明かりを消したら守ってあげる


「ん……?」

 少し離れたところから聞こえる物音で目が覚めた。
 おそるおそるまぶたを持ち上げると、薄暗いながらももう闇は消え去っている。

(朝になってる……でもこの明るさ、まだ夜が明けたくらいじゃ……?)

「あ、悪い。起こした?」

 横から声がして、ワンテンポ遅れてそちらへ首を動かす。
 自分のベッドの上で、藤倉がスポーツバッグに着替えらしきものを詰めていた。

「いいけど……早くない?」
「朝練」

 もそっと起き上がりながら尋ねると、短い返答。
 そういえば彼はサッカー部のエース。今の服装もジャージだ。

「ああ……」

 時計を見ると、6時にもなっていない。そっか、朝練ってこんなに早くからあるのか。

「言うの忘れてた、ごめんな」
「気にしないで。それより……」

 緩慢だった意識が覚醒してきて、昨日のことを思い出す。
 とにもかくにもこれを言わないと。

「昨日はありがとう。藤倉のおかげでよく眠れた」
「ほんと?」

 藤倉は手を止めて、身体ごと嬉しそうにこちらを振り返った。

「うん。電気消した状態でこんなに寝られるなんて、奇跡だよ」
「そりゃよかった。寝かしつけテク発揮した甲斐あるわ」

 ますます嬉しそうにニカッと笑う。
 屈託のない笑顔はやっぱり、でっかいワンコみたいだ。

「っと、もう行かないと。つってもだいぶ早いし、おまえはもうちょい寝てろな」

 時間を見て、藤倉は急いで学生カバンとスポーツバッグ、2つの荷物を肩に背負った。

「そうする。行ってらっしゃい、朝練頑張ってね」
「おう。……へへっ」
「……? どうしたの?」
「や、『行ってらっしゃい』って送り出してもらえんの、いいなって。今まで一人だったから新鮮」

(照れてるんだ)

 ちょっと可愛い、なんて言ったら怒られるだろうか。

「じゃ、また後で!」

 急ぎ足で出ていく藤倉を、手を振って見送る。

「ふぁ……」

(たしかにまだ早いし、特にすることもないし……)

 二度寝を決め込むことにして、おれは再びボスンとベッドに倒れ込んだ。


 〇●〇●


(学校が近いと朝ゆっくりできるなぁ)

 その後登校したおれは、教室で地味に感動していた。
 自宅通学していた時と大体同じ時間になるよう登校したけれど、寮を出たのはこれまでより30分も遅い。朝の30分はとんでもなく貴重だ。

(おれにとってもメリットはある。やっぱり寮生活、頑張らないと)

 苦労もあるけど、おれがちゃんとやれてることを報告したら母さんも安心するはずだ。
 気合を入れ直していた時、ドアのほうから賑やかな声が聞こえてきた。

「はよーっす!」
「浩斗! おはよ~!」
「おはー、ひろっ!」

(あ、藤倉)

 制服姿の藤倉が入ってきて、廊下側から2列目の席にどさっと荷物を置いていた。
 そこが藤倉の席で、ちなみにおれの席は窓際から2列目だ。

涼太(りょうた)もおはよー。今日も朝練してたん?」
「おー」
「あれ、なんで佳樹(よしき)もいんの?」
「辞書借りに来たー」

 藤倉と一緒に入ってきたのは他にも2人。
 一人はこのクラスの岡嶋(おかじま)涼太(りょうた)くん。
 もう一人は、別クラスの……たしか、庵野(あんの)佳樹(よしき)くん。
 2人ともサッカー部で、藤倉と仲がいい。 

「和英だっけ、英和だっけ?」
「英和英和」

 庵野くんは藤倉に辞書を借りに寄ったようだが、そのまま他の生徒たちも交えて話し始める。

(藤倉の周りはいつも人がいるし、賑やかだよな)

 藤倉と同じクラスになってからまだ2カ月ほどだけど、もう見慣れたいつもの光景だ。
 でも、今朝はちょっと、いつもと印象が違って見えた。

(藤倉、あんなに優しくていいやつだし。みんなに好かれるのも納得)

 他でもない自分自身が昨日の夜、あんなに助けてもらった。
 だから、彼が人気者なのも当然だな、と妙に納得してしまう。

(サッカーが上手くて……でもたしか、勉強もけっこうできたよな)

 中間考査の成績がよくて、担任に褒められていたのを思い出した。

(昨日も消灯時間ぎりぎりまで課題やってたし。部活もあって大変なのに、真面目)

 おまけに気さくで話しやすくて、友達もたくさんいて。
 人見知りがあってそんなに口数も多くないおれとは、真逆に近いほど違う。

「藤倉、今日カラオケ行かん?」
「ムリムリ、今日も部活だって! 今度な!」
「今度っていつだよ、このサッカー馬鹿!」
「馬鹿言うな、俺の青春はサッカーに捧げるって決めてんだよ!」

(……すごいなぁ、藤倉は。完璧人間じゃん)

 弾けるような笑みを眺めながら、改めて感心してしまうおれだった。


 〇●〇●


 その日、寮生活2日目の夜。
 部屋で課題をしていると夕食直前に藤倉が帰ってきて、一緒に食事と風呂を済ませた。

「ふぁ~っ、すっきりした~!」

 ほかほかさっぱりで部屋に戻ると、藤倉はベッドに直行。倒れ込むように、仰向けに寝転がる。

「梅雨時期ってじめじめして、朝練の後、ずっと微妙に気持ち悪いんだよな。一応シートとかスプレーでケアしてるけどさ」
「たしかに、まだまだ梅雨真っ盛りだよね。そこまで雨は多くないけど」

 雨天は少なくとも毎日薄曇りで、快晴をしばらく目にしていない。

「おれもじめじめしてるのは好きじゃないよ」

 肩にかけていたタオルを椅子の背に干して、おれも自分のベッドに座りながら言った。

「なー。俺、汗臭くなかった?」
「ふふ、それは平気」

(そういうのも気にするんだ。さすが人気者)

「そっか、ならいいけど」

 安心したようにつぶやいた藤倉は、軽やかに上体を起こすと、

「今日も俺が寝かしつけてやるから、心配しなくていいからな」
「えっ……」

 ピッと親指を立てる藤倉に、おれはすぐ反応できず言葉に詰まった。

 まだ21時台だけど、あっという間に消灯時間はやってくる。
 考えていなかったわけじゃない。
 というか正直、ずっと『どうしよう』と考えていたし……期待してなかったというと嘘になる。でも、

「……悪くない?」

(期待以上に、申し訳なさすぎる……連日ルームメイトに寝かしつけさせるなんて)

 その気持ちのほうが大きい。
 けれど藤倉は、ニパッと、曇り空を吹き飛ばすような笑顔で、

「全然! 言っただろ、慣れてるって」

 そう言い切ると、立ち上がってこっちへ歩いてきた。
 おれの隣に座ると、ポンと頭に手を載せる。

「ルームメイトなんだから助け合うのは当たり前。柏木の安眠は俺が保証するから安心しろ」
「藤倉……」

(どうしよう。本当に、なんていいやつなんだ)

 冗談でなく、うるっと涙ぐんでしまいそうだ。

「……ごめん。おれ、情けないルームメイトで」
「んなことないって! 俺、今まで一人部屋で寂しかったくらいだし。おまえが来て喜んでんだから」
「うう……後光が見えるよ、藤倉……」

(神、マジで神だ)

「なんだそりゃ。てか、とりあえず課題終わらせるか。数Ⅱのプリント、柏木もうやった?」
「……まだ」
「おまえもかよ! んじゃやろうぜ!」
「……うん」


 そうして、消灯時間間際まで互いに課題をして過ごし。
 23時、消灯。ビクビクしながら布団に入ったおれの隣に、藤倉も横になる。

「あのさ。小さいライトとかなら、各自で持ち込んでもOKなんだけど」

 昨日と同じようにおれの胸をトントンしながら、藤倉が小声で言った。

「え、そうなの?」

 おれは目を閉じているほうが多少は落ち着くので、そのままで聞き返す。

「うん。俺は必要ないから持ってないけど、スタンドライトみたいなの使ってるやつ、たまにいる。そういうのあれば多少は違う?」
「違う……と思う。少しでも明るいほうが……」

 それでも薄暗い部分に恐怖を見出してしまうので、完全とは言えない。けれど、真っ暗闇よりはマシだ。

(そういう手もあったか。家では電気つけたまま寝るのが当たり前になってたから、思いつかなかった)

「じゃあ俺、誰かのお古もらえないか聞いてみるよ!」
「えっ? いや、いいよ。自分で買うから」

 藤倉が揚々と言うので、おれは思わず目を開けて告げた。
 とたん視界に映った闇にギクリと強張るけれど、すぐ近くで藤倉がおれを見下ろしている。
 その目を見たら、なんとか平静を保てた。

「金もったいないじゃん。大丈夫! ほとんど使ってないってやつ、多分いるから」

 『任せとけ』と、藤倉は再び親指を立てる。
 藤倉のことだ、この寮にも仲のいい生徒が多いに違いない。
 でも、それにしたって。

「……本当に、藤倉はすごすぎる」

 じーんと胸を満たす感動に、おれはしみじみと息をついた。
 藤倉は片眉を下げて、戸惑いがちな笑みを浮かべる。

「えー、すごいって何が?」
「だって優しいし、頼もしいし、かっこいいし、優しいし、優しいし」
「何回優しい言うんだよ」
「それくらい、いいやつすぎるってこと」

 自然と微笑みながら告げると、藤倉が小さく喉を上下させた。絡んでいた視線がすっとそらされる。

「別に、全然そんなことないけど……」
「うそ。おれにはパーフェクトに見えるよ。性格いいし、運動も勉強もできるし」
「絶っ対ない! ちっともパーフェクトなんかじゃないって!」

 再び目を合わせて勢い込む藤倉。直後に声が大きかったことに気づいてハッと唇を結んだ。

「サッカー上手だし、中間考査で褒められてたじゃないか」
「あれはたまたまだよ。ヤマが当たって、いつもより高めの点取れただけ」

(謙遜するなぁ)

 おれにしたら胸を張ってもいいと思うくらいだけど。こういう姿勢も、さすが好青年ってことか。
 そう思っていたら、藤倉はポリポリと頬を掻きながら、

「まぁ、サッカーしかできない脳筋とは思われたくないし、一応勉強も頑張ってるけど……」

(ああ、ほら、やっぱり)

「努力家だ」
「そんな言うほどでもないけどな。机で寝落ちて点呼で叩き起こされるのザラだし、平均点取れない時もあるし。なんなら1年の時、回答欄ずれてて悲惨だったことある」
「ええっ」
「サッカーでも、よそ見しててコケたりとかするぞ。抜けてるってよく言われる」
「えー……」

(藤倉でもそんなミスするんだ)

「な? 全然完ぺきなんかじゃないだろ?」

 照れくさそうながらも熱弁する藤倉。

(本人がこう言うなら、そっちが本当なのかな……)

「わかった。でも、優しいのは間違いないよ」

 今まさに優しさの恩恵にあずかっているおれとしては、そこだけは譲れない。

「おれ、ルームメイトが藤倉でよかった」

 まだ2日目だけど、迷いなくそう言える。

「柏木……」

 目が慣れてきた薄闇の中、藤倉はじっとおれを見下ろした。
 胸に置かれていた手が、何かをためらうように少し動く。
 ごく短い沈黙の後、藤倉はぽそっと独り言のような声音で言った。

「優しいって言うなら、柏木のほうだよ」
「え……おれ?」

(どこが? 昨日と今日で、おれの優しさなんて何も披露できてないけど)

 かっこ悪いところばかりで、いいところなんてひとつも見せられていない。
 訝しむおれを見て、藤倉はどこかそわっとした様子で微笑むと、

「俺、実は前から、柏木ともっと話してみたいって思ってたんだ」
「……? そう、なの?」
「うん。あのさ、グラウンドの傍に、花壇あるだろ?」
「花壇……?」

 唐突に変わった話題に戸惑いつつも、おれは言われた風景を思い出す。
 校舎とグラウンドの間、通路になっている敷地に設えられた花壇。
 グラウンドは正門と反対の、裏門側にある。そちらを使って登下校していたおれは、毎日通っていた場所だ。

「あるけど、それがどうしたの?」
「4月の終わりくらい、そこに植えてあった花が枯れたの覚えてない?」
「……覚えてる」

 その記憶もすぐに思い出した。そうだ、あの時は……。

「たしか、まだ慣れてない園芸委員の1年が肥料の量間違えたらしくて、何本も枯れちゃったんだよな」
「そう。つっても俺らサッカー部はそんな気にしてなくて、『あれ、枯れてんじゃん』くらいで通り過ぎてたんだけど──」

(……もしかして)

「練習中にまた横通ったら、園芸部員でもないのにしゃがみ込んで見てるやつがいてさ。花に触って、『ごめんな』って謝ってた」

「……見られてたんだ」

(うわぁ、はず……)

 まさかあれを見られていたなんて。

「バッチリ見てた。花、好きなの?」
「好きっていうか……馴染みがあるから。母さん、花屋やってるんだ」

 若い頃はブライダルフラワー業界で正社員として働いていて、今は独立した。花が大好きなのはおれじゃなくて、母さんだ。

(でもあの日は、毎日見てた花がいきなり大量に枯れてたから、ついかわいそうになって……)

「なるほど、そういう理由か」

 そんなに理由を知りたかったのか、藤倉はなんだかすごく嬉しそうにうんうんとうなずいている。

「あれ見て、優しいやつなんだろうなーって思って。俺、話してみたかったんだけど、柏木って昼休みはいつもどっか行くじゃん?」
「あ、うん……図書室に行ってる。正確にはその隣の司書室だけど」

 そこでおれは昼食を食べていた。
 去年も今も図書委員で、司書の先生や、去年仲良かった委員仲間と過ごすのが日課になっている。

「司書室かよ! 部外者入れねーじゃん、そりゃ見つかんねーな」

(なんか探したことがあるみたいな言い方……)

 軽く気になったけれど、聞こうか迷っているうちに藤倉が言葉を続ける。

「だから今度来るルームメイトが柏木だって聞いて、楽しみにしてたんだ」
「……なんか、恐縮です」
「なんで敬語」
「いや、だって、そんな楽しみにしてもらえるほどの人間じゃないから……」

 花は気になっただけで、育て方はろくに知らない。
 コミュ障気味で、新しい級友と打ち解けるより、去年の友達とつるんでるし。

(極めつけに手のかかる暗所恐怖症……)

「がっかりされてもおかしくない……」

 なかば無意識のうちにつぶやくと、藤倉が「はぁっ?」と声をあげた。

「してないけど! がっかりなんて」
「え……ほんとに?」
「ほんと! 柏木、自己評価低いんじゃないか」
「う……」

(高くはならないよ、どう考えても)

 藤倉に比べたらおれは優しくもないし、すべてが平均レベルの凡人だ。

(だけど……)

「でも、藤倉にそんなふうに思ってもらえてたのは嬉しいよ」

 そう伝えると、藤倉はほっとしたように笑った。

「だったらいい。……俺も嬉しい」
「うん」

 言いたかったことを言えてすっきりしたのか、藤倉は満足した顔でまた寝かしつけを再開してくれる。

(いいやつだからこそ、これ以上迷惑かけないようにしないとな……)

 眠りに引き込まれながら、おれはそんなことを思っていた。