四つの神獣を従える後宮は、四つにわかれて円形に並んでいる。その真ん中は、四つの宮姫を従える、未来の皇后の宮となっている。
ただし、皇后が決まるまでは、宮姫たちの会合の場として利用される。
その、中央後宮に集まったのは、白狐の宮姫・伯子(はくこ)、八咫烏の宮姫・順子、大口真神の宮姫・晃子(あきこ)だった。
そばには何十人もの女房が控えている。
それに対し、翠の女房はたったの三人。
くすくす、くすくす、とどこからともなく笑い声が聞こえる。
「お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。多邇具久さまに仕えます、蝦の宮の宮姫、翠にございます」
「まあ、みどり? 翠子(みどりこ)ではなく?」
と言ったのは、大口真神の宮姫・晃子だった。その声音は嫌味というよりは、物珍しさが勝っている。
この国では、女は子の名前を持つのが主流だ。それは翠も知っている。だけれど、異国の母は、自由な人で、どんな国でも生きていけるようにと、『みどり』という名前を付けた。
「はい、私の母は異国のものゆえ。このような名前になりました」
「ああ、だから目の色が『冷たい』青色なのね」
冷ややかな冷笑を浮かべるのは、白狐の宮姫・伯子だった。その女房もまた、翠に嘲笑を向けている。
最後に、八咫烏の宮姫・順子が、「よろしうお願いいたします」と小さく言った。
伯子が追い打ちをかけるように、
「本日は、泥遊びはよろしいのですか?」
つまり、ガマガエルの虫取りをからかったのである。
翠は内心で驚きつつ、ここで動揺しては宮姫は務まらない。なにより、隣の奈子が、おびえている。
自分の後宮の女房くらいは守らねば。
すう、と息を吸い、笑みを浮かべる。
「多邇具久さまのお食事は、今朝たくさん差し上げましたので。伯子さまは多邇具久さまのお食事にご興味が? 今度、ご一緒にお食事作りにいらしてくださいませ」
ぴき、と伯子のこめかみに青筋が立った。
これには奈子がパッと顔を明るくして、翠さまはさすがだわ、と小さくつぶやいていた。
さて、本題に入る。
「来月の頭に、四人の神獣の宮姫がそろったことを祝い、祭祀が行われると聞きました。私には教養はないゆえに、祭祀のことや、舞をご教示願いたく」
しかし、伯子がふんと鼻を鳴らした。
「わたくしたちが、どれだけの努力をして宮姫になったと!? それをただで教えろとは、図々しいにもほどがあります」
「しかし、伯子さま。翠さまはまだ宮姫になってひと月あまり」
助け舟を出したのは晃子である。はきはきとしたしゃべり方は好感が持てる。順子はあたふたするばかりでなにも言えないようだった。
「では、一度だけ舞をお見せしましょう。それで覚えられなければ、それまでのこと」
「伯子さま。私は舞の知識が一切なく……一度で覚えられるほどの技量もありません。博学でお美しい伯子さまとはなにもかも違い……お恥ずかしい話、身分も高くない、妾(しょう)の子供なのです」
翠は人の扱いを知っている。雛子に比べたら、こうやって頭を下げることなんてたやすいことだった。
案の定、伯子は気をよくして、その場に立ち上がる。
「十二単での舞は、袿姿(うちきすがた)とはまた違ってくるものですが……今日一日くらいでしたら、手ほどきしてもよろしくてよ?」
「ありがとう存じます。さすが、白狐の神獣の宮姫さまの呼び名の通り、賢さで右に出るものはおりませぬ」
「まあ、わたくしたちは役に立たぬと?」
責める、というよりは、仲間に入れてほしいと言いたげに、晃子が言う。
「そのようなことは。晃子さまは、大口真神さまの宮姫らしく、勇敢さを。順子さまは八咫烏の宮姫らしく、純粋なお方でしょう?」
そうして、舞の練習が始まる。
半日かけて、基礎の動きを習得したものの、来月の頭まで毎日練習してどうにか形になるかどうかといったところだった。
翠は、休憩時間にお手製の菓子をふるまっている。少しでも宮姫とは仲良くなりたい。
だから、懐かしさのある、薄餅(パンケーキ)を作ったのだ。
嫌でもあの日の少年を思いだす。あの子は今、どうしているだろうか。
「かように美味なもの、食したことがないわ」
「そうね。翠さま、あなたってお料理の才能がおありなのね」
あの、伯子ですら丸め込む始末である。いつの時世も、食とは人のわだかまりをとかす。
宮姫たちが休息をとっていると、ふと、外が騒がしいことに気づいた。
「主上、なにゆえ」
「本日は宮姫さまたちが」
中央後宮の外が騒がしい。
かと思えば、門扉が開け放たれ、そこにいたのは帝の姿であった。
「宮姫が集まり、はかりごとか?」
その顔は険しい。
どうやら、帝の許可を得ずに宮姫が集まったのがよくなかったらしい。
突然現れた主に、宮姫一同はひざを折って、その場にひざまずいた。
「主上、ご機嫌麗しゅうございます」
「……神獣の宮姫が集まって、わたしの廃位でももくろんだか?」
「さ、さようなことは!」
翠は、自分が宮姫を集めた手前、どうにかして帝の誤解を解こうと声を大にした。
帝は顔をしかめ、翠から目をそらした。
「謀反の気などなく……ただ、わたくしが至らぬため、宮姫の祭祀の舞を、ほかの宮姫にご教示いただいておりました」
「……本心はどうだか。言っておくが。わたしは宮姫のどれもを妃にする気などない」
それだけ言って、帝がその場を離れようとした時だった。
膳の上に乗った、翠が作った薄餅を見て、思わず帝がそちらに走った。
「これは……!」
「あ……わたくしが、宮姫さまへのお礼に作った、茶菓子でございます」
帝はそれをまじまじと見て、蔵人(そっきん)が止めるのを無視して、薄餅を掴んで口に入れた。
「主上が、お召し上がりになった……!」
ついてきた蔵人たちが驚きの声を上げる。
「これは、西洋の薄餅、だな?」
帝が問うと、翠はこくりと頷いた。
「これは、おまえが?」
「は、はい……」
「……そうか、そうだな。おまえの瞳はあの『死した』少年と同じ青。だったら、この料理を知っていてもおかしくないな……懐かしい」
なにがなんだかわからず、翠はこうべを垂れたまま震えている。
「翠、といったか」
「はい、主上」
「そなた、他に異国の料理はできるのか?」
「た、多少は」
「……では、明日の朝餉を作れ。それで、今回の集まりの件は、不問とする」
はあ、とほかの宮姫たちも脱力して、翠は恐れから声を詰まらせる。
「承知いたしました」
そうして、翠は舞を練習しながら、帝の料理を作る任につくことになったのだった。
ただし、皇后が決まるまでは、宮姫たちの会合の場として利用される。
その、中央後宮に集まったのは、白狐の宮姫・伯子(はくこ)、八咫烏の宮姫・順子、大口真神の宮姫・晃子(あきこ)だった。
そばには何十人もの女房が控えている。
それに対し、翠の女房はたったの三人。
くすくす、くすくす、とどこからともなく笑い声が聞こえる。
「お初にお目にかかります。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。多邇具久さまに仕えます、蝦の宮の宮姫、翠にございます」
「まあ、みどり? 翠子(みどりこ)ではなく?」
と言ったのは、大口真神の宮姫・晃子だった。その声音は嫌味というよりは、物珍しさが勝っている。
この国では、女は子の名前を持つのが主流だ。それは翠も知っている。だけれど、異国の母は、自由な人で、どんな国でも生きていけるようにと、『みどり』という名前を付けた。
「はい、私の母は異国のものゆえ。このような名前になりました」
「ああ、だから目の色が『冷たい』青色なのね」
冷ややかな冷笑を浮かべるのは、白狐の宮姫・伯子だった。その女房もまた、翠に嘲笑を向けている。
最後に、八咫烏の宮姫・順子が、「よろしうお願いいたします」と小さく言った。
伯子が追い打ちをかけるように、
「本日は、泥遊びはよろしいのですか?」
つまり、ガマガエルの虫取りをからかったのである。
翠は内心で驚きつつ、ここで動揺しては宮姫は務まらない。なにより、隣の奈子が、おびえている。
自分の後宮の女房くらいは守らねば。
すう、と息を吸い、笑みを浮かべる。
「多邇具久さまのお食事は、今朝たくさん差し上げましたので。伯子さまは多邇具久さまのお食事にご興味が? 今度、ご一緒にお食事作りにいらしてくださいませ」
ぴき、と伯子のこめかみに青筋が立った。
これには奈子がパッと顔を明るくして、翠さまはさすがだわ、と小さくつぶやいていた。
さて、本題に入る。
「来月の頭に、四人の神獣の宮姫がそろったことを祝い、祭祀が行われると聞きました。私には教養はないゆえに、祭祀のことや、舞をご教示願いたく」
しかし、伯子がふんと鼻を鳴らした。
「わたくしたちが、どれだけの努力をして宮姫になったと!? それをただで教えろとは、図々しいにもほどがあります」
「しかし、伯子さま。翠さまはまだ宮姫になってひと月あまり」
助け舟を出したのは晃子である。はきはきとしたしゃべり方は好感が持てる。順子はあたふたするばかりでなにも言えないようだった。
「では、一度だけ舞をお見せしましょう。それで覚えられなければ、それまでのこと」
「伯子さま。私は舞の知識が一切なく……一度で覚えられるほどの技量もありません。博学でお美しい伯子さまとはなにもかも違い……お恥ずかしい話、身分も高くない、妾(しょう)の子供なのです」
翠は人の扱いを知っている。雛子に比べたら、こうやって頭を下げることなんてたやすいことだった。
案の定、伯子は気をよくして、その場に立ち上がる。
「十二単での舞は、袿姿(うちきすがた)とはまた違ってくるものですが……今日一日くらいでしたら、手ほどきしてもよろしくてよ?」
「ありがとう存じます。さすが、白狐の神獣の宮姫さまの呼び名の通り、賢さで右に出るものはおりませぬ」
「まあ、わたくしたちは役に立たぬと?」
責める、というよりは、仲間に入れてほしいと言いたげに、晃子が言う。
「そのようなことは。晃子さまは、大口真神さまの宮姫らしく、勇敢さを。順子さまは八咫烏の宮姫らしく、純粋なお方でしょう?」
そうして、舞の練習が始まる。
半日かけて、基礎の動きを習得したものの、来月の頭まで毎日練習してどうにか形になるかどうかといったところだった。
翠は、休憩時間にお手製の菓子をふるまっている。少しでも宮姫とは仲良くなりたい。
だから、懐かしさのある、薄餅(パンケーキ)を作ったのだ。
嫌でもあの日の少年を思いだす。あの子は今、どうしているだろうか。
「かように美味なもの、食したことがないわ」
「そうね。翠さま、あなたってお料理の才能がおありなのね」
あの、伯子ですら丸め込む始末である。いつの時世も、食とは人のわだかまりをとかす。
宮姫たちが休息をとっていると、ふと、外が騒がしいことに気づいた。
「主上、なにゆえ」
「本日は宮姫さまたちが」
中央後宮の外が騒がしい。
かと思えば、門扉が開け放たれ、そこにいたのは帝の姿であった。
「宮姫が集まり、はかりごとか?」
その顔は険しい。
どうやら、帝の許可を得ずに宮姫が集まったのがよくなかったらしい。
突然現れた主に、宮姫一同はひざを折って、その場にひざまずいた。
「主上、ご機嫌麗しゅうございます」
「……神獣の宮姫が集まって、わたしの廃位でももくろんだか?」
「さ、さようなことは!」
翠は、自分が宮姫を集めた手前、どうにかして帝の誤解を解こうと声を大にした。
帝は顔をしかめ、翠から目をそらした。
「謀反の気などなく……ただ、わたくしが至らぬため、宮姫の祭祀の舞を、ほかの宮姫にご教示いただいておりました」
「……本心はどうだか。言っておくが。わたしは宮姫のどれもを妃にする気などない」
それだけ言って、帝がその場を離れようとした時だった。
膳の上に乗った、翠が作った薄餅を見て、思わず帝がそちらに走った。
「これは……!」
「あ……わたくしが、宮姫さまへのお礼に作った、茶菓子でございます」
帝はそれをまじまじと見て、蔵人(そっきん)が止めるのを無視して、薄餅を掴んで口に入れた。
「主上が、お召し上がりになった……!」
ついてきた蔵人たちが驚きの声を上げる。
「これは、西洋の薄餅、だな?」
帝が問うと、翠はこくりと頷いた。
「これは、おまえが?」
「は、はい……」
「……そうか、そうだな。おまえの瞳はあの『死した』少年と同じ青。だったら、この料理を知っていてもおかしくないな……懐かしい」
なにがなんだかわからず、翠はこうべを垂れたまま震えている。
「翠、といったか」
「はい、主上」
「そなた、他に異国の料理はできるのか?」
「た、多少は」
「……では、明日の朝餉を作れ。それで、今回の集まりの件は、不問とする」
はあ、とほかの宮姫たちも脱力して、翠は恐れから声を詰まらせる。
「承知いたしました」
そうして、翠は舞を練習しながら、帝の料理を作る任につくことになったのだった。

