ある日突然、不良が俺だけの忠犬なった

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この男とまともに話したきっかけは、俺の鈍くさい3つのドジが重なったせいだった。

「委員長。職員室に持って行くノート忘れてるよ」

 後ろから声を掛けられて、自分は何も持たずにそのまま向かおうとしていた事に気づく。声を掛けてくれた女子は、別に俺のヘマを見て変には思わず、ただ親切で声を掛けてくれた。ちょいちょい、と指でノートの山をさす。「あぁ、ありがとう」と軽く返事をして、なるべく表情筋を動かさないように努めた。

 俺の顔は怖い。写真写りは悪く、表情筋が動けば目つきの悪さは増してしまう。だからなるべく威圧感を与えないように、最低限の笑みだけ浮かべた。でも、相手は笑ってはくれなかった。生まれ持った顔だ。これを変えることはできない。

 まずこれが、俺のドジ1つ目。

 そして階段を降りる途中で足首をくじき、途中でノートを床に落としたのが2つ目だ。近くにいた先生が「大丈夫か、委員長」と助けてくれた。

「どうした。寝不足か?あんまり根詰めて勉強していると、体調を崩すぞ」と笑いかけてくれる。別に思い詰めた事はないのだけれど。

 こうして2つのドジをした結果、見事に3つ目のドジを引き当ててしまった。

 職員室にノートを運び終わり、教室へと帰る途中だった。チャイムの音が鳴り響き、昼休みの終わりを告げる。すると、体育館で遊んでいた連中が勢いよくこちらに走ってきたのだ。それを避けようと体重を後ろにかけるが、さっきくじいた足が痛んで半歩遅れる。その瞬間、ゴンと硬い音がして、目尻の辺りに強い痛みが走った。

「いたっ」

 詰まった声が出る。あまりにか細かったせいで、誰も足を止めない。唯一、肘で僕を殴った奴以外は。

「あ……え、大丈夫?起きれるか?頭打った?」

 聞いたことのある声だから、うちのクラスの奴だろうか。頭の中で名簿の名前が駆け巡る。漢字にフリガナまで、文字が映像となってどんどん流れていく。いや、それより痛みが徐々に深くなって、ぼうっとしてきた。あ、駄目だ。別に大した事ないのに。ここで座り込んでいては、相手が過度に心配してしまう。

 俺はぐっと口に力を入れて、歪な笑みを浮かべた。

「問題ない。俺の事はいいから、教室に戻ってくれ」

「いや、でもあんたその顔」

 目を開いた。するとそこには、犬のように丸くて大きくて、けれど鋭さもある瞳が俺を見ていた。同じクラスの瀬田だ。最悪、と言いかけて息が詰まる。この不良と話すのは初めてなのだ。まだ1学期。でも、もう7月。委員長の立場であっても、彼と会話したのは数回程度。典型的な不良男だった。

「瀬田、君か」

「なんで俺の事知ってんの?いや、それより」

彼の硬い指が、俺の目尻に触れる。皮膚と皮膚が触れた瞬間に強い痛みが走り、思わずぎゅっと目を瞑った。まずい、血が出たかと触れて確かめるが、幸いなんともない。一応保健室に寄って冷やすかと、冷静に考えていた時に、ぽたりと何かが落ちた。

「は?なんで、泣いてんだよ」

 瀬田の目からぽたぽたと、頬を伝って涙がこぼれていた。赤ん坊のように顔を真っ赤にするわけでも泣く、呆然とした顔で、ただ涙が流れているのだ。驚きよりも恐怖の方が打ち勝つ。不良の男が急に泣き出したら、こんなにも情けない顔になるのかと新しい発見だった。

「悪い。悪い。まじでごめん。こんな綺麗な顔に傷付けて。俺、償うから。何でもするから。なあ、俺に何して欲しい?」

 浅黒い肌。引き締まった腕の筋肉。同じ歳で、こんなにも体格が違うのか。威圧感があって怖そうだと思ったけれど、こうして頭を垂れるのを見ると、捨て犬のようないじらしさがある。

「じゃあ、保健室まで行くのに、手伝って欲しい」
「よっしゃ。任せろ」

 肩を貸してくれ、という意味だったのに、広い背中を向けられる。どうやら背負ってやるという意思表示らしいが、さすがに学校でそんな恥ずかしいことできないと、「肩だけ持ってくれ」と拒否した。

「あ、そっか。悪い、悪い。そっちか」

 従順。俺が何を言っても、今なら何でも受け入れてくれそう。目つきの悪い犬なら、番犬に丁度良いな、と勝手に想像してしまった。

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 保健室の椅子に座らせ、瀬田は先生もいないのに勝手に救急箱の中身を漁り出す。

「別に命に何かあるわけじゃないんだ。脳震盪も起こしていないし、そんなに焦らなくても」

「早くしねぇと痕が残るかもしれないだろ。綺麗な顔に傷が残ったら、俺がまじで一生責任取る」

「……あのさ、さっきも言ってたよな、それ。男に綺麗な顔とか、変だろ」

 それに俺は別に綺麗な顔だとは思わない。表情筋の動かない、硬くて怖い顔。

「いやいや。俺あんたの顔見て、一発で分かったけど。お前って神崎くんだろ。同じクラス。うちの委員長。学年で一番美しい、孤高の神様って」

「はあ?」

「高潔で気高い存在だから、庶民とは相容れず、周りの人間に話しかけられても微笑みかけるだけ。女子が影で騒いでいて、入学初日から親衛隊誕生したとか、友達が言ってたんだよ」

ふざけるな、と言いたいけれども、彼の純真な目を見ると、そう簡単に否定出来ない。勝手に随分な見世物にされたものだとため息を吐いた。

「それ聞いた時、みんな頭のネジ飛んでんじゃねーかと思ってんだよ。でも、分かったわ。これは惚れる。俺も今、服従したくなったし」

「……あのさ、もう自分で手当もできるから、教室に戻ってくれないか。授業も始まっているだろ」

「いいよ。俺元々授業受けるために学校に来てねーし。友達に誘われたから、久しぶりにバスケしに来ただけだし」

「……出席日数足りなくなるぞ」

「どうでもいい。勉強も学校も好きじゃない」

「留年するつもりか?」

「その時は学校辞めて、適当に働いて暮らす。人間、生きてたら何とかなるってYouTubeでやってたし」

俺には信じられない感覚だった。浅はか。その一言に尽きる。こんなにも自分の将来に無頓着な人間は初めてだった。

「俺の顔に傷が残ったら、何でもするって言ったよな。じゃあ、こんな傷残っても良いから、真面目に授業を受けろよ。俺なんかに構わず、本当にやるべきことから逃げるなよ」

「……」

「……黙り込むなよ」
ガキみたいだな、と続けようとして、先に瀬田が口を開いた。

「いや、お前みたいな綺麗な人間が、『俺なんか』ってへりくだるのが、なんか似合わなくて」

「だから、それはもう良いって。別に俺は噂の種にされるほど、面白い人間でもない」

「いやいや。あんたの美意識どうなってんだよ。誰がみても美形だろ」

 この男は何だ。どうして真正面から、全く恥ずかしがることなく人の顔を褒めたり、ぽろぽろと泣いたり出来るのだ。居心地が悪くて、瀬田の耳をぐっとつねった。

「お前みたいな不真面目でごつい奴に言われても嬉しくない。そんなにサボりたいなら、さっさと帰れ」

「いててて。分かったよ、分かった。じゃあな、委員長」

 今度は素直に言うことを聞くのか。現金な奴だ。勉強と天秤に掛けると嫌がる。なら、もっと悩むような物を差し出せば、こいつは俺の言うことを聞くのかもしれない。