明かりを消したら守ってあげる


 入寮してから2週間ほどが過ぎた。
 藤倉は約束通り、誰かからもらってきたライトをおれのベッドサイドに置き、寝かしつけも続けてくれている。

 ……藤倉も寝落ちてしまい、朝まで並んで寝てしまうことも度々あった。
 今日もおれは、隣でもぞもぞと動く気配で目を覚ます。

「……もう朝?」
「あ、おはよ。ごめん、またここで寝てたわ」
「んー、いいよ……いつもありがと……朝練ありそう?」

 昨日の夜は雨が降っていた。でも今は、雨音は聞こえない。小雨かもしれないけれど。

「こんなもんなら余裕である。行ってくるな」
「うん、行ってらっしゃい」

 藤倉を見送って、二度寝して、登校してまた寮に帰って。
 そんな生活にもずいぶん慣れた放課後──

(……あれ)

 帰り道でスマホを見たおれは眉をひそめた。

「まだ未読……?」

 母さんとはたまにメッセージで連絡を取っている。
 でも、昨日の夜に送ったメッセージに、いっこうに既読がつかない。

(その日のうちに既読がつかないことなんて今までなかったのに)

 おれはその場で道の脇に寄り、通話をかけた。自営業だから、出れるタイミングならつながるはずだ。

『もしもし、雪人?』

 けっこう待ったけれど、つながってホッとする。外なのか、ざわめきが聞こえた。

「母さん? 既読にならないからどうしたのかと思って」
『ああ、ごめん。ポップアップは見てたんだけど……』

(母さん……声、疲れてるな)

「忙しいの? 大丈夫?」
『ちょっと立て込んでてね。でも大丈夫よ。心配かけてごめんね』

 無理して明るさを装っている声だった。
 チクッと胸が痛む。……でも、おれには何も手伝えない。

「無理しないでね」

(こんなことしか言えないの、不甲斐ない……)

『わかってる。裁判の準備も進んでるし、アンタは何も心配しなくていいから。勉強サボらないで頑張んのよ』
「……ちゃんとやってるよ」
『夜は?』
「寝れてる、平気。ライト置いたりして……ルームメイトがいろいろ助けてくれてるんだ」
『そう、よかった。また今度、ゆっくりかけ直すわ』

 あまり時間がなさそうだったので、通話はそれで終わった。

「……大丈夫かな」

 気丈でバイタリティのある人だというのは知っている。けれど歳も歳だし、身体が何より気がかりだ。
 おれももう子供じゃないけど、しょせん高校生じゃ難しいことはできない。

(情けないな……支えになれなくて)


 ──そんなことを考えていたせいだろうか。
 その日の夜は、おかしな夢を見た。

 買った新築の家に母さんと2人で住んでいる。
 でもリビングでくつろいでいたら、急に天井が崩れてきた。
 ガラガラ、ゴロゴロ、ビシビシ、すごい音がする。 
 襲いかかってきた木材に、おれたちは押し潰される。 
 苦しい。苦しい。怖い。怖い。

「……うわぁぁっ!」

 ガバッと、弾かれたように起き上がった。
 心臓がバクバクと激しく打っていて、息を吸っているのに酸素が足りない感覚。
 身体が火照っているのに、首筋や背中を冷たい汗が伝う。 

「柏木っ? 大丈夫か!?」

 声と共に肩を掴まれて、隣に藤倉がいることに気づいた。
 ライトをつけっぱなしにしているので、以前ほどの暗闇じゃない。
 オレンジの光に照らされた、心配そうな顔がすぐ近くにある。

「あ……へ、変な夢、見て……」
「変? 怖い夢?」
「う、うん……」

(最悪な夢……母さんの疲れた声聞いたからだろうな)

 自分の悩みや不安があからさまに表れていて、自嘲したくなる。
 はぁっと息をついたおれは、ふいにたくましい腕に包まれた。

「そっか。もう大丈夫だからな」
「え……藤倉……?」

 藤倉が包み込むようにおれを抱きしめている。片手で後頭部を支え、もう片方の手はいつかのように背中を撫でてくれた。

「落ち着くまでこうしてるから」
「……でも……」

 おれは額を藤倉の鎖骨に当てたまま、くぐもった声を漏らした。
 やんわりとだけど、藤倉の手に固定されていて頭は動かせない。

「いいよ、悪いから……」

 まだ夜は明けていない。多分2時とか3時とか、半端な時間だ。

(こんな時間に起こしちゃっただけでも申し訳ないのに)

 けれど藤倉は、手を動かし続けながらカラッとした声で言う。

「悪くない。おまえと一緒に寝る」

(……相変わらず聖人並みに優しい)

 でもこの2週間で、おれにもわかったことがあった。
 聖人並みに優しい藤倉だけど、意外と、自分がこうと宣言したことはなかなか引き下がらないのだ。

「……ありがとう」

 きっと今も押し問答になるだろうと思って、おれは早々に甘えることにした。
 ……正直に言えば、こんなふうに労わってもらえるのはとてもありがたい。

(藤倉の手とか、体温とか、安心するんだよなぁ……)

 今日は風が強いようで、時折ビュウビュウ音がしたり、窓枠がガタガタ揺れる。

(悪夢を見たの、この音のせいもあるかも)

 ちょっとビクついてしまうけれど、それも藤倉の体温が紛らわせてくれた。

「……欠陥住宅に押し潰される夢見ちゃった」

 黙っているより言ったほうが流してしまえる気がして、自分から話し始める。

「それは嫌だな」

 藤倉も撫でる手を止めず、話にのってくれた。

「うん、苦しかった」
「大丈夫、ボロくてもここの天井は落ちないから」
「知ってる」
「万一落ちてきても俺が守る」
「はは、頼もしい」

 短く交わす言葉と温もりが、心をなだめてくれる。

「……落ち着いた?」

 しばらくしておれの心音が平常に戻った頃、頭の上からそっと問いかけが降ってきた。

「うん……だいぶ。ごめん、こんな時間に起こしちゃって」
「いいよ、そんなの」
「はぁ。いつもはすごく安心して寝れてるんだけどなぁ」

 悪夢にうなされて飛び起きるなんてどれくらいぶりだろう。
 今さらながら恥ずかしさも出てきて、おれは自虐的にぼやいた。

「……そうなの?」
「うん、一人で寝てた頃より熟睡してるかも。最近、夢なんて見てなかったよ」

 お世辞でもなんでもなく、本当のことだ。
 この2週間、藤倉が一緒にいてくれることがどんなにおれを救ってくれているか。

「全部、藤倉のおかげ」
「…………」

 藤倉が「う」と、息みたいな声みたいなものを漏らしてピクッと震えた。

「……どうしたの、藤倉?」
「いや……俺ちょろいなって思ってた」
「……? ちょろい?」

(どういうこと?)

「気にしなくていい、スルーしといて」

 ゴホッと喉を鳴らして、回していた腕をほどく。
 おれは身体を起こして藤倉の顔を見たけれど、気まずそうに目をそらされた。

「あー。じゃあ、もう1回寝るか」
「あ、うん」

 時計を見てみる。
 3時40分。やっぱり半端な時間だったけど、藤倉ももうひと眠りできるだろう。
 と、その時、ひときわ強い風が吹いたようで窓枠がガタンッと鳴った。
 おれは思わず、「わっ」と声をあげてしまう。

「風強いな」
「うん……」

(やだな。この音し続けてたら、また怖い夢見るかも……)

 そう考えていたら、藤倉がえいっとおれの身体をベッドに寝かせた。
 そして自分も横になると、おれの耳を腕で覆うようにして再び抱きしめてくる。

「こうしたら、多少は聞こえなくなるだろ」
「へ……」
 
 横向きに寝た状態で、おれは固まった。

(ええ、いや……)

 添い寝はすっかり慣れた。
 でも……それにしたって、これは近すぎないだろうか。
 さっきと同じように、おれの頭は藤倉の胸にぴったりくっついて、腕で抱き込まれている。

「こ、このまま、朝まで……?」
「うん。どう? 風の音、少しはマシ?」

 おれの耳がちゃんと覆えているか、確認するように腕を動かしながら聞いてくる藤倉。

(……今さら気にしてるのはおれだけ?)

「ま、まぁ……」

 実際、腕のおかげで外の音は少し遠退いていた。

(代わりに、藤倉の心臓の音が聞こえるけど……)

「よし、んじゃ寝よう」

 藤倉は満足した声で言う。

(……藤倉がいいなら、いいか。ちょっと恥ずかしいけど)

「てか、ちっさいなー、柏木」

 やっぱり、藤倉は何も気にしていないようだ。おかしそうにそんなことを言い出す。

「藤倉が大きいんだよ……何㎝あるの?」
「今184かな」
「やっぱでっかい……」
「ははっ、かなぁ」

 そんなたわいない話をしているうちに眠気が訪れ、いつの間にか2人とも眠っていた。
 藤倉はいつもの時間に起きたけれど、悪天候のため体育館での朝練になったと言って、少しゆっくりしてから出ていく。

(藤倉のおかげでもう夢も見なかった。また世話になっちゃったな)

 本当に、彼のおかげでとても助かっている。でも……

「ここまでのことを、当たり前にするのはダメだよなぁ」

 一人で身支度を整えながら、おれはつぶやいた。
 昨日は怖さもあって甘えてしまったけれど、朝になって少し反省している。
 
(寝かしつけどころか、まさに朝までの添い寝させちゃうとか)

 ベッド、狭いのに。スポーツマンの彼にとっても、睡眠は大事なのに。

(……おれは、誰かの負担にはなりたくない)

「マジで、これ以上は負担かけないようにしないと……」


 〇●〇●


 食堂で朝食をとって部屋に戻ると、スマホにメッセージの着信があった。

『寮に入ったって聞いたよ。今日、ちょっと話せる?』

「……(しのぶ)先輩」

(どこから聞いたんだろう。母さんか?)

「うーん、怒られそう」

 おれは頭を掻きながら、『じゃあ昼休みに』と返信した。

 そして昼休み。
 いつものように司書室へは行かず、中庭でメッセの主と落ち合う。

「ゆき! なんで話してくれなかったんだよ!」

 おれを『ゆき』と呼ぶ彼、忍先輩こと3年の小峰(こみね)(しのぶ)は、会うなり俺の肩を掴んで揺さぶった。

「す、すみません。心配かけると思って」
「するに決まってる! 家、住めなくなったって! 急に寮生活って!」
「ううっ。ゆ、揺らさないでくださ……先輩……!」

(朝ご飯出る……!)

 おれの顔が青ざめてきたのに気づいて、ようやく先輩はハッと手を離してくれる。

「あ、ごめん」
「……いえ」

 よれたシャツを直しながら苦笑いするおれ。

(忍先輩、すごく理知的な人なのになぁ)

 おれに対しては、時々こんなふうに我を忘れる。
 忍先輩は同じ中学、同じ部活出身で、昔から仲がよかった。この学校で唯一、中学時からの付き合いがある人だ。
 当然地元も同じだし、おれの家庭事情や暗所恐怖症のことも知っている。

「えっと……おれの母親から聞いたんですか?」
「そうだよ。この間、花を買いに行って」

 予想通りの返答だった。
 先輩はいまだもどかしそうに、口をギザギザにしている。

「俺に黙ってるなんて水臭すぎるだろ、ゆき」
「でも先輩、受験とかで大変だろうし……」
「大変なのはおまえだろ! 寮って、夜の消灯はどうしてるんだ? ちゃんと寝れてるのか?」

 やっぱり、それを一番気にかけてくれていたようだ。

「大丈夫です、どうにかなってます。えと、ルームメイトが理解ある人で」

(さすがに寝かしつけや添い寝してもらってるとは言えない……)

「そうなのか? まぁ、ゆきが不自由してないならいいんだけど……」

 あいまいな説明にすっきりしない顔をしながらも、深くは追及しないでくれた。

(忍先輩も過保護っていうか、世話焼きおかん体質なんだよな。それだけおれが頼りないってことなんだろうけど)

 今年受験の先輩をわずらわせたくなかったのも本心だ。こう見えてかなりインテリな人なので、難関大を受けると聞いている。

(ほんとおれは、先輩にも藤倉にも心配ばっかりかけて……)

「暗所恐怖症も、どうにかできたらとは思ってるんですけどね……」

 半分独り言だったけれど、その声に忍先輩がピンッと反応した。

「だったら俺、協力するぞ?」