神獣後宮の宮姫〜後宮で神獣の蝦蟇さまのお世話をしていたら、帝に興味を持たれたようです〜

 翠は由緒ある家柄の生まれだった。ただし、母親は異人で金色の髪と青い目を持つ。
 翠は、髪の毛こそ黒かったものの、瞳は青色を受け継いだ。
 基本的に、妾と正妻は別の家に住み、主人が妾のもとに通うことは少ない。
 けれど、翠の父は、妾である翠の母を、愛してくれていた。
 翠は、七歳まで母とともに都で暮らした。暮らしに困らなかったのは、父の計らいだった。
 翠の母は、西洋の文化も和の国の文化も、どちらもを翠に教え込んだ。
 しかし、翠が七歳の時、母が異人というだけで、殺された。
「かわいそうな翠。わたしの家に来なさい」
 そうして翠は、正妻の住む御殿に連れていかれたのである。

 しかし、正妻は翠をよく思わなかった。なにしろ翠は、儚く美しい。
 正妻には、四人の子供がいた。男が二人、女が二人。
 女二人は、のちに宮姫にするつもりで育て上げた、目に入れても痛くないほどかわいい姫だ。
 しかし、そこに翠が加わって、正妻は翠を邪険に扱った。
 男は、父親の権力を継いで大臣にでもなんにでもなれるが、女は良家に嫁ぐか宮姫に選ばれるか。つまり、女は政治においてなにより重要な位置にある。
 だからこそ、大事に育てた実子の立場を危ぶむ翠は、正妻に言われて、男として育てられるようになった。
 水干(すいかん)を着付け美豆良(みずら)を結い上げ、しかし前髪は長くして、目の色が見えないようにと、正妻は翠を他から隠した。
「翠、遣いに行きなさい」
 物々交換のために、鶏肉や野菜を持たされて、翠は市井に繰り出す。
 男のような恰好をするようになって三年、翠は格好のうわさの的だった。
「ああ、あれが噂の異国の男児か。おそろしきことよ」
 そんな風に陰口をたたかれるのももう慣れっこで、翠は鶏肉を米と麦に変えてもらい、あとは豚肉と小麦粉と卵を手に入れて帰路につく。
 今日は早々に物々交換が済んだため、時間が余った。家に帰ってもどうせ、正妻にぐちぐちと嫌味を言われるだけだ。
 翠は、寄り道をすることにした。
 いつもなら通らない道を選ぶと、都のはずれにたいそう荒れた御殿があった。
 その門扉の前には、兵(つわもの)。
「こんなところに、人が住んでいるんだ」
 そろ、と壁をのぼって中をのぞく。
「うっ……」
 と、御殿に中にいたのは、翠と同じくらいの歳の少年だけだった。
 腹が痛いのか、お腹を押さえてうずくまっている。
「どうしよう……でも、兵が見張っているから」
 助けに行くべきか、兵に声をかけるべきか。
 しかし、翠は、どちらもしなかった。
 壁を回り込むと、裏口があった。
 無断で入ることは気が引けたが、なにしろ命がかかっている。
 翠は裏口を静かに潜り抜けて、中に入る。
 そっと、驚かせないように少年に声をかけた。
「あの」
「……! 何奴!?」
 しかし、少年は翠に気づくなり、翠を組み敷いた。兵に気づかれないように、翠はぶんぶんと首を横に振る。
「しっ。気づかれてしまう」
「……? 刺客ではないのか?」
「ち、違います。外から見たら、あなたさまが踞るのが見えまして」
 少年が翠の上から退いた。
「腹が減っていただけだ」
「おなかが?」
「……軟禁されているゆえ。食事もろくに出されぬのでな」
 たいそう高貴なしゃべり方だと翠は思った。
 しかし、はたと、手に抱えている食料を見て、翠は迷うことなく、
「では、オレがなにか作りましょうか?」
「は? そなた、聞いていたのか? わたしは軟禁されている……罪人だ。関わったらそなたも死ぬ――」
「大丈夫です。兵には見つかっておりません。少しだけ、お待ちください」
 翠は厨(くりや)を借りて、料理を始める。
 兵に気づかれないように、手早く作れるもの、なおかつ、外ににおいが漏れにくいもの。
 小麦に卵と砂糖を混ぜて、鉄鍋で丸く焼く。
 平たく焼きあがったのは、翠が実母から教わった、『薄餅(パンケーキ)』だった。
「さあ、気づかれる前に、どうぞ」
「……なんだこれは、かような見たこともない料理など」
 しかし、おなかは正直である。ぐうと鳴った腹をおさえ、少年は、その不可思議な料理を手でつかんで、大きな口でがぶりとかじりついた。
 卵と小麦の味、砂糖の甘みが体に染みわたる。もちもちの食感がたまらない。
 出されたすべてを平らげて、少年はにこりと翠に笑みを向けた。
「かようにうまいものを、わたしは食したことがない。感謝する」
 その言葉だけで、翠は救われた気がした。生きていていいのだと、肯定してもらえたような気になってしまったのだ。
「そんな、大袈裟です」
「さあ、気づかれる前に逃げろ。わたしは罪人ゆえ、もうここには来ぬように」
「……あの。あなたさまのお名前は?」
 翠は臆することなく聞いていた。
「白露(はくろ)」
「白露さま。オレは、み……翠(すい)と申します。では、また明日、同じ時分にお伺いします」
「そなたはうつけか? 先ほど言ったであろう? わたしは罪人ゆえ」
「はい、聞きました。食事をろくに与えられないことも」
 翠は、この少年の言葉が忘れられない。感謝されたのはいつぶりだったか。人間らしく接してくれた人は、いつぶりだったか。
「はっ。ばれぬように、裏口の鍵は、この時分にだけ開けておくとしよう」
 そこからふたりは、隠れて会うようになった。

 翠が少年――白露を訪ねるのは、決まって食料を調達した後だ。
 翠は、正妻に渡された野菜や米を、持ち前の話術で相場以上の食材と取り換え、余った分で白露に料理をふるまった。
 そのどれもが、白露には物珍しいものだった。
「そなた、どこでかような異国の料理を」
 白露のもとに通いだして一年、翠はここにきて、自分の秘密を白露に話した。
 いつも長い前髪で隠していた青い目を、白露の目の前にさらしたのだ。
 これで縁が切れてもいいと思っていた。
 本当は、男のふりをしていることも話したかったのだが、どうしてもそれだけは明かせなかった。
 だから代わりに、翠の一番の秘密である、青い目を、白露にまっすぐと見せたのだ。
「きれいだな……空のようだ」
「……異国のものだと……気味が悪いとは思わないのですか?」
「まさか。この世界には和の国だけではなく、様々な国があり、人が存在する。それは当たり前のこと。だが、そなたが気に病むのなら、俺の秘密も明かそう」
 そういって、白露は綿の衣を脱いだ。
 あらわになった背中を見せる。その背中には、北斗七星の形に、ほくろが刻まれていた。
「これは、神獣を宿す代々の帝に現れる印だ。わたしは、先代の帝の皇子。しかし、先帝が悪事を働いたとして、処刑された。その子であるわたしは、このように都のはずれで軟禁生活」
「お、皇子さまでしたか……!」
 翠は思わずこうべを垂れた。
 しかし、白露は面白くない。
「そなた、今まで通りに接してくれぬのか」
「恐れ多いことです」
「……まあいい。先帝……父上の罪を晴らせるよう、今わたしの手のものが動いている。わたしが皇子に戻れた際には、翠、どうだ。そなた、俺のもとで大臣として仕えぬか?」
 翠には返事ができなかった。
 翠は女だ。それはいつかはばれる。だったら今、話してしまおうか――
「皇子さま、オレは――」
 しかし、外が騒がしいことに気づく。
「なにやつ」
「ええい、皇子を殺せ」
 招かれざる客が、門の兵を殺して入ってくる。そのまま、刀を振りかぶって、白露めがけて振り下ろす――しかし、それを翠がかばった。
 胸に深い傷跡が刻まれる。
「翠!」
「皇子さま! お逃げください!」
「叔父上!? しかし、翠が」
「今は逃げるのです! 先帝の無罪が晴れると知り、現帝は皇子さまを消すつもりなのです!」
 翠の胸からどくどくと血が流れる。
 翠を置いて、白露の叔父が、白露を抱きかかえて走っていく。
 ああ、よかった。翠は薄れゆく意識でそう思った。
 白露の罪が晴れれば、白露は貴族としてまた、平穏無事な暮らしができる。そうなれば、もうひもじい思いだってしないだろう。
「私、死ぬのね」
 でも。
 亡くなった母親を想起する。
「母上さま。私は、間違ったことはしていません、よね?」
 そうして翠は意識を手放した。

 そこから、二週間。翠は奇跡的に一命をとりとめた。翠の父が、懸命の看病をしたからだった。
 正妻は、目を覚ました翠を見て舌打ちをしていたけれど。
「父上さま。私は」
「ああ、なんてことだ。盗賊に襲われて」
 どうやら、白露のことは知らないらしい。
 それでいいと思う。
 翠はよろめきながら起き上がる。貧血でくらくらした。
「父上さま。今日からまた、私はちゃんと働きます」
「いいや、いや。そなたに遣いを任せた父が悪かった。男の格好ももうしなくてもよい。そうだろう、雛子?」
 雛子とは、正妻の名前である。
「ええ、もういいです。かわいそうな翠」
 わざとらしく、雛子がくずおれた。
 その日以来、翠は男としての装いをやめ、女として生きていく。しかし、雛子からの風当たりがさらに強くなったことは、想像に難くない。