その甲斐あり、気づつけばもう保健室は目と鼻の先、という位置まで来ることに成功した。
心音は2階と1階の踊り場から、階段を降りればすぐある保健室を見下ろす。
【保健室】【在籍してます】――そのプレートが目に入った瞬間、もうここでどうなってもいいと思ったくらいだ。
さすがに大げさだが、それくらい、生理痛という枷がありながらここまでたどり着けたことに安心する。
――「ぅうっ!?」
しかし、その安心も消え去り、代わりに一瞬で苦しみと辛さに移り変わった。
スカートの下から伸びた太くも細くもない足に冷たい感触が走り、遅れて階段の踊り場の床に座り込んでいると気がつく。
「いっ……」
痛い、という言葉が出なくても十分にお腹の痛みは増してしまっていた。
重い上に波も多めの生理痛持ちが心音だけなんて思わないけれど、今ばかりはこの耐えられるか分からないお腹の痛みに苦しんでいる人間が自分だけ、という錯覚に陥る。
さらにどん底に落とされ、ただただ絶望しながらお腹を押さえていると。
「っ、え……?」
階下から驚いたような声が飛んできた。
突発的に声が出た、そんな驚き方をしたのは1人の女子生徒だった。
今登校してきた雰囲気の彼女は、リュックを背負ったまま固まっている。
前髪にところどころ隠されている瞳は、明らかに心音を凝視していた。
踊り場でうずくまっている女子生徒がいればだれだって似たような反応になるだろうが――とりあえず助けを求めなきゃ、この最悪な状況をなんとかしなきゃ、と顔を上げた心音も。
「…あ……」
女子生徒の驚きが移ったかのようにびっくりした。
なぜなら彼女は……山崎佳子だったから。
保健室登校をしている山崎さんなら、朝の校門前に生徒がごった返す時間より少し遅めにやって来たことも、普通は通らない保健室前に現れたこともなんら不思議ではない。
加えて、早い段階で発見されたのは運がいい。
だが問題は、結ばれて心音の口だった。
――『私も気づかなかったな。山崎さん、影薄いね』
『…たしかに可哀想だね、教室に来れば済む話なのに』
いつか瀬那が山崎さんの話題を出した時、心音はそんな肯定の返事をした記憶がある。
だから、瀬那と山崎さんを天秤でかけたけれど考えるまでもなく前者を選んだ自分が、山崎佳子に助けを求める資格はないと思った。
「へ……っ!?」
だが複雑な心音の心情を知る由もない山崎さんは、混乱した顔と声はそのままに、階段に足をかけた。
踊り場でうずくまっている女子生徒が自分のいけなくなった教室にいるクラスメイト、友永心音だと分かったのかは不明だ。
でも、いくら保健室登校をしていて教室から遠ざかっていても、見てしまった光景を無視して保健室に入ることは出来なかったのだろう。
そんな優しい山崎さんに対してした自分の選択に、心音の心が一瞬、お腹と同じくらい痛んだ。
「あっ」
しかし、痛みの後に顔を出しそうになった感動はすぐに引っ込む。
山崎さんがもう1段上に足をかけようとした瞬間、ハッとした顔になって踵を返したからだ。
そのまま保健室の中へ、山崎佳子は姿を消してしまう。
あっ、と自分も言ったのかは分からないが……心音はただただ頭の中が真っ白になった。
助けてくれなかった。
そんなの――でも、当たり前じゃないか。
『てか悪く言うっていうか、保健室登校自体論外なんだよね。ただ逃げてるだけじゃん』
その瀬那の言葉を、心音は肯定した。
それだけでも実質的には、瀬那と全く同じ言葉を発したのと同じになる。
イジメを見て見ぬふりする傍観者のように、ただ合わせているだけでも、心音の言動は人として間違っているのだから。
なのに、悪いことなんかしていないのに一方的に被害者となった山崎さんに、助けを求めるほうがおかしいのだ。
ならば山崎さんに見捨てられた事実は受け入れる他ない、だが否応なく訴えてくるお腹の痛みが心音の思考を鈍くする。
お腹の内側をハンマーで叩かれているようなこの痛み、一体いつまで続くのだろう。
そして自分は……いつまでこんなところでうずくまっているのだろう。
目と鼻の先にある保健室がとんでもなく遠い場所に思えて、心音は立ち上がることさえ出来なかった。
――「友永さん!」
だから山崎さんのものではない声がこのタイミングで投下されて、一瞬幻聴かと思ったくらいだ。
けれど、違った。
今ばかりは羨ましくなるほど身軽に階段を駆け上がり、保健医の沢邑先生が絶望に包まれている心音の前に現れたのだから。
「どうしたの。具合が悪い?」
「せい、りで」
「生理……分かったわ。立てる?」
保健医なだけあり、沢邑先生に支えられているだけでとてつもない安心感が心音の中に流れ込む。
状況が状況なだけに、なんで気づいてくれたんだろう、という疑問は生まれなかった。


