明かりを消したら守ってあげる


 食堂で夕食を食べて、大浴場で入浴。
 さっきの話の後も、普段と同じように過ごした。でもやっぱり──

(藤倉、元気がないよな……)

 いつもの快活さがない気がして、それがどうにも気になる。

(お風呂も、ろくに浸からないですぐ出ちゃったし。いつもはもっと長いのに)

 具合が悪いのかと思ったけれど、食事は普段と変わらずもりもり食べていた。
 どうかしたの、と尋ねるか迷っていると……

「あのさ」

 藤倉のほうから呼ばれ、タオルを干していたおれは急いで振り向く。

「な、なに?」
「その……」

 藤倉は最初居心地悪そうに言い淀んだものの、思い切ったように先を続けた。

「今日、一人で寝れそうだったら、寝かしつけなしでもいいか?」
「……!」

 表情が変わりそうになるのを、おれはとっさに堪えた。
 代わりに身体の中で、ドクンと大きな音がする。

(それって……)

「あ……ええと……体調、悪いとか……?」

(いや、なに言ってるんだ、おれ)

 へらっとぎこちない笑みで聞いてしまってから、他にもっとマシな返しがあるんじゃと後悔した。

「体調は……別に問題ないけど、ちょっと今日は一人でいたいっていうか……そのほうがよさそうっていうか……」

 ひどく申し訳なさそうに、藤倉はもごもごと話す。目線も合わない。

(一人でいたい……)

「あ、誤解すんなよ。嫌になったとかそんなんじゃないんだ。今日だけだし、明日からはまた気持ち切り替えて──」
「い、いいよ。平気」

 藤倉はまだ説明しようとしてくれていたけれど、それを切っておれは答えた。

(そりゃそうだよな。毎日部活で疲れて帰ってきて、一人ですぐ、ゆっくり寝られたほうがいいに決まってる。ていうか、当たり前に毎晩寝かしつけしてもらってたおれのほうがおかしいんだから)

 我儘なんて言えるわけない。どうしたんだろうとか、思う権利もない。

「なしでいい、うん」
「柏木……」

 できるだけ明るく言ったつもりだけど、藤倉はまだひどく困ったような顔をしていた。
 罪悪感の表情にも見えるし、おれの反応に対してのものにも見える。
 でもぎこちなく唇を持ち上げると、彼もかすかに笑って言った。

「ごめんな。けど、どうしても無理だったら遠慮なく声かけてくれていいから」
「ううん、大丈夫。こういう練習も必要だと思うし」

(絶対、自分だけでちゃんと寝よう)

 心に誓って、消灯までの時間を過ごした。
 点呼の先生が来て、消灯。枕元のライトだけ灯した状態で、ベッドに入る。

「…………」

 部屋の反対側で、藤倉も無言のまま自分のベッドに入っていた。
 おやすみと声をかけると、同じように返ってくる。それ以上の会話はなかった。

 トク、トク、トク。少し速い自分の鼓動を感じる。
 ライトがあるのと、毎日藤倉が安眠させてくれてたおかげで、入寮した頃に比べれば恐怖はかなり軽減していた。
 それでもまったく平気とはいかず、緊張で身体が強張る。背筋を舐めるような不安が付きまとう。

(だけど、眠らなきゃ。藤倉を安心させられない。また負担になっちゃう)

 夕食の前は『面倒だとは思ってない、改善しようと思わなくていい』と言ってくれていた。
 あれもきっと、優しいからあの場ではああ言ってくれたんだろう。

(あの時はああ言うしかなかったけど……もしかしたら、それも後悔してるのかもな)

 そう考えたら、ツキンと刺すような痛みを覚えた。左胸の上で、知らずぎゅっと拳を握る。

(バカ、もう充分すぎるくらい世話になっただろ。もし本当にそうなら、解放してあげないと)

 きつくまぶたを閉じて、おれは誓った。

(やっぱり、恐怖症を克服したい。本格的に挑戦しよう)


 〇●〇●


 翌日の日曜日、おれは昨日と同じくらいの時間に寮を出た。
 藤倉も朝から部活に行っている。特に今日の予定を聞かれることもなかった。
 ──もう一度、昨日と同じプラネタリウムに行ってみるつもりだ。
 これからは一人で、どんどんできることを試していこう。
 そう思っていたんだけれど……

「おはよう、ゆき」
「……先輩っ?」

 門を出たところで忍先輩に声をかけられて、ぎょっとする。

「えっ? な、なんで……!?」
「出てくると思ってた。うん、予感的中」

 どこか誇らしげに言って、先輩はおれのすぐ前に立つ。

「昨日の感じからして、なーんか起こるんじゃないかと思って。で、ゆきのことだから一人で何かしようとするだろうと思って」

 そこでスッと目を細め、探るようにおれを見下ろし、

「例えば、一人で恐怖症克服しようとか」
「…………」

 おれはあ然として目を見張るしかない。
 この人、どうしてこんなに鋭いんだろう。賢い人って後輩の思考回路まで手に取るようにわかるのか?

「先輩、怖すぎ……超能力者……?」
「はは。何年見てきてると思ってんだ」

 首をすくめるおれに、忍先輩は呆れたように笑う。

「で、どこ行くつもりだったんだ? 昨日と同じ?」
「……はい」

 もうごまかしも通用しないだろうと、素直にうなずいた。

「俺も行く」

 案の定、先輩はそう言い切る。

(先輩にも負担はかけたくないんだけどな……)

 でもきっと、おれがそう言うのをわかったうえでこうして待ち伏せしていたんだろう。
 このまま付き合わせていいものか。
 悩んでいると──デジャヴのように、足音が耳へ届いた。

「柏木!」
「!」

 声のほうを振り仰ぐと、藤倉が立っている。昨日の夕方と一緒だ。
 でも違うところもあった。今日の藤倉は、怒ったような顔をしている。
 そしてずかずかとこちらへ歩いてくると、おれの腕を強引に掴んだ。

「またこいつと出かけんの」
「えっ? や……あれ、藤倉、部活は?」
「今日は昼までなんだよ」
 
 とっさに出た質問へ律儀に答えつつも、藤倉の目は鋭いままだ。

「てか、聞いてるのこっち。またプラネタリウム? そんなにこいつと一緒がいいのかよ」

(え……藤倉、マジで怒ってる……?)

 強い語調にたじろぐ。狼狽しつつも、気迫に押されて口を開いた。

「だ、だって……恐怖症どうにかしなきゃみんなに迷惑を……藤倉になんて、特に……」
「俺はかまわないって言った」
「それは気を遣ってくれたんだろ? ゆうべだって……」

(おれに一人で寝てほしいって言った、あっちのほうが本心なんだろ? 大丈夫だよ、わかってるよ)

 言いにくいなら言わなくていいから、ちゃんと汲み取るから。
 眼差しでそう伝えたつもりだったけれど、藤倉はますます声を荒げた。

「違う! あれはそういうことじゃなくて!」

(違う? 何が?)

「じゃあ、どういうことなの?」
「それはっ……」

 藤倉は喉が詰まったように言葉を切って口をつぐむ。

(ほら、やっぱり……)

「おれ、藤倉を困らせてたよな。はっきり言ってくれていいんだよ、藤倉は何も悪いこと──」
「違うって!」

 さらに大きな声で、藤倉がもどかしそうに叫んだ。
 その肩を、伸びてきた手が掴んで、俺から離すようにぐいっと引く。

「それくらいにしといたら。一応ここ、往来だし」

 今までは黙って聞いていた忍先輩だ。藤倉の肩を押さえたまま、彼は落ち着いた声で言った。

「藤倉くん。ゆきは不器用だし鈍感だし視野狭いけど、一生懸命な子なんだよ」

(え……不器用? 鈍感? 視野狭い?)

 さらっとなかなかなことを言われて驚くけれど、忍先輩はいたって真面目な表情だ。

「そのゆきが自分なりに考えて前に進もうとしてるんだから、困らせないであげてくれないかな」

 淡々と、藤倉にそう話した。
 藤倉は憤りを堪えるように下唇を噛んで、拳を握っている。

「君に邪魔する権利があるわけでもないよね?」
「っ……」

 グ、と唸るような音を漏らしてさらにうつむく藤倉。
 数秒の沈黙の後、低い声で、

「……すんませんでした」

 絞り出すようにそう言うと、速足で門を抜け、寮に入っていった。
 おれはその背中を呆然と見送る。
 そっと肩を抱かれて顔を上げると、忍先輩が苦い顔をしていた。

「噛み合ってないみたいだな、おまえたち」
「………」

(噛み合ってなかったのか……? おれはこれ以上負担かけたくなくて、これが藤倉にもいいと思って……)

「あの子とは、ちょっと距離を置いたほうがいいんじゃないか」

 諭すような声に、どう返していいかわからない。
 藤倉が消えた後のドアを、しばらくぼんやりと見つめていた……。