「ごめん、お前のこと好きじゃなかったんだ」
にこやかに言ってのけた男は傍らに女を侍らせて颯爽と歩いていった。木枯らしが吹く。
邑上清果。十六歳。高校一年生。冬。初めての彼氏に振られた。
曰く、告白は罰ゲームだった。なんだか可哀想になって付き合い続けたけどクラスメイト以上の感情が湧かなかった。本当に好きな人ができたから別れよう。
そういうことだった。清果は公園のベンチで項垂れる。十二月の冷たい風が髪を揺らした。
「またか……」
清果はぽつりと呟いた。
清果は騙されやすい性格だった。サンタクロースに始まりトイレの花子さん、その下で告白したら絶対に恋人になれる伝説の木、世界滅亡の日などの都市伝説からゲームの裏技や漫画アニメの裏話、惚れた腫れたの噂まで、なんでも信じて騙されてきた。
さすがにこのままではいけないと一念発起し、高校入学からは用心深く、なんでも疑ってかかるようにしたのだ。
そのせいで孤立することもあったが、なんとか平穏無事に、順風満帆に青春を謳歌していたのだ。していたはずだった。
「だ〜ま〜さ〜れ〜た〜〜〜!!」
近くに誰もいないのをいいことに清果は叫んだ。地団駄を踏んで髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
ちょっと油断していたのだ。いや、かなり油断した。相手は先輩で、綺麗な男だった。太陽にきらりと輝く明るい茶髪も同じような色の瞳も、よく手入れされた色白の肌も清果の心に刺さったのだ。
おかしいと思った。それでも甘い誘惑に勝てなかった。
その結果がこれである。
「もう帰ろう、忘れよう、あんな奴」
清果は思い出を振り切るように勢いよく立ち上がった。乱れた髪が揺れる。伸ばした髪はあの男のためだった。長い髪が好きだと言ったのだ。
これも切ってしまおうと決めて、清果は並木道を歩き出す。ほとんどがその葉を全て落としていた。春には満開の桜を咲かせるのだろう。
ぼんやりと歩いていた清果の前に突然小さな何かが転がり出てきた。
「わっ! 猫?」
茂みをかき分けて来たのか、小さな頭には葉っぱが乗っていた。ふるりとかぶりを振ってそれを落とすと、にゃん、と鳴いて目の前を横切っていく。
胸をなでおろしながらをその後ろ姿を見送っていると男の声がした。
「すみませ〜ん」
「はい?」
清果は振り返る。しかし、誰もいない。正面にも左右にも人影は見えなかった。
「え?」
「あっ、上です、上」
「上って……ええっ?!」
言われるがままに仰ぎ見れば木の上に男がうずくまっていた。青い顔の男は震えた声を出す。
「あ、あの……僕、降りられなくなってしまって……助けてくださぁいっ」
「助けるって言ったって……あ! ちょっと待っててください!」
情けない声を上げた男は清果の言葉にうんうんと頷いた。それを見て来た道を走り戻る。
この並木道に来るまでに清掃のおじいさんを見かけていた。手伝ってもらうか脚立でも借りられるか聞くつもりだった。
それなのに……。
「なにこれ! どうなってるの?!」
どれだけ走っても並木道から出られなかった。それだけではない。
「あの〜……まだですかぁ?」
「ちょっと待ってください! なにか道がおかしくなってて!」
男を置いて走ってるはずなのに気がつけば頭上に男がいる。清果は膝に手をついて肩で息をした。もうこれは自力でなんとかするしかないと、ぐっと背筋を伸ばす。
「受け止めるのは……無理だよね」
見上げた先の男は体を縮こめてはいるが身長は高そうに見える。毛量の多いぼさぼさ頭に丸眼鏡で目がほとんど隠れてしまっていた。
口元はへの字に歪んで血色が悪い。微かに震えているのがここからでも見てとれる。
「えっと、とりあえず、そのまま右足を後ろに伸ばしてください」
「う、後ろに? はい、ええと、こう、ですかぁ?」
「そのまま行けば幹と枝の間に引っかかると思うので、そしたらゆっくり体も後ろに引いてください」
「はっ、はいぃ……やってみます」
清果は少しずつ指示を出して男を誘導する。男は特に逆らうこともなく、かなりゆっくりではあったが、指示に従いその足を地面に着けた。
「はあぁ〜〜〜助かりました〜」
「お疲れ様です」
へたり込む男の肩を清果が優しく叩く。その足はまだかすかに震えていた。
「本当にありがとうございます……もう僕は一生を木の上で過ごすんだと思ってました」
「そんな馬鹿な……」
「ああそうだ! 僕は高觜裡玖っていいます。あなたのお名前を教えてください!」
すくっと立ち上がった男、裡玖は上背のある男だった。清果の両手をしっかりと握り、眼鏡の奥のさらに前髪の奥から見え隠れする瞳をきらりと輝かせる。
見下される圧に清果はたじろいだ。やんわりと手を引こうとするも、全く離れない。清果の中で警鐘が鳴り響く。
「な、名乗るほどの者でもないですから!」
「そんなそんなぁ〜命の恩人さんですよ〜! ぜひお礼をさせてください」
ぎゅっと握る手に力がこもる。裡玖はほうと溜め息をついた。
「小さな手……かわいい……」
ぽつりと呟かれた言葉を清果は聞き逃さなかった。反らしていた目を向ける。裡玖は頬を染め、恍惚とした笑みをたたえていた。
清果の背に冷たい汗が流れた。これは良くない。何かはわからないけれど、これは絶対に良くないことになる。
「離してっ!!」
清果は全身全霊で裡玖の手を振り払った。そうして踵を返して一目散に駆け出す。後ろは振り返れなかった。
残された裡玖に木枯らしが吹く。先程まで握っていた熱を逃さないように両手を擦り合わせた。
「ざぁんねん」
喜色に満ちた言葉は冷たい風に攫われて、清果の耳に届くことはなかった。
にこやかに言ってのけた男は傍らに女を侍らせて颯爽と歩いていった。木枯らしが吹く。
邑上清果。十六歳。高校一年生。冬。初めての彼氏に振られた。
曰く、告白は罰ゲームだった。なんだか可哀想になって付き合い続けたけどクラスメイト以上の感情が湧かなかった。本当に好きな人ができたから別れよう。
そういうことだった。清果は公園のベンチで項垂れる。十二月の冷たい風が髪を揺らした。
「またか……」
清果はぽつりと呟いた。
清果は騙されやすい性格だった。サンタクロースに始まりトイレの花子さん、その下で告白したら絶対に恋人になれる伝説の木、世界滅亡の日などの都市伝説からゲームの裏技や漫画アニメの裏話、惚れた腫れたの噂まで、なんでも信じて騙されてきた。
さすがにこのままではいけないと一念発起し、高校入学からは用心深く、なんでも疑ってかかるようにしたのだ。
そのせいで孤立することもあったが、なんとか平穏無事に、順風満帆に青春を謳歌していたのだ。していたはずだった。
「だ〜ま〜さ〜れ〜た〜〜〜!!」
近くに誰もいないのをいいことに清果は叫んだ。地団駄を踏んで髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
ちょっと油断していたのだ。いや、かなり油断した。相手は先輩で、綺麗な男だった。太陽にきらりと輝く明るい茶髪も同じような色の瞳も、よく手入れされた色白の肌も清果の心に刺さったのだ。
おかしいと思った。それでも甘い誘惑に勝てなかった。
その結果がこれである。
「もう帰ろう、忘れよう、あんな奴」
清果は思い出を振り切るように勢いよく立ち上がった。乱れた髪が揺れる。伸ばした髪はあの男のためだった。長い髪が好きだと言ったのだ。
これも切ってしまおうと決めて、清果は並木道を歩き出す。ほとんどがその葉を全て落としていた。春には満開の桜を咲かせるのだろう。
ぼんやりと歩いていた清果の前に突然小さな何かが転がり出てきた。
「わっ! 猫?」
茂みをかき分けて来たのか、小さな頭には葉っぱが乗っていた。ふるりとかぶりを振ってそれを落とすと、にゃん、と鳴いて目の前を横切っていく。
胸をなでおろしながらをその後ろ姿を見送っていると男の声がした。
「すみませ〜ん」
「はい?」
清果は振り返る。しかし、誰もいない。正面にも左右にも人影は見えなかった。
「え?」
「あっ、上です、上」
「上って……ええっ?!」
言われるがままに仰ぎ見れば木の上に男がうずくまっていた。青い顔の男は震えた声を出す。
「あ、あの……僕、降りられなくなってしまって……助けてくださぁいっ」
「助けるって言ったって……あ! ちょっと待っててください!」
情けない声を上げた男は清果の言葉にうんうんと頷いた。それを見て来た道を走り戻る。
この並木道に来るまでに清掃のおじいさんを見かけていた。手伝ってもらうか脚立でも借りられるか聞くつもりだった。
それなのに……。
「なにこれ! どうなってるの?!」
どれだけ走っても並木道から出られなかった。それだけではない。
「あの〜……まだですかぁ?」
「ちょっと待ってください! なにか道がおかしくなってて!」
男を置いて走ってるはずなのに気がつけば頭上に男がいる。清果は膝に手をついて肩で息をした。もうこれは自力でなんとかするしかないと、ぐっと背筋を伸ばす。
「受け止めるのは……無理だよね」
見上げた先の男は体を縮こめてはいるが身長は高そうに見える。毛量の多いぼさぼさ頭に丸眼鏡で目がほとんど隠れてしまっていた。
口元はへの字に歪んで血色が悪い。微かに震えているのがここからでも見てとれる。
「えっと、とりあえず、そのまま右足を後ろに伸ばしてください」
「う、後ろに? はい、ええと、こう、ですかぁ?」
「そのまま行けば幹と枝の間に引っかかると思うので、そしたらゆっくり体も後ろに引いてください」
「はっ、はいぃ……やってみます」
清果は少しずつ指示を出して男を誘導する。男は特に逆らうこともなく、かなりゆっくりではあったが、指示に従いその足を地面に着けた。
「はあぁ〜〜〜助かりました〜」
「お疲れ様です」
へたり込む男の肩を清果が優しく叩く。その足はまだかすかに震えていた。
「本当にありがとうございます……もう僕は一生を木の上で過ごすんだと思ってました」
「そんな馬鹿な……」
「ああそうだ! 僕は高觜裡玖っていいます。あなたのお名前を教えてください!」
すくっと立ち上がった男、裡玖は上背のある男だった。清果の両手をしっかりと握り、眼鏡の奥のさらに前髪の奥から見え隠れする瞳をきらりと輝かせる。
見下される圧に清果はたじろいだ。やんわりと手を引こうとするも、全く離れない。清果の中で警鐘が鳴り響く。
「な、名乗るほどの者でもないですから!」
「そんなそんなぁ〜命の恩人さんですよ〜! ぜひお礼をさせてください」
ぎゅっと握る手に力がこもる。裡玖はほうと溜め息をついた。
「小さな手……かわいい……」
ぽつりと呟かれた言葉を清果は聞き逃さなかった。反らしていた目を向ける。裡玖は頬を染め、恍惚とした笑みをたたえていた。
清果の背に冷たい汗が流れた。これは良くない。何かはわからないけれど、これは絶対に良くないことになる。
「離してっ!!」
清果は全身全霊で裡玖の手を振り払った。そうして踵を返して一目散に駆け出す。後ろは振り返れなかった。
残された裡玖に木枯らしが吹く。先程まで握っていた熱を逃さないように両手を擦り合わせた。
「ざぁんねん」
喜色に満ちた言葉は冷たい風に攫われて、清果の耳に届くことはなかった。
