神獣後宮の宮姫〜後宮で神獣の蝦蟇さまのお世話をしていたら、帝に興味を持たれたようです〜

 翌朝。
 翠は早起きして、まずご飯を炊いた。ポロウ(ピラフ)だ。
 それに合わせるのは、ミネストローネ。
 米を炒めて、魚介で炊くポロウならば、米が主食の帝の口にも合うだろう。
 魚介は手に入らなかったので鶏肉で代用し、炊いている間にミネストローネを作る。
 鳥のガラから出汁を取って、蕪、ねぎ、大麦を煮込む。
 すべてを作り終えて、帝の御殿に運ぶ。
 すでに帝は起床しており、鬼食い(どくみ)が翠の料理を一口食べる。
 まるでゲテモノを見る目だったのが、毒見を終えるころには至福の笑みを浮かべている。
 帝ははやる気持ちを抑えて、まずはミネストローネを口に含んだ。
「うまい……味がついているな」
「はい。この国では、料理には味付けはせずに、皿の上にある酢や酒、塩や醤(ひしお)を自分で調合して味付けて食べますが、異国では料理ごとに味をつけて出します」
「なるほど。こちらの米も、和の国のものとは食感が違うな」
「はい。これは、米を研がないで炊くこと、お湯で炊くことでぱらぱらな仕上がりになります」
 ふむ、と頷いて、帝が蔵人(そっきん)たちを下がらせる。
「このような知識を、どこで手に入れた?」
「それは……わたくしの母が異国のもので。七歳まで共に暮らす中で」
「今は母はおらぬのか? ぜひ後宮に呼んで庖丁人にしたい」
「……わたくしが七つの時に死にました」
 それだけで、帝はすべてを察した。
 この国は、異国のものを排除するきらいがある。だからきっと、翠の母もいわれなき罪で殺されたと、すぐに分かった。そして、そんな翠だから、幼い時分は男装をさせられていたのだ。幼き日、初めて青い瞳を明かされた時、翠の性別が女であることに、帝は気づいた。
 帝は最初から、翠があの日の少年だと気づいていた。
「わたしは昔、このような西洋料理を作る『少年』と会ったことがある」
「……さようですか」
「ああ。その少年は……わたしの父が悪事を働いたと、都のはずれに軟禁されていた際に出会って……最後は、わたしを襲いに来た刺客からわたしを庇い、死んだ」
 ばっと、翠が顔を勢いよく上げた。
 その話はまるで。
「主上。無礼を承知でお伺いいたします」
「なんだ」
「主上の御名を……お教え願えますか?」
「白露。いや、それは昔の名だな。今は白仁(はくじん)だ」
「はくじん、さま……」
 翠がよろめきながら立ち上がる。
 そうか、なんだ。
「ああ、そなた」
 よろめき部屋をあとにする翠に、
「明日からもわたしの食事を作れ。そなたの料理が、気に入った」
 翠にそれが聞こえていたのかは、わからない。

 後宮に戻り、翠は自室にこもり、枕に顔をうずめた。
「こんなことって」
 てっきり、あの日の少年は死んだと思っていた。翠が男のふりをして交流していた、あの少年。翠が刺客から守り抜いた、あの優しい少年。
「生きてたんだ。しかも、身分を取り戻して」
 だとしても。
 昔はあんなに優しかったのに、最初に会った時も今日のことも、帝は冷淡で恐ろしかった。
「そりゃあそうよ。あんな目にあったら」
 それに、宮姫になれば、帝のうわさは嫌でも耳に入ってくる。
 帝は本来、皇位継承者じゃなかった。先帝の罪が晴れて身分を取り戻した矢先、王族が次々に死んで、血筋を残すために仕方なく帝に据えられたいわくつきの主なのだと。
「よかった、本当に」
 しかし翠は、自分の正体を帝に伝えようとは思わない。
 伝えてしまえば、あの優しい帝は気に病むだろう。翠の胸には、今でも大きな傷跡が残っている。
 そして、呪いなど解けなくてもよいと、翠を後宮から逃がす未来が容易に想像がつく。
「私が生きていたって知ったら、呪いを解くことを諦めかねない。ご自身を責めることだって」
 幸い帝は翠の正体に『気づいていない』。だから翠は、この秘密をなんとしても守ると誓った。反して、帝は翠が真実を話す日を待っている。

 翌日から、翠は帝の料理を担当することになった。
 宮姫直々に厨(くりや)に来るとなって、迷惑千万なのは庖丁人たちだった。
「なんで蝦蟇姫さまが来るんだか」
「おい、聞こえるぞ」
「いいだろ。蝦蟇姫なんて、みんなそう呼んでいるんだから」
 聞こえてますよ、と思いながら、翠は今日は、小麦粉に卵を練りこんだ生地を薄く延ばして、牛乳を温めて酢を入れて分離された乳脂肪(チーズ)を載せ切って、汁物にした料理を出した。
「また、珍しいものを」
「はい、これはラガナ(ラビオリ)といいます。主食とあつもの(汁物)を一緒に摂取できます」
「これもなかなか」
 帝の顔色が、昨日よりは幾分かいい気がする。
 昨日は、翠が帰ってからも残ったポロウやミネストローネを夜食に食べたりと、蔵人(そっきん)たちは、最近食の細かった帝がやっと食事をとってくださると喜んでいたそうだ。
 そして今朝の料理もまた、帝を大いに喜ばせた。
「美味であった。そなた、宮姫ではなく庖丁人にしたいくらいだ」
「わたくしも、そのほうがどれだけ気が楽だったでしょうか」
「はっ、そなた、妃の座には興味がないと」
「それは、天のご意思です。天とはすなわち、主上のご意思。私はただ、多邇具久さまに選ばれた宮姫にすぎませぬ」
 その欲のなさが、本心か測り兼ねた帝だが、翠の表情に裏は一切見えない。だから、か。
「もしもあの時の少年が生きていたら、そなたのような人間になっていたのだろうな」
 帝はカマをかけた。
「そなた」
「はい」
「異国の母を持つと言っていたな」
「……はい」
 翠が焦る。正体がばれたのだろうか。
 帝は、翠が真実を話すことを期待しながら、翠を真っ直ぐに見た。
「そなたに、翠と書いて『すい』と読む兄か弟はおらぬか?」
 翠はふ、とばれないように息を吐く。どうやら、翠の正体には気づいていないようだった。
「いや、それにしては……そなたの名前も『翠』で『みどり』。それは偶然なのか」
「あ、あの。みどりという名前は、異国では好まれるのです。翡翠……翡翠は異国ではジェイドと呼ばれ、それを子の名前にすることは珍しくないのです」
「ほう……それで、そなたの名前が翡翠の翠でみどり」
「はい。そのように聞いております。また、ジェイドはおのこの名前ゆえ、わたくしの翠という名前は、異国の母からすると、おのこのような名前だったのかと」
 それはない。
 実母はちゃんと、和の国の色の意味を調べていた。
 だから、翠でみどりと読ませるのは、おなごを想定してつけられた名前だ。
 これで帝は納得してくれるだろうか。
「さようか。では、兄弟はおらぬと」
「はい。おりませぬ」
 なぜだか残念そうに目を伏せる帝に罪悪感を覚えつつ、翠は早々に帝の御殿をあとにした。

 後宮に帰って、翠は舞の練習の前に、ガマガエルの世話にいそしむ。
 最近、十匹の見分けがつくようになった。
「長老さま、最近御食事が進みませんね」
 翠が帰ってくるなり、奈子が虫の入った茶碗を持ちながら、庭先の囲いの中を見て嘆いた。
 長老とは、一番体が大きいガマガエルだ。
 十匹の内一番長く生きていて、三十年はいるのだという。
「長老さま、御身に触れることをお許しください」
 翠が、その手で長老のガマガエルを抱き上げた。
 体が乾いている。先ほど、奈子が水をまいたばかりなのに。
「奈子。長老さまは、私がいない間になにか召し上がりましたか?」
「それが、なにも」
「……よくないですね」
 乾いた肌をひとなでして、翠は長老を囲いの中に戻す。
 ガマガエルたちが長老をいつくしむように取り囲む。
「奈子。今夜は長老さまを見ていたいから、寝ずの番をしたいの。松明(たいまつ)を頼める?」
「はい、わかりました。私も心配なので、ご一緒しても?」
「もちろん、心強いわ」
 そうして、その日の夜、翠と奈子は、寝ずに御殿のきざはしに座って、ガマガエルたちを見守ることとなった。

 夜も更けて、丑三つ時。
 突如、一斉にガマガエルたちが鳴きだした。
「なに?」
「宮姫さま、あれを」
 奈子が指さす先には、ガマガエルの長老がいた。その体が、光っている。
 鳴いているのは、長老以外のガマガエルたち。
 まるで別れを惜しむかのように、長老を取り囲んでいる。
 翠は急いで囲いに駆け寄る。
 図ったかのように、長老がぴょんと、翠のほうに跳ねた。そうして、最後の力で『げこ』と鳴くと、そのまま体がこて、と横に倒れた。
「長老さま!?」
 翠はすぐさま長老を手に抱いた。
 しかし、体は乾ききり、乾いた口からは舌がだらしなく垂れている。
 死んだのだ。
 げーこ、げーこ。
 いつの間にか、囲いのガマガエルだけでなく、後宮の外、あらゆる場所からカエルの合唱が聞こえてくる。
「なに、なにがあったの」
 翠の女房達も起きてくる。
 その大合唱は帝の寝所にも聞こえたらしく、門をたたく音が聞こえる。
「主上がお出ましである!」
 しかし、翠は泣き崩れ、門のかんぬきを開けることができない。
 見かねて、泣きながら奈子がかんぬきを開けると、寝着姿の帝がそこにたたずんでいた。
 光る神獣を抱きかかえて泣き崩れる翠を見て、
「きれいだ……」
 帝の口から出たのは、そんな本音だった。
 しかし、思わず口から出た言葉を飲み込んで、帝は帝らしく振舞う。
「多邇具久の宮姫。なにがあった」
「……ここにいる最高齢の神獣さまが、息を引き取られました」
 それは、翠に抱かれるガマガエルのことだとすぐに分かった。
 しかし、特筆すべきは、そのガマガエルが光っていることだろうか。
 どういうことだ。神獣などとは伝説で、カエルが光るなんてことはあり得るのだろうか。
 帝は翠に歩み寄る。
 そうして、死したガマガエルを凝視する。
 帝にとって、神獣はなくてはならない存在だった。神獣は国を豊かにする。
 それを、いつからか宮姫が世話することになって、こうやって間近で見るのは、初めてのことかもしれない。
 帝はそっと、翠を抱きしめた。
「そなたの腕で死ねて、神獣も本望だろう」
「主上は多邇具久さまのお気持ちがわかるのですか? もしも私が、本当に宮姫ならば。このようなことにはならなかったのでは。私がお世話を誤ったせいで、神獣さまのお具合が悪くなったのでは? 私がなんの力もない宮姫だから、神獣さまを救えなかったのでは?」
 神獣とて、寿命が来れば死ぬ。それは翠もわかっていたはずだった。
 最初はガマガエルに少しだけ気後れしたけれど、毎日お世話をするたびに、新たな発見があった。
 ガマガエルによって、ご飯の好みは違うし、虫の動かし方にだってこだわりがある。
 水を好む神獣、泥を好む神獣。
 宮姫になったからお世話をしてきたと思っていたが、翠にとって、神獣のお世話は、いつしか自分を慰める手段になっていた。
 今日もみんなが元気にげこげこと鳴くだけで、翠は平和をかみしめた。
 それなのに。
 宮姫とは、神獣に選ばれた存在だ。それはこの国の誰もが知っていることだった。
 その宮姫の力をもってしても、神獣の死には抗えないのだろうか。
 帝が震える翠の肩を、今一度強く抱きなおす。
「大々的に、弔おう。神獣の葬儀だ」
「ですが、そのようなことは」
「いい。わたしも甘かったのだ。神獣は単なる言い伝えだと見向きもせずに。呪いは神獣のせいと目を逸らして。宮姫に世話を押し付けたわたしの不徳のせいだ。そなたのせいで死したのではない」
 長老が、翠の手の中で光っている。
 その様子を見ていた大臣たちが、『蝦蟇姫さまは呪詛をお持ちだ』と噂するまで、そう時間はかからなかった。

 翌日、帝は約束通り多邇具久さまの葬儀を大々的に執り行った。
 その場には、ほかの宮姫も参列している。
「あの主上が、神獣さまにご興味をお持ちなんてね」
 ひそひそ話すのは、伯子だ。
「でも、わかります。私も、大口真神さま(白狼)が亡くなったら、耐えられる気がしませんもの」
 狼の宮の晃子は、想像するだけで泣きそうだった。
 烏の宮の順子は、葬儀で大泣きである。感情移入しすぎているようだった。
 宮姫がそろい、大臣たちもそろっての葬儀で、注目の的になったのは翠である。
「蝦蟇姫さまが、主上の寵愛を受けている……?」
「どんな手で取りいったのやら」
 すべて聞こえるように悪口を言われ、しかし、制したのは帝である。
 口上を述べ終わった後、大臣たちを振り返る。
「今後、私は定期的に宮姫の神獣たちを見に行く。そして、神獣が万が一死した際は、今日のように国を挙げて葬儀を執り行うものとする。よいな?」
「は、主上」
 葬儀では、翠は泣かなかった。昨日一晩中泣いたからか、もう涙は枯れてしまったようだった。