神獣後宮の宮姫〜後宮で神獣の蝦蟇さまのお世話をしていたら、帝に興味を持たれたようです〜

 雛子の件があってから、さらに十日。
 翠は御殿で涼みながら、夏の果物で暑さをしのいでいた。
「主上がお見えです!」
 と、予期せぬ客人に、翠は慌てて衣をただした。
「お入りください」
 門のかんぬきを開けて、翠は帝を迎え入れた。
 帝は息を切らして翠に走り寄る。
「翠。そなた、伯子を見なかったか?」
「いえ、こちらにはいらしていません」
「では、どこにいるのだ」
 取り乱す様子に、翠はただならぬ雰囲気を察して、口を開いた。
「伯子さまが、どうなさったのですか?」
「今日は伯子の誕生日ゆえ。狐の宮に訪れる用事があって。だが、塗籠(ぬりごめ)が閉まっていて入れぬ」
「裏口も?」
「ああ。裏口も閉まっている。御殿には伯子はおらず。後宮内にも女房が見当たらない。唯一塗籠が閉まっていて。その塗籠の妻戸は内側にかんぬきがしてある……呼びかけても返事がない」
 今は昼間。
 基本的に宮姫の外出には、帝の許可が必要だ。宮姫は後宮からは出られない。それは翠も同じだ。
「私も一緒に行きます。もう一度、呼びかけてみましょう」
「ああ、頼む」
 そうして二人で、伯子の後宮を訪ねる。

 しかし、帝の言う通り、伯子の塗籠の妻戸にはかんぬきがかかっているのか、外からはあかない。
 どんどん、と帝が戸を叩く。
「伯子! いたら返事を!」
「どうかなさったのですか?」
 そこに、伯子の女房である凛子たちをはじめとした女房がぞろぞろと後ろから集まってくる。
「そなた……主人を置いて、どこに行っていた!?」
「今日は暑いゆえに、涼む食べ物を交換して来いと、伯子さまが」
 ということはやはり、伯子の御殿には誰もいないことになる。
「くそ、伯子!」
 帝がまた、塗籠の妻戸をたたいた。しかし、反応はない。そもそも、塗籠にいるのだろうか。塗籠は宝物庫、または、寝室だ。
「凛子、ほかの女房も男手を探してこい!」
「嫌です! 宮姫さまから離れるわけには行きませぬ!」
 必死の女房たちに押し切られ、帝は蔵人頭に急ぎ命じる。
「蔵人頭、男手を呼んでこい! 早急に!」
 そうして、蔵人たちは手分けして男たちを呼びに散っていく。
 翠は、なにもできない自分がもどかしい。隣にいる帝は、普段宮姫に興味がないように見えるが、こうやって誕生日には後宮を訪れるし、返事がないとなれば心配もする。
 実に人間臭い。そして、昔となんら変わりない優しさが、そこにあった。

 一刻(二時間)ほどして、蔵人達が大臣をはじめとする男たちを集めて、さて帝は状況を説明する。
「伯子からの返事がない。妻戸にはかんぬきがかかっていて入れぬ。ゆえに、戸を壊す」
「主上、しかし、お眠りになっているだけやも」
「さよう、今一度、お呼びになってみては」
 一刻も待ったのに、さらに悠長に構える大臣たちが解せない。
 大臣のひとりが前に出て、妻戸の観音開きの戸を手前に引いた。
 きい、と音を立てて、妻戸が開く。
「なん……」
「主上? かんぬきなどかかっておりませぬぞ?」
 しかし、そんなことは今はどうでもいい。
 帝は土足で御殿に上がり込み、伯子の姿を探す。
 御殿にはやはり、だれひとり人はいなかった。
 帝に続いて翠も御殿に上がる。翠は律義に草履を脱いだ。
「伯子!?」
 塗籠の真ん中に、倒れる伯子を見つける。帝はしゃがんで伯子を膝に抱き、息を確認する。生きている。
「誰か! 医者を呼べ!」
 帝の怒号で、大臣たちは上を下への大騒ぎだった。

 医者によれば、伯子は何者かに殴られて気絶していたのだそうだ。
 しかし、誰に殴られたのかはわからないのだという。
 気がかりなのは、伯子の御殿にかんぬきがかかっていたことだ。
 かんぬきがかかっていたということは、外からはだれも入れない。
「主上、ご心配痛み入ります」
「いや……伯子。そなた、不審な人間を御殿に入れたか?」
「いいえ。わたくしは誰も入れておりません。ですが、いきなり頭を後ろから殴られ……」
 医者の見立てでは、殴られた跡は、確かに他者からのものだ。つまり、伯子が転んで頭を打ったとか、自作自演で頭を殴打して倒れたわけではないらしい。
 それでは、どうやって犯人はかんぬきをかけたまま外に逃げたのだろうか。
「主上、顔色が……」
 翠が心配すると、帝は素直に翠の手を握った。
「やっと、わたしを見たな」
「主上?」
「避けていただろう、ずっと」
「そ、そんなことは今はどうでもよいのです。それよりも、伯子さまの件を明かさねば」
 しかし、伯子は帝にあたたかな目を向けられる翠をにらむ。
「よもや、翠さまかわいさに、宮姫を始末するおつもりでしたか?」
 伯子は、帝に敵意をむき出しにした。
 翠は一拍遅れて理解する。
 この状況で、一番に疑われるのは、帝だ。
 なぜなら、かんぬきがかかっていたと嘘をつけば、密室で伯子が害されたと見せかけることができるからだ。
「そんなはず! 伯子さまが一番知っているはずです! 主上はそんなお方じゃ!」
「じゃあなにかしら? 主上と組んで、翠さまもわたくしを陥れたのかしらね? そうよね、わたくしが居ないと知って、真っ先に行った場所が蝦の宮だったそうじゃない」
 翠は言い返せなくなる。
「翠は断じて違う!」
 しかし、帝が声を荒らげた。伯子がほらね、と鼻で笑う。翠には、帝がそこまで自分を信頼する理由がわからない。
 しかし、自分はともかく、帝を陥れようとする人間を、許す気にはなれなかった。
「では、私が証明してみせます」
「証明?」
「はい。伯子さま。御殿への取り調べをご許可していただけますか?」
 一瞬、伯子に間があいた。しかし、
「いいわ。調べればいい。なにも出てこないと思うけれどね」
 そうして翠は、帝への疑念を晴らすために、伯子の御殿へと引き返す。
「待て、わたしも行く」
「しかし」
「そなたひとりで、もしもまだ犯人が潜んでいたら、大事になるだろう?」
「……それでは、お願いいたします」
 二人で向かうは、後宮の狐の宮だった。

 狐の宮について、二人は御殿に上がっていく。
 かんぬきがかかっていた妻戸を、見て回る。
「かんぬきは、ないですね」
「ああ。妻戸をたたいたからかんぬきが落ちた、という線は潰れるが」
 翠は妻戸を内側から見る。
 妻戸の扉が濡れていた。
「よほど暑かったのでしょうね、部屋が濡れています」
「ああ、今年の夏は暑いゆえ……女房達に涼む食べ物を頼むくらいには、伯子は暑さが嫌いだ」
「……何気に、主上は宮姫のことをよくお知りなんですね」
「ああ。それは。宮姫は……わたしが拒んでも、いずれは宮姫のうち一人を選ばねばならぬからな」
 未来の皇后のことだから、情報は集めていたのだろう。
 だけどそこに、愛情がないのは明らかだった。
「して、なにかわかったか?」
「いえ……」
 しかし、そういえば、伯子の御殿の外で伯子を呼んでいた際、後から来た女房達は、頑なにその場に留まった。
 なにかが、おかしい。
 翠は考える。
「そういえば、狐の宮だけ、新しいですね」
「伯子は右大臣の娘ゆえ……押し通されて、後宮の改装を許した」
「だからこんな造りなんですね」
 入り組んだ部屋の造りだ。塗籠も多い。
 それに、なんだか少し、違和感がある。外から見た御殿と、内から見た御殿の広さが合致しない。
 翠は一度外に出て、歩いて御殿の大きさをはかる。そのあと、御殿に入って部屋から部屋の長さを足で測る。
「廊下一個分、狭い……?」
 翠がなにかに気づく。帝は「どうした?」と翠にたずねる。
「この御殿、外と中の採寸が合わないのです。まるで、どこかに部屋が隠れているか――」
 もしくは、隠し通路があるか。
 翠は、金屏風の裏、金庫の裏を見て回る。そのうちの一か所に、不自然な壁を見つける。
 ぎ、と押すと、壁が回転して隠し廊下に繋がっていた。
「なんと……」
「主上、この謎、解けるかもしれません」
 隠し廊下を二人で歩く。それは案の定、地下から後宮外へとつながっていた。
 つまり、伯子が後宮の改装を右大臣である父に頼んだのは、この隠し通路を作るためだ。
 しかし、本来のこの隠し通路の使い方は、人を欺くためではない。
 ただ、伯子は、後宮の息苦しさから逃れるために、お忍びで市井に出たかっただけなのだ。
「おそらく……伯子さまを殴ったのは女房の誰か……協力者がいるはずです」
「なんだと?」
「隠し通路を知る人間は、伯子さまとその女房しかいませんので」
「しかし。かんぬきが消えたのは? かんぬきがかかっていた時、女房達はわたしたちのところにいた」
 そこなのだ。
 翠は思考を巡らせる。
 今年はことさら暑い。だから、涼むものを女房に取りに行かせた。
 そして、妻戸の内側は、濡れていた。
「主上!」
「なんだ?」
「主水司(しゅすいし)に照会してください! 今日、氷を持ち出した人間を!」
「わかった、手配する。それまで翠。そなたは蝦の宮で待機せよ」
「主上?」
「念のため、だ。真相を知ったそなたを、犯人が殺しに来るやも」
 そうして帝は、主水司に連絡を入れる。
 結果、その日氷を持ち出したのは、右大臣であることがわかるのだった。

 すべてがわかって、帝を連れ立って翠は伯子を見舞った。
 伯子の御殿はすっかり元通りの生活を取り戻していて、翠は、後宮の恐ろしさを痛感していた。
「あら、翠さまがなに用です? 自白でもしに来ましたか?」
「あの日、伯子さまの父君である右大臣さまが、氷を用立てました。その氷をかんぬきの形にして、伯子さまの妻戸に差し込んだのです。そのまま犯人は隠し通路から後宮を出て、かんぬきは溶けてなくなり妻戸が開いたのです」
「な、なにを」
「そして、伯子さまを殴ったのは、自作自演。女房たちも共謀なのでしょう?」
 しかし、伯子は罪を認めない。それははなからわかっていたことだった。
 翠は主水司の記録した帳簿を伯子に見せる。
 伯子の顔がみるみる青ざめていく。
 証拠を突きつけられて、しかし白状したのは女房のほうだった。
「わ、わたくしがやったのです! 伯子さまを殺そうと!」
 凛子がひざを折って、首を垂れる。
「わたくしの企てなのです! 氷も、かんぬきも、殴ったのも」
 しかし、伯子は観念したように、高笑いを漏らす。
「あはは、はは。だって、もうわたくしなんて用なしと言っているようなものでしょう? 主上はあなたを寵愛なさっている」
「そんなことは」
 しかし、帝はそれを否定しなかった。それが答えだ、と伯子は続ける。
「異国の瞳を持つ宮姫を庖丁人にしてみたり。神獣の葬儀ですって? あんなのただの動物に過ぎないのに、なぜ今になって葬儀を? それに……宮姫の舞の祭祀だって。あの日主上は、終始翠さまを見つめていて……極めつけに、あなたが舞うと、神獣たちがなきわめく。あんなの、あなたが『本物の』宮姫だって知らしめたようなものじゃない」
 神獣を従える宮姫なんて存在しない。神獣は単なる伝承、だったらあの日の舞の鳴き声はなんだったというのだろうか。
「でももう、いいわ。わたくしは、どうせ駒だから」
「駒?」
「そう。万年右大臣の父の駒よ。左大臣になれなければ、意味がない。わたくしが宮姫になったのもそのためなのに。皇后どころか、妃にもなれない。だからもう、主上はいらない」
 そんなくだらない理由で、帝を犯人に仕立てたのだと思うと、翠は腹が立った。同時に、帝が置かれた状況を理解する。
 これが日常茶飯事だとしたら、なんて悲しく、辛いことだろうか。
 後宮で初めて会った日、帝の冷たい態度にも納得がいく。こんな生活では、人を信じられなくなって当然だ。
「わたくしはもう、父上に見放されていますので、ご自由にどうぞ?」
 狂ったように笑い、伯子は検非違使によって連れていかれるのだった。