神獣後宮の宮姫〜後宮で神獣の蝦蟇さまのお世話をしていたら、帝に興味を持たれたようです〜

 すべてが解決して、しばらく帝はふさぎ込んでいた。
 しかし、十日がたった朝、翠は帝の御殿へと呼び出される。
 翠が御殿を訪れると、憔悴しきった帝の顔が痛々しかった。
「主上」
「ああ……そなたに褒美を取らせねばと思ってな。宮姫とは、たいそう恐ろしい呪いだ。そなたはなにを望む? 妃か? 皇后の座か?」
 しかし、翠は首を横に振るだけだった。予想内といえばそれまでだ。この娘はすべてを知りながら、帝の傍を離れない。
「では、わたしの命か?」
「いいえ、わたくしには、本来宮姫になる資格も、妃になる資格もないのです」
 翠は、衣の合わせ目を左右に引いて、胸の上の傷跡を見せた。
 話すつもりなんてなかった。縛り付けるつもりも。
 だけど、この帝を救いたいと、帝はあの日翠が死んだことを、きっと今でも悔やんでいる。
 だから翠は、その傷跡を、帝に見せたのだった。
「これは、とある少年を刺客から庇った際の傷です」
「刺客から」
「はい。その少年は、都のはずれに軟禁された、無罪で死された帝の皇子さまでした」
 ここまで聞いて、帝は身を乗り出す。
 そして、翠の頬に触れ、その鼻、目、唇をなぞって、あの日の青い瞳の少年の面影を重ねる。
「ようやく、話してくれたな」
「……! 主上、は……気づいていらしたのですか」
「ああ、そなたはあの日の少年。幼き日に青い瞳を見て、そなたがおなごと知った。そなた、わたしの秘密も覚えているか?」
「主上の背中には、北斗七星のほくろがあります」
「やはり。そなたはすいなのだな」
 帝は気が抜けたように崩れ落ち、翠を抱きしめた。
「生きていたのか」
「はい、主上。黙っていて申し訳ございません。話せば、主上はご自身を責めると……」
「当たり前だ!」
 帝は、翠の胸元の傷をひとなでした。
「おなごにこのような傷跡を……翠」
「なんでしょう」
「すまなかった。痛かっただろう? だが、生きていてくれて本当に良かった」
 帝が翠の手を握って、弱々しくうなだれた。
 かと思えば、顔を上げて、
「わたしはそなたを、皇后としたい」
「主上。無理です。先ほどお話ししました。私の体には傷があるのです」
 皇后や妃に傷があってはならない、とは、昔からのならわしだ。
 だが、帝の決意は固い。
「よい。そんなならわし、わたしが壊す」
「だからお話しできなかったのです」
 翠はやんわりと帝の手をほどいた。
 本当は翠だって、帝に惹かれていた。一緒になれたらと、何度思ったことか。
「ならば、後宮を出て自由になれ」
「いいえ。私は、このままいち宮姫として後宮に仕えます」
「なぜ……」
「傷があることもそうですが……主上の呪いを解くために、後宮で神獣さまに祈り続けます」
「なぜそこまでする!」
 帝が立ち上がる。肩で息をして、翠を見下ろしている。
「そなたのおかげで、わたしは今こうして生きている。そなたの料理は、愛情の味がした。そなたはいつも、宮姫の責務に真剣に向き合って。そんなそなたが報われないのなら、わたしがそちらに行く」
「こちらに、とは?」
「譲位して、平民となりそなたをめとる」
「……主上……!」
 とうとう翠は、押し負けた。
「私も、そうできたらどんなにか」
 その言葉と同時、ぱっと天が明るく輝き、翠の手のひらの上にガマガエル――長老の生まれ変わりのおチビさまが、姿を現した。
「おチビさま!?」
 その体は、やはり死したときと同じく神々しく輝いている。
 おチビさまは、帝の手のひらに飛び乗った。帝の額に蝦の印が刻まれる。
 おチビさまが、げこ、と鳴いた。それは、帝にだけちゃんと言葉として聞き取れた。
「我が神獣、蝦蟇の加護により、我はそれを使役する」
 帝が唱えると、おチビさまの体からぬるりと油が吐き出される。そしてそれは、翠の胸に吸い込まれていく。
 翠の体が蝦蟇の光に包まれて、傷跡がみるみる癒えていく。帝に刻まれた呪いの痣も、蝦蟇の油により消えていった。
 あまりの尊さに、翠も帝もなにも言えなかった。
 最後におチビさまは、げこ、と鳴いて、すうと消えていくのだった。
 今しがた見たものは信じがたく、しかし、翠の胸の傷が消えたことが、なによりの証拠――神獣の加護が施された証拠だった。
「はは、なんだ。神獣とは、ひとの心によって生まれるもの」
「主上?」
「神獣には真心を、さすれば神獣は神獣として生きながらえるだろう。つまり翠、そなたがあの多邇具久さまを、本物の神獣にしたのだ。そしてわたしが、そなたと心通わせたことで呪いは加護となる」
 神獣は宮姫の真心によって、本来のあるべき姿へとかえる。この加護は、翠がガマガエルたちに注いだ愛情の証だった。
「そんな……私がそんなたいそうなこと」
「宮姫と帝。ふたりの心がひとつになった時、神獣は神獣として帝の呪いを加護に変える。そして神獣を使役するのが、我が帝の血筋のもの」
 後宮に神獣を飼うのも、後宮に宮姫を迎えるのも。全てに意味があり、意義があった。
 帝は人目も憚らず、翠を抱きしめていた。
「もう離さぬ。そなたをずっと、ずっと探していた。そなたが男だろうが女だろうが。わたしは何度でもそなたに心を開く。だからわたしは、そなたに惹かれた。わたしの皇后となれ、翠」
 そこまで言われて――言い訳であった胸の傷まで癒えてしまっては、この命令に逆らえるはずがなかった。
 翠は帝の腕の中で何度も頷き、二人で再会の喜びを交わすのだった。

 和の国には四つの神獣がいる。
 白狐、多邇具久、大口真神、八咫烏。
 それらは清き宮姫に守られて、末永く、末永く国を安寧に導いたとされている。
了