないのに、揶揄ってくる奴が嫌なんだな」

瀬田にしては珍しく冷静な分析である。思わず小さい子みたいに、「うんうん」と2回頷いてしまった。

「分かった。じゃあ、勝負しよう」
「……は?」
「これから俺は、委員長の言うことを何でも聞く。ジュース買ってこいとか、呼ばれたらすぐに来いとか、あとは、……勉強しろとか。そういうの、全部飲み込んで言うこと聞く」
「……お前、本気で言ってんのか」
「もちろん。それで何でも従うから、もしも委員長が自分の事を綺麗で特別な人間だって自覚したら、その時に何かくれよ」
「何を」
「ご褒美」
「……まじで犬みたいだな」
「お利口だろ?」
「僕に何もメリットはない」
「でも、デメリットもない」

おかしい。正論を言っているのは俺のはずなのに、易々と意味の分からない勝負の土俵に立たされている気がする。瀬田のことを知りたいなんて、自分の考えが甘かった。この男、限りなくイカれている。
「じゃあ手始めに、一つ何か命令してみろよ」
「命令しろって…急に言われても」
「じゃあ最初だし、簡単なものでいいよ。俺にやってほしいこと」

じゃあ。と、頭にぽんと浮かんだものを、そのまま精査せずに口に出す。

「……俺の事、委員長って呼ぶな。神崎で良い」
「分かった。じゃあ今後もよろしく頼むわ、神崎くん」

 差し出された手を握ろうとする。けれど、瀬田は手を丸くして、俺の手の上に載せてみせる。嬉しくもない、従順でお利口な忠犬が生まれてしまった。